2018年10月11日

大陸接点・北部九州 38 3/14 肥後古代の森菊水地区 清原古墳群

 民家村に入ったときは、布施家の前には門がありました。境家の門を出た後もまだ民家村の中だと思っていました。当然、民家村から出るには入り口に戻らないとでられないと思っています。民家村の営業時間終了も迫っています。門をでた後は、緒方家や山野家のあったところの裏側に向かう左側へ歩いていきます。
 緒方家の裏側あたりまで来ると、緒方家との間には生垣があって中に入ることはできません。右側には古墳が見えてきます。民家村の外側に出てしまったような感じです。
 見えていた古墳は虚空蔵塚古墳です。前方後円墳です。後方部は小さめです。前円部に大きな木(クスノキ?)が生えています。見たときはまだ民家村の中にいると思っていますから、古墳の名前までは意識していませんでした。入り口が閉まるまでに戻ることに意識が集中しています。
和水町 清原古墳群 虚空蔵塚古墳

 そのまま進んで行くと民家村入口の外側に出てしまいました。境家の門を出たときに民家村の外側に出たようでした。それなら、塚坊主古墳によっていくことができました。
 江田船山古墳を目指しまず。広場を横切っていく途中左側に見えた京塚古墳です。円墳ですが頂部が平らになっています。
和水町 清原古墳群 京塚古墳

 江田船山古墳です。こちらは、林のようになっています。周壕のまわりには土手があります。
和水町 清原古墳群 江田船山古墳

 説明板と墳丘くびれ部です。墳丘に上がる階段がついています。
和水町 清原古墳群 江田船山古墳

 上がっていくと、部屋のようなものがあって扉がついています。
和水町 清原古墳群 江田船山古墳石室入口

 中に入ると、保存されている石棺が見学できるようになっています。電灯を点灯させて見学します。家のような形をした石棺でした。
和水町 清原古墳群 江田船山古墳石室内部

 江田船山古墳の形は、くびれ部に丸く張り出した造出部のあるのが特徴です。ここから多くの遺物が発見されたようです。儀式の場として使われていたと想像されています。
和水町 清原古墳群 江田船山古墳くびれ部

 くびれ部から見る京塚古墳です。丸いケーキのような形がよくわかります。
和水町 清原古墳群 京塚古墳

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記