2022年08月18日

2014年 三原・今治 30    余談など

 新居浜を最後にして、大阪まで帰ってきました。で終わるはずなのですが、この部分はどうしたのかが全くわかっていません。
 新居浜の山根公園でえんとつ山を写した時刻ははっきりしています。その後、バスに乗車した時刻もこれからだいたいの見当はつきます。現在(2022年)のバス時刻と同じとおもわれます。新居浜駅に着いた時刻も見当がつきます。
 問題となるのはその後です。青春18切符を入手して使っていたのかと思っていたのですが、現在の時刻表を使って列車を調べてみると、明石までしか帰ってくることができません。大阪まで戻れないのです。
 新居浜から乗りついで大阪まで帰ってくることのできる列車には、ほとんどタッチの差で乗ることができません。バスが15分ほど早ければ何とかなったでしょう。あるいは列車が遅くてもいいでしょう。最近終電が早くなる傾向があります。そういったいろいろなことが積み重なって本当は帰れていたのだというのでもなさそうです。
 忘れているだけなのかも知れませんが、四国島内を列車を乗り継いだという記憶はありません。
 どこかの区間で、特急や新幹線を利用すれば余裕で帰ってくることができます。それなら青春18切符が使う意味がなくなります。もっともこの切符を使っていたのかどうかははっきりしていません。少なくとも四国島内の特急に乗った記憶は後にも先にもありません。この選択肢はなかったように思います。
 旅行記を書いているときに、バスの時刻を確認していると、今治−大阪間の直通バスがあるのに気がつきました。このバスの主な停車場所をみると、伊予西条駅、新居浜駅、三島川之江インターになっています。
 このうち、三島川之江インターはなにか懐かしい感じがしてきました。といって車で旅行していても使うことないでしょう。ここへの交通機関を調べていたような気がしてきました。結論としてみつからはなかったように記憶しています。
 はじめの予定では、できるだけ大阪に近いところまでいこうとしていました。まずそういうことはなかったのですが、新居浜もだいたい見終わって、次の伊予三島か川之江まで行ったときのアクセスを考えていたようです。
 ということからすると、帰りはこのバスを使ったということが候補になってきました。現在のバス時刻からみると、最終バスには間に合いません。運休と書かれている便がその後にありますし。さらにこれも現在運休になっていますが夜行便もあるようです。これでじゅうぶん帰れたと思われます。乗ったという記憶はありませんが、他の交通手段でも似たようなものです。夜のバスなら、途中寝ているだけなので、その間どうしたのかも覚えていないこともありそうです。ただバスがでるまで新居浜で5時間くらい時間をつぶさないといけないことになりますが、何かをしたという記憶もありません。としたら最終便なのかな。
 伊予三島か川之江までいっていたらどうしたのかはわかりません。その先の交通手段がないこと、別子銅山からの帰りのバスの時刻のこともあって新居浜で打ち止めになりそうだと見ていたような感じがしてきました。
 一番可能性が大きいのは、新居浜駅から大阪まで今治始発の直通バスで帰ってきたというところでしょう。
 この年の11月に再び今治からバスで大阪に帰ることになりました。ふつう考えるコースは尾道経由です。瀬戸大橋や淡路島経由だと途中に高速道路がない区間があるからです。にもかかわらずこの時にこちらのコースが候補として浮かんできたのは、ここで利用したということが念頭にあったのかも知れません。

 バスで帰ったとなると別の疑問がでてきます。JRの乗車券はどうしたのでしょうか。三原−竹原間もそうですが、壬生川−新居浜間は途中下車が可能な距離ではありませんし、青春18切符を使うほどの距離でもありません。。
 三原−竹原間についていえば、三原到着時刻からみて青春18切符を使っていないようです。この場合は、竹原までの乗車券を購入していれば三原や安芸幸崎での途中下車は可能です。竹原まで行くことははじめから決まっていましたからこの方法を使ったのでしょう。最後に乗った竹原−忠海間は引き返すことになりますから別途乗車券を購入しなければなりません。
 新幹線の特急券は金券ショップで買った可能性があります。この特急券に普通乗車券がセットになっていればこの手も使えなくなります。金券ショップでは回数券のばら売りですから、特急券とセットの場合は行き先が同じになります。当時はどうなっていたのでしょう。今は、この回数券もなくなったようです。
 少なくともいえるのは、安芸幸崎で途中下車することは三原についてから決まったことです。この時に途中下車が可能だったということも判断の基準に入っていたような気がします。
 3日目について考えてみます。壬生川から大阪まで直通の乗車券を購入していれば、伊予西条や新居浜で途中下車は可能です。青春18切符でもそうです。でもバスで帰ってきたとなると、この方法は使えません。新居浜が最終乗車駅の場合、いったん伊予西条で下車するのなら、伊予西条までと伊予西条からそれぞれ乗車券を乗車駅で購入する必要があります。
 あまり乗車券を購入したという記憶がありません。この回避手段として、もう一つあります。あまり使ったことはないのですぐにはぴんとこなかったのですが、最近では当たり前になっている方法です。それはICカード乗車券を使うという方法です。一応JR西日本のカードは持っていました。
 問題なのは当時それほど普及していなくて、相互に利用できる鉄道は限られていたし、一部の駅では使えないところもありました。この時のJR四国はどうだったのかは不明です。これが使えていれば駅で乗車券を買ったという記憶がないことも説明できそうです。
 鉄道の乗り降りにICカード乗車券を使ったということはじゅうぶんにありそうです。

 3日目に、山根公園のえんとつ山に行っています。これは、はじめから行動の選択肢として入っていたような気がします。そう思うのは、えんとつ山の近くのバス停がどこにあるのかわかったていたからです。マイントピアからどこをどう歩いていけばいいのかというのもわかっていました。
 しかも、向こうで入手した資料の中にはえんとつ山について詳しく書かれたものも残っていません。これでは、現地でいきなりえんとつ山に行こうということにはなりそうもありません。
 このあたりはかなり計画的なところがあります。あらかじめバスの時刻や降りるところといったものをしっかりと調べています。似たようなことは、他のところでも見られます。盛港から一番近いバス停までのルートとそこの時刻といったところもそうです。
 時刻とかは全て覚えきれないので、どこかにメモをとっていたものと思われます。残念ながらそれは残っていません。あれば、行程の細かいところなどは詳細にわかったでしょう。ちょっと残念です。
 綱敷天満宮から休暇村までバスに乗せてもらえず歩いたことは予定外だった(天満宮に行くこと自体予定外だした)にしても、最悪の場合、たくさん歩かないといけないことがありうるということは意識していたのでしょう。だとすると、できるだけ荷物は少なくしようということは考えたのかも知れません。星用のポータブル赤道儀はもちろん三脚も持ち歩かなかった可能性もあります。それなら、星見にでなかった(写真を撮らなかった)ということもありそうです。
 全体的にむだに歩きすぎたかなという印象はあります。大三島盛港からはタクシーを呼んで大山祇神社まで行くのが正解だったような気がします。ここからのバスはたたらの里を通っていますし、同じバスにはじゅうぶん乗れたでしょう。タクシーは大久野島で予約してくれることになっています。相乗り可として頼んでいれば、ひょっとして割り勘で乗れた可能性もあります。これで歩かないといけないかも知れない距離が格段に少なくなって、三脚持参ということもできたのかも知れません。

 別子銅山端出場ほ期待したものではありませんでした。東平はどうなのかということで再度チャレンジしています。この年の11月25日から、パッケージツアーでの参加になります。その時の記録は投稿済みです。こちらから参照してください。

posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記