楠木正行(くすのきまさつら)は、楠木正成の長男で、楠木正成同様南朝方についたものの四條畷の戦いで敗れ自害したとされています。一説では難を逃れることができて、一族とも甑島にやってきたとされています。その子孫といわれているのが和田家で、その墓がここにあります。

墓に刻まれている和田家の紋です。楠木正成とおなじ菊水の紋です。

楠木正行の墓です。拝んでいきます。

バスはここから南に向かい、軽く山越えをした先にある港に向かいます。江石漁港です。

この漁港の先端から海を眺めます。上甑島から下甑島にかけての海岸の断崖がよく見えます。海岸の波は船が欠航というほどには荒れていないようです。

遠く中甑島のよこに見える小島です。見るはずだったナポレオン岩に似ていますが、弁慶島です。

東にみえる上甑島です。茅牟田崎が見えています。

海岸に赤茶けた地層がみえます。このあたりは天草からの地層が続いています。天草で恐竜化石がでていますので、ここで見つかっても不思議ではありません。と思っていたら最近発見されたようです。場所は極秘になっていてガイドさんも知らないし誰も教えてくれないといいます。

ここでみえている地層は土壌が固結したもので、篠山の丹波竜発掘地近くにはたくさんあります。長期間陸地になってこの上を恐竜が歩き回っていた可能性はあります。この手の地層は、天草ではあまり見ていません。
続く...............