<楼門>
八脚門で2階建てになったものを楼門といいます。2階部分の周囲には回廊が巡らされているのが普通です。写真は大矢田神社山門です。

<二重門>
楼門で1階部分にも屋根が設けられたものです。写真は華厳寺山門です。

−−− その他の門 −−−
<櫓門>
お城の櫓の下に設けられた門です。起源が門ではないので、本柱控え柱の構造を持って今ません。櫓の前面に扉が設けられています。
油山寺の総門は、元々は掛川城の大手門で、明治の廃城令でとりこわされたときにここに移築したそうです。

<長屋門>
塀の間ではなく、細長い長屋型の建物の間に設けられた門です。
華厳寺の法輪院の入口です。右側だけを見ると普通の居住用の建物です。その横に門が設けられて更に左にも建物が続いていいます。

−−− 形のはっきりしない門 −−−
横蔵寺に向かう途中にあった祠の入口です。柱が4本横に並んでいて(三間)、両脇の屋根が一段低くなっています。柱の後方には控え柱もありますから、三棟門のように見ます。控え柱は屋根を支えていません。
はじめは三棟門と思っていたのですが、写真をよく見ると何か変です。屋根の棟木が本柱の真上にはなく、控え柱側に後退したところにあります。この屋根はどのように支えられているのでしょうか。遅れないようについていくのが精一杯でじっくりと見ていませんでした。

円興寺の僧坊への入口の門です。出入り口になっている所の屋根の左右に一段低い屋根がありますから、三棟門のように見えます。更によく見ると横にもう一段低い屋根があります。二段に引くなっていて、高麗門のように控え柱にも屋根の乗っているものは七棟門というようですが、控え柱と屋根の関係から高麗門というより薬医門に近いようです。
よくわからない形ですが、一番低い段の屋根が塀の上のあるもので、塀はすぐになくなっていると考えれば、三棟門の変形かなとも思われます。居住区域の様な気がしたので近くで確認していません。

豊川稲荷景雲門です。元々は奥の院の建物を門の形に作り替えたものです。ちょっと目は八脚門に見えます。横は五間幅で前にせり出した柱は三間幅です。五間一戸のようです。これは向拝の名残でしょうか。裏から見ると通りぬけられる母屋のようです。

門の変化のようすを整理してみます。
[塀重門](基本形) −−(簡素化)−→[石柱門]
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↓(桁をかける)↓
[冠木門] [鳥居]
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↓(屋根が乗る)
[家棟門]−−−−−−(幅が広がる)→[三棟門]
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↓(後方に控え柱) |
(二脚型の門)−−→[高麗門・薬医門] |
| (変形) |
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↓(前方にも控え柱) ↓(前後に控え柱)
[四脚門] [八脚門]
↓(二層化)
[楼門・二重門]