2021年10月16日

2014年小笠原諸島 48 06/29 父島航路 兄島から聟島列島

 見送りの船がいなくなって、単独航行になります。西島はだいぶ迂回できたようです。父島からは離れ始めていますが、周辺の島々はまだまだ続いています。父島(右)と兄島が並んで見えます。間にあるのが兄島瀬戸です。右端にみえる父島の手前に西島の一部分が写っています。
父島航路 父島沖 兄島

 兄島とその北側の弟島です。いつの間にか青空が広がってきています。
父島航路 父島沖 兄島弟島

 しばらく島影か見えなくなるのでいったん船室に戻りました。船内を歩いていると、母島で同宿だった人とであいました。知人に島ずしをもらったけれども食べきれないので、食べて欲しいということです。ほとんど手をつけていないように見えました。一応遠慮しながらもいただきました。しょうゆ漬けの魚がねたになっています。
 いろいろと話をしている時に、父島で同宿だった人もやってきました。その後はこのメンバーで行動することになります。
 この頃に、乗客の中に医者がいませんかという船内放送が入っています。船医さんが同乗していますが、対応しきれない症状のようです。たいしたことが無ければいいのですが。
 再び島影が見えそうになってきたのでデッキに上がりました。カツオドリが飛んでいるのが見えます。あまり近くへは寄ってきません。来るときとはだいぶ様子が違います。左側に聟島列島が見えてきています。
父島航路 聟島列島沖 カツオドリ

 聟島列島の南端の島々です。嫁島とその右端前方に屏風のような前島が重なっています。その右側の三角形の島は前南小島です。
父島航路 聟島列島沖 嫁島

 その左側少し離れたところにあるのが媒島です。眼鏡岩は入っていません。
父島航路 聟島列島沖 媒島

 船の進行に伴って北側の島が順々に見えてきています。次に見えてきたのが、針の岩です。右側の岩礁地帯に尖った高い岩がたくさんあります。
父島航路 聟島列島沖 針の岩

 聟島です。平らに見えますが、島が大きいためです。高さは他の島々とそれほど変わりません。
父島航路 聟島列島沖 聟島

 北端の島です。北之島(左)と中ノ島です。周辺に小さな島がたくさんあります。北之島にあるはげ山が気になります。地肌が赤い色をしています。
父島航路 聟島列島沖 北之島と中ノ島


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2021年10月17日

2014年小笠原諸島 49 06/29 父島航路 再び聟島列島沖

 聟島列島から離れていっています。島影はこの先はしばらくありません。それでも時々海鳥等を見ることができます。時々デッキで観察しています。
 オオミズナギドリです。実際のところミズナギドリ類はアナドリ以外は区別がついていません。遠くなので肉眼や双眼鏡では細かいところまではわかりません。
父島航路 オオミズナギドリ

 トビウオです。真ん中くらいのところに尾びれが水面をけってできた筋があります。本体はその少し先です。
父島航路 トビウオ

 しばらく見ていましたが船室に戻って休憩します。日が傾むきはじめる頃に再びデッキに上がりました。オナガミズナギドリが飛ぶのが見えます。日が低くなっているので、体をひねったときに腹面の白色が目立ちます。
父島航路 オナガミズナギドリ

 この頃に、急病人がでたために船は父島二見港に引き返すという放送が入りました。船で処置できないのなら仕方ないでしょう。父島に戻って処置ができるかどうかが心配です。周囲にいる人から文句を言うような声は聞こえてきませんでした。心配するような雰囲気が支配的でした。
 予定通りに帰ることはあきらめます。ここは夕陽観察に専念です。小笠原メンバーが集合していました。太陽はだいぶ低くなってきています。
父島航路 夕陽

 夕陽が雲に隠れるところです。ここでもグリーンフラッシュは見ることができませんでした。
父島航路 夕陽

 薄暗くなりはじめた頃に反対側の景色も確認してみました。聟島列島の北端の島々が見えてきています。少し戻ってきたようです。
父島航路 聟島列島

 西の空では月がでているのが見えました。ちょうど三日月のようです。
父島航路 三日月

 横に明るい星が見えるのは何かと聞かれました。この明るさだと金星か木星になります。どちらかは確定できません。近くにいた人がスマホで木星だと確認してくれました。
父島航路 三日月と木星


