2019年08月07日

中国山地復興割 23 10/03 大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区

 ボランティアガイドのお姉さんの説明はだいたい終わりました。1時間ちょっとかかりました。つぎの観光場所に行きたいところですが、遺跡の広さのわりには、見た場所の広さが物足りません。妻木山地区の方ものぞいていくことにします。
 ちなみに「妻木」と書いて「むき」と読みます。もともとは「むき」と呼ばれていたのですが、この地区から皇室に嫁がれていったことから、妻がきた→妻木という文字を授かったとのことです。
 妻木山地区は、展示館から見て洞の原地区と反対方向の高台にあります。坂を少し登ったところで、開けた場所に出ます。そこにはいくつかの建物が復元されていました。この地区は、たくさんの建物跡が発掘された地区になります。弥生のムラと名前がつけられています。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区

 堀立柱建物です。洞の原のものと比べて屋根の傾斜が急なようです。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区堀立柱建物

 こちらは竪穴式住居です。入口部はあまり出っぱっていません。ちょっと小さい感じがします。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区たて穴住居

 内部です。柱の数も少なくなっています。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区たて穴住居

 こちらは、骨組みだけを復元したものです。床面の真ん中にしっかりとした穴がありますが、そこにつながる周囲からの溝がありません。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区たて穴住居

 横で弥生式土器を焼く実験をした跡が残されています。
大山町 妻木晩田史跡公園 土器造り実験

 さらに上の高台に続く道があります。ここを登っていきます。上がっていく途中でみた弥生のムラの全景です。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区

続く...............


posted by ヨッシン at 23:53| 旅行記