<台風>
旅行自体の行き先が途中から変わってしまいました。本来ならタイトルどおり、ずっと種子島を回っているはずでした。半日程度の短縮はあるかなとは思っていました。まるまる一日違う場所を回るのは想定外でした。
予定が変わったのなら、それに合わせてタイトルをつけるべきなのかも知れません。最初の意気込みが種子島だけだったということで、あえてそのままにしています。その分関係のないところの記録が載ってしまったということについては、ご容赦ください。
今回の予定変更の原因は台風接近にあります。なんとなく、台風の接近が多いような感じがします。前回の東北旅行も、台風の影響で船が欠航になったり、道路が通れなくなっていたりとかで影響を受けました。温暖化の影響なのでしょうか。
台風で見学地と宿泊地を変更したのは、2007年以来になります。この時は、足摺岬に宿泊予定が台風で近くまでいけず、観音寺に待避しました。この時の宿泊予約のキャンセル料は請求されませんでした。次の日も、宿泊予定地に向かう道路が通行止めになっていました。宿に電話を入れたところ、通ってきている人がいるとあっさりいわれ、予定通り宿泊しています。
最近の旅行で、台風の影響で行程を変更したものとしては、2015年の青ヶ島があります。夜行バスで東京に向かう予定が台風接近で運休または大幅遅れが見込まれるということで、前日の新幹線で行き蒲田泊まりに変更しています。2016年の鳥海月山は、珍しく東北に接近した台風で行程の変更はないものの早め早めの移動で最悪の事態に備えました。
旅行中に台風が接近したというのは、5回目ということになります。これが多いのか、少ないのかどちらなのでしょう。2017年5月の旅行の時に、添乗員さんに言われた「めっちゃ雨男」というのが一般的な感覚なのでしょうか。これだけ台風に近寄られたら、他人をすぐ雨男にしたがる人が、台風男とでもいいだしそうな気がします。
もちろん台風接近などないというのが一番いいのでしょう。少なくとも、台風で旅行そのものが中止になったというのはありません。行けているというのは微妙に台風の位置や時間がずれているからでしょう。微妙に避けてくれていると思っています。
今回の台風にしても、1日まるまるというのではなく、半日早めの切り上げにしていても行けたと思っています。報道される台風情報と予想していた進路はそれほど変わっていません。そういうこともあり、切り上げることにした日の朝までは、種子島を回ることだけを考えていました。宿の人が声をかけてくれていなかったら、ぎりぎりの綱渡りをしていたでしょう。実際の所、船の運航状況はどうだったのかは旅行中だったので確認できていません。少なくとも帰ってきた次の日は欠航していました。
<傘>
今回の旅行にずっと持ち歩いていた傘を最後の鹿児島中央駅でなくしてしまいました。どこでなくしたのかははっきりしません。気がついたのは、駅ホームでこれから乗る列車を撮影した直後です。その時に考えたのは、駅のトイレか最後によったスーパーのどちらかです。
少なくともスーパーでの買い物時には持っていた事ははっきりしています。買った物を袋に詰めるときに傘をいったん置いたのも覚えています。その後どうしたかははっきりしません。駅前を歩いているときに持っていたような気がしますが、本当に持っていたかといわれれば断定できるところまではいきません。その後駅のトイレに入ったときに傘の扱いについて何かしたかということもはっきりしません。ホームで写真を撮ろうとしたときに持っていた何かが邪魔になって置き場所を探した記憶もあります。それが一体何なのかははっきりしません。
今回の旅行の出発時に持っていく傘をどれにしようか考えました。普通の傘なら大きいので濡れにくくなる分、必要でないときには邪魔になります。なくす心配もでてきます。これに対して折りたたみの傘ならバッグに入りますので、なくす心配はありません。逆に小さいので、雨がひどくなると濡れやすくなります。出発時に雨が降っていたこともあって普通の傘を持っていく事にしました。
案の定、最初の新大阪駅のトイレで1回目の置き忘れをしてしまいました。その後、鹿児島中央駅構内トイレ、鹿児島港高速船待合のトイレ、西之表港レンタカー受付カウンター、・・・・、と数え切れないほど置き忘れをしています。その都度、すぐにないことに気がつき、取りに戻って回収しています。いつかはなくすのではと思っていたら、最後の最後で回収ができなくなってしまったということになります。
この傘は2015年に造幣局通り抜けに行った時に降りだした雨に対応するために、途中にあった店で買った物です。その後、旅行の時を初めとしていろいろな時にだいぶお世話になっています。最初に旅行で持っていったのは、高遠の桜見学です。この時に、舞ってきた桜の花びらがいっぱいくっつきました。落とそうとしても雨で濡れて落ちないのでそのままにしていたら、いくつかはへばりついて取れなくなりました。その後は、花びらがこの傘の目印となってしまいました。
