2018年07月11日

橋が結ぶ5つの島 37    感想余談など2/2

<津波石>
 下地島にあった帯岩は、津波によって打ち上げられたものだという説明が書かれていました。このようなものは津波石といいます。東日本大震災のときにも、東北各地の海岸沿いで大きな岩が動いたということが記録されています。
 帯岩はかなり大きなもので、それが高さ15mの台地の上に打ち上げられています。この岩が、元々は海岸近くにあったことはその名前の由来になった帯状のくぼみから推定できます。このことから、津波の高さは相当高く(20mはあった?)、その威力はものすごいものだったと想像できます。
 佐和田の浜に点在していたたくさんの岩塊も、津波によって運ばれてきたものと書かれていました。帯岩のあった台地上にも、このような岩がたくさんあったそうです。これらのものは、同時にできたもののように思えます。
 この時の津波がどの方向からやってきたのかが気になります。これだけの岩が運ばれていますから、それがもとあった場所では、大きく岩場が壊されているはずです。その大半は沖合のリーフだったでしょう。現在の宮古島近辺のリーフを空中写真などから見ると、下地島北方(カタバルイナウ)のものはしっかりしています。それに対して、下地島の西海岸から来間島にかけての海域では礁湖のような地形はみられるもののリーフはあまり発達していません。津波によってリーフが破壊された可能性がおおいにあります。となると津波の来襲は南西方向からということになります。
 東平安名崎の上にもたくさんの岩がありました。さらにその東側の礁湖にもたくさんの岩塊が点在していました。これらも津波石と考えられます。岬の西側の海岸は珊瑚礁があまりしっかりしていないうえに、海岸に沿って、大きな力で崖が壊されて岩がくずれおちているように見えます。そうだとすると、この付近でも津波は南西方向からおそってきたということになります。
 宮古島や来間島の南西海岸では、打ち上げられたような岩はあまり見かけません。元々なかったのか、人為的に排除されたのかそのあたりは不明です。
 帯岩については解説によると明和の大津波(1771年)によるものと書かれています。石垣島にも津波石と呼ばれているものがあり、その一部は明和の大津波によるものとされています。石垣島では津波石は東海岸にあるそうです。とすると津波の発生源は宮古島と石垣島の間となりますが、100km程度の区間でこれだけの津波を起こす断層運動があったのかは疑問です。
 砂川・友利地区の綾道では、嶺間御嶽のいわれに津波で村が破壊されたという話が出てきます。ウィピャームトゥの祭神の話でも津波のことが関連してでてきます。いずれも明和の大津波以前のものと考えられます。伝説からすると宮古島では大津波が何度か襲来していたようです。
 佐和田の浜(カタバルイナウ)の津波石は、解説によると過去2000年間に起こった3回の津波によって運ばれてきたそうです。石垣島の旧空港近くのものは明和以前のものだそうです。

