2019年09月25日

中国山地復興割 48 10/06 帰阪、そして余談など

 比和は中国道からはだいぶ離れたところにあります。中国道に戻った頃には薄暗くなり始めています。ここまで来るとだいぶ風は弱くなっているようです。そのまま、高速道路を東に向けて進みます。
 車を走らせていると、だんだん気になることができてきました。金属を引きずるような音が聞こえてくることです。防音壁のある所では、そちらの方から聞こえる音が大きくなっているような気がします。駆動部が変形とか何かの理由でこすれて音が出ていて、それが防音壁で反射して聞こえてきているのではないかと心配になってきました。今のところ加熱による焦げ付いたようなにおいは発生していないようです。いきなり起こるということは考えられません。音もこすれあわさっているにしては少し変です。においがでてくるまでようすを見ることにします。
 ガソリンの残量も、何とか家までは持ちそうですが、念のために入れておいた方がいいでしょう。トイレ休憩もとりたいところです。次の大佐SAに入ることにしました。
 SAに近づいたところで、音の発生源についてもう一つの可能性に思い当たりました。コオロギの鳴き声です。今のところ区別する方法がありません。おまけに余裕もありません。SAに入れば車は減速します。車からでているのなら音は小さくなりますし低くなります。コオロギの鳴き声だと音に変化はありません。原因を調べるためにもSAに入るのは確定です。
 SAエリアの導入路で減速しても、音は聞こえてきます。むしろはっきりしてきたようです。これで、原因がコオロギだと判明しました。一安心です。気が抜けるとおなかがすいてきました。食べ過ぎると眠たくなってきます。SAでパンを買って食べることにしました。ガソリンもここから家まで走るのに必要な量だけ入れておきます。
 SAエリアをでると後は順調に走ることができました。心配していた宝塚での渋滞もありませんでした。第二名神ができた影響も大きいようです。無事家まで到着です。ガソリンは、補給しなくてもじゅうぶんに帰れた量は残っていました。

 今回の旅行では帰ってきてからもする事がいつもの片付け以外に残っています。復興割りの申請手続きです。鳥取県と広島県の事務所に郵送で提出します。必要な書類は申請書・行程表・宿泊証明書・旅行者名簿等です。県によって口座振込依頼書が必要であったり、申請書に付いていたりとまちまちです。宿泊証明書は、その県の分はもちろん、他府県の分もコピーで必要です。
 全部でA4用紙六枚以上になります。最低料金では送れません。記録の残る方法でと書かれていますから最低でも特定記録郵便になります。郵送料は全部で504円になりました。余っている切手がありますからこれで支払います。複雑な組み合わせで500円にしたのですが、考えてみると50円切手も使い道がないので、これを処分した方が計算が簡単でした。
 すぐに振り込みがあるだろうと思っていたのですが、1ヶ月経っても入金がありません。届いているかどうか確認しようと特定記録郵便の控えを探したのですが見つかりません。確認手段がなくなったので、届いていると信じて気長に入金されるのを待つしかありません。結局振り込まれたのは、広島県が11月のおわりころ、鳥取県が12月の半ばになってからです。この頃だと、予算がなくなっているところが出始めていたのではないでしょうか。
 復興割りについては制度ができたときから、練られたものではなかったようです。初めからあった批判は、2府県以上をまたいで旅行するという内容についてでした。今までの復興補助制度ではこのようなしくみはありませんでした。制度を知ったときにはすでに、2府県以上をまたいで旅行するというのが煩雑であるとの批判が出ていました。
 2府県以上にするのはありとしても、各府県ごとに予算を丸投げにして、各自審査して分配してくださいというのは手抜きというしかありません。旅行者にしても、同じ旅行に対して、別々に手続きをとらないといけないというのは不便がきわまっています。各府県ごとに予算額が異なるというのはあるかも知れませんが、まとめて処理した方がはるかに事務量は少なくなります。旅行者もほとんど同じ中身の書類を府県ごとに作って送らないといけないという手間も少なくなります。
 提出先についても、県は違っても同じビルの同じ部屋(たぶん)です。処理するのは何人かでまとめてしていそうです。それなら初めから国が一括処理をしてくれたらという思いはあります。受ける府県にしても、復興事業で人手がとられている上に、さらに人手のいる作業を押しつけることになっています。
 各府県に丸投げしたおかげで、書類の書式以外でも手続きとかでも違いが出ています。提出した鳥取県と広島県についてみていきます。
 宿泊証明書の宛先は、鳥取県では予算の執行権限を持っている県知事であるのに対して、広島県では旅行者でした。細かい違いのように見えます。手続きでは違いがありました。たとえば、鳥取県では宿が施設名と印を押した書類を渡してくれて、必要事項は書いてくださいとなりました。税抜きの宿泊費をを計算したりとかでたいへんでした。広島県では記入済の書類をもらうことができました。
 旅行から帰ってきてから、復興割りのサイトを見ると、支援金を受け取る条件が変わっていました。府県の数が11から13に増えていたのと、同一県内でも2泊以上すればよいとなっていました。
 2府県以上というのは初めから無理がありました。岐阜県について考えれば、もう1泊する県が対象の府県にはなさそうです。隣接している県は対象外です。美濃地域からだと京都市近辺はあるかも知れませんが、ここも除外されています。他県へ旅行すると、2つの旅行をつなぎ合わせたものか、長い日本列島縦断旅行の一部しかなさそうです。
 執行の途中で方針が変わるというのは、初めの計画がずさんだったというしかないでしょう。範囲が広いので思いつきで周遊としたものの、どう処理するかとか一切考えていなかったように思えます。結局破綻したのかまわりからの声に押されたのかいつものような形に戻したように受け取れます。最近の政策ではそれがだんだんひどくなってきているように見えます。つい愚痴がでてしまいました。