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2021年10月18日

2014年小笠原諸島 50 06/29-30 父島航路 二見港から三宅島沖

 21時に船は二見港に戻る予定だと船内放送が入りました。出航したのが14時ですから7時間ぶりです。ということは引き返した時刻は17時半頃になります。このあたりの記録はとっていません。GPSロガーによると聟島の最北端に達したのが16時過ぎでだいたい同じ所まで戻ってきたのが19時前になっています。こちらからも17時半頃に聟島の北50km位のところから引き返したということになります。
 二見港に入港しますという船内放送が入ってデッキに上がってみました。港の灯りが見えています。
父島航路 二見港沖 二見港夜景

 着岸時の二見港です。救急車が待機しています。島の人も心配なのかたくさん見に来ています。救急車に乗り込むタイミングで船からがんばれという声がかかりました。
父島航路 二見港沖 二見港夜景

 船は病人と付き添い者を下ろしたらすぐに出航しました。急いで東京に戻らないといけません。ロスタイムは7時間です。
 二見港に戻る前だったか戻ってからだったかはっきりしませんが、小笠原メンバーで星空観察会をやっています。船では夜は星を見るのを推奨しています。他にもたくさんの人たちがでてきて星を見ています。
 星を見るには灯りがない方がいいのですが、海への転落の危険がありますし、転落してもわからなかったら困ります。一応それなりに明かりがあります。灯りが構造物の影になりそうな一画を見つけています(とすると二見港を再出港してからになりそうです)。そこでの観察会になります。天の川や夏の大三角がきれいに見えました。

 翌朝です。早い時間の記録がありません。9時過ぎに貨物船とすれ違った写真が残っています。霧の中で霞んでいます。5時半頃におきてデッキに行ったようすがあります。写真を撮っていないのは天気がよくなかったからでしょう。当日の天気図には北緯30度付近に梅雨前線が停滞しています。夜明け頃にちょうどそこを通過しているはずです。
父島航路 須美寿島沖 貨物船

 昼過ぎくらいから、トビウオの数が増えてきました。黒潮の近くを横断しているためでしょうか。三宅島に近づいています。
父島航路 三宅島沖 トビウオ

 これもトビウオです。
父島航路 三宅島沖 トビウオ

 かなり頻繁に飛んでいます。
父島航路 三宅島沖 トビウオ

 トビウオの大群と思ったのですが、飛跡が全然違います。糸のようなものを引いています。本体部分を拡大して見るとイカの姿をしています。糸のようなものはろうとから噴き出す水のようです。始めて見るものなので拡大しています(他にも拡大した方がいいのはたくさんあります)。
父島航路 三宅島沖 トビイカ

 海鳥も時々見かけます。これは、ハイイロミズナギドリにしています。
父島航路 三宅島沖 ハイイロミズナギドリ

 三宅島に接近しています。久々の携帯通話タイムなので、多くの人がデッキにでて電話をしています。そういえば、ここに来るまでの間、船内のコンセントはみんな携帯電話の充電に使われていました。持ち主はおいたままどこかに行ってい近くにいません。これでよくなくならないものだと感心していました。

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2021年10月19日

2014年小笠原諸島 51 06/30 復路小笠原航路 東京湾

 三宅島の次の通話タイムは大島沖になります。時間的には夕刻です。帰りはGPSを三宅島沖で切っていますから(というより大島からは電源を入れていない)どこを通っているかは定かではありません。往路では大島より房総半島の洲崎や野島埼の方が近かったようです。東京湾に入ると携帯電話の電波はつながり続けるようです。
 外にでてみると巡視艇がいます。ラインが赤なので気になってよく見るとU.S. COAST GUARDと書かれています。何かの訓練かな。
父島航路 大島沖 アメリカ海上保安船

 周囲が明るくなりはじめた頃、遠くに街明かりが見えるようになってきました。だいぶ横浜に近づいています。
父島航路 横浜沖 夜景

 タワーのようなものがいっぱいたっているところを通過します。コンテナ積み下ろしのためのクレーンでしょう。大井埠頭のあたりになります。
父島航路 東京港 コンテナヤード

