磨崖仏は、平安時代の終わり頃から作られ始めたようで、一番新しいのは明治時代のものになります。ここのものは、磨崖仏といっても仏像が彫られているのではなく、ほとんどが、仏塔になります。鎌倉期以前のものは線刻だけで書かれた非常に単純なものになっています。

室町期以後になってくると、立体的に浮かび上がるように彫られたものが出てくるようです。

ここで一番大きな五輪塔です。最も古いものでもあるそうです。右側の岩に彫られています。

三大宝篋印塔です。宝篋印塔というのは、もともとは宝篋印というお経を収めるために作られたものだったのが、次第になくなった人の供養のために立てられるようになっていったそうです。ここの塔は、間にある銘文から女性の四十九日供養に彫られたものとわかっています。

月輪大梵字です。一つの文字の大きさは人の背丈ほどあります。3文字見えますが、その右側にさらに2文字あったと推定されています。

崖は続いているのですが、川が崖から離れます。ここでおしまいかと思ったのですが、川に飛び石が敷いています。ここを渡って対岸に行きます。渡る途中に見えた岩の上で休んでいるアオサギです。

渡った先から見た磨崖仏群の全景です。対岸の解説板の並んでいるところから観察するようになっています。

対岸の土手から崖に近づくと仏像が彫られているのが見えます。明治時代に彫られた十一面観音です。今だったら、文化財破損といわれるかも知れません。

これ以上は通行止めで崖に近づくことはできません。磨崖仏群の観察はここまでです。
続く.........