2019年04月04日

流星群@立山 16   感想・余談など

 今回の旅行の一番の目的は、星を見ることでした。旅行前に台風が様子をうかがっていました。そのまま北西の方向に遠ざかっていったので影響はなかったようです。そのせいなのかどうかはわかりませんが、12日は天気が持ちこたえ、3時間ほど星を見ることができました。ほとんど満天の星空だったのはラッキーです。
 一晩晴れていてくれたらというような贅沢なことはいいません。翌日の登山のこともありますから、ちょうどよかったようです。それなりの、流星もみられたので満足です。大気夜光らしきものもありました。対日照は失念していました。1号機の流星撮影用の範囲がもう少し右上にずれていたら、その中に入っていたようです。いつもうまくいくとは限りません。
 まだカメラの扱いは完璧ではないようです。うまくピントが合わせられないし、予想外のトラブルに見舞われます。今回は結露が問題となりました。もう少しこまめにチェックする必要があったようです。ツアー仲間のもう一人も撮影をしていましたが、しきりにカメラをのぞき込んでいました。聞かなかったのですが、結露が気になっていたように思えます。

 翌日の山の天気はもう一つで、二番目の目標であった氷河は見ることができませんでした。またの機会ということになります。といっても次はいつになるのでしょうか。ツアーで探すのか、予約を取って出かけるのかとか、なにも考えられていません。
 旅行前に少しは遠出をして体を鍛えたつもりでも、まだまだたりていませんでした。たった数日では効果があるとは思えませんね。だんだん運動不足が積み重なってきていますから、次回まで体力が保たれているかが心配です。それほどの距離ではなかったようなので、しっかりとトレーニングをしていれば大丈夫なような気もしています。
 雄山に登っている最中は、景色が見えない上に、細かい雨粒がかかるので、がむしゃらに歩いていたようです。道がわかりにくかったせいもありますが、ほとんど先のルートだけしかみていませんでした。このあたりはもっと余裕をもって歩かないといけません。時間はじゅうぶんにありました。何もないとがむしゃらに歩いてしまうのは、どうも癖のようです。この間写真もほとんど撮っていませんでした。濡れるのでカメラを触りにくいというのもありました。

 三番目の目標になるのでしょうか。羊背岩です。これも、それと断定できるものは、現地では確認できませんでした。氷河に削られて比較的平らになっているものと思い、そのようなものばかりを探していました。後日調べなおしたところ、それほど平らでなくてもいいような感じでした。表面に氷河擦痕ができているようです。
 現地でみられた、平らな石の表面に平行な筋がたくさん入ったものは、氷河擦痕で間違いないようです。羊背岩でなくても、氷河に運ばれているモレーンにも付くことがあります。
 氷河擦痕の付いた2つ目の敷石をみた近くで、岩の表面に平行な筋がたくさん入った岩を見ています。このような筋は地層中に葉理があってもできる事がありますから、軽く見ただけでは判定ができません。
 よく考えてみると、このあたりの岩石は安山岩です。平行な割れ目(板状節理)ができる事はあっても固さの違う構造ができる事はありません。普通に浸食されて平行な筋はできません。
 筋が作る面はほとんど垂直になっていました。葉理が垂直にできる事はほとんどありません。それからしても、氷河擦痕と見て良いでしょう。この点に関しては、近くで垂直な板状節理を見ているので、あまり説得力はありません。
 このように考えてみると、この岩が羊背岩であった可能性は非常に大きくなります。あまり平らには見えませんでした。筋の伸びる方向から見ていましたから、平らではなくても問題ありません。
 そうと思って写真をよく見ると、霧の中にかすかに見えるいくつかの岩も、表面の傾斜が向こう側とこちら側で違っているように見えます。これは、羊背岩の特徴と一致します。
立山室堂山 羊背岩

 意外だったのが、アースハンモックやソリフラクションといった周氷河地形がみられたことです。立山に氷河があったとして考えれば当然なことです。山の反対側で現在も氷河があることからすると現在もできている途中なのかも知れません。
 氷河があるとしてモレーンも気になります。室堂平一帯にはたくさんの岩が転がっています。これがモレーンなのかどうかは、知識がないので判定ができません。斜面から落ちてきたにしては、一部の地域を除いて、斜面が大きくもないしなだらかすぎます。
 ターミナルの近くに氷河擦痕のある石が使われています。付近に転がっていた石を、敷石や石段に使ったそうです。モレーンが混ざっているのは間違いないようです。問題はこの石がどこから持ってこられた物かわからないことです。
 これも後日わかったことです。山崎圏谷の中にはいくつかのモレーン丘があります。立山の写真を確認すると、それらしきものも写っていました。
 山崎圏谷の写っているものがあまりありません。山崎圏谷がどこなのか断定できなかったこともありますが、ふだんならわからなくてもたくさん写しています。よく見えていたのは宿へせかされている時間帯ということもありました。それにしてもあまり写していないというのはどうしたことなのでしょうか。今回の旅行は、肝心なところでの写真が少なめです。
 立山の写真をもう一度見直してみます。細長く連なっている尾根が立山連山です。右端の高いところが雄山、真ん中の一番高いところが大汝山、左端のピークが富士の折立です。
 雄山と大汝山の間から下りてくる谷が山崎圏谷になります。その底の部分にある斜面の3ヵ所に雪渓が残っているところがあります。それぞれのすぐ下側に谷を横切っている堤のようなものが見えます。氷河によって運ばれてきた岩石が、その先端部分で集められ、積み重なってできたものです。エンドモレーンとか末端堆石丘と呼ばれるものです。
立山室堂平 山崎カール



posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記