 前方にレインボーブリッジが見えてきました。
父島航路 東京港 レインボーブリッジ

 お台場の船の科学館あたりかな。桟橋に停泊する船が何艘かあります。
父島航路 東京港 お台場

 有名放送局の本社です。
父島航路 東京港 お台場

 レインボーブリッジの下を通過します。
父島航路 東京港レインボーブリッジ

 晴海埠頭ターミナルが見えています。一番明るい建物がそれです。竹芝桟橋はこの少し奧の向かい側です。まもなく到着しそうです。
父島航路 東京港晴海埠頭ターミナル


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2021年10月20日

2014年小笠原諸島 52 07/01 東京から帰阪

 父島二見港をでてから戻ってくるまで7時間かかっています。そのままの遅れで竹芝桟橋に入港したとしたら、到着は真夜中になります。その時間なら新幹線で大阪まで戻ってくるのは無理でしょう。宿をどうするか考えないといけないでしょう。重たい荷物を持って、ホテルを探して歩き回るのは大変です。何とかなるだろうということで大きく構えています。

 船内放送で、遅れの対応について時々連絡が入ります。
 一つは入港予定時刻です。21時頃になるとのことです。新幹線の最終にぎりぎり間に合うかどうかという時刻になります。浜松町まで歩いて行って電車を乗り継いでと考えたらかなり厳しそうです。
 父島で同宿だった人は調べたところ新幹線は無理と見たようです。他を当たって、夜行バス(たぶん京都まで)の予約が取れたといっていました。母島の人は、何とか帰れるといっていました。金券ショップで回数券の片割れを買っています。夜行バスでは無駄になりますからパスです。予約する手段もありません。
 到着時刻について気がついていませんでしたが、そのまま遅れたとした場合よりも早く帰ってきているようです。かなりがんばって船を走らせたのでしょう。その分燃料のロスが大きくなっていそうです。

 2つ目はどちらかというと朗報です。竹芝桟橋到着後、船内の一室で泊まれるようにしてくれるというものです。ホテルシップと名付けています。終電に乗れるかどうかの心配をしなくて済むだけでもラッキーです。ホテルを探さないとということをあわせて考えるとこの手に乗るしかないでしょう。
 ホテルシップを利用するには、手続きが必要です。30日の昼過ぎに船内のロビーで受付が始まりましたから、乗船券を持って手続きにいきました。
おがさわら丸ホテルシップ受付

 ホテルシップの注意事項です。泊まる客室は変更になります。使っていなかった二等客室かな。一般客が下船後移動することになります。掃除の都合もありますから当然でしょう。一等室や特等室にバラバラに客がいては把握も大変です。このことからも当然といえるでしょう。
 船の停泊場所が変更になります。一般客が下船後に船は竹芝桟橋から芝浦ふ頭へ移動します。そこで一晩停泊(ずっとかな)しますから、そこで随時下船して帰ることになります。チェックはありませんが、一応チェックアウトは翌朝10時になります。
 船内を歩き回れたかどうかは覚えていませんが、トイレ洗面所近辺しか移動していないようなので制限されていたのかも知れません。
 おがさわら丸は浴室はなく代わりにシャワー室があります。ホテルシップで使えたかどうかはわかりませんが、少なくとも竹芝入港の前までは使えたようです。

 3つ目です。これもどちらかといえば朗報です。30日の夕食は船の遅延ということなので船が提供してくれるようです。といっても、おにぎりかカップラーメンのどちらかを選んでくださいということです。これだけでも助かります。塩分の関係でカップラーメンは控えています。おにぎりを選択しました。他の小笠原メンバーはラーメンだったようです。
 システムを覚えていないのですが、事前に乗船券(この時点ではホテルシップの宿泊券になっていたかな)との突き合わせでチケットをもらっていたような気がします。
 食事をもらう段になって列に並んでみると、ラーメンがやたらに長くおにぎりはすんなりともらえました。途中でラーメンからおにぎりに変更できたようです。暖かい方がよかったからかな。それとも、ラーメンの方が食べ慣れているからとか。

 その後は、東京湾ナイトクルーズを堪能です。
 到着が遅れたということで延着証明書を発行してくれるようです。特に必要はありませんが、一応もらっておきました。名前の欄は自分で記入するというシステムになっています。この部分は画像処理をしています。
おがさわら丸延着証明書

 竹芝桟橋が近づいて一般客が下船の準備に入ります。いつの間にか小笠原メンバーとはバラバラになって別れを言うことはなく解散となりました。客室を移動して指定された場所で就寝です。遅くに床に着いています。
 朝起きて、船から外を見ると桟橋と反対側に船が横付けされています。太いホースのようなものがおがさわら丸に引き込まれています。給油かなと思ったのですが、給水・汚水処理といったものもあります。本当のところはどれだったのでしょう。
おがさわら丸補給船

