ここで案内板があります。見たところ正面にあるのが長倉池といって農林水産省の溜池百選に選ばれているそうです。今は水位が下がっているように見えます。

引き返して正面に見えるのが愛染古墳です。7世紀の古墳で、ここに移築したと書かれています。

横穴式石室が復元されていて石棺も置かれています。

これで、玉丘史跡公園は一周したことになります。玉丘古墳の発掘跡の案内で、すぐ近くにある埋蔵文化財整理室で、石棺の一部とかが展示されていると書かれていました。ついでによっています。車に戻った時にメモリーカードは入れ替えています。
建物の横に駐車場がありますが、関係者以外は市役所に駐めてくださいと書かれています。古墳では駐車場はこことしていますから、関係者ということで空いている隙間に車を入れます。
駐車場の横にはいろいろな遺物が置かれています。別の古墳の家型石棺のふた石と側石です。

少し離れたところの看板に鎮岩(とこなべ)板碑の説明が書かれています。阿弥陀三尊の種子が掘られているとのことです。
隣にある石碑はどう見ても道標なので該当するのはこれしかありません。板状だし、記号のようなものも彫られています。建治3年(1277年)の銘があるそうですが、それらしいものは見えません。土に埋まっているのかな。

整理室の入口には埴輪(レプリカ?)が置かれています。

加西の古地図展というのをやっていました。加西市の右左がわかりませんから、見てもなにのことかわかりませんでした。
市内で発掘された遺物が、縄文時代から並べられています。古墳に関しては一室儲けられています。これが玉丘古墳石棺の短側石です。頭か足の先の壁になる石です。

クワンス塚古墳からは鶏形はにわです。頭がありません。古代庭園に並べられていた埴輪には頭のついたものが復元されていたようです。

玉丘古墳からは、白い握り拳くらいの大きさの石がたくさんでてきています。古墳に敷き詰められていたようです。これが玉丘の名前の由来かな。
他にも玉丘古墳の築造時のようすを描いた図がありました。石棺は上から穴を掘って埋められています。どうも石室はこのようにして作ったようで竪穴式石室というようです。それにしても、石室の蓋(天井石)はどうしたのでしょう。整理室の関係者と思われる人がいましたが、地元のマニアと思われる人と熱心に議論をしていましたので聞けませんでした。