今日から10月です。総理が辞めて新しい総理が選ばれました。何をしてくれる人でしょうかきになります。デフレ脱却をいっているみたいですが、国民がデフレ願望なので無理にする必要はないような気がします。デフレの何が悪いのかよくわかりません。とりあえず、近々選挙になるようです。
米の価格が高騰しています。前渡し金をたくさん出したからとか。結局のところ高値で売れそうだから、儲けを先に渡しておくねということでしょうか。弱みにつけ込まれています。農家はこの価格でないとやっていけないそうです。以前でも外国米に比べて高い関税をかけて価格を維持しています。長年この制度を続けています。その間に国際競争力がついていてもよさそうなのですが。旧態依然というところなのでしょう。うちわでなぁなぁでやっているから売るための努力もしないで、少量の販売で儲けが出るようになっているのがこの夏の米不足の根本的な原因のような気がします。
価格は去年に今頃に比べて倍近くにまであがっています。5kg買うとして、1kgあたり700円です。でもよく考えてみたら、小麦だと200円くらいでスゲティが300円くらいで入手できます。ジャガイモ、サツマイモでも大きくて形の良いものとこだわらなければ2〜300円で手に入ります。1回あたりの使用量に換算しないといけませんが、米以外のものの方が断然安くなっています。これだと、米離れが進んでもおかしくない状態で、農家は自分の首を絞めることになりそうです。
月末になってちょっと価格が下がってきたようです。それでもまだまだ安くなったとはいえません。今買われているのは、夏に家庭の在庫が底をついて、それを取り戻すための需要も入っているのでしょう。単純に考えて来年の収穫までには1年分とこの需要の分の合計が買われることになります。今年の収穫分を今から増やすことはできませんから、1年分の供給量を1年+α分の消費があると考えれば、また来夏に米が底をつくのは目に見えています。それとも、米離れでこういった事態は避けられるのでしょうか。自衛手段として何がいいのか考えているところです。
月末に、メールを見ようとしたらトラブルシューティングモードで立ち上がっていました。これから抜けだすのに一苦労しました。特段何かがあったということはありません。いつもと雰囲気が違うので元に戻すのに一苦労です。その後メールで届いていたリンク先にアクセスしようとしたら、インターネットブラウザーも設定が初期化されています。プロファイルは残っていたのでお気に入りとかは大丈夫だったのですが、アドオンとか設定のやり直しとかが手間で両方あわせて1日つぶれてしまいました。今でも時々ここが変わっているというのが見つかることがあります。ブラウザーは最新版に変わっていたようです。インストールにはアドミニ権限が必要なはずなのですが。どうなっていたのでしょう。
そろそろハードディスクが満杯になってきたので、買い換えないとという状態になっています。この事件を考えると他にもインストールしているソフトはいっぱいあります。入れるものを考えたりとかその設定をどうするかとか考えると気が重くなります。何日かかるのやら。
2024年10月02日
花便り 10月号
今月もキキョウががんばってくれています。
9月は、一つ枯れては一つ咲いてと寂しい状態でした。いっぱい(というほどでもないが)咲いているように見えるように完全に色落ちするまではそのままにしていました。大きくなったつぼみが目立ってきましたから、まだまだこれから咲いてくれそうです。
花のついているようすを見ると、奥の白い花は根元付近から新しい芽が伸びてきてそこにつぼみがついています。手前側の紫色の花は1本だけ先っぽの方で新しく伸びてきた枝先に花をつけていました。6月に咲いた時に花のつけ根でカットしていましたがこの1本だけ一段下の葉のでているところもカットしていました。カットした枝の先端にある葉の腋から新芽が伸びてきてそこに花がついたようです。
枝先をカットすればそこから新芽が伸びてきてつぼみをつけるのではということで先月中旬くらいに花のついていない枝を半分くらいにカットしてみました。下旬ころから新芽が伸びて来始めてつぼみができ始めているところも見られる様になってきました。白い花の向こう側とか濃い紫の花の下側とかにそのようすが見えます。
6月に一度花が咲いてはながなくなったころに、半分くらいに切り詰めておくと秋になっていっぱい花が咲くようです。ネットなどでは触れられていませんが、一つだけ見た一番花が終わったら3分の1くらいに切り詰めると書かれていたのはこのことだったようです。
他の花です。キバナコスモスが咲き始めました。これも6月ころに一度咲いて枯れてしまいました。その時にできた種を来年用に残していたのですが、ある場所で8月の終わりに蒔いたので今年は花が遅いかもとかかれていたのを見て、9月の始めに半分だけ蒔いてみました。それが今咲き始めました。
アメシストセージです。枝が好き勝手に伸びてまばらに穂ができています。これから穂がたくさん出てくれるのでしょうか。昨年にこれ以外に2種類買っています。ライムライトとサリーファンです。そのうちの1本は枯れてしまいました。残ったのどちらなのかわかっていません。花がつけば判明するでしょう。といっても少し元気がありません。残っているのは買ったものを持ち帰るときに折れた枝を挿しておいたものです。
月下美人が咲いたと書きましたがよく見るとつぼみが大きくなりはじめています。中旬くらいにはまた咲きそうです。今のところ少し大きくなりはじめたものを3つ確認しています。
夏の間よく咲いていた千日紅が白くなりはじめました。白くなったところを保存して置いて来年用の種を取ることにします。一つ一つを鞘から抜き出すのはたいへんなのですがこうしないと芽がでてくるのが遅くなりそうです。何かいい方法はないでしょうか。
そろそろストックとキンギョソウの種をまいて見ようと思っています。ニチニチソウは芽が出てきませんでした。カモミールはいくつかでてきたのですが全て枯れてしまいました。今のところそれらしいものは一つだけあります。これまでにそうかなと思って見たものは全てトウバナでした。

