見えてきた奉行所のようすです。

通り過ぎたところで、通洞坑金屏風と書かれた標札があります。この区画には江戸時代の坑道があったようです。展示できるようにトンネルを掘ったところ、大きな鉱脈が見つかったそうです。これを金屏風と名付けています。

鉱脈といっても表面はさびで覆われて茶色くなっています。どこまで鉱脈があるのかはっきりしません。
よく見える岩石を見ると、丸い石ころのようなものが詰まっているように見えます。ふしぎなものを見たという気分になります。

少し通り過ぎてから振り返って見ると、鉱脈のようすが何となくわかります。坑道をわずかに横切る角度で入っています。

昔の坑道です。タヌキ堀りと呼ばれています。人が屈んでやっと通れるくらいの大きさです。

説明によるとこの奧に十字架が彫られているそうです。立入禁止です。

坑道内の探検はこれで終わりです。出口をでるとすぐに、売店になっています。横に金色の張りぼての牛が置かれていました。造財家内安全に御利益があるそうです。

鉱山を後にします。次は三陸まで行かないといけません。カーナビに宿の位置をセットすると3時間かかると出てきます。どこにも寄らずに行っても、かなり遅めの時間です。真っ直ぐ行かないと間に合わないでしょう。尾去沢はだいぶ秋田に戻ってしまっていたのが失敗の元でした。
駐車場の坂を降りたところで、鉱山跡を振り返って見ます。古い建物などが廃墟になって残っています。

もう少し進んだ所から見えるもう一つ奥の谷のようすです。

更に降りたところの横は、小石を積み上げたようになっています。鉱山ででた拝石を積み上げてできたズリ山なのでしょうか。

宿があるのは普代村南部の海岸沿いです。鹿角八幡平ICから高速道路に入り盛岡八戸方面に進んで行きます。九戸に来たところでも、カーナビからは高速道路を降りるように指示は出ません。久慈にぬけるにはここで降りた方が近かったような気がしました。地図を確認することはできませんから、このまま指示に従っていきます。
高速道路を降りるように指示が出たのは、次の軽米ICです。そこで高速道路をでて、久慈に向かいます。久慈からは国道を南下、普代村に入る手前で三陸道に入ります。途中の案内では普代村の中は車は通れないと書かれていました。案内に従って、普代ICでは降りずに先まで行くことにしました。
でもこれだとだいぶ行きすぎたようです。三陸道の終点から引き返します。結局普代ICの前を通過することになります。この頃にはだいぶ暗くなっていました。
そのまま進んで、宿へ行く道の案内が出ていました。その道に入ったところで目の前にあった建物と勘違いしそちらへ行ってしまいました。真っ暗なのでここではなかったようです。そのまま進んで行くと、道は狭くなった上にまわりは真っ暗、この先一方通行ときています。ここではないと一方通行手前のT字路で引き返そうとしますが、路面が見えないので苦労します。
何とか引き返して、先にあった広い道路に入っていきます。すぐに宿の案内を見つけて一安心です。そのまま進んでやっと到着することができました。
入口案内のすぐ先に別の案内があり、宿の案内は横をむいていたのと、建物に気を取られていたので気がつかなかったようです。
続く...............