江戸時代までは、江戸から会津若松に抜けるには、日光からここを通るのが正規のルートだったようで、奥州街道の脇街道として整備されていたようです。明治時代になって、阿賀川に沿って走る会津鉄道沿いに北上するルートが整備されるようになって、そちらのルートが主として使われるようになりました。途中バスで走ってきた道です。ルートが変わったことによって、この宿場は廃れたものの、逆に古いままに残されたようです。
大内宿の駐車場からは、バスガイドさんが宿場の真ん中まで案内してくれるそうです。トイレに行きたい人は行って済ませた後、バスの所に戻ってきたら添乗員さんが案内してくれることになっています。毘沙門沼からだいぶ時間が経っています。トイレに行ってから宿場を回ることにしました。
用を済ませてバスのある所に戻っても添乗員さんしかいません。そのままいってもよいかと聞いたところ、了解が得られました。そのままいくことにしました。少し広い道を進んでいった先に大内宿があります。

宿場入り口にあった、建物と紅葉した木です。この建物も古そうですが、宿場町時代のものではないでしょう。

ここで、初日の特急で隣の席だった人に追いつきました。あいさつをしたら、そのまま先に行きづらくなって、一緒に歩くことになってしまいました。
宿場街に到着です。街道は昔の道にしてはかなり広いようです。道を3等分するように水路が流れています。結構たくさんの人がいます。

建物を写そうとしても、人が写り込んできます。避けようとするとどうしても屋根だけの写真になってしまいます。茅葺き屋根狙いでいきます。

半分以上通りぬけた所に町並み保存館というものがあります。何か情報を知りたいのではいることにしました。入館券を買おうと並んでいると、前の人が、大人数の分の切符を購入していましたが、先に券を発行してもらうことができました。大人数の後に続いて入らなくてすみました。団体が入ってこないうちに見ていくことにします。
中の展示です。道具などが置かれていました。明治以降のものもたくさんあります・

宿場町に関しての説明はあまりありませんでした。宿場町なら本陣がどこかにあるはずのなのですが、どこにあるのかもわかりませんでした。建物中を見て回ります。
上段の間と書かれています。なんとなく殿様が泊まっていたっぽい感じがします。

建物に入った入口とは別に立派な玄関があります。偉い人の入口のような気がします。横の標札には本陣と書かれていたのには気がついていませんでした。

町並み保存館向かいの建物です。向こうの山に黄色く色づいた木々が見えています。

続く......