9月は、一つ枯れては一つ咲いてと寂しい状態でした。いっぱい(というほどでもないが)咲いているように見えるように完全に色落ちするまではそのままにしていました。大きくなったつぼみが目立ってきましたから、まだまだこれから咲いてくれそうです。
花のついているようすを見ると、奥の白い花は根元付近から新しい芽が伸びてきてそこにつぼみがついています。手前側の紫色の花は1本だけ先っぽの方で新しく伸びてきた枝先に花をつけていました。6月に咲いた時に花のつけ根でカットしていましたがこの1本だけ一段下の葉のでているところもカットしていました。カットした枝の先端にある葉の腋から新芽が伸びてきてそこに花がついたようです。
枝先をカットすればそこから新芽が伸びてきてつぼみをつけるのではということで先月中旬くらいに花のついていない枝を半分くらいにカットしてみました。下旬ころから新芽が伸びて来始めてつぼみができ始めているところも見られる様になってきました。白い花の向こう側とか濃い紫の花の下側とかにそのようすが見えます。
6月に一度花が咲いてはながなくなったころに、半分くらいに切り詰めておくと秋になっていっぱい花が咲くようです。ネットなどでは触れられていませんが、一つだけ見た一番花が終わったら3分の1くらいに切り詰めると書かれていたのはこのことだったようです。
他の花です。キバナコスモスが咲き始めました。これも6月ころに一度咲いて枯れてしまいました。その時にできた種を来年用に残していたのですが、ある場所で8月の終わりに蒔いたので今年は花が遅いかもとかかれていたのを見て、9月の始めに半分だけ蒔いてみました。それが今咲き始めました。

アメシストセージです。枝が好き勝手に伸びてまばらに穂ができています。これから穂がたくさん出てくれるのでしょうか。昨年にこれ以外に2種類買っています。ライムライトとサリーファンです。そのうちの1本は枯れてしまいました。残ったのどちらなのかわかっていません。花がつけば判明するでしょう。といっても少し元気がありません。残っているのは買ったものを持ち帰るときに折れた枝を挿しておいたものです。

月下美人が咲いたと書きましたがよく見るとつぼみが大きくなりはじめています。中旬くらいにはまた咲きそうです。今のところ少し大きくなりはじめたものを3つ確認しています。

夏の間よく咲いていた千日紅が白くなりはじめました。白くなったところを保存して置いて来年用の種を取ることにします。一つ一つを鞘から抜き出すのはたいへんなのですがこうしないと芽がでてくるのが遅くなりそうです。何かいい方法はないでしょうか。

そろそろストックとキンギョソウの種をまいて見ようと思っています。ニチニチソウは芽が出てきませんでした。カモミールはいくつかでてきたのですが全て枯れてしまいました。今のところそれらしいものは一つだけあります。これまでにそうかなと思って見たものは全てトウバナでした。
posted by ヨッシン at 00:00| 日記
2024年10月03日
第3四半期の一般記事一覧
7〜9月の第3四半期が終わりましたので、この間の一般記事の一覧を載せます。記事の数が多いので、内容を確認しやくすくするために整理したものです。旅行記については4ヶ月ごとのまとめを別途掲載します。今回は入院で2日間お休みをしました。2日目は退院後自宅で安静ということだったので、念のためのお休みです。いつもは寝る前にアップしていますから、この分だけ就寝が早くなっただけでしょう。他にいろいろと雑用はしています。
記事の一覧です。索引が1点で残りは日記と星の記事ばかりです。
記事の一覧です。索引が1点で残りは日記と星の記事ばかりです。
posted by ヨッシン at 00:00| 索引
2024年10月04日
星の記録 10月4日号 30日太陽・人工衛星
星の記録報告再開します。
30日太陽です。ちょっと大きめの黒点がたくさんありますが、一時期に比べておとなしくなっているようです。
国際宇宙ステーションです。北斗星の下を通っています
東側の続きです。画面からはみ出したところで地球の影に入りました。初めの位置をもう少し右に振っていれば入ったかも。
中国宇宙ステーションもみえました。アークツルスの近くを通っています。かんむり座も確認できました。Cの並びだけがみえますのでT星はまだ増光していないようです。
続きを写そうとしたのですが高度があがりすぎだったので、途中でカメラの向きを変えています。変えてから後の分です。構図とか一切考えていません。
2回目の国際宇宙ステーションです。時刻が遅くだったので、昇ったらすぐに地球の影に入りました。
30日太陽です。ちょっと大きめの黒点がたくさんありますが、一時期に比べておとなしくなっているようです。






posted by ヨッシン at 00:00| 星
2024年10月06日
星の記録 10月6日号 1日 彗星などいろいろ
星の記録報告の続きです。今日は1日の分のみの報告になります。
朝5時に目が醒めました。晴れていれば紫金山アトラス彗星が見えるかも知れないというので探してみました。見えそうな位置をねらって写真を撮ると左端に写っていました。135mmです。ちょっと淡いのでアンシャープマスク処理をしています。
双眼鏡で探したところ飛行機雲のようなものがみえました。彗星らしくないので違うと思っていましたが、写真と比べるとほぼ同じ位置でした。写真では雲の中から出てくるようすが写っています。頭がまだ雲の中だったのかも知れません。
地上風景といっしょです。中央上です。
横に月がでていました。これはいつの報告にすればいいのか。普段は24時をまわっても前の日の報告にしています。一度寝ているので1日でいいか。でも徹夜していればどうなるのだろう。まもなく新月です。月齢は27.8です。
彗星と同じ縮尺での月です。杯型をしています。
午後の太陽です。黒点がしっかりいてきています。
国際宇宙ステーションです。急角度で昇っています。
この続きです。同じ雲に入るまでの同じ瞬間
が写っています。雲の間にわずかに見えたときもあります。
中国宇宙ステーションは低空の雲の多いところだったので写りませんでした。雲のすきまに雲からでて2点ほどあるのがCSSなのかも知れません。ここからは判定できません。アンシャープマスク処理をしています。
朝5時に目が醒めました。晴れていれば紫金山アトラス彗星が見えるかも知れないというので探してみました。見えそうな位置をねらって写真を撮ると左端に写っていました。135mmです。ちょっと淡いのでアンシャープマスク処理をしています。

