2022年01月19日

2014年尾瀬 37    まとめなど

 尾瀬にミズバショウを見に行くという念願の1つがこれでかないました。ミズバショウの花はそれなりに見られたものの、湿原性の花はそれほどたくさんありませんでした。多かったのはワタスゲ・ショウジョウバカマ・ヒメシャクナゲ・リュウキンカといったところでしょう。それ以外に野山でも見られる花としては、エンレイソウ・サンカヨウ・ニリンソウ・シラネアオイ、樹木ではオオカメノキといったところでしょうか。
 ミズバショウの開き具合は、尾瀬沼ではちょうどいいくらいの感じでした。これに対して、尾瀬ヶ原では仏縁包の縁が黄色くなりはじめているようで、少しおそかったようです。尾瀬沼の方が標高で250m程高いので、その分の気温差がこの差に表れたようです。
 ミズバショウだけでなく、他の花たちにも影響していたようで、ミツガシワやチングルマなど尾瀬ヶ原の方が種類が多かったようです。
 次はニッコウキスゲのころかな。

 どうして梅雨の頃にしたのかは疑問です。実際、2日目には中国〜東海地方で梅雨入りし、3日目に、関東・甲信越・北陸・東北南部が梅雨入りしています。雨が少しぱらついたくらいですんだのはラッキーだったのかも。
 いってみて、ミズバショウの花の状態から見るとこの時期しかなかったのかなという気はします。資料が残っていないので何とも言えませんが、梅雨入り直前のぎりぎりの日程から選んだという可能性はあります。これ以上早いと尾瀬沼では咲いていません。
 天気とかの情報は入っていないのですが、3日目には太平洋側で大雨が降ったという記録があります。新幹線の遅れはこれの影響だったというのはなきにしもあらずといったところでしょうか。「サンダーバード」ばかり考えていましたが、「はくたか」の運休もこれと何かありそうです。風でよく止まると言っていた人がいました。
 帰りに起こったトラブルについては、一度概略といいながら普通に書いています。だぶっていますが、こちらの旅行ということで、その時よりは少し詳し目に書きました。

 下原稿を書いていて、1つひっかかる所がありました。旅行中は金沢をものすごく意識していたような気がしています。たとえば、はくたかが運休とわかったときに、基本的にはその運休区間をバスで送ってもらうという手段しかありません。サンダーバードはほとんどが富山までいっていますから、普通なら富山までどうやって行くかという問題となります。ところが、金沢までどうやって行くかという問題を考えていたような気がしています。
 そう思ってみると、白山の写真を撮った後、何となくみんながそわそわしていたような気もしてきました。金沢乗換えならそろそろ降りる準備にかかる頃です。でも、思い出しながら書き初めたころは金沢乗換はないだろうと気にしないでいました。
 当時の資料が残っていれば一発解決です。のこっている4枚の資料にはそれがありません。書いている途中で気になってきたので、いろいろ調べ直してみると金沢に関係したことが1つわかってきました。2014年頃は、金沢から東京に抜ける最短時間のコースは、「はくたか」で直江津から北越鉄道を経由して越後湯沢に抜けそこから上越新幹線で東京にいくというコースでした。つまり、「はくたか」は金沢(あるいはそれより西)から発着していたことになります。それなら、富山ではなく金沢乗換えという選択肢も浮かび上がってきます、小松駅過ぎのそわそわもあり得ることとなってきます。
 帰りもそうです。どこかまで送ってもらうとして、バスの運転手さんの勤務時間の問題があります。連続乗車時間といった方が正しいかも知れません。代替の運転手さんがいませんから、長時間走り続けることができません。富山と金沢を比べると、金沢では完全に問題となるレベルでしょう。金沢まで行けないとしたらどこまで送ってもらうかという問題が発生します。
 もう一つあります。富山乗換としたら富山の出発時刻がわかっていますから、その時刻につけるかどうかをだけを考えればいいことになります。バスが高速道路を走るのにかかる時間と列車が走行するのにかかる時間は大差ないでしょう。乗換にかかる時間待ちを考慮すれば、間に合いそうです。
 金沢乗換だったとして富山に変更すると、指定席の取り直しなど時間がかかることがありますから予定していた特急に乗れないでしょう。それなら、金沢までならということも考えることもあります。でもこの場合は途中で休憩が入れないといけないので間に合わないかも知れません。というようなことで、金沢を意識していたような気がします。
 バス車内で間に合うのではと別の方法で計算して添乗員さんにそうするように迫っていた人がいました。時間の計算はほぼ正しいと思っていましたが、ルールで知らないことが多いので、添乗員さんと会社に任せた方がいいと考えていました。
 肝心の資料が残っていないのでこれ以上はどうなっていたのか知ることもできません。どうだったのでしょうか。結局の所、本文では乗換駅がどこであったかは書かずにスルーしています。

