かなり古い旅行になりますから、記録に残っていないこともありますし、記憶も定かではありません。思い出せる限りで書いていきます。どちらかというと写真の掲載中心になりそうです。少なくともどこで何を写した写真なのかという記録はつくっています。これはだいぶ参考になりそうです。
旅行会社のパッケージツアーを見ていると、別子銅山と来島城を回るというものがありました。別子銅山は見学できる場所としては、東平(とうなる)と端出場(はでば)が代表的です。鉱山としての記録なら記念館が、東平から山を越えたところにも古い鉱道の跡が残されています。ここまでいくのは1日はかかるでしょう。
東平は、最近東洋のマチュピチュとして有名になっています。端出場はいったことがあります。これについては機会があれば報告したいと思います。東平の方にいろいろな施設が残っているようです。いくだけの価値がありそうです。もう一つの見どころは、来島海軍の本拠のあった来島城を案内してもらえるという子です。これもおもしろそうです。
行程は梅田からバスで移動し別子銅山を見た後、松山市内の全日空ホテルに一泊します。2日目お最初は、大島に移動して亀老山から来島海峡を遠望します。次に船に乗り来島に渡り来島城を案内してもらいます。その後はひたすら大阪に向けて帰ってくることになります。
ツアーの行程以外に何が見られるかを考えてみます。四国の西海岸では、だるま太陽というものが見られることがあります。沈む太陽がだるまのような形になる現象です。一度見たいとは思っています。できるための条件がありますが、それは運次第でしょう。少なくとも海に沈む夕陽が見えるということは最低条件です。松山市の海岸沿いでも何カ所か夕陽の見られるところがあるようです。一応場所の候補は調べておきます。
もう一つ条件があります。その時間帯に夕陽の見られる場所に到着できるかどうかです。日の沈む時刻と、そこに移動するための交通機関の最終時刻も調べておきました。
夜は松山市街地の真ん中にいますから、星は期待できないでしょう。星見はなしにします。その分日程選びには余裕ができます。
宿は、松山城のすぐ近くです。朝の散歩には行けるでしょう。早く起きていくことにします。ロープウェイであがっていくのが通常のコースです。朝の早い時間帯は動いていないようです。松山城くらいだと歩いて登っても大丈夫でしょう。
出発日は11月25日出発と決まりました。
25日出発までの記録や記憶はありません。梅田集合といっても中津との真ん中にあたり梅田芸術劇場前です。そこから駐車場まで歩いて行ったのか、ホテル前までバスがきたのか覚えていません。とにかくバスに乗って出発です。
その後のコースもはっきりしていません。覚えているのは明石海峡大橋から鳴門海峡大橋を渡ったことくらいです。鳴門海峡を越えたときに添乗員さんが四国に入りましたといっていました。この時点ではまだ四国には入っていません。大毛島に着いたところで、四国はまだ次の橋を渡ってからになります。訂正をいれようか迷いましたが、しませんでした。
鳴門に入ってから先もどこを通ったのか。当時は高松自動車道と徳島自動車道はつながっていませんでした。板野ICから藍住ICまで地道を乗り継ぐのが普通でした。鳴門から徳島まで国道を走っていたような気がします。
吉野川SAで休憩が入りました。距離的に見て淡路SAあたりで休憩が入りそうですが記録はありません。写真の記録はここから始まっています。ハイウェイオアシスに農産物直売所があります。まだ買うのは早いということで見るだけにしています。ここでは吉野川が見えるので、見にいっています。
展望所からの吉野川です。ガスがかかって遠くはぼやけて見えいます。

川原にいたカモです。SAとハイウェイオアシスとの間の遊歩道を歩いています。

このあたりの岩石は結晶片岩が主体です。薄く剥がれるように割れます。ここのものは緑がかったものが多いようです。