次に持っていったのが、房総半島です。この時も旅行中は扱いに苦慮しましたが、千倉でもらった花を折れないようにするための支えとして使った(花と一緒に縛っただけですが)ことによって、邪魔という感じにはなりませんでした。
その後も何かの折に持ち歩いていました。骨が折れたので一度は廃棄になりかけていたのですが、アルミパイプで修理できるのではとやってみたら使えるようになって復活といういきさつもあります。いろいろと愛着も出てきていたのですが、なくなってしまったのは残念です。
<縄文遺跡>
前回の旅行記のまとめに、東北は縄文遺跡が多いと書きました。種子島でも、縄文遺跡がたくさんありました。それからすると気候とはあまり関係がないようです。九州に渡ってからはみませんでした。というよりはそちらの方には近寄っていません。霧島市の上野原遺跡には縄文時代の大集落がありました。関東でも縄文遺跡の分布から、過去の海水面の高さが推定されています。このようなことからすると全国的に縄文遺跡はあるのでしょう。
種子島の縄文遺跡からは、落とし穴が見つかっていて狩猟をしていた様子がうかがえます。墓もいくつか見つかっているのが特徴です。石を抱いて埋葬されているのが種子島式だそうです。東北の遺跡でも、石を上に載せていたとされるところもありますから、似たような文化が有ったような感じもします。
日本人のルーツは、全国にいた先住民と、あとから大陸から渡ってきて渡来人の2系統があるそうです。先住民系は九州と東北・北海道に多く、渡来人系は北九州・近畿に多いそうです。縄文遺跡の分布もこのような日本人のルーツと関係しているようにも思えてきます。
<小物入れ>
旅行中、カメラの電池切れで車まで電池を取りに戻るということがありました。いつもなら、撮影に使う小道具や交換用のSDカードとともに小袋に入れて持ち歩いています。小袋は交換レンズや双眼鏡、予備のデジタルカメラと一緒に小物入れに入っています。小物入れは、持ち歩きがしやすいようにウェストバッグを使っています。
普通のツアー旅行の時は、バスに座るとおなか側に回すことで、つけたまま座ることができます。飛行機の中では身につけているということで、そのまま持っていることができます(非常口の席では不可です)。どちらの場合も外さなくても旅行ができるという点で、比較的重宝しています。
これが車となると、ハンドルにあたって運転に支障が出ます。そのため乗り降りの度に外したりつけたりを繰り返すことになります。外すのは簡単なのですが、つけるのはちょっと面倒です。ジャケットの上から縛るわけにはいきませんから、ジャケットをめくりあげて取り付けないといけません。カメラのレンズとかが入っていますからかなりの重量があります。だいたいは足で支えて縛っています。おまけに今使っているバックは、バックルをちょっとでも斜めに入れようとしたものなら、留まってくれません。最初からやり直しになります。
こんな訳で、車で旅行しているときは時々置いたまま出歩くことになってしまいます。前回の東北旅行でも、撮影小道具や予備のSDカードが欲しいんだけどということがたびたび起こっています。このあたりは改善の余地がありそうです。最近考えているのは、車で回るときはショルダーバッグでいけるのではないかということです。次回の課題とします。
今のウエストバッグは2代目になります。中に小物を縛るバンドのようなものがついています。便利そうで、全く役に立ちません。入れて縛ろうとするものの大きさに合ったバンドがないし、あってもしばらくすると下の方からずり落ちて、バンドの意味がなくなっています。米軍仕様?(そういうものを扱っている店で買った)のものです。使い勝手が悪かったり、バックルの留まりが悪かったりするのもそのあたりに原因があるのかも知れません。
1代目は破れ始めているものの使用には耐えますが、最近は使っていません。復活を考えてもいいかもしれません。
<経費>
今回の旅行でかかった経費です(千円単位に四捨五入しています)。
乗車船券 41000
レンタカー 15000
ガソリン通行料 4000
交通費総計 60000円
宿泊費 10000円
飲食・土産 9000円
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総 計 78000円
今回は、宿泊費が素泊まりの料金になっていてその分安く、飲食費が逆に多めになっています。また経費の内、6万円がクレジットカード払いになりました。現金での支払いが少なかった旅行です。
車での走行距離は、種子島176km、鹿児島203kmです。
2018年05月11日
鉄砲とロケットの島 35 感想・余談など
posted by ヨッシン at 23:58| 旅行記