地上風景といっしょです。中央上です。







posted by ヨッシン at 00:00| 星
2024年10月07日
星の記録 10月7日号 2〜5日 いろいろ
星の記録の続きです。
2日も朝早くに目が醒めました。紫金山アトラス彗星が見えないかチェックします。昨日より薄雲が多いようです。双眼鏡で昨日みえたあたりを中心に探しましたがわかりませんでした。カメラはズーム300mmでいそうなところを位置をずらしながら探しましたがモニタでは確認できませんでした。杏sy−婦マスク処理をするとなんとかわかるものが4枚ほどありました。未処理ではあるのかなといったところです。
昼過ぎの太陽です。南半球の並んだ黒点群の内最後のものがはっきりしてきています。東側からも新しい黒点が出現しています。
夕方から雲が広がってきたので、夜の観測はできていません。
その後天気が悪く次にみえたのは5日になります。この間3日21時ころに最近では最大のフレアがあったようです。CMEも発生しています。これによる太陽風は5日の23時ころに到着するという予報が出ていました。オーロラ発生の可能性があります。どうするかを考える必要があります。夜になってから考えればいいでしょう。とりあえずは昼間の観測です。太陽です。フレアを起こした黒点はだいぶ中心からずれています。東側から出現した黒点はかなりしっかりしています。
日没後に月がでていました。沈む直前に雲から抜けたのでなんとかみえています。かなり気流が乱れていて像は揺らいでいます。三日月です。月齢は2.6です。
オーロラ問題です。この間に予報時刻は2時間ほど遅くなっています。でるかどうかはわかりませんができるだけ挑戦したいものです。白内障手術で左右の視力バランスが悪くなっているので遠出は避けたいものです。天気予報の時系列分布で見るとずっと西播磨地域と播但地域が晴れの予報になっています。東条の道の駅あたりならなんとか許容範囲かとみていました。他に能勢地域もぽっかり晴れ色になっています。山越えをして町界付近まで行けばかなり空は暗くなります。ヘール・ボップ彗星をみた所があります。無理は避けたいので近いこちらにする事にしました。山道で30分ちょっとになります。前回とは周りの様子が違っていました。一番雲がなかった方角です。デネブとベガがみえていました。雲はいい目ですが、さすがにここまで来ると星は格段に増えます。
まきたほうこうです。完全に雲の中です。それよりも高圧線鉄塔群が異様に赤く光っています。その光で空も赤く光っています。これだとオーロラがでていても判別できないでしょう。
しばらくようすを見ていたのですがよくならないので帰ることにしました。自宅に戻ってからの北の空です。建物の間からわずかに低い所が見えます。ほぼ同じ条件(にしたつもり)で写したものです。全然明るさが違います。
目が慣れていないのか、山道をちょっと走っただけで車酔い症状がでています。長時間の運転は考えものです。この時間帯はいつもならブログを新規投稿しおわってお休みなさいに入っている時間帯です。そのこともあって5日のブロ投稿はお休みさせていただきました。
2日も朝早くに目が醒めました。紫金山アトラス彗星が見えないかチェックします。昨日より薄雲が多いようです。双眼鏡で昨日みえたあたりを中心に探しましたがわかりませんでした。カメラはズーム300mmでいそうなところを位置をずらしながら探しましたがモニタでは確認できませんでした。杏sy−婦マスク処理をするとなんとかわかるものが4枚ほどありました。未処理ではあるのかなといったところです。


その後天気が悪く次にみえたのは5日になります。この間3日21時ころに最近では最大のフレアがあったようです。CMEも発生しています。これによる太陽風は5日の23時ころに到着するという予報が出ていました。オーロラ発生の可能性があります。どうするかを考える必要があります。夜になってから考えればいいでしょう。とりあえずは昼間の観測です。太陽です。フレアを起こした黒点はだいぶ中心からずれています。東側から出現した黒点はかなりしっかりしています。





posted by ヨッシン at 00:00| 星
2024年10月08日
2024年日帰旅 095(07/20 若狭) 小浜市 蘇洞門遊覧 大門・小門
パンフによると、蘇洞門(そとも)という名前は小浜湾の東側にある内外海半島の外洋に面しているということから「外面」あるいは内外海半島の主峰久須夜ヶ岳の向こう側を意味する「背面」から来ているのだそうです。
船は内外海半島の先まで来ているようです。前方に、これから行く予定の三方五湖を囲っている梅丈ヶ岳と常神半島がみえています。
夫婦亀岩だそうです。親亀の上に子亀を乗せてではないようです。
白糸の滝です。岩壁から海に落下する滝というのは知床でたくさん見ました。
右側にも小さな滝が見えています。
海食洞門がみえてきました。海食洞が反対側まで突き抜けたものをいいます。名前を大門小門といいます。蘇洞門の写真には必ずこの洞門がでてきますから、これが蘇洞門だと思っていました。
滝が見えるというのですがどこかわかりません。必死になって探した結果、洞門越しにあるのがみえました。一番よく見えるときは前にたっていた人の頭と被っています。
これが大門小門というのは、右側に高さが半分弱の小さな洞門があるからでしょう。当然右側が小門となります。
大門小門から先にも海食洞のようなものがみえています。船はそれがみえる方に向かっていそうです。
船は内外海半島の先まで来ているようです。前方に、これから行く予定の三方五湖を囲っている梅丈ヶ岳と常神半島がみえています。

夫婦亀岩だそうです。親亀の上に子亀を乗せてではないようです。

白糸の滝です。岩壁から海に落下する滝というのは知床でたくさん見ました。

右側にも小さな滝が見えています。

海食洞門がみえてきました。海食洞が反対側まで突き抜けたものをいいます。名前を大門小門といいます。蘇洞門の写真には必ずこの洞門がでてきますから、これが蘇洞門だと思っていました。

滝が見えるというのですがどこかわかりません。必死になって探した結果、洞門越しにあるのがみえました。一番よく見えるときは前にたっていた人の頭と被っています。

これが大門小門というのは、右側に高さが半分弱の小さな洞門があるからでしょう。当然右側が小門となります。
大門小門から先にも海食洞のようなものがみえています。船はそれがみえる方に向かっていそうです。

posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記
2024年10月09日
2024年日帰旅 096(07/20 若狭) 小浜市 蘇洞門遊覧 帰路
蘇洞門遊覧は以前に来たことがあります。その時は外海が荒れているとかで内湾だけの遊覧だったように覚えています。今回出発前に、その時に写したと思われる写真を見直していたら、遊覧最後の写真は大門小門のような場所でした。ここまで来たことがあるようです。記憶とは少し違いますが、ここが内湾だとするとこの先にもいくつか見所があるようですから、そう少し先までいきそうです。
船はまだ先にある海食洞の方に向かっているようでしたが、すぐに海岸から離れていきます。蘇洞門遊覧はここまでのようです。記憶と話が合いませんがどうなっているのでしょう。
船は小浜港の方に引き返していきます。白糸の滝がみえてきました。
小浜湾に設置されている定置網の横を通ります。前方には原発がみえています。
山の斜面にがけ崩れの跡が見られます。
原発のある大島半島です。鋸崎灯台がみえています。
二つ島、三ツ島の横を通ります。このあたりからが蘇洞門遊覧の見学地となっていました。
双子島です。小浜港の入口にあります。
小浜港まで戻ってきました。係留している船がみえます。それより向こう側の空が真っ暗になっている事が気になります。だんだん近づいているようです。この先大雨にならなければいいのですが。天気予報では昼頃に崩れるかもとなっていました。傘は持ってきています。
乗っていた船です。のちせ号 かな。
船長さんの話では、午前中は波が穏やかだったので、大門小門向こう側にある吹雪の滝海岸に上陸できたそうです。この便では無理でした。高速道路で、間違えずに舞鶴道に入っていれば、午前中の便に間に合っていたのではという話もあります。乗れたかどうかは微妙だったようです。
船はまだ先にある海食洞の方に向かっているようでしたが、すぐに海岸から離れていきます。蘇洞門遊覧はここまでのようです。記憶と話が合いませんがどうなっているのでしょう。