<台風と星>
 今回の旅行は7月の西日本豪雨災害の被災地の旅行者に復興支援金がもらえるということで、急遽計画して出かけたものです。まだ完全に復旧できたという状態にはなっていませんでした。特に鉄道の寸断が長引いています。
 車でまわるという事にしました。事前に調べた限りでは国道レベルでは、まだ通行止めの区間はあるものの、旅行経路の中では大きな支障はありませんでした。それに対して、県道や民間レベルの道路では通行止めが相次いでいました。特に1日目2日目には通行止めにさえぎられて無駄に走り回ることになりました。いけるところがいけなかったりとか時間がかかったりとかの損失を支援金で払ってもらったようにも思えてきます。
 災害復興支援金を当てにするのなら、このあたりのリスクも考えておかないといけないようです。普通、旅行する場合は順調に回れるかどうかを考えますから、安全なところを中心にとなってしまいそうです。今回の場合は、岡山県広島県に星を見に行くというのが主目的に近い位置にありましたから、どうしての山間部の災害の起こりやすいところをまわることになってしまったこともリスクが大きくなった要因でしょう。

 今年の旅行は、台風とかで散々でした。今回も台風の影響を受けています。元々発生数が多い上に、日本列島への接近も異常に多かったので、計画を立てて出かける旅行では避けようはありませんでした。
 最近の台風予想の精度は非常に高く感心しています。ほとんど予報通りに台風は進みました。出発直前にはいくつか台風対策をたてていました。基本的には予報通り進んだ場合にどうするか考えていた通りになりました。それでも、現地の人にはずさんというのか驚かれることがあります。種子島でもそうでしたし、今回も最終日の昼まで現地にいるということが心配させていたようです。強風警戒域のとらえ方が違っているせいでしょう。
 台風のせいといっていいのか、星を見に行くつもりだったのが、またもや散々でした。あまりきちんとみられた試しがありません。天気でいえば晴れか曇りか雨のどれかですから、3日に1回晴れればいいのでしょう。それからいえば、標準通りということになります。
 せっかくのチャンスだったのに1日目の晩の写真撮影は散々でした。時間が少なめになったというのもあります。星座用のカメラはピンぼけでした。ピントをうまく合わせる方法を工夫しないといけないようです。望遠鏡の方は、ガイドが甘く、1分以上の露出では星が流れてしまっています。2度極軸合わせをしたのにぶれています。原因はわかっていませんが、望遠鏡を固定するねじの閉め忘れだったのかも知れません。
 宿では星の写真が欲しいといっていました。鳥取県でも募集していたようです。初めはそのつもりでいました。帰ってからみるとこれではだめだと応募は断念しました。なかなか上達しません。うまく写らないのは何が悪いのでしょう?

<三段峡>
 三段峡で出合った親子連れのことです。日本語が流暢なので日本人と思っていました。話をしている内に、そうではないことがわかりました。真剣に聞こうとしなかったこともありますが、最後まで国は教えてくれませんでした。これから広島空港に行き飛行機のに乗って帰るといっていました。ちょくちょく日本に来ているようです。
 三段峡は外国では有名なのだけれども、日本では知られていないのかと聞かれました。閑散としていたからそういう質問になったのでしょうか。そういえば、あまり観光案内とかの宣伝で上がってくるのを見たことがありません。旅行会社のツアーの中にも組み込まれているというのをみた記憶がありません。たまたま道路地図を見ていたら大きく書かれていたのできてみたというのが実態です。
 出合ったのは、欧米人風のグループと日本人アベック、そして観察会をしているのかなというグループです。親子連れによると、欧米人は2組だったようです。ふつうなら、台風の影響があって、今日はやめにしておこうかとなるところでしょう。そのために、観光客が少なかったのは間違いないでしょう。近くに住んでいてその日に行く予定だったとしても、おそらくまたの機会としていたでしょう。わざわざ近くまで行ったし、というのが外国人達の考えだったのでしょう。自分も、まだわずかに余裕がありそうだったということもありました。
 観光客が少ないのは、季節的な問題なのかも知れません。紅葉のシーズンとか、夏の避暑がてらとかだったら、まだ行楽客はあるのかも知れません。駐車場が有料なのは、まだ人がやってきている事の証なのかなとも見ることができます。人が来ないところで、お金を取ればますます来なくなります。
 鉄道が廃止されたダメージは大きいでしょう。その前から衰退していたのかも知れません。実際の所はどうなのでしょう。


<経費など>
 経費等の内訳です。交通費(高速道路・ガソリン・駐車場)は23500円、宿泊費飲食代が33500円、入館料・土産・その他が3500円の合計60500円です。復興支援金は組み込んでいません。額は16000円ですから、経費の1/4が戻ってきた計算になります。その他にもわずかですが、ポイントを使ったところもあります。宿泊費については、復興支援金が出るということで、宿泊費がいくらかというのは気にせず予約を入れました。そのため1泊あたりの経費はいつもより高めになっています。
 車の走行距離は、1150kmでした。歩数です。1日目から順番に13500歩、25000歩、27500歩、21000歩です。1日だいたい2万5千歩程度です。よく歩いています。1日目が少なめなのは、自転車を使った影響でしょう。
−−完−−


posted by ヨッシン at 23:49| 旅行記