門倉崎からは来た道を引き返すことになります。田代化石のあったところから降りてきた道と合流するところの少し先に、前之浜海浜公園に行く道が分岐しています。その道の正面にあるのがドラメルタン号漂着の碑です。碑にはドラムエルタン号と書かれていますが、ドラメルタン号というのが正しいようです。

駐車場はこの横にあります。ここに車を駐めて浜を見に行きます。すんなりと海岸に行けると思ったのですが、前方の砂丘を横切る道がありません。かなり迂回しないといけないようです。迂回しているときに写した砂丘です。

砂丘を越える道を見つけて、越えるときに写した門倉崎です。肝心の鉄砲鵜伝来の場所は先端の少し右側になります。

手前に見えていた鹿鳴川の河口付近です。沖合からかなりの量の砂が打ち寄せてくるためか、海に着く前に砂の中に川の水がしみこんで川幅が狭くなっています。

海岸に打ち寄せる波です。台風の影響か波は大きいようです。

浜から戻る途中に、展望台があります。ここから見た前之浜と門倉崎です。

前之浜の東半分から竹崎方面です。海岸に沿って砂丘ができているのがよくわかります。石碑は道路の左側に先にあります。

展望台から駐車場に戻る途中の草むらにいたベンケイガニです。逃げ場がないのでさかんに威嚇しようとしています。

駐車場から元の道に戻り東へ車を走らせます。広い道に沿っていきます。宝満の池と書かれた標識があったのでそちらに進んで行きます。展望所があって、少し広くなっています。ここの正面に崖があり地層が出ているので気になります。このあたりは厚い砂岩層のようです。葉理のような模様も見えます。

宝満の池です。展望所の割りには、樹木があって池はほとんど見えません。ここから飛び立つカモを網を投げて捕まえるという猟法をしていたようです。

さらに宿に向けて進みます。そのまま北上する道に入れば宿に行くような気がしたので赤米館の所を曲がったのですが、道は狭く違ったようです。道沿いにあった西南戦争出征戦没者招魂の杜と書かれている石碑がありました。時間も遅く写真だけ撮りました。後でよく見ると西南戦争です。太平洋戦争と勘違いしていました。この地から、どちらの軍に参加するためにでていったのでしょうか。

ここでいったん赤米館の駐車場入り口に車を駐めて宿の位置を確認します。もうすぐの所まできています。
続く...............