船は小浜港の方に引き返していきます。白糸の滝がみえてきました。

小浜湾に設置されている定置網の横を通ります。前方には原発がみえています。

山の斜面にがけ崩れの跡が見られます。

原発のある大島半島です。鋸崎灯台がみえています。

二つ島、三ツ島の横を通ります。このあたりからが蘇洞門遊覧の見学地となっていました。

双子島です。小浜港の入口にあります。

小浜港まで戻ってきました。係留している船がみえます。それより向こう側の空が真っ暗になっている事が気になります。だんだん近づいているようです。この先大雨にならなければいいのですが。天気予報では昼頃に崩れるかもとなっていました。傘は持ってきています。

乗っていた船です。のちせ号 かな。

船長さんの話では、午前中は波が穏やかだったので、大門小門向こう側にある吹雪の滝海岸に上陸できたそうです。この便では無理でした。高速道路で、間違えずに舞鶴道に入っていれば、午前中の便に間に合っていたのではという話もあります。乗れたかどうかは微妙だったようです。
posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記
2024年10月10日
2024年日帰旅 097(07/20 若狭) 若狭町年縞博物館
小浜港遊覧船乗り場の前にあるお魚センターに寄ることにします。新鮮なお魚とか焼きサバとか魅力的なものはあります。船乗り場の駐車場に着いた頃から雨が降り出しました。道路向かいの建物までは何とかなるだろうと思っていましたが、着くまでの間に相当ひどくなってきました。中に入ってもお店は店じまいをしているところで、何も入手できませんでした。前回は雨ではありませんでしたが、こんな風景を見たような気がします。デジャブなのでしょうか。今日は二回目です。
店が閉まって薄暗く殺風景になってきました。このままいてもということで次にいくことにしました。車はこちら側に回送されています。次の目的地は、三方五湖です。海沿いの道と山の中を走る国道、高速道路の3経路あります。海岸沿いを目指したのですが、いつの間にか道の駅に戻っていました。ICから高速道路に入れますが、この雨では危険です。そのまま前の道を真っ直ぐ進んで行きます。
雨はますますひどくなってきます、前がみえない状態が続きます。どこかで避難をと考えていたところ、国道との合流点で大きなショッピングセンターがありました。ここで雨宿りです。中を覗きがてら買い物をしていると、雨は小降りになってきました。出発することにします。
そのまま国道に出て三方五湖を目指して進んで行きます。途中で左へ分岐します。案内板が交差点にありますが、まだ先にいろいろな案内が続いています。この案内板は次の交差点を示しているものだろうということでここは無視します。案内が少し手前に出ていてそのとおりままがったら変なところにいったということはよくあります。
高速道路SICの先に道の駅があります。そちらを目指します。付近には、縄文博物館や年縞博物館があります。年縞は一度見ておきたいものの一つでした。
年縞博物館と書かれている方角を目指します。横に縄文博物館が見えていますが、こちらは後回しです。
年縞博物館の入口です。細長い廊下のような建物の下にあります。
展示されている年縞です。1年の間でも湖底にたまる堆積物が変化するのでこのような縞模様ができます。1年で0.7mm成長し70万年間分の縞があるそうです。これだけで50mになります。廊下のような建物が実ようなはずです。
60倍のルーペを持っていたので拡大して見ましたが、詳細はわかりませんでした。というか、手前のガラスと封入材でピントのあう距離を超えていました。封入材にできた泡しかみえません。
3ヵ所で採取した土柱を並べて比較しているようです。所々に縞の乱れがみえます。地すべりとか地震で動いたのでしょう。
火山灰が挟まれています。これはアカホヤ火山灰です。鹿児島県鬼界が島から飛んできました。
外にみえる風景を説明してくれました。木の向こうにはす(漢字では「魚時」)川が右から左に流れていて、この先で三方湖に流れ込みます。洪水などで流されてきた土砂は三方湖に堆積するので、その向こうにある水月湖では水質が安定していたということです。そのために、毎年決まったパターンでプランクトンなどがたまってきれいな年縞ができたそうです。海側からの変化は久々子湖から菅湖を経由するのであまり影響を受けていないそうです。
時々縞の乱れがあるのは、正面の丘とその右側に見える山との間に断層があり、向こう側の山が持ち上がるときに地震が発生しっときに縞が乱れたのだそうです。
世界各地でみられる年縞も展示されています。氷縞粘土も見たかったのですがどれかわかりませんでした。氷河湖の年縞がそれだったのかな。
店が閉まって薄暗く殺風景になってきました。このままいてもということで次にいくことにしました。車はこちら側に回送されています。次の目的地は、三方五湖です。海沿いの道と山の中を走る国道、高速道路の3経路あります。海岸沿いを目指したのですが、いつの間にか道の駅に戻っていました。ICから高速道路に入れますが、この雨では危険です。そのまま前の道を真っ直ぐ進んで行きます。
雨はますますひどくなってきます、前がみえない状態が続きます。どこかで避難をと考えていたところ、国道との合流点で大きなショッピングセンターがありました。ここで雨宿りです。中を覗きがてら買い物をしていると、雨は小降りになってきました。出発することにします。
そのまま国道に出て三方五湖を目指して進んで行きます。途中で左へ分岐します。案内板が交差点にありますが、まだ先にいろいろな案内が続いています。この案内板は次の交差点を示しているものだろうということでここは無視します。案内が少し手前に出ていてそのとおりままがったら変なところにいったということはよくあります。
高速道路SICの先に道の駅があります。そちらを目指します。付近には、縄文博物館や年縞博物館があります。年縞は一度見ておきたいものの一つでした。
年縞博物館と書かれている方角を目指します。横に縄文博物館が見えていますが、こちらは後回しです。

