2019年08月05日

中国山地復興割 22 10/03 大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区墳墓群

 洞の原地区が聖域とされるのは、この地区からたくさんの墳墓が見つかっていることからです。墳墓の形も四隅突出型墳丘墓と呼ばれるものです。山陰地方独特の墳墓で、方墳のように四角く盛られた土塁の四隅が角のように張り出しているのが特徴です。出雲市の西谷墳墓群にあるものがその代表です。
 洞の原1号墓です。一つの隅にだけ、石が敷き詰められています。ここを通って墳墓に上がっていったようです。
大山町妻木晩田史跡公園 墳丘墓

 横にある堀立柱建物です。手前の3本の柱穴はまっすぐ並んでいません。棟木を挟むように立てられていたようです。ここのものは墳墓に近いために、祭祀関係のものが保管されていたのと考えられています。たて穴住居も、神官のような人が住んでいたとされています。
大山町妻木晩田史跡公園 堀立柱建物

 ここの墳墓群は、小さなものがたくさんあります。
大山町妻木晩田史跡公園 墳墓

 大きなものは2個ほどだったようです。
大山町妻木晩田史跡公園 墳墓

 墳墓群の端まで来て、振り返って見たようすです。大きなものが並んでいて、そのまわりに小さなものがたくさんあります。
大山町妻木晩田史跡公園 墳墓群

 反対側を見ると、弓ヶ浜がカーブしながら伸びているのが見えます。
大山町妻木晩田史跡公園から弓ヶ浜

 丘陵の続きです。この先にも遺跡が続いています。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区

 尾根に続く道の向こうに復元された、堀立柱建物が見えます。ここの集落の周囲には弥生時代によくみられる環濠の跡があるそうです。不思議なことに、それも後の時代には埋め立てられてしまったようです。史跡全体にも環濠がないというのは、山陰地方の弥生時代の遺跡の大きな特徴だそうです。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区

続く...............


posted by ヨッシン at 23:54| 旅行記