<奇妙な地形1>
 宮古島の空中写真を見ていて気になった事がいくつかあります。その一つが、島の中を北西から南東方向に曲がりくねりながらのびる細長い緑の筋です。この部分だけが、田畑に転用できず取り残されたものです。斜面になっている場所はそのようになることがよくあります。その典型が段丘崖です。
 宮古島の場合は、段丘崖にしては真っ直ぐ伸びすぎています。さらに地理院地図で確認すると、平坦な周辺に比べて小高い丘が細長く連なっているようにみえます。丘の東斜面は西側に比べて急なようです。
 このようすは、道路を走っていてわかるかなと思ったのですが無理でした。どこに相当するのかがよくわかりませんでした。いったところでは、竹中山の展望台は規模が小さかったようです。亜熱帯植物園の展望台はその例だったかも知れませんが、悪天候のため何もわかりませんでした。
 この丘がのびてきて海岸に達して岬になっている所があります。西平安名崎や世渡崎がその例です。海岸が非常に細長く突き出した岬となっています。東平安名崎も細長い岬ですが、両側が崖になっていて上面が平らなことから、該当の地形がどうかは微妙なところです。その延長上内陸側には細長い丘が見られます。
 西平安名崎でみると、先端部や展望台のあたりは東側がほとんど垂直な5m以上の高い崖です。上面は西側に傾いていて西海岸では1〜2mの高さの崖になっています。たまたまこのように削られてそうなったのか、地面が隆起する時に東側ほど大きく持ち上がったのかははっきりしません。同じような地形がいっぱいあれば、隆起の関係でこのようになったといえます。世渡崎については道路が引かれているのではっきりしませんが、何となく西側の方が低いように見えます。これに対して東平安名崎はほとんど水平です。
 大阪市内から奈良盆地にかけての地域には、南北方向に伸びる丘陵や山地があり、それらは、西側に断層があって急斜面で、東側の斜面は緩やかになっています。これと東西は逆ですが同じパターンのようにも思えます。大阪付近では、東西方向の圧縮力に寄ってこのような地形ができたと説明されています。宮古島でもこのような力が働いていたのでしょうか。かなり曲がりくねっているのと、他の島に見られないのも不思議なところです。
 宮古島を飛行機から見た写真を多く載せました。どのようなもののことをいっているのか確認してみてください。

<奇妙な地形2>
 伊良部島と下地島との間の海も奇妙です。細長い上に曲がりくねっています。島を隔てているので海峡といっていいのでしょうが、現地ではそのような呼び方をしていません。南側にある渡口の浜付近には砂浜が続いていますが、この海峡のようなもので途切れています。河口付近では川の流れによって途切れることがありますが、ここでは水が流れ出しているとは思えません。人工的に運河のようなものを作ったように見えます。そうだとすると、これは海峡とはいえなくなります。逆に、伊良部島と下地島をわかる必要はなくなります。ここの海は海峡だったのでしょうか、それとも運河だったのでしょうか。
 これがどのようにしてできたのかが気になるところです。現地で見た限りでは、川が水没したように見えます。実際には、近づけるところが少なかったので、一部からの観察だけになっています。
 空中写真で見ると、水路の形は枝分かれしていて川のように見えます。北側に向かって集まっていくように見えます。南の渡口の浜が上流側、北の佐和田の浜が下流側にあたります。元々は川だったとしたら問題があります。この付近は石灰岩なので、降った雨の水は地下にしみこんでいって地表に川の流れを作りません。
 普通の川と違うのは、支流は上流に向かって段々細くなるのがふつうですが、ここのものは太いまま急に途切れています。鍾乳洞の天井が連続して陥没して溝のような地形ができたとするとこのようになります。それだと、海の底は深いはずです。浅くなっているのは、沈降して海に水没してから、運ばれてきた砂によって埋め立てられたからでしょう。岸近くまで砂がたまっています。中心部の深さは見た範囲ではよくわかりませんでした。
 鍾乳洞の天井陥没としても、他に同じようなものがないのが気になります。下地島の西側には通り池のような鍾乳洞の天井が陥没してできたような地形がいくつか見られます。それらは丸い穴が単独で開いているだけで、ここまできれいに連続してはいません。
 一ついえるのは、この海があるところはどちらかというと伊良部島・下地島では低くなっている場所です。そのため地下水が集まったのかも知れません。この低くなっている場所をずっと伸ばしてみると、宮古島・来間島との間の海峡につながっていきます。