 帰りの行程が変更になったことで、旅行社から返金の案内が来ていました。直江津富山間を使用しなかった分、特急遅延による返金分、にたいしてバスが富山までいった差額を差し引きしての差額になります。口座番号を連絡して返金を受けました。通帳に記入されている1000円の振込というのがこれにあたるのかな。

 旅行中に眼鏡のレンズを割っています。帰りの車内で添乗員さんが、傷害保険に入っているから保険が下りるということで証明書を書いてくれました。眼鏡の写真と修理代とか必要な書類をそろえて提出したら、最低補償額以上の分だけが返ってきました。
 これに味をしめて、次からもということになっていません。次の旅行では、書類をくれなかったこともあり、最近では申し込んでいません。旅行前に加入するように督促はしつこく来ます。カメラなど扱いが乱暴なのでいつ壊してもおかしくないので、入っていてもいいのかも知れません。今のところ修理に出すまでには至っていませんから、そこまでしなくていいのかも。そもそも、壊れたとしても、それが原因だったのかどうか、前々から不具合を抱えていたのかも知れません。

 記事の下原稿を書いていて、1つ困ったことがでてきました。尾瀬ヶ原は、大きく上田代・中田代・下田代の3つにわけられます。問題はその境界がどこにあって、どこの部分で写した写真なのかということがはっきりしないところにあります。
 写真を分類したときには、だいたいの時刻で。これは上田代というぐあいにわけていたように見えます。
 そもそも当時は、どうして西側が上田代なのかということさえわかっていませんでした。竜宮現象の場所を過ぎてから川の流れは上田代の方に流れているように見えたということがあります。西側の上田代の方が低いと勝手に思い込んでいました。
 実際には東の下田代(正確には歩いた場所では中田代より)が低くここから北に只見川となって流れ出しています。これからいえば東側が「下」というのは納得がいきます。
 それでは、境界はどこにあるのでしょうか。何となくこのあたりではなく、正確に決めたいものです。歩いた当時は、湿地と花ばかりを見ていて、他のことにはあまり注意を払っていなかったようです。
 写真などを見直しているときに気がついたのが、拠水林です。ところどころに林があるという程度にしか見ていませんでした。大きなものは沼尻川の拠水林でしょう。それぞれの湿地はここできれいに分断されています。ここが下田代と中田代の境目とすると、2つをわける意味が出てきます。記事ではここを境界としました。
 上田代と中田代ではどうでしょう。牛首のところで尾瀬ヶ原が狭くなっていますからだいたいこのあたりということもできます。よく見ると、ここで上の大堀川が尾瀬ヶ原を横切っていて、沼尻川に比べるとだいぶ小規模になりますが拠水林もできています。ここを境目にできそうです。
 そういう目で写した写真を順番に見返してみると、川の流れる林の中を横切っているようすが見えます。林や川を越えたかどうかで今これがどこの写真かということが判別できるようになりました。
 このようにしてみると、上田代としていた写真の大半が中田代で写したものになってきました。記事で中田代が多いのもこれと関係があります。いろいろなものが見られたという方が大きかったかも知れませんが。
 このようにわけてみると、こんどは時間的な問題が発生します。上田代はそれほど時間がかからずに通過していることです。たぶん中田代では、竜宮現象・下の大堀川のミズバショウ群生地と脇道によっています。雨が降りだしたこともあってカッパの着脱もしています。こういったことに要した時間を考えると。中田代に通過に時間がかかった理由が納得できそうです。
 山の鼻についてから、尾瀬植物研究見本園に行きました。ここも上田代からは林で隔てられた湿原になっています。地形図からは拠水林と言うより鳩待峠から流れてくる川上川が作った扇状地性の高まりのように見えます。ここで写した写真がどれなのかもはっきりしていません。時間で区別しています。15分も時間差があれば間違いはないでしょう。

 GPSロガーの記録した位置情報とその近くで撮影した写真を地図上に表示させるためのファイルを作りました。地理院地図にファイルをドラッグするか、グーグルマイマップにファイルを登録することで表示することができます。ファイルは ここ にあります。
posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記