県道を少し進んで、渡るような感じで脇道に入って進んでいくと嶺間御嶽(ンニマムトゥ)があります。この近辺の村が航海の安全のために崇拝していたようです。祭神は津波でただ一人生き残った女性と東平安名崎に難破してたどり着いた船に乗っていた男性だそうです。二人は結婚して子孫に恵まれたそうです。

県道に戻り進んで行きます。番所跡とか神社とかがあるようですが、見つけられずに通り過ぎてしまいました。指示通りに信号で左折ししばらく行くと上比屋山遺跡方向を示す標識が出てきました。それに従って進みます。途中大きな泡盛工場の前を通ります。観光で見学する場所の一つになっているようです。お酒は飲めませんからパスします。
山道のようになってきたところで、上比屋山遺跡とウイピャームトウの祭場と書かれた説明板の前に出ます。車は少し坂になっていますが、その前に道路を避けて止めます。
案内図は、ここから石積の間を通っていくように書かれています。車は通れませんから歩いて行きます。ちょっとした坂を登ると、道の両側に石の積まれたところがありました。図にはここを通れと書いてあります。

さらに坂を登っていくと、石を積み上げて囲いにして、その上に藁葺きの屋根を乗せた建物が見えてきました。前にウイウスムトゥと書かれた柱が立っています。ウイピャームトウの祭場についたようです。

説明では今も使われている神聖な場所のようなので、これ以上の立ち入りは遠慮することにします。
さらに進んで行きます。案内図には同じような建物があと2つ書かれています。なかなかそれらしきものが見えてきません。広いところに出てさらに進んで行くと墓地の向こうに町が見えてきました。泡盛工場も見えています。

このまま進んでも元に戻るだけです。引き返すことにしました。ウイウスムトゥの前まで戻った時に三叉路に行き当たります。来た時はこのようなものはありませんでした。どちらに進んでいいかわからなくなりました。
ここで迷子になってしまうと大変です。冷静に考え直します。ウイウスムトゥについたときに、道を歩かずに建物のまわりを歩いています。それから道に戻り、そのまま真っ直ぐ進んで行って開けたところに出ました。とすると三叉路は、建物の前を歩いていたその外側にあると考えられます。それなら、ここを左にとれば建物に入ったところから車のある方向、右に取れば残りの2つの建物がある方向になります。右に進んで確認してみます。予想通り二つ目の建物が見えてきました。クスウイピャームトゥです。

次に見えてきたのがマイウイピャームトゥです。

3つの建物は、年に何度かここにこもって神事を執り行うのに使われているようです。建物や祭神のちがいとかはよくわかりません。
現在位置がはっきりしました。この先に進んで行けば、砂川遠見に行けるはずです。行ってみます。
たどり着いた砂川遠見番所跡です。四角く石垣が組まれています。

遠見番所は、1644年に薩摩藩支配下にあった琉球王府が東シナ海の監視のために先島諸島に設けた施設です。先島諸島火番盛(ひばんむい)といいます。与那国島までの何カ所かに設置されています。宮古島近辺では5ヵ所あります。これまで3ヵ所で見ようとしたのですが果たせていませんえした。来間島のもの(来間遠見)は、竜宮展望台からの写真に写っているのがあとでわかりました。
ここから真っ直ぐ行けば山を下りることができ、マリンガーデンの近くに出ます。車を取りに行かないといけないので、元来た道を引き返さないといけません。
続く.....