立神岩とかかれた案内標識が見えてきました。案内に従って進んで行くと、駐車場が見えてきました。ここに車を入れます。
駐車場から、元来た方向を振り返って見ると砂浜が見えます。この付近は「立神の潮風が見える公園」というようです。浜にあたる波が砕けているのは海岸からだいぶ離れたところです。沖合の波は高いわりには、波打ち際から2−30mほどの間はそれほど波がたっていません。

岬の先端方向です。2本見えていた柱状の岩は重なって1本にしか見えません。岩の表面横向きに柱状節理が見えます。岩脈が海岸線に沿って走っているようです。手前の黒っぽい岩にも柱状節理が見えますが、向きはばらばらです。岩脈のものとか、落ちてきたものとかいろいろ混ざっているようです。

近くの波打ち際に見られた岩です。岩脈に見られる柱状節理の特徴がよくわかります。両脇で細かく、真ん中で粗くなっています。

一番近くで見た立神岩です。左側にわずかに、向こう側にある柱が見えているような感じもします。ここから先は立ち入り禁止になっています。これ以上近づくことはできませんから、詳しいことは不明です。

先に行くことにします。海岸を進んで行くと唐津市街に到着しました。最低限見ておきたいと思っているのは、菜畑遺跡です。メモには、道路に沿って進んで行き、高校の先の交差点を左に曲がったところにあるとかかれています。市街に入ってから、道は旧道とバイパスに分かれます。どちらの道を進んでいくといいのかわかりません。学校は新しい道沿いにはないだろうと考え旧道に入っていきました。
しばらく走ってもそれらしいものは見えてきません。広いところに車を止めて、地図を確認すると、バイパスの方に戻ります。だいぶ時間をロスしてしまいました。
目的の菜畑遺跡に到着しました。末盧館という施設の敷地内にあります。中に入って空いているところに車を止めてくださいとかかれています。中の道は車がすれ違うのがやっとの幅しかありません。いいとかかれているので邪魔にならないところを選んで車を止めます。
広めの庭という感じの敷地内に、いくつかのものが置かれています。これはたて穴住居です。吉野ヶ里のものに比べて小さく感じます。

内部です。太い柱が6本使われています。

市内の遺跡から見つかった、支石墓をこちらに持ってきて復元しています。墓の上に載せる石のようです。

菜畑遺跡からは水田跡も見つかっています。それを復元したものも展示されています。1枚の田んぼはそんなに広くありません。

小川というか水路に沿って何枚かの田んぼが並んでいます。

すぐ横にある末盧館には、菜畑遺跡から見つかった炭化米や石包丁などの遺物も展示されています。館の名前は、魏志倭人伝に出てくる末盧国があった場所とされていることに由来します。受付で時代が菜畑遺跡とは時代が合わないようなと聞いてみたのですが、てきとうにはぐらかされました。
続く..