道の駅でこの付近の案内パンフを探したのですが、中国語で書かれたものしかありませんでした。横に並んで展示施設もありますが、ここでも見つけることはできませんでした。パンフ類はなしで回ることにします。通潤橋は目の前に見えています。

間に川があって、こちらの岸からは途中から通行止めになっています。いったん駐車場入り口まで戻り、そこにある橋を渡って対岸に渡ります。そのあとは川に沿って進んで行きます。途中で川に映る通潤橋が見えました。

石組みのアーチ橋がめがね橋といわれるきっかけになったのは、長崎市内にある眼鏡橋なのでしょう。2連のアーチが川面に映り、円が2つ並んだように見えるようすから眼鏡橋と呼ばれるようになったみたいです。この橋が、石組みの橋としては最古のものということもあり、あとから作られた、石組みアーチ橋はこれに習って呼んでいるようです。
橋の下まで来たのですが、ここから上にあがる道は通行止めになっています。ここから先には道はありませんから引き返すしかありません。
川を渡った橋の正面から丘に登っていく道があります。通潤橋展望場所と書かれていますので登っていきます。
展望場所近くの一番高いところから見た通潤橋です。上から見下ろすような位置にいます。

下に板で囲まれた台が置かれています。ここが展望場所になります。ここまでおりていきます。

展望所からの通潤橋です。3本の筋が見えます。ここが水が流れるところです。熊本地震で漏水しはじめました。現在は、その修復工事をしているようです。ふだんは、管は埋まっていてこれほどはっきりとは見えないようです。

下を流れている川の先を見ると向こう側に落ち込んでいるように見えます。この先には五老ヶ滝という滝があります。それなのでしょうか。

展望台の下には水路が続いています。奥をのぞいて見ると、ここで行き止まりになっているように見えます。

ここから向こう側の台地まで用水路を作りたかったのですが、まっすぐになる高さまで橋を作る技術がありませんでした。そこで、できるかぎりの高さまで橋を作り、そのあとはサイフォンの原理を利用して向こう側の台地で用水が流れるしくみになっています。ここはその吸い込み口になります。
進んでいけるのはここまでです。戻っていきます。先ほどの高台のあった場所は広場になっています。このあたりには戦国時代の岩尾城がありました。このあたりはその二の丸にあたっていたようです。

続く...............