もう一ヵ所、佐賀市の早津江川河口付近に、三重津海軍所跡というのがあります。明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されています。ここもよろうと思います。ここも海軍発祥の地とかいっています。この旅行では2ヵ所目です。
吉野ヶ里が先か三重津が先か微妙ですが、三重津の方が近いのでこちらを先に行くことにします。
柳川からは海岸沿いに北西方向に行き、筑後川・早津江川と渡った後、右回りにまわるように進んで行き、佐野記念公園に到着します。佐野常民記念館の横から早津江川の堤防に上がり、少し進んで河川敷の駐車場に車を入れます。
駐車場北端に解説看板があります。そこから先が三重津海軍所跡になります。看板の先が海軍所跡です。

海軍所跡はいくつかの区画に分かれています。一番手前を修復場地区といいます。佐賀藩の洋式軍艦を修理した場所です。発掘時のようすを示した図が地面に書かれています。発掘したときと同じ場所に書かれているようです。

ここのものはドライドッグといい、満潮時に船を入れて固定し、干潮時に水門を閉めて海水が入らないようにした状態で船の修理をする場所です。木組みの遺構がたくさん出土したようです。木組みのものはここだけだそうです。
3つ平行にある細長い穴です。鋳型に鉄などを流し込んで金属部品を作った場所とされています。溝に炭火を入れ鋳型を暖めていたようです。

となりにあるのが稽古場地区です。軍隊の訓練をしていたようです。整備中で周囲が柵で覆われています。

一番北の端が船屋地区です。整備中なのか発掘中なのこちらも入ることはできません。大きな穴が開いていました。

一番近くにあった、溝の壁面です。何かあるようには見えません。干潟にたまった泥の表面を、いろいろな生物が穴を掘ったりしてかき乱しているように見えます。

船屋地区から堤防側です。入り江のようになっています。もともと、佐賀藩の藩船を係留していた船着き場です。入り江と川の間に港湾関連の施設があったようです。

堤防の上から、全体のようすを見ようと上がってみました。ちょうど記念館の裏手あたりになります。あがったところで、記念館のガードマンさんが、中でスコープを貸してくれると教えてくれました。初めは双眼鏡のことと思っていたのですが、話が合いません。中に入って確認することにしました。
記念館でのメインの展示は2階にあり、佐野常民に関係したものです。日本赤十字社の創設者だそうです。どちらかというと、興味の対象外なので、パスさせてもらいます。海軍所とも関係があったようですが、具体的なことは今ひとつよくわかりません。
3階に海軍所のインフォメーションセンターがあり、関係した解説や模型が展示されていました。ここの窓から、海軍所跡の全景が見渡せます。修復場地区から早津江川下流方向です。川から斜めに入るようにドライドッグが設置されていました。大きめの木の向こう側、城っぽく見えるところがパネルのあった場所です。

稽古場地区と船屋地区です。それぞれ別々に柵で囲われています。船着き場は、堤防に隠されていて見えていません。

1階には、ドームシアターがあります。工事中のようでした。2階にスコープの貸出コーナーがありました。その場所に行って、のぞくと当時の風景がコンピューターグラフィックスで表示されて、解説も聞くことができるというものです。再び、海軍所跡を一周する事になるのでどうしようか迷ったのですが、もう一度回ることにしました。
スコープをのぞいて映像が見られるのは、旗の立っている場所の近くだけです。これが第一ポイントになります。

海軍所跡の見学は、先に記念館に行くべきでした。佐野常民関係の展示だけだと思っていたのが間違いでした。
続く...............