案内のあった場所からはだいぶ離れていたのですが、史跡公園に到着しました。展示施設がありますので、そちらからのぞいていくことにします。ボランティアガイドがあると書かれています。その時間は少し過ぎています。ガイドなしになるでしょう。まずは、展示を先にみることにします。
展示室に入ってパンフレットなどを物色していると、お姉さんが近づいてきました。ボランティアガイドのようです。案内してくれるといいます。ちょっと悩みましたが、お願いすることにしました。その分ここの写真は少なめになります。お姉さんの今日のガイドはなく帰ろうとしていたようです。
どれくらい時間とれるかと聞かれました。もう2時近くになっています。ここから宿に直接行っても1時間はかかるでしょう。他に見るところとかを考えると、それほど取れないでしょう。とりあえず1時間ていどということにしておきました。
準備をしてくるからしばらく待っているようにといわれました。その間に近くにあった展示を見ておきます。弥生時代の遺跡の見取り図が置かれていました。吉野ヶ里遺跡などいくつかいったところが入っています。地元の池上曽根遺跡もあります。地方でいろいろな遺跡を見ているわりには、ここへは行っていません。見ておかないといけないなと思いました。
準備ができたお姉さんが説明をしてくれました。これで大きさを見比べて欲しいとのことです。ここの遺跡の総面積は、吉野ヶ里遺跡より広いそうです。一部しか復元できていないのは残念なことです。他に、弥生時代の食べ物の展示などの説明もしてくれました。
外に出ての案内になります。洞の原地区をガイドしてくれるようです。ここの史跡では聖域にあたるところです。しばらく散策道を歩きます。横にある樹木の説明もしてくれます。シロダモが多いようです。ここのものは違った色の実がつくそうです(白か黄色か忘れました)。
ここから見える山です。きれいな山型になっているとのことです。いわれは何だったかな?一番高いのは孝霊山です。

広場に出ます。この付近は竪穴式住居と堀立柱建物が密集して出てきた地区です。広場の真ん中より少し斜めになったところに並んでいたようです。

これは骨組みだけが復元された建物です。

ここの竪穴式住居は中心に穴がありそこに向かって3方向からの溝が掘られていることです。真ん中の穴に、中に入って水を導いたのではという説明でした。

ここは、周りのようすだけ復元されています。住居の周囲は土が盛られています。全体の形が円形ではなく、少し四角くなっているのも特徴だそうです。

復元した竪穴式住居です。茅葺き屋根に土が盛られていたようです。茅の葺き方も内側は横向けに、外側は下向けにという2層構造になっています。

復元した住居で火事があったそうです。ここのものはあっという間に燃え切ったそうです。二戸の御所野遺跡では2日間くすぶり続けたと書かれていました。違いは何だったのでしょう。
住居内部です。一段低くなっていて、周囲に土の段があります。

天井側です。上に棚がつけられています。ものを乾燥させるのに使ったようです。囲炉裏の上だと、火事になりやすそうだといっていました。

ここを見ているときに入ってきた2人組がいました。お姉さんが一緒に話を聞いてはどうかと勧めていたのですが、断りづらそうにしていました。訳を話してくれてわかったのは、ここの発掘に関わった人ということでした。
続く...............