入り口を入ってロビーのようなところを通りぬけると、裏口のようなドアがあります。そこには木下信俊陣跡と書かれています。木下信俊は、秀吉の正室おねの甥になります。陣跡らしいものはまだ見ていませんので、こちら側を先に行くことにしました。後で見たパンフには展示を見てからいってくださいと書かれていました。
陣跡の一番高いところから見た全景です。遺跡保護のために、一周するように木道がつけられています。

博物館から上がっていったところにあるのが、虎口(入り口)です。全景写真の左外側になります。ここには玉砂利が敷かれていたようです。

全景写真の左側通路の真ん中くらいにあるのが石畳です。御殿がここにあったと考えられています。

一番奥にあるのがトイレ跡です。形はそれらしいのですが、実際に使われていた様子はないそうです。

右側通路の外側に石垣が見えます。陣跡は石垣で囲まれていたようです。

石垣と木道との間に、石が整然と並ぶように置かれています。飛び石ということになっています。

木道を一周して高台に上がります。ここと陣跡の間は、石垣を組んで一段高くなっています。石塁と書かれています。

この上にも何かあるようですが、博物館に戻ることにします。名護屋城に関することやこの付近の歴史などが多数展示されているのですが、一気に情報が押し寄せてきたので、頭の中に入りきっていません。名護屋城見学の参考にと復元模型が置かれていましたが、これさえもよくわかっていません。そもそもどの方向なのかがわかりません。
博物館はここまでにして、次に向かうことにします。駐車場に戻るときに見えた東出丸です。

続く.....