 船内でもう一眠りしてから帰ることにします。急ぐ必要もないのでゆっくりしていると、次第に人がいなくなっていきます。日が差し込みませんから時刻もはっきりしません。腕時計は8時を指しています。
 あまりに人がいなくなったので、帰ることにしました。芝浦ふ頭から近くの田町駅までの地図は船内に貼りだされていましたから、しっかり確認して歩いて行きます。一本通りを行き過ぎたような気もします。
 駅に近づいたところで、朝食ということで食堂に入りました。何の店か覚えていませんがカウンター席だったようです。荷物が邪魔になっていましたが遠慮がちに置かせてもらいました。
 テレビがついていて時刻が表示されています。昼近い時刻が書かれています。腕時計ではまだ朝です、よく見ると秒針が止まっています。明け方に電池切れになったようです。小笠原で切れていたらどうなっていたのでしょう。きわどいところでした。この後時刻はどうやって確認したのかわかっていません。少なくともその必要はなかったのかも。
 せっかく東京にいて、時間もあるのでどこか見学して帰るということもできます。三鷹天文台や上野国立博物館などもいきたいところの候補です。気がついていませんでしたが芝公園東京タワーも近くにあります。芝離宮を見ようというのは桟橋が変わった時点でなくなっています。
 でも問題があります。ズボンの件です。母島では洗濯レベルに達していたと書いています。その後はだんだんひどくなっていく一方です。おがさわら丸に洗濯室がありましたがフル稼働の上に洗濯室が乾燥機からの熱気と湿気でむんむんとしています。これでは乾きそうもないということで、ついに最後の手段でハーフパンツを出してはいています。この格好では都会の真ん中を歩き回る勇気はありません。
 時計が止まっていて時刻がわからないというのもあります。ここはおとなしく帰ることにしました。ちなみに、後日判明した限りではズボンのべとべとの原因は汗ではなく海水のしぶきのようです。南島見学の途中くらいから気持ち悪くなっています。
 田町の駅で回数券を帰りの指定席と交換してもらいます。品川経由か東京経由のどちらがいいのかわからなかったので近い方でというと、品川経由になりました。電車に乗ってからわかったのですが、田町から品川まで一駅でした。駅員さんに馬鹿にされていないかな。
 その後は京都経由在来線の途中下車(回数券だから回収だったかな)でなんとか帰ってきました。

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2021年10月21日

2014年小笠原諸島 53    余談その他

 写真を並べてここで何を見ましたと書いて簡単に済むだろうと思っていました。一応どこで何を見た写真なのかという記録はとっています。わかる範囲で説明を加えるのもいいでしょう。小笠原でもらってきたパンフレット類も残っています。これは記事を書く上で大いに参考になりました。
 行く前にいろいろ調べたことのメモがあるはずなのに見当たりません。新幹線、船の日時とか、宿やレンタルバイク、ガイドツアー会社の電話番号や住所、料金等はどこかに書いているはずです、どこに何があるかなどの資料もありません。宿や船の領収書も残っていません。そういうものはどうしたのでしょうか。

 記事の下原稿を書いていて気になったことは調べ直したりしています。記録を書いた時点でもだいぶ調べています。正確を期したいというのがありますから、わからないところはできる範囲で調べ直しています。記録に書いたことが正しかったというところがある半面、間違っていたというのもあります。わからないのでそのままというかその通り不明と書いたところもあります。
 結局調べ直して時間がかかってしまいました。花の名前などは、小笠原でもらってきたパンフが元になります。どこに何が書かれていたかわかりませんから全部の用紙を見直して調べることになります。机の上がいっぱい散らかったりで大変でした。
 場所を調べるのに役立っているのがストリートビューです。道路上の景色を見ることができるので比較に使えます。似た景色があればここだと断定できます。見たいところの写真がない事があるのが残念です。
 記録の間違っているところの訂正はした方がいいのですが、まだ手をつけていません。そのうちに忘れてしまいそうです。

 気になって調べ直して記録が違っていたとわかった一つ例を挙げてみます。
 父島の夜明道路を戻ってきたとき、国立天文台の