<奇妙な地形3>
 来間島にも奇妙な地形がありました。東側のタコ公園から南北に延びる幅20mほどの溝状の地形です。 溝の西側と東側では地面の高さがだいぶ違っています。西側の方が10〜20mほど高くなっています。東側でも溝の底から10mほど盛り上がっています。
 これも見にいったのですが、最終目的地にはたどり着けず大雑把にようすを見るだけでした。草木が茂っていて、肝心の岩石の様子は見られませんでした。海岸まで下りていたら岩石が露出しているので、どうなっていたのかわかったでしょう。
 少なくとも西側の崖に沿って断層があるでしょう。東側についてはどうなのかよくわかりません。断層があるようにも見えます。2つの断層があるとしてもこのようなものができるメカニズムが見当たりません。東西方向に引っ張られると溝状のものができますが、両脇の崖はもっと緩やかな傾斜になります。宮古島本島で推測した東西圧縮とも話が合いません。
 もっと奇妙なのは、宮古島近辺で見られる構造と一致していないことです。考えれば考えるほど訳がわからなくなります。

<GPSロガー>
 GPSロガーも、そろそろ使い慣れていい頃です。それでも毎回トラブルがあります。前回は書かなかったのですが、記録が途切れるということが起こっていました。
 今回あったのは、途中で記録が1秒ごとになるということです。ずっと1秒というわけではなく、時々間隔が開いたりします。
 記録を取ってくれているのだから、それでいいかも知れません。でも、それによる問題があります。グーグルマップに表示すると、隣との間隔が狭く地図上が印だらけになってしまいます。もう一つは、グーグルマップに表示できるポイントの数が2000個までということです。今回はこれをはるかに超えてしまいました。結局、マップにのせるデータを手作業で消していき、2000こより少なくなるようにして何とか表示させることができました。
 どうしてこのようになるのかははっきりしていません。こんかいのデータを見いてわかったことは、1秒おきの記録になっているのは、車から外して持ち歩いているときである事です。これと記録方式が変わったこととどういうか関連があるのかは不明のままです。

<カメラのトラブル>
 今回撮影した写真をみると、かなり大きなゴミがついているのがわかりました。出発前には掃除をしていますから初めはなかったはずです。いつからつき始めたのかと調べてみると、行きのモノレールの写真ですでについています。これだとほとんどの写真に写っていたということになります。写した画像によりますが、べたっとした画像で、絞りを絞り込んだ(明るいところを撮った)写真に目立ちます。
 時々撮影された画像をチェックしているのですが、これだけ大きなゴミでもはっきりと見えません。モニタで拡大表示すれば見えますが、ふだんはそこまで確認しません。なかなか見つけるのは容易ではないようです。
 どうして、ゴミが入りこんだのかも不明です。だいぶ注意を払っているつもりですが、いつ入ってくるのか油断はできないようです。こまめにチェックしないといけないようです。
 もう一つ気がついたことがあります。写した写真が傾いていることです。右側が下がっています。角度で1度から2度程度ですが、それでも結構気になります。ほとんどの写真でそうなっています。今までのものを見直してみると、多少は傾きがあるもののこれほど頻繁には発生していません。
 カメラを持ったときの姿勢が傾いているのか、カメラを支えきれずカメラが傾いているのかそのあたりは不明です。使用するときにそのあたりを注意して使う必要があります。
 ブログへの投稿写真は、ごみ・傾きとも、ようすはわからないように修正しています。

<経費>
 今回使った経費です。1000円単位に四捨五入しています
 ツアー代金 57000円
 車関係   13000円
 食費・土産  4000円
 交通費    1000円
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 合 計   75000円

 ツアー代金以外の出費がかなり大きくなっています。その大半が保険や車関係によるものです。車を使うということで保険に入りました。団体保険は車に関しては保証外ということになっていました。普通の自家用車の保険は、48時間以内なのに3日分取られています。その分高めです。
 ふだんレンターカー借りる時は、傷をつけたときの保証とかを込みでおこなうのですが、今回の会社では仕組みがわからず加入しないでいました。タイヤのホイルカバーがなくなったということで、その分弁償させられています。この分も入っていたとしても、あまり支払額は変わらなかったようです。保険もよく調べてみると、自家用車にはつけている任意保険は、他人の車を運転しているときも支払われる特約になっています。結局保険に入るほどの意味がなかったようです。
− 完 −


posted by ヨッシン at 23:57| 旅行記