2018年09月06日

大陸接点・北部九州 10 3/12 日向市美々津町並み保存地区

 美々津の町は、横を流れる耳川の河口付近にできていて、川の上流で生産される木材などを上方に運搬するための集積港として江戸時代の初め頃に発展したそうです。藩の番所なども設けられ、千石船を持つ廻船問屋が何軒も並んでいたようです。大正時代に鉄道ができてからは、船運が振るわなくなり、衰退していったそうです。
 旧上町共同井戸の前に、町の案内図があります。それによると、このまま進んだ向こう側に、古い建物がたくさん残っているようです。いったん町を通りぬけていきます。
 道は旧豊後街道で現在は上町筋と呼ばれています。国道へ向かう道の分岐に、高札場跡があります。復元された高札場に絵馬の形をした板が掲げられています。ここには耳川上流の町や村の観光名所が記されています。奥の白壁の建物はトイレです。
日向市美々津 高札場

 ここに見える道から海側を見ると、こちら側にも白壁の建物があります。現在は町並み防災センターとして使われています。
日向市美々津 町並み防災センター

 古い建物は、ここよりも左側に多いようです。ぐるっとまわってみます。庇をささえる飾りの彫られた板がある家が並んでいます。この板は、八幡浜では持送りといっていました。
日向市美々津 持送り

 他にも、組み立て式の縁台や、家の前の石畳(向こう側の建物にある)など、独特の建築様式があったようですが、あまり気づかずにいました。
 立派な建物があります。廻船問屋河内屋だった建物です。現在は日向市歴史民俗博物館として使われています。残念ながら今日は月曜日、休館日です。他にある、町並みセンターや美々津軒などの公開施設も一斉に閉まっていました。
日向市美々津 歴史民俗資料館

 資料館前の道です。中町筋といいます。こちら側は石畳道になっています。妻入りの建物がたくさんみられます。平入りの建物は資料館です。
日向市美々津 中町筋

 北側の町外れの広場に大きな石碑が建っています。日本海軍発祥の地と書かれているようです。詳しく見なかったのですが、神武天皇が、大和に都を移そうと、ここから船出したのを記念して立てられたようです。横に軍艦の碇のようなものが置かれているので、完全に近代のものと勘違いをしていました。奥に見える橋の架かった川が耳川です。
日向市美々津 日本海軍発祥の地の碑

 美々津海岸から見えていた灯台は、神武天皇がこの横を通ったということもあり、皇紀ン千年を記念して作られたという説明もみうけます。みひかりの灯というようです。海上保安庁は美々津港灯台と呼んでいます。
 石碑のある公園の横に立磐神社がありす。境内には神武天皇が座ったという石があります。この先に入っていません。
日向市美々津 立磐神社

 下町筋もまわってみました。こちら側は古い建物は少ないようです。説明では、度重なる津波で壊れ、明治期以降に立てられたものが多いそうです。建物の間から海岸にぬけるところに、井戸がありました。こちらは、今整備しているところのようです。
日向市美々津 下町井戸

 山手側に、京都醍醐寺の庭園を模した橋口氏庭園があるようですが、見つけることはできませんでした。
続く...............


posted by ヨッシン at 23:58| 旅行記