今回の旅行記のタイトルは「西郷どんは島流し」です。「せごどん」と読んでください。メインの旅行先の徳之島、沖永良部島には西郷隆盛の立ち寄った場所が何カ所か記されています。何も予備知識がなかったので、どうしてここまできたのだろうかと不思議でした。
謎が解明したのは、沖永良部島で余分の1泊をしている時です。和泊町の歴史民俗資料館でもらった資料には何があったのかについて詳細に書かれています。軽く目を通しただけだったので、この時点ではまだきちんと理解できていませんでした。
簡単に流れをまとめてみます。資料にはエピソードのような事柄がたくさん書かれています。このあたりのいきさつは、旅行記の素稿を書いているときに某放送局の連続歴史ドラマで放送されたようなので、ご存じの方もたくさん居られるかと思います。
西郷隆盛は、時の大老井伊直弼と対立します。薩摩藩から、幕府に対して身を隠すために奄美大島へいくように命じられます。2年半ほど隠れていた後、藩からの召還があり鹿児島に帰ります。
鹿児島に戻って4ヶ月後、藩主島津久光を案内して上京するはずの所、上方で事件があり、急遽先に行くことにします。これを久光は西郷が命令に背いたととり、遠島を命じます。これが、西郷隆盛の2度目の島流しということになっています。1度目は、奄美大島へいったことにあたりますが、これは島流しといっていいのかどうかよくわかりません。一応定説に従います。
2度目の島流しは、徳之島から始まります。徳之島の湾屋に到着後、しばらくそこに滞在した後、横目から岡前へ来るようにいわれそこで過ごします。横目とは現在の巡査に相当する役職です。この間は普通の流人生活を送っていたようです。湾屋には上陸之地の碑がありました。岡前はそこから北東約2kmの場所で謫居跡が残されていて近くに西郷南洲公園があります。残念ながら、事前にこのような情報が入っていなかったので、ここに行っていません。
3ヶ月後に、藩からさらに遠くの沖永良部島へのいくようにいわれ、井之川にまで移動しそこから船で渡ることになります。井之川は西郷どん腰掛けの松のあったところです。下久志の腰掛け岩はその道中になるのでしょう。
沖永良部島は伊延港に到着し、和泊に滞在します。殿からの命令は囲いに入れよとのことだったので初めは檻のようなような場所に入れられます。その後横目の機転により横目宅での座敷牢にかわります。沖永良部について1年半後、赦免となり鹿児島に戻ることになります。この間に生麦事件をきっかけに薩英戦争が起こりました。これを聞いた西郷は鹿児島に戻ろうとします。船を建造し出航を待っていたときにイギリス軍は撤退したとの報が入り鹿児島に行く必要がなくなりました。赦免されたのはこの直後です。
沖永良部島で西郷隆盛が上陸した伊延港には上陸地の碑があります。和泊には南洲神社を初めとして、西郷隆盛に関する史跡などがたくさん残されています。
旅行中に、西郷隆盛の影がちらちらと見えていたこともあって、今回の旅行記のタイトルが決まりました。もちろん、最終日に西郷隆盛の終焉の地を訪れたことも考慮材料に入っています。
今回の旅行での最大の収穫は、アマミノクロウサギが見られたことでしょう。徳之島を調べている時にアマミノクロウサギがいることがわかりました。それでも、どこで見られるかがわからないとかで、下調べは大変でした。あまり大ぴらに書いていると、人がよりすぎて、どこかに行ってしまうこともあります。このあたりはしかたがないでしょう。
ここで見られることもあるという場所は何カ所かありました。期待度の大きなほうは宿から離れすぎていましたし、近い方は道路に近くあまり期待できそうにありません。見られたらラッキーくらいのつもりでいました。
宿で見られる場所を教えてもらいました。行き方の詳細も教えてくれました。前日の晩10時頃にいった人が1匹見たそうです。早速いくことにしました。時間帯が早いので無理かなといわれていたのですが、それでも3匹見られました。これは予想以上の大収穫です。10時頃に行った時は見られませんでした。こんな事もあるでしょう。結構雨が降っていたのでその影響かも知れません。2日目も2回とも複数匹見ることができました。完全に期待以上です。
残念なのは、カメラの調子がもう一つで、ちゃんとした写真を撮れていないことです。もう一つは、ウサギを見つけていったん車を止めた後、向きや位置を変えようとしたときに、停止したエンジンが掛かりその音でどこかに行ってしまったことです。省エネの車は野生生物の観察にはむいていないのかも知れません。事前に見たウェブページでは、エンジン音でかえって逃げないことが多いということでした。
場所については、宿の位置からだいたいの見当はつけられますが、あえて書かないことにします。もっと増えてくれれば、普通に見られるようになるかも知れません。