年縞博物館の入口です。細長い廊下のような建物の下にあります。

展示されている年縞です。1年の間でも湖底にたまる堆積物が変化するのでこのような縞模様ができます。1年で0.7mm成長し70万年間分の縞があるそうです。これだけで50mになります。廊下のような建物が実ようなはずです。

60倍のルーペを持っていたので拡大して見ましたが、詳細はわかりませんでした。というか、手前のガラスと封入材でピントのあう距離を超えていました。封入材にできた泡しかみえません。
3ヵ所で採取した土柱を並べて比較しているようです。所々に縞の乱れがみえます。地すべりとか地震で動いたのでしょう。

火山灰が挟まれています。これはアカホヤ火山灰です。鹿児島県鬼界が島から飛んできました。

外にみえる風景を説明してくれました。木の向こうにはす(漢字では「魚時」)川が右から左に流れていて、この先で三方湖に流れ込みます。洪水などで流されてきた土砂は三方湖に堆積するので、その向こうにある水月湖では水質が安定していたということです。そのために、毎年決まったパターンでプランクトンなどがたまってきれいな年縞ができたそうです。海側からの変化は久々子湖から菅湖を経由するのであまり影響を受けていないそうです。
時々縞の乱れがあるのは、正面の丘とその右側に見える山との間に断層があり、向こう側の山が持ち上がるときに地震が発生しっときに縞が乱れたのだそうです。

世界各地でみられる年縞も展示されています。氷縞粘土も見たかったのですがどれかわかりませんでした。氷河湖の年縞がそれだったのかな。

posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記
2024年10月11日
2024年日帰旅 098(07/20 若狭) 若狭町縄文ロマンパーク
年縞博物館から縄文博物館に行く前に、説明のあったはす川を見に行くことにします。横に柱が見えています。縄文遺跡では柱を並べて建てたというものが見つかっています。それなのかと見に行きました。みたところ単に広場の回りを取り囲むように建てていただけです。紛らわしいものは、避けて欲しいものです。近くには縄文時代の鳥浜貝塚があることもあって、付近一帯を縄文博物館を中心に縄文ロマンパークとして整備しているようです。それならなおさらです・
広場の真ん中にモニュメントというのがおかれています。奇妙な形をしていますので見に行きませんでした。写真を見直してみると横の細長い台のようなものは地層の模型のようにも見えます。
縄文博物館は、鳥浜貝塚出土物を中心に、全国の縄文時代のようすを説明しているようでした。丸木舟や土器類が出土しているようです。土器については時代ごとの細かい違いはわかりませんのでパスです。館内撮影ご遠慮くださいなので写真はありません。
駐車場に戻ろうとしたら、たて穴住居180mと書かれた案内がありました。いってみました。復元されたたて穴住居が3棟ありました。社会科で習ったのは、縄文時代は横穴住居で、弥生時代がたて穴住居でした。
たて穴住居の内部は……どうなっているかわかりませんね。
並んでいるようすです。よく考えたら、住居は地形的に高い所にあるのがふつうです。としたらこれも何か変です。
次に道の駅に行きました。ここもロマンパークの一部です。どちらかというと横の水鳥観察棟を覗いています。フィールドスコープがたくさんありましたが、肝心な野鳥がいません。そういえば、たて穴住居の横にも野鳥観察塔があると案内図に書かれていました。カメラを持ち歩いていなかったので写真はありません。
道を進んでレインボーラインに向かいます。途中駐車場があったのでよっています。瀬戸駐車場と書かれています。ここから右側にみえる湖が三方湖になります。
左側が水月湖です。釣をしている人がいます。
正面の瀬戸です。波は穏やかです。

広場の真ん中にモニュメントというのがおかれています。奇妙な形をしていますので見に行きませんでした。写真を見直してみると横の細長い台のようなものは地層の模型のようにも見えます。

縄文博物館は、鳥浜貝塚出土物を中心に、全国の縄文時代のようすを説明しているようでした。丸木舟や土器類が出土しているようです。土器については時代ごとの細かい違いはわかりませんのでパスです。館内撮影ご遠慮くださいなので写真はありません。
駐車場に戻ろうとしたら、たて穴住居180mと書かれた案内がありました。いってみました。復元されたたて穴住居が3棟ありました。社会科で習ったのは、縄文時代は横穴住居で、弥生時代がたて穴住居でした。

たて穴住居の内部は……どうなっているかわかりませんね。

並んでいるようすです。よく考えたら、住居は地形的に高い所にあるのがふつうです。としたらこれも何か変です。

次に道の駅に行きました。ここもロマンパークの一部です。どちらかというと横の水鳥観察棟を覗いています。フィールドスコープがたくさんありましたが、肝心な野鳥がいません。そういえば、たて穴住居の横にも野鳥観察塔があると案内図に書かれていました。カメラを持ち歩いていなかったので写真はありません。
道を進んでレインボーラインに向かいます。途中駐車場があったのでよっています。瀬戸駐車場と書かれています。ここから右側にみえる湖が三方湖になります。

