別方向からやってきた県道と合流した少し先に後蘭孫八居城跡への案内標識がありました。見に行くことにしますが、その標識の横に大きな説明板があります。タシキ俣と書かれています。
書かれていたのは、後蘭孫八にだまされた西目国内兵衛佐かっとなった勢いで切り割った岩がタシキ岩ということです。岩と俣でどう違うのかよくわかりません。説明板の周囲にあるのがこの岩です。タシキ岩なのでしょう。

ここから後蘭孫八の居城跡まではすぐです。車を居城跡前の駐車場に入れ、居城跡までの道を歩いて行きます。

森の入り口にポストがあり、その中にラミネートされた案内図が1枚入っています。これを見ながら、散策して終わったら元のところに戻して置いてねというシステムになっています。
案内図に後蘭孫八の説明があります。壇ノ浦で破れた平家の一部が沖永良部島に流れ着いたようです。それが後蘭孫八で、優れた築城家でもあったようです。
案内図に従って進んで行きますが、今、図のどこにいるのかよくつかめていません。所々にある標識が頼りです。ここには平氏分家屋敷跡と書かれています。

何もわからないまま、まわっていました。平氏というのは、後蘭孫八の子孫で戦後までここに屋敷を構えて痛そうです。立派な石垣があると感心していましたが、よく見るとかなり新しいようです。説明には、城跡の石垣は野面積みと書かれています。

庭園風の施設も見えます。後で考えるとこれもいつのものかはっきりしません。

物見台跡と書かれています。岩の積み重なった山は崩れた石垣のようにも見えます。

後蘭孫八の墓です。組み上げた石垣の中にあります。当時としては大変珍しい墓の形だそうです。

次をまわろうとしたのですが、カメラの電池が切れてしまいました。予備の電池は車に置いたままです。ここはこれで切り上げることにします。戻ろうとすると、別方向から見物に来た2人連れがやってきました。案内図を持っていないようですので、ポストに入れておいてねということで預けて車に戻りました。
続く...............