今回見られた動物でいえば、トリトリデッキのクロツラヘラサギ、クロウサギ探しの時に見られたアマミヤマシギなども希少生物です。ケナガネズミなどは見られなかったのですがこれは仕方ないでしょう。事前の学習不足です。ほかにも、アマミノクロウサギや沖永良部島の半崎・田皆崎でみたウミガメとあわせて考えると自然の豊かさがわかります。世界遺産登録の声が上がるのも無理はないでしょう。
2晩もアマミノクロウサギ探しに行けたのは、両日とも天気が悪かったからです。その分星を見られていません。南十字星は、時期を間違えたので無理だったとしても、ほかの南天の星達を期待していました。最終日の晩にちらっと見られただけでした。それも雲の間にわずかに見られたものです。いつも荷物の重量の大半を占めている、天体写真撮影機材が今回も出番がありませんでした。こちらについては、非常に残念でした。
この時期に選んだのは、天気のこともありました。3月の初めくらいまでは、冬場の日本海側地域と同じで、大陸からの風によって雲が発生しやすくなります。好天は期待できないでしょう。
3月の半ばくらいから梅雨入りする5月の半ばくらいまでは、天気が安定します。この期間でも、3月末頃に菜種梅雨といって10日前後天気が悪くなるときがあります。梅雨に近いと天気の悪い日が続くことがあります。それからすると、4月は条件的には晴れ間が多くなる時期といえます。天気は周期的に繰り返すことが普通です。中旬には晴天の続くこともあります。これからすれば期間の設定は妥当なところだったでしょう。
今年の天気でいえば、4月に入ってからはぐずついた天気が続いています。例年にないことです。ずっと日本列島に次々と低気圧がやってきます。見ている感じではなかなか高気圧の出番がないようです。なので、行く前から天気についてはだいぶ不安でした。出発直前になってしっかりとした高気圧が通過しそうな雰囲気になってきました。少しは回復しそうな兆しもみられました。
結局の所、元に戻ってしまったようです。あまりいい天気ではありませんでした。
天気で一番問題だったのは、飛行機が欠航したことにあります。鹿児島空港が天候不良で飛行機が離陸できなかった事が原因です。プロペラ機で天気に左右されやすいというのもあったようです。
天気といえば、現地のことしか考えていなかったのですが、間の地点のことも考えないといけないというのをつくづくと知らされました。よく考えてみると、昨年秋の東北旅行も同じような理由で欠航でした。
旅行先では、天気情報はテレビ以外からは入手できません。情報不足になったような気分です。最終日に、雨で動けなくなったのもそれが原因です。
今回わかったのは、カーナビがワイファイの使えるところでは、インターネットにアクセスできて、情報を入手できるということです。問題はタブレットの操作に慣れていないので、使いこなせないことにあります。
飛行機についていえば搭乗券の変更手続きに時間がかかりすぎていたこともこまったことです。券の種類そのものが複雑すぎて、払い戻し手続きのしくみを理解しきれていないところに原因があるようです。しきりに、センターのような所に電話をして聞いていました。このあたりはもう少し何とかならないものなのでしょうか。切符の手配がインターネットでできる時代です。端末の画面を押しただけで結果が出てきても良さそうです。帰りの大阪便の席がなかったのは、日曜日だったからでしょう。
<経費>
今回使った経費です。500円単位で四捨五入しています
交通費合計(109000)
運賃 87500
レンタカー 16500
ガソリン 5000
その他経費( 45500)
宿泊費 24500
食費 8500
土産 1500
入館料 1500
その他 9500
その他経費のその他にめがね修理代が入っています。この中に入れるべきなのか疑問な所もありますが、このままで計算すると総額は154500円になります。宿の会計が2軒とも宿泊費食費が別会計だったので分けています。ふだんだと2食込みの値段なので、どうしても一緒になります。
ちょっと多いような感じがします。大半が交通費です。これはしかたないでしょう。といっても、お隣の与論島へはツアーだったので、飛行機代(+振替えた新幹線代)くらいの値段でいっています。ツアーの割引率はかなり大きなようです。交通費が大半だった分、1泊余分にしても経費はあまり増加していません。事前支払いが多く、クレジットカードも利用したため、現金での支払いは少なくて済みました。
土産代は少なめです。購入できる店が少なかったのと、種類もそれほどなかったことによります。奄美黒糖焼酎と黒砂糖製品が主だったようです。黒砂糖製品は、南西諸島琉球諸島ならどこも似たり寄ったりです。タンカン関連のものもあったようですが、少なめです。土産物についてももっと開発の余地がありそうです。
走行距離は、徳之島307km、沖永良部島136kmです。
2019年03月04日
西郷どんは島流し 83 感想・余談など
posted by ヨッシン at 23:40| 旅行記