左側が水月湖です。釣をしている人がいます。

正面の瀬戸です。波は穏やかです。

posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記
2024年10月12日
2024年日帰旅 099(07/20 若狭) 三方五湖梅丈岳展望公園1
瀬戸駐車場から水月湖に沿って進んで行くとウナギ料理の店があったので入りました。たれがあっさりしていて、くどくなくて美味でした。ふつうの蒲焼きとはひと味違っていました。店に書かれていた情報では、三方五湖のウナギは口細青ウナギといって、独特の形をしているそうです。
食事が終わってさらに進んで行くとレインボーラインへの分岐にさしかかります。そちらに車を進めます。前回きたときは有料だったと記憶しています。持ってきていたパンフにも海山ゲート日向ゲートとしっかり書かれています。そのちょうど真ん中に山頂公園があります。
無料化したとおもっていましたが、山頂公園駐車場への分岐から先にゲートがありました。道路は無料にしないといけないのですが、駐車場についてはそういう決まりはありませんね。駐車料金として支払いますが、一つ困ったことがあります。山頂に上がるリフトはあと10分ほどで営業終了です。あまり時間はないけど強引にいくことにしました。
リフト乗り場について大事なことを忘れているのに気がつきました。リフトの所要時間です。その分山頂にいる時間は短くなります。チケットを購入する間も時計は進行しています。
何とかあがって、急いでぐるっと回ります。正面南側にみえる水月湖と向こう側三方湖です。水月湖の左側入り江のようになっている所が菅湖です。
西側に見える海です。世久見湾と見える島は烏辺島です。
北西側です。陸地が細長く伸びています。常神半島といいます。
木の枝先でほおじろがさえずっていました。
一番奧にある展望台に行ってみました。近くにはかわらけ投げとかができるようになっていました。この展望台からの景色です。一番遠くにみえるが内外海半島で高い山は久須夜ヶ岳になります。蘇洞門遊覧はこの半島の右側を見ていたことになります。
近くでリョウブの花が咲いていました。
食事が終わってさらに進んで行くとレインボーラインへの分岐にさしかかります。そちらに車を進めます。前回きたときは有料だったと記憶しています。持ってきていたパンフにも海山ゲート日向ゲートとしっかり書かれています。そのちょうど真ん中に山頂公園があります。
無料化したとおもっていましたが、山頂公園駐車場への分岐から先にゲートがありました。道路は無料にしないといけないのですが、駐車場についてはそういう決まりはありませんね。駐車料金として支払いますが、一つ困ったことがあります。山頂に上がるリフトはあと10分ほどで営業終了です。あまり時間はないけど強引にいくことにしました。
リフト乗り場について大事なことを忘れているのに気がつきました。リフトの所要時間です。その分山頂にいる時間は短くなります。チケットを購入する間も時計は進行しています。
何とかあがって、急いでぐるっと回ります。正面南側にみえる水月湖と向こう側三方湖です。水月湖の左側入り江のようになっている所が菅湖です。

西側に見える海です。世久見湾と見える島は烏辺島です。

北西側です。陸地が細長く伸びています。常神半島といいます。

木の枝先でほおじろがさえずっていました。

一番奧にある展望台に行ってみました。近くにはかわらけ投げとかができるようになっていました。この展望台からの景色です。一番遠くにみえるが内外海半島で高い山は久須夜ヶ岳になります。蘇洞門遊覧はこの半島の右側を見ていたことになります。

近くでリョウブの花が咲いていました。

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2024年10月13日
2024年日帰旅 100(07/20 若狭) 三方五湖梅丈ヶ岳展望公園2
蘇洞門遊覧で、いっているはずのない大門小門の写真があると書きました。よく考えてみると、その続きは小浜西組の伝統的建物保存地区です。その後、梅丈ヶ岳に来ているはずなのですが、次の写真は今庄の宿場町になっています。これだとここには来ていないことになります。でも来ているのは間違いありません。霰が降り出したのを覚えています。その写真はウェブページに使っています。こちらです
不思議なことはたくさんあります。今庄に抜けているということは、越前海岸を走っていないことになります。たしかに神楽城断層や呼鳥門の写真もありません。でも帰りにはここを通って黄道光の写真を写しています。これは暗くなってからになります。
さらに続きます。今庄の次は三国海岸の丸岡藩砲台場跡になっています。三国に行っているのなら、越前松島の材木岩や雄島の写真があってもいいのですがみあたりません。三国の町もあるいた記憶があります。行っている場所と写している写真とが合いません。どうなっているのでしょう。この問題は一旦保留としておきます。
展望台の下からの景色です。左が水月湖(手前)と三方湖、右が若狭湾の世久見湾と烏辺島です。一番手前に見える崖崩れ跡が気になります。
山頂公園の反対側に行ってみることにします。茶室横の広場から北側の若狭湾がみえます。右側には遠くに敦賀半島とさらに向こうに越前海岸の山が見えています。
途中にメダカ村というのがありました。水が張ってあるところがあります。そこにいたのはメダカではなくオタマジャクシでした。
五湖あるようですが、まだ三つしかみえていません。東端にある足湯は閉店終了状態でしたが、入口近くからでも東側の湖らしきものが何となくみえます。左手前の山の手前側に日向湖、右側に久々子湖らしきものがみえます。
近くにガマズミのようなならびで実をつけた木があります。赤くなっていないのでガマズミの仲間ではないでしょう。葉の形も全く違います。調べてみたのですが結局何かわかりませんでした。
リフト終了時刻が迫っています。山頂から降りることにします。乗って一番最初にほとんど垂直に降下します。悲鳴が聞こえていたのはこのせいだったのですね。
リフトから日向湖(左手前)と久々子湖(左奧)、右側に水月湖がみえていました。水月湖の奧の湾状のところが菅湖になります。三方湖だけがみえていません。
不思議なことはたくさんあります。今庄に抜けているということは、越前海岸を走っていないことになります。たしかに神楽城断層や呼鳥門の写真もありません。でも帰りにはここを通って黄道光の写真を写しています。これは暗くなってからになります。
さらに続きます。今庄の次は三国海岸の丸岡藩砲台場跡になっています。三国に行っているのなら、越前松島の材木岩や雄島の写真があってもいいのですがみあたりません。三国の町もあるいた記憶があります。行っている場所と写している写真とが合いません。どうなっているのでしょう。この問題は一旦保留としておきます。
展望台の下からの景色です。左が水月湖(手前)と三方湖、右が若狭湾の世久見湾と烏辺島です。一番手前に見える崖崩れ跡が気になります。

山頂公園の反対側に行ってみることにします。茶室横の広場から北側の若狭湾がみえます。右側には遠くに敦賀半島とさらに向こうに越前海岸の山が見えています。

途中にメダカ村というのがありました。水が張ってあるところがあります。そこにいたのはメダカではなくオタマジャクシでした。

五湖あるようですが、まだ三つしかみえていません。東端にある足湯は閉店終了状態でしたが、入口近くからでも東側の湖らしきものが何となくみえます。左手前の山の手前側に日向湖、右側に久々子湖らしきものがみえます。

近くにガマズミのようなならびで実をつけた木があります。赤くなっていないのでガマズミの仲間ではないでしょう。葉の形も全く違います。調べてみたのですが結局何かわかりませんでした。

