南側の山地の向こう側にある銅山川にぬける道から脇道に入り、くねくねと曲がりながら進んで行きます。東平に近づいてくると、活気があった頃の建物が、ところどころで見えてきます。一瞬なので写真には収めることができません。
すぐに東平に到着します。このあたりは、鉱山鉄道の駅があったところになります。これを書いていて思いだしたことがあります。平らな場所は「なる」とよぶ地域があります。たとえば大山の「鏡ヶ成」や「一向平(いっこうがなる)」、岡山県西粟倉村の「ダルガ峰(なる)」がそうです。これと同じ読み方なのでしょう。
バスを降りてからは建物の中に入ったりしたようですが、どう回ったのかよく覚えていません。資料館だったのかな。小さなトンネルがありました。小マンプといいます。

小マンプのなかに運搬機が展示されています。

いろいろな施設のあったところを順番に巡っていきます。これは貯鉱庫を上から見ています。すきまから向こう側が見えていますが、当時は壁になっていて、そのすきまに鉱石がためられていました。

インクラインといます。京都蹴上の琵琶湖疎水にも同じ名前のものがあります。階段になっていますが、当時はレールが引かれていました。荷物を車輪のついた台に乗せ、ロープで引っ張り上げていました。

下の貯鉱庫を横から見ています。此の上の平らな所で鉱石を選別していました。ガスがかかっていてぼんやりとしています。

索道停車場跡から下の貯鉱庫を見たものです。このあたりが東洋のマチュピチュぽいところになります。はっきり見えないので雰囲気はわかりません。天気がよければ上の貯鉱庫も見えていたはずです。
