旧上町共同井戸の前に、町の案内図があります。それによると、このまま進んだ向こう側に、古い建物がたくさん残っているようです。いったん町を通りぬけていきます。
道は旧豊後街道で現在は上町筋と呼ばれています。国道へ向かう道の分岐に、高札場跡があります。復元された高札場に絵馬の形をした板が掲げられています。ここには耳川上流の町や村の観光名所が記されています。奥の白壁の建物はトイレです。

ここに見える道から海側を見ると、こちら側にも白壁の建物があります。現在は町並み防災センターとして使われています。

古い建物は、ここよりも左側に多いようです。ぐるっとまわってみます。庇をささえる飾りの彫られた板がある家が並んでいます。この板は、八幡浜では持送りといっていました。

他にも、組み立て式の縁台や、家の前の石畳(向こう側の建物にある)など、独特の建築様式があったようですが、あまり気づかずにいました。
立派な建物があります。廻船問屋河内屋だった建物です。現在は日向市歴史民俗博物館として使われています。残念ながら今日は月曜日、休館日です。他にある、町並みセンターや美々津軒などの公開施設も一斉に閉まっていました。

資料館前の道です。中町筋といいます。こちら側は石畳道になっています。妻入りの建物がたくさんみられます。平入りの建物は資料館です。

北側の町外れの広場に大きな石碑が建っています。日本海軍発祥の地と書かれているようです。詳しく見なかったのですが、神武天皇が、大和に都を移そうと、ここから船出したのを記念して立てられたようです。横に軍艦の碇のようなものが置かれているので、完全に近代のものと勘違いをしていました。奥に見える橋の架かった川が耳川です。

美々津海岸から見えていた灯台は、神武天皇がこの横を通ったということもあり、皇紀ン千年を記念して作られたという説明もみうけます。みひかりの灯というようです。海上保安庁は美々津港灯台と呼んでいます。
石碑のある公園の横に立磐神社がありす。境内には神武天皇が座ったという石があります。この先に入っていません。

下町筋もまわってみました。こちら側は古い建物は少ないようです。説明では、度重なる津波で壊れ、明治期以降に立てられたものが多いそうです。建物の間から海岸にぬけるところに、井戸がありました。こちらは、今整備しているところのようです。

山手側に、京都醍醐寺の庭園を模した橋口氏庭園があるようですが、見つけることはできませんでした。
続く...............