リフト終了時刻が迫っています。山頂から降りることにします。乗って一番最初にほとんど垂直に降下します。悲鳴が聞こえていたのはこのせいだったのですね。

リフトから日向湖(左手前)と久々子湖(左奧)、右側に水月湖がみえていました。水月湖の奧の湾状のところが菅湖になります。三方湖だけがみえていません。

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2024年10月14日
2024年日帰旅 101 07/20 若狭) 小浜市 熊川宿 1
山頂公園から下りてレインボーラインを通りぬけていきます。下りきったころに、小浜から近江今津に抜ける道があるのに気がつきました。この道は、昔は鯖街道(若狭街道)として知られた道です。実際には朽木から葛川に沿って登っていって、花折峠から大原に抜けるのが正式なルートです。これだと京都市内を横断する事になります。町中の渋滞とかを考えると避けたいところです。朽木から近江今津を通って湖西道路経由で帰ることにしました。
国道に出て小浜の方に引き返していきます。ガソリンがなくなっているので途中で入れる必要があります。ぎりぎり帰り着けない量しか残っていないそうです。そのことを考えながら走っていきます。
地図を見ていると、小浜まで戻るまでの間に近江今津方面への分岐がある事がわかりました。小浜のかなり手前です。これだとガソリンを入れるところが心配になってきます。分岐までは何もなく進んで行きます。近江今津への標識がでたところで、雨宿りしたショッピングセンターがみえてきました。
これでガソリンの話は大丈夫になったとみんな安心していました。何のことかわかりませんでした。雨宿り時にここで安く売られているのをみたのを忘れていました。寄って入れて帰ります。
ここから鯖街道に入って朽木を目指します。しばらく走っていると、左手に鯖街道と書かれた石碑がみえてきました。駐車場の入口にあります。写真を撮るということなので、車を駐めて見にいきます。
道路を渡ったところを見ると熊川宿と書かれた。いかにも宿場町という灯籠風建物がみえてきました。ここが宿場町の入口になるようです。
道を隔てて反対側に孝子与七の碑というのがありました。説明に親孝行だった与七のことが書かれています。
成り行き的に宿場町を歩く雰囲気になっています。ちょっと入ったところから見た宿場町のようすです。もう遅い時間なので、人気はみえません。
与七館という建物がありました。体験交流施設となっているようです。標札に公開施設・ご自由にお入りくださいと書かれています。
遅いので閉まっていると思いましたが、扉を動かしてみると開きました。見学させてもらいます。中に宿場町のパンフレットが置いてあったのでいただきました。
奧から入口側のようすです。屋根裏までの吹き抜けが立派です。
お隣が村田館です。京都の老舗料亭主人祖父の実家だったそうです。隣の家共々屋根の傾斜が急です。
こちらも公開施設となっています。あいていたので見学させてもらいました。料理のことについていろいろな解説がありました。奧の写真の人物が料亭の主人なのでしょう。テレビに出ていたことがあるそうです。
国道に出て小浜の方に引き返していきます。ガソリンがなくなっているので途中で入れる必要があります。ぎりぎり帰り着けない量しか残っていないそうです。そのことを考えながら走っていきます。
地図を見ていると、小浜まで戻るまでの間に近江今津方面への分岐がある事がわかりました。小浜のかなり手前です。これだとガソリンを入れるところが心配になってきます。分岐までは何もなく進んで行きます。近江今津への標識がでたところで、雨宿りしたショッピングセンターがみえてきました。
これでガソリンの話は大丈夫になったとみんな安心していました。何のことかわかりませんでした。雨宿り時にここで安く売られているのをみたのを忘れていました。寄って入れて帰ります。
ここから鯖街道に入って朽木を目指します。しばらく走っていると、左手に鯖街道と書かれた石碑がみえてきました。駐車場の入口にあります。写真を撮るということなので、車を駐めて見にいきます。
道路を渡ったところを見ると熊川宿と書かれた。いかにも宿場町という灯籠風建物がみえてきました。ここが宿場町の入口になるようです。

道を隔てて反対側に孝子与七の碑というのがありました。説明に親孝行だった与七のことが書かれています。

成り行き的に宿場町を歩く雰囲気になっています。ちょっと入ったところから見た宿場町のようすです。もう遅い時間なので、人気はみえません。

与七館という建物がありました。体験交流施設となっているようです。標札に公開施設・ご自由にお入りくださいと書かれています。

遅いので閉まっていると思いましたが、扉を動かしてみると開きました。見学させてもらいます。中に宿場町のパンフレットが置いてあったのでいただきました。
奧から入口側のようすです。屋根裏までの吹き抜けが立派です。

お隣が村田館です。京都の老舗料亭主人祖父の実家だったそうです。隣の家共々屋根の傾斜が急です。

こちらも公開施設となっています。あいていたので見学させてもらいました。料理のことについていろいろな解説がありました。奧の写真の人物が料亭の主人なのでしょう。テレビに出ていたことがあるそうです。

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2024年10月15日
2024年日帰旅 102(07/20 若狭) 小浜市 熊川宿 2
熊川宿で何か目立ったものはなにかといわれても、すぐにはわかりません。この時点で思っていたのは道路が広いということです。自宅近くの西国街道は狭く車がすれ違うことができません。それに対してここの道幅は車がすれ違えるくらいの広さがあります。それだけ往来が激しかったということでしょうか。
2つ目です。二つの展示施設を見た時点ではまだはっきりしていませんでしたが、ここから先には、壁が赤く塗られた建物が何軒か見られるということです。吹屋で見た弁柄壁の建物と同じような色をしています。弁柄を塗っているのでしょう。吹屋近辺以外ではあまり見かけないようです。
建物については特に統一性がなさそうです。建物の造りにしても、妻入りと平入りが混在していますし、袖壁はところどころで見かけますがない方が多いようです。
弁柄塗り建物が並んでいるところです。平入り建物が3軒並んでいます。奧2軒には袖壁が向こう側にだけついています。真ん中の建物は1階にも袖壁のようなものが見られます。建物の形からすると宿屋だったのでしょうか。
妻入りの建物が並んでいます。2階の窓の取り方が幾何学的です。カイコ部屋かな。
ここも平入り建物が並んでいます。見たときに気がついていませんでしたが、道はこの先に左に折れて国道に合流しています。交差点から右斜め横行に入る道があって、この部分だけを上から見ると「K」の字のようにみえます。パンフには「まがり」と書かれています。写真の部分の曲がりをあわせて国道を消去してみると、道はだんだんに曲がっているのがみえてきます。
この形は妻籠宿で見たことがあります。枡形と説明がありました。侵入してきた敵の勢いをそぐために道を段々に曲げているのだそうです。ということは、御菰戦略上重要な場所なのでしょうか。宿場町の説明には、戦国時代は北陸攻めに利用されたことがあると書かれています。
枡形から街道進行方向に曲がるところに荻野家住宅があります。屋号を倉見屋という問屋場を営んでいたそうです。駒つなぎ輪があるそうですがどれかわかりません。左側の蔵の下の方に板壁に2ヵ所四角い穴があいているところがありますがそれでしょうか。真ん中の丸いのが気になります。
斜めに向かいに松木神社への参道があります。左側に江戸時代になったころに庄屋松木庄左衛門が領主に年貢引き下げの嘆願をしていると思われる像があります。
得法寺です。室町時代の領主沼田家を祀る供養塔があるそうです。
御蔵道です。少し離れたところを流
る北川を使って運ばれてきた小浜藩藩米を蔵屋敷まで運ぶのに使われた道だそうです。
2つ目です。二つの展示施設を見た時点ではまだはっきりしていませんでしたが、ここから先には、壁が赤く塗られた建物が何軒か見られるということです。吹屋で見た弁柄壁の建物と同じような色をしています。弁柄を塗っているのでしょう。吹屋近辺以外ではあまり見かけないようです。
建物については特に統一性がなさそうです。建物の造りにしても、妻入りと平入りが混在していますし、袖壁はところどころで見かけますがない方が多いようです。

