
ネットにあげられている限りでは、そのような記述が見られませんでした。逆にそれほど効果がなかったと書かれている一説も見つけました。 防波堤を作ったのは、オランダではこれを作たことによって、土砂が堆積(堆砂)するのを少なくすることができたからです。川の違いかなとそのサイトには書かれていました。
その後気がついたことです。基本的に三国港は川の攻撃斜面にあたっているので、堆砂は起こりにくいはずです。堆砂があるとしたら、おそらく河口付近かその先でしょう。ここに砂がたまることによって港に出入りする船が通りにくくなっていたことはありそうです。三国港で起こった問題は、三国港での問題ではなく、その入口にあたる場所で船が通れなくなったという方がしっくりしそうです。
河口の堆砂のあるところに川のカーブをそのまま延長して攻撃斜面が続くように導流堤を作れば、沖合まで流れの勢いはそのままです。土砂は沖合まで運ばれていきそうです。でも堆積したものを運び去るほどの勢いがあるのかどうかについてははっきりしません。
本文中に三国港付近での変化と書かれています。その範囲に河口から沖あいまで含まれるとしたらこの文書は正しい記述になりそうです。しかし、「河口から沖合に向かう流路ができ」とわざわざ別に書かれていますから、「河口から沖合」は含まれないような気がします。
導流堤を作ることによって、三国港付近の水面は上昇します。流れに勢いがあるということはその分水面が傾斜している必要があるからです。沖合まで流れていったということは、沖合から一定の傾斜で水面が高くなっていることを示しています。その分堆砂が起こりそうです。そうであったとしても影響は無視できるでしょう。堆砂が起こってもその分水面もたかくなりますから、水深はそれほど変わらないといえそうです。
気になるのは、オランダでうまくいったものがどうして日本ではうまくいかなかったのかということです。一番大きな違いは、日本の場合は、川の長さが短く傾斜がきついということ、大雨による洪水の影響を受けやすく、平時に比べて流速が非常に大きくなる点です。堆砂が起こるとしたら、洪水が治まり始め流速が遅くなりはじめたときでしょう。この時にたまったものは、ふだんの流速で運ばれてくる物よりも大きな粒子ですから、導流堤で流れを運び去ろうとしても流速が少なく、運び去れないような気がします。このような土砂は、さらに新しい洪水がないと運び去ることはできないでしょう。
大陸の河川は年間を通じて流量がそれほど変わりそうにありません。局所的な洪水とかは平均化されるからです。一定の流速で流れているとすると、ほぼ粒径のそろった砂粒が運ばれてくるでしょう。流速が変化しないのなら、いったんたまった土砂は運び去られにくくなります。
こういった話とは別に考えないといけないことがあります。一般に河口付近では潮の干満によって流れが行ったりきたりしています。このような領域を感潮域と呼んでいます。感潮域では、いったん流れが止まる時間帯もあります。この時には堆砂が起こりそうです。いったんたまった土砂は、より強い流れがないと運び去ることができません。
大陸の河川ではどうなるのでしょうか。川の傾斜が非常に緩やかなのが特徴です。その分、感潮域が長くなります。満潮で川を遡っていく水量は多いでしょう。その速さも大きくなりそうです。干潮になると、遡っていった水と、本来川で運ばれてきた水があわさって、感潮域でないところよりも速い流れができます。この流れによって、たまった土砂は沖合に運ばれていくことができます。
導流堤をつくった効果は、干潮時に流れが速くなることによってじゅうぶんに期待できます。ただし、導流堤の先は新たな河口となるわけですから、ここでの堆砂は避けられません。砂の堆積する場所が広くなるので、埋まるまでの時間稼ぎはできるでしょう。
日本の河川の場合は、感潮域も狭いという特徴があります。潮の干満による流速の変化は少ないでしょう。洪水時の流速の変化が大きく影響してきそうです。
結局のところ、三国港の堆砂はどうなっていたのでしょう。現在は河口の南側に大きな港(福井港)が作られ、大きな船の発着はなくなっていそうです。昭和になってから、堤防を延長したのも、三国港の堆砂対策ではなく、福井港への波よけのような気がします。でも、堤防の内側に九頭竜川の流れを引き込んでいるので、港内に砂がたまっていきそうな気がします。
九頭竜川上流には、九頭竜ダム(1968年完成)を始め水力発電用(一応多目的ダムとされています)のダムがたくさん造られています。ダムができる事によって川が運んでくる土砂が急減して、各地の海岸の砂浜が減少しているともいわれています。堆砂が少なくなったとしたらこの影響も考えてみる必要があります。