城山を下りて町の近くまでやってきました。振り返って見た一の段公園(亀城跡)です。この近くに鶴城跡というのがあり、セットで亀鶴城と呼ばれているようです。方角と距離が示されていたのですが、肝心の方角がまだよくわかっていません。結局、鶴城跡はどれなのか最後までわかりませんでした。

里の町を通りぬけて西浜の方に向かうことにします。道はわかっていませんが、こちらだと思われる方向に歩いて行きます。町中のストアーの前で、古い郵便ポストのような物をみました。何となく形が記憶と違うような気がします。

適当に進んでいる内に、海岸に出ることができました。低い防波堤を越えた向こうが浜になっているようです。堤防の壁面に句碑の書かれた石板がつけられています。トンボロ芸術村コンテスト歌碑というそうです。

堤防の上から見た浜です。向こうの山のふもとまで浜が続いています。浸食が激しいのか、沖合に消波ブロックが岸と並行に積まれています。

浜に出てみました。上甑島側の山のふもとまで、砂浜が延々と続いています。

浜の高いところは、レキが積み重なっています。その境目の所では、レキから浸みだした水が、砂を削ってたくさんの溝を作っています。

このまま北西(島)側に歩いて行きます。すぐに砂浜はなくなり、握り拳の半分くらいの大きさのレキが浜を埋め尽くしています。砂浜の所よりは少し高くなっています。

レキ浜の一番高いところから沖合を見ました。消波ブロックの向こう側に、上甑島の北側の海岸が続いています。このあたりは長目の浜と呼ばれる砂州が続いています。

続く...............