石人の丘から縄文のむらに行くのに橋があります。案内図にはつり橋となっています。見た感じでは普通の橋のように見えます。渡るときにちょっとゆらゆらしていたような感じがします。

橋から見た江田川上流方向です。この先右側に水辺公園があって、その向こう側が道の駅です。

橋を渡った先に広場があり、そこにいくつか解説がかかれています。片隅には竪穴住居の跡があります。

ちられは貝塚の断面です。このすぐ下、菊池川との間にあった若園貝塚のものです。縄文人の食べていた貝の殻などをここに捨てていたようです。

階段を降りてみました。このあたりが若園貝塚があったと書かれている場所です。今は普通の広場になっています。

丘陵の奥には、竪穴住居の跡がいくつかまとまってあります。向こう側に2つ見える石のようなものは、縄文人の石人形です。

こちらは大型住居です。縄文人と土器が置かれています。

案内図には、復元住居と柱組だけを復元したものがあると書かれていたのですが、復元したものは見当たりません。壊れてしまったのでしょうか。
縄文のむらはここまでです。駐車場の方に戻ります。ここを出発する前に、塚坊主古墳を見ていないので、ちらっと見ていくことにします。遠くから見た塚坊主古墳です。時間も遅いので近くまで行っていません。後で確認してみると、装飾古墳で石室が見られたようです。

だいぶ遅くなっています。宿まで一部高速道路を使っていくことにします。カーナビを設定します。すぐ近くの菊水ICからみやま柳川ICまで高速を走り、その後はカーナビの指示に従って進んで行きます。柳川市内をだいぶぐるっと回ったようです。カーナビもちょっと古めです。もっと近道ができていたようです。宿のパンフには新しい道が書かれていました。
市内で2車線区間をすぐに右折するだろうということで、渋滞していない追い越し車線を走っていたら、右折専用レーンにつながっていました。右折しないといけないのはまだ先です。どうせ右折しないといけないと思って右折したら、こんどは宿の方向に行く道がありません。カーナビは狭い道ばかり指示してきます。その中でもましな道を進んで何とか宿にたどり着くことができました。
食事時間までに、星見の場所を探しがてらぶらっと歩いてみました。前回来た時は、川下りの船着き場に大きなおひな様が出ていたのですが、今年はありませんでした。宿の受付で聞いてみたところ話が通じませんでした。だいぶ長いこと飾られていないようです。家で調べたところ沖端水上ランタンといっていたようで、2013年頃まではあったようです。
宿に戻って夕食です。誕生月ということでワインがついてきました。飲めないので持って帰ることにします。宿泊の予約を入れたときには前もって連絡をということでしたが、しらなかったので入れていませんでした。到着時にフロントで確認したところ、会員情報を確認してもらえることになっていました。
食事の方はちょっと困ったことがあります。おかずを食べるとご飯が食べたくなります。そのご飯は鯛釜飯なのですが、目の前で炊きあげています。できるまでおかずに手をつけられません。おかずが全品そろうのも待っていましたが、最後の1品もなかなか出てきません。じっと待っていると、係の人がどうしたのか聞きに来ました。ご飯を待っていると答えると、早めにつけておいた方がよかったですねとのことです。できあがりを待つのが30分のところが20分になってもあまり変わらないような気がします。
夕食後外を見に行きましたが、星は見えないようです。雲が出てきているのか、まわりが明るいからなのかはっきりしません。たぶんその両方でしょう。事前にチェックしていた場所も思ったより明るく星見にはむいていないようでした。
部屋に戻って、荷物を整理がてら、今朝の宿でもらった書類を確認していたところ、その中に宿用の宿泊補助申請書書き方マニュアルみたいなものが混ざっているのがわかりました。昨晩の宿に連絡を入れ、処理の方法を確認したところ郵送で返却して欲しいとのことでした。一応旅行中なので帰るまでは返却できないとは告げておきました。
対応できないかということで、今泊まっている宿のフロントにいき封筒がもらえないかと聞いたところ、定形封筒はわたせないとのことでした。サービスでおいているホテルはたくさんあります。元親方会社の関連ものだというのにないというほうが不思議です。切手もないそうです。封筒は、車の中にどうゆうわけか1つだけありました。切手はコンビニで入手できました。返送の準備ができたところで、宿の玄関前にあったポストから返送することができました。これだけは昔の名残であるようです。
続く...............