弁柄塗り建物が並んでいるところです。平入り建物が3軒並んでいます。奧2軒には袖壁が向こう側にだけついています。真ん中の建物は1階にも袖壁のようなものが見られます。建物の形からすると宿屋だったのでしょうか。

妻入りの建物が並んでいます。2階の窓の取り方が幾何学的です。カイコ部屋かな。

ここも平入り建物が並んでいます。見たときに気がついていませんでしたが、道はこの先に左に折れて国道に合流しています。交差点から右斜め横行に入る道があって、この部分だけを上から見ると「K」の字のようにみえます。パンフには「まがり」と書かれています。写真の部分の曲がりをあわせて国道を消去してみると、道はだんだんに曲がっているのがみえてきます。
この形は妻籠宿で見たことがあります。枡形と説明がありました。侵入してきた敵の勢いをそぐために道を段々に曲げているのだそうです。ということは、御菰戦略上重要な場所なのでしょうか。宿場町の説明には、戦国時代は北陸攻めに利用されたことがあると書かれています。

枡形から街道進行方向に曲がるところに荻野家住宅があります。屋号を倉見屋という問屋場を営んでいたそうです。駒つなぎ輪があるそうですがどれかわかりません。左側の蔵の下の方に板壁に2ヵ所四角い穴があいているところがありますがそれでしょうか。真ん中の丸いのが気になります。

斜めに向かいに松木神社への参道があります。左側に江戸時代になったころに庄屋松木庄左衛門が領主に年貢引き下げの嘆願をしていると思われる像があります。

得法寺です。室町時代の領主沼田家を祀る供養塔があるそうです。

御蔵道です。少し離れたところを流

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2024年10月16日
2024年日帰旅 103(07/20 若狭) 小浜市 熊川宿 3
熊川宿はパンフを見ると大きく3分されるようです。区分点は曲がりとこの先川が横切っているところになります小浜側から入って曲がりまでが下ノ町(しもんちょ)、曲がりから川までが中ノ町、その先が上ノ町となります。京都に近い方から上中下ですね。越前・越中・越後とか上越・中越・下越というのもこの規則になっています。
中ノ町の真ん中くらいまで来ています。全体の半分といったところです。ここで気がついてことがあります。道の脇にきれいな水が流れる水路がある事です。最初のころにはありませんでしたが、途中から見かけるようになっています。生活用水でしょうね。醒井宿とか大内宿でも水路を見ています。
水路の横に待合室のようなものがあります。建物の一部になっています。何なのかは謎です。熊川児童館の一部なのでしょうか。
水路と宿場町のようすです。行き止まりのようにみえますがここで道は左に曲がっています。手前に、川にかかる中条橋があります。
立派な平入り建物があります。菱屋といいここも問屋場だったそうです。現在はシェアオフィスになっています。
横から奥に入る道があってその先には陣屋跡があります。現在は広場になっています。
戻ろうとして正面右側を見ると、明治期か大正期の建物のようなものがみえます。
右側にも立派な建物がみえます。何かなと思ってみると「かわや」と書かれてます。確かによくみるとそのような建物ですね。
街道筋に戻る手前の建物です。壁が弁柄色に塗られています。下の水路の石積を見ると壁から流れ落ちた番がらが染みついているのがみえます。弁柄はだんだんと流れ落ちているのですね。
街道を少し行くと右奥に古い役場のようなが見えます。もともとは熊川村役場としてい作られたものですが、現在は宿場館として鯖街道関係の資料を展示しているそうです。当然閉館時間は過ぎていますので外からの見学になります。先ほどみえていた明治大正期の建物はこれの裏側になるのでしょう。

中ノ町の真ん中くらいまで来ています。全体の半分といったところです。ここで気がついてことがあります。道の脇にきれいな水が流れる水路がある事です。最初のころにはありませんでしたが、途中から見かけるようになっています。生活用水でしょうね。醒井宿とか大内宿でも水路を見ています。

水路の横に待合室のようなものがあります。建物の一部になっています。何なのかは謎です。熊川児童館の一部なのでしょうか。

水路と宿場町のようすです。行き止まりのようにみえますがここで道は左に曲がっています。手前に、川にかかる中条橋があります。

立派な平入り建物があります。菱屋といいここも問屋場だったそうです。現在はシェアオフィスになっています。

横から奥に入る道があってその先には陣屋跡があります。現在は広場になっています。

戻ろうとして正面右側を見ると、明治期か大正期の建物のようなものがみえます。

右側にも立派な建物がみえます。何かなと思ってみると「かわや」と書かれてます。確かによくみるとそのような建物ですね。

街道筋に戻る手前の建物です。壁が弁柄色に塗られています。下の水路の石積を見ると壁から流れ落ちた番がらが染みついているのがみえます。弁柄はだんだんと流れ落ちているのですね。

街道を少し行くと右奥に古い役場のようなが見えます。もともとは熊川村役場としてい作られたものですが、現在は宿場館として鯖街道関係の資料を展示しているそうです。当然閉館時間は過ぎていますので外からの見学になります。先ほどみえていた明治大正期の建物はこれの裏側になるのでしょう。

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