2015年04月24日

南四国春の訪れ15 3月18日昼  八幡浜

 ガソリンが少なくなってきています。足摺岬で、道に迷ったり、山道を飛ばしたこともあるのかも知れません。思ったより減っています。家までは持ちそうなのですが、念のために入れておくことにします。前に書きましたが、伊野までは、ガソリンの価格がどこも一緒でした。ところが、須崎に入ってからはじわじわと上がっていました。このあたりでは、元と一緒かちょっと安いくらいの値段になっています。
 ガソリンを入れてから先の行き先ですが、そのまま国道をまっすぐ行かず、八幡浜を回っていくことにします。八幡浜で特に何かあるという情報はないので、どこかで仕入れないといけません。標識にはみなとオアシス「八幡浜みなっと」というものがでています。そこに寄って見ることにします。
 みなっとに着く頃には雨は本降りになってきました。道の駅を大きくしたような施設で、海産物を直売する施設や普通の道の駅のような施設、交流館もあります。昼食時刻なので、軽く食べられるものはないか探していると、揚げたてのじゃこカツがありました。やけど寸前の熱さでしたが、じゃこがからっとしていて、臭みもなく美味でした。サヨリのおすしも買いました。寿司飯の代わりにおからを使っていましたが、特有のぱさぱさ感もなく、これならいくらでも食べられそうでした。
 八幡浜は、明治から大正期に宇和海を航行する船の中継基地として発達した町で、当時の商家が残されているそうです。そこを見に行くことにします。
舟つなぎ石 町中の駐車場に車を動かし、そこから歩きます。すぐ横にも、明治初期の建物があります。改修中のようです。
 舟つなぎ石です。昔船をつないでいたんだそうです。家の壁沿いに何本か立っています。八幡浜神応邸ということはこの道より右側は海だったということなのかな?
 神応邸です。明治初期の建物だそうです。上半分は2方向に屋根がある(切妻作り)のに、下半分は4方向に屋根がある(寄棟造り)ですが、傾斜が緩くなっています。持ち送り4隅に鬼瓦が乗せられています。
 この付近の古い商家に目立つのは、屋根を支える構造物がものすごく立派なことです。「持ち送り」というのだそうですが、大きな一枚板に細かい彫刻が彫られています。写真は毛利邸のものです。八幡浜下司医院
 ちょっと時代は新しくなりますが、それでも昭和初期のもので下司医院です。特殊な左官技でできている、洋風建築だそうです。使われていないのか柵で囲われています。
 町の外れにある大法寺の石垣です。八幡浜大法寺石垣青石(緑色片岩)がきれいに積み上げられています。細長い石を、すき間ができないように、しかも斜めに互い違いになるようになっています。青石はこの付近では三波川変成帯で穫れる結晶片岩で、細長い柱形には加工しやすい石です。
八幡浜須崎八幡 須崎八幡です。八幡浜には、八幡神社もありますが、小さくてもこちらの方が本家だそうです。養老年間に地元の漁師が、八幡様のご神像を見つけ祀ったのが始まりとか。地番も八幡浜市1番で、町の中心です。
 他にも残されている商家や古い建物はいくつかありました。回った範囲はそれほど広くなかったのですが、雨が降っていて、鳴門で買った傘を差していても、結構ぬれました。
続く...
タグ:町並
posted by ヨッシン at 23:15| 旅行記