坂を登り切ったところで見えてきたのが、雑掌塚(殺生塚;170号墳)です。大きな円墳です。第3古墳群で見てきたようなものとは規模が全然違います。家型の埴輪が出土したとかが解説文に書かれています。

左側の谷の向こうに見えるこんもりとした山が男狭穂塚のようです。女狭穂塚はその右側に見えるはずですから、雑掌塚の向こうに見える高まりなのでしょうか。

さらに左側には、飯盛塚(169号墳)が見えるそうです。どれなのかはっきりしませんが、大きな木の向こうに、ちょっとした高まりが見えています。これでしょうか。これも円墳です。

飯盛塚の方に行くには少しアップダウンがあります。この感じでは近くで見られるようでもありません。ここで引き返すことにします。これで、西都原古墳群はほぼ一周できたようです。御陵墓前広場の交差点の対角がガイダンスセンターこのはな館になります。ここがゴールです。戻る途中で、すれ違った中学生に挨拶されました。こちらが自転車だったからでしょうか。
思ったより時間を使っています。この先の距離とかを考えると、椎葉村とか人吉までの道から大きく外れたところに寄っている時間はなさそうです。それでも途中に、杉安峡とか興味を引かれる地名の所はたくさんあります。
杉安峡は車を止められそうな所を見つけられませんでした。あっても木々の生い茂ったところで渓谷が見られるという場所ではなかったので、素通りでした。その後も、なかなかいいところがありません。やっと見つけた、渓谷です。このあたりの地名は瓢箪淵といいます。これがそうなのでしょうか。

さらに、30分ほど進むと河原に下りられるところがありました。そこの風景です。途中に大きなダムがありました。ダム湖は通り過ぎたところです。砂利がたまっているのは、ダムによって川の流れが緩やかになったためです。この感じではダム湖にはかなりの量の土砂が流れ込んでいるように見えます。

西米良村の役場付近を過ぎると道は枝谷に入ります。川はいっぺんに細くなります。対岸の山肌が近くに見えます。すこしいったところで、正面の山肌が大きく崩れているのが見えてきます。地震によって崩れ落ちたものでしょうか。検索サイトの航空写真で崖崩れのある場所を、車からの眺めの表示に切り替えると崖崩れ前の様子がわかります。それと見比べると、大きく崩れているのは杉を植林した場所のようです。

しばらく走ると、長いトンネルがあって峠を越えます。ここからが熊本県です。結構時間がかかりました。人吉まではまだしばらく走らないといけません。この感じでは、人吉での滞在時間は1時間程度になりそうです。人吉に寄るのは明日の朝に回します。途中で何か見所があれば、そこに寄って行くことにします。車を走らせながら思いだしたのは、錦町の道の駅を過ぎたあたりに釜の奥戸というものがあるらしいことです。正確な場所がわからないので、どこかで情報を入手する必要があります。道の駅に寄ってみることにします。
道の駅にはパンフレット類はありませんでした。知っている少ない情報を頼りにいくしかありません。わかっているのは国道より山側の鳩胸川という川沿いにあるということくらいです。このあたりには石野公園というのがあるみたいなので、これを目印にいくことにします。
道路を進んで行くと、石野公園東駐車場というのがありました。車を入れて周りのようすを見たのですが、案内図とかいったものは何もなく、ここからどういったらいいかわかりません。車を先に進めて、鳩胸川に近寄れるところがないか探すことにします。
道路はだんだん川から離れていきます。川を横切りそうな道があったので、そちらに入って、川を渡ってからみつけた国道側に行く道を戻っていきますが、ここでも川から離れる一方です。川に近寄れないまま国道に戻ってしまいました。
国道から駐車場のあった方に進んでいくと、右側に石野公園クラフトパークと書かれた場所に着きました。しっかりとした駐車場もあります。階段があってその上に売店のような建物が見えています。最悪そこで聞いてみようと歩いて行くと、階段の登り口に案内図があります。それを見ているとここからキャンプ場の方に行く途中に目的のものがあるようです。距離は500mくらいなので歩いて行くことにします。
川底に変わったものがないか注意しながら歩いていると、前方に岩が露出したところが見えてきました。距離的に考えても、ここが釜の奥戸のようです。

続く...............