2022年01月29日

2022年日帰り旅 05 1/12 北播磨 加東市闘竜灘 水神社

 時刻は昼をだいぶまわっています。日が差して暖かくなったら、持ってきたおにぎりを食べようと思っていましたが、晴れてきません。動き回って体が温まったので、寒さは和らいでいます。おなかも減ってきたことですから、このあたりで食べることにします。闘竜すくえあから降りてくる道路の下に、台のあるスペースがあります。ここですませました。
 ここからすくえあにあがって、写真を写し始めたら、記録できませんでしたと表示されます。メモリカードを抜き差ししたり、いろいろやってみたのですが改善されません。予備のカードを入れると記録しますので、こちらを使うことにします。帰ってから、いろいろやってみましたが直りませんでした。症状的には、ロックがかかったままのような感じです。
 すくえあに上がったところに石柱が1本あります。「従前の通 上滝野村漁場」と書かれています。意味が不明です。側面には姫路藩庁と書かれていますから、明治維新後廃藩置県が施行されるまでの間に立てられたものでしょう。今まで通りに漁場にしますよということですが、どういうことなのでしょう。そもそもこれを立てるほどの意味があるのかこれだけではよくわかりません。
加東市闘竜灘 石柱

 後に石灯籠があります。ここはすくえあの一画になります。
加東市闘竜灘 石灯籠

 横に枠で囲まれた中に社があります。石灯籠には、竜神水神と書かれていますから、竜神か水神が祀られているのでしょう。前にも別の石灯籠があります。
加東市闘竜灘 社

 その裏側にも、石柱があります。上滝野村漁業組合定置漁場と書かれています。魚を捕るための、設備が設置されていたのでしょうか。鮎なら簗場のようのものを作ることがあります。横には「世界に一つ 加東遺産 闘竜灘と鮎漁」と書かれた石碑があります。説明はありません。
加東市闘竜灘 石柱

 そうしてみると、滝の右岸側にあったコンクリートの枠のようなものは、魚を入れておくいけすのように見えてきました。途中の岩場にあった構造物も何か漁に関係したものだったのでしょうか。
 祠のさらに後には、句碑のようなものがあります。見かけない字体で「播州寝覚 跳びあへず渦巻く鮎のひねもすなる哉」と書かれているようですが、部分的にしか読めません。正岡子規の門下生であった河東碧梧桐が招かれて滞在したときに詠んだ句だそうです。
加東市闘竜灘 句碑

 ここには阿江与助銅像もあったようですが気がついていませんでした。この地での水運に貢献した人だそうです。

 この場所での説明で闘竜灘は、加古川水の新百景というのに選ばれていると書かれていました。帰ってから調べたところでは、国土交通省近畿地方整備局姫路河川国道事務所が2年間にわたって制定したものを平成11年3月に冊子として発行したようです。全部で135件あります。
 その中にある近辺のものを順番にみていくと、46闘竜灘(竜は龍になっている)、47堀割水路、48闘竜橋、49播州寝覚の句碑、50滝野船座跡、51阿江与助銅像があります。ちなみにこれから行く予定の黒滝(79番)、若宮神社(80番;ヤホー神事)が入っています。
posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記