2019年09月12日

中国山地復興割 38 10/05 みよし風土記の丘 浄楽寺古墳群・復元古代住居

 道路から見て浄楽寺西群のある尾根と反対側の少し先にも、古墳がたくさんあります。ここからが浄楽寺古墳群の本群になるようです。続けて写真をたくさん撮ったので、どこまでが西群で、どこからがそうでないのかがわからなくなっています。
 記憶では、西群は小さなものが多かったので、ほとんど深入りをしていないことになっています。写真の撮影時刻、GPSロガーの記録からしても、記憶が正しいようです。
 浄楽寺古墳69号70号71号(右端の木の向こう)75号?と書かれています。このあたりは、1m程度の高さの古墳が多いようです。本群といってもメインの場所より、西群に近い位置にあります。
三次市 浄楽寺古墳群

 道路沿い右側にある浄楽寺61号墳です。形は方墳です。石棺とその中から人骨鉄製品などが見つかっているようです。5世紀のものだそうです。
三次市 浄楽寺古墳61号墳

 道沿いには小さな古墳が並んでいます。浄楽寺53号墳です。
三次市 浄楽寺古墳53号墳

 道路が交差する斜め前にあるのが、浄楽寺1号墳です。ホタテ貝型古墳です。方形の突出部は、手前側にあるようです。
三次市 浄楽寺古墳1号墳

 浄楽寺37号墳です。高さ4mの円墳です。頂部からは石棺が見つかっているそうです。
三次市 浄楽寺古墳37号墳

 浄楽寺12号墳です。ここの古墳群では一番大きく直径45m高さ6mの円墳です。埴輪とか遺物とかがたくさん見つかっているようです。
三次市 浄楽寺古墳12号墳

 ここが一番奥になります。引き返していきます。七つ塚古墳群を過ぎて、資料館に近づいてくると、復元古代建物が見えてきました。古墳時代のものを、埴輪や遺跡などを参考に復元したものです。3棟あります。
 たて穴住居です。縄文時代のものからあまり変わっていないようです。
三次市 風土記の丘復元たて穴住居

 高床倉庫と右奥が平地住居です。平地住居は有力者のものでしたが、古墳時代の終わり頃には、一般の人も使うようになってきたそうです。
三次市 風土記の丘復元高床倉庫

 駐車場に戻りました。だいぶ遅くなりました。このまま、地道で行くと夕食時間には間に合わないでしょう。といって高速道路で行くと早く着きそうです。高速道路(中国道)沿いの道を何かないかと探しながら走って、適当な時間になったら高速道路に入ることにします。
 みよし風土記の丘入口前の国道を、北に向かって走っていきます。三次ICの前では市街の方に向かわずに中国道沿いに真っ直ぐ行きます。
 江の川に出たところで、国道54号線に出ました。広島の方に向かって走っていったのですが、安芸高田に近づいた時に、中国道から離れているのに気がつきました。IC方向と書かれていた案内のあったところまで戻り、その案内に従って進み、中国道沿いの道にに出ます。その後は、一度交差点を早く曲がってしまった以外は順調に進んでいきます。
 途中何も寄れそうなところはなく、時間切れで千代田ICから中国道に入りました。ちょっと遅くなりそうだったので、安佐SAで宿に到着予定時刻というより現在地を連絡しておきます。一応カーナビにも行き先を登録して、案内をしてもらうことにします。といっても、カーナビの地図に宿の位置を見つけることはできません。だいたいの位置にチェックをいれておきます。
 戸河内ICで下りて道をまっすぐ進み、宿のある深入山の方に向かいます。このあたりからだんだん暗くなってきます。宿近くについた頃には真っ暗です。雲が厚くなっている分暗くなるのも早いようです。カーナビは目的周辺を知らせてくれました。宿入り口の案内は見つけていません。まっすぐ進むと、三段峡入口の案内が見えてきました。ここまで来ると来すぎです。引き返します。カーナビが案内したあたりまで戻ってくると、宿の入口を示す大きな看板がありました。こんなはっきりとした目印を見落とすのはどうかしています。何かに気をとられていたからでしょうか。
 とにかく無事に宿に到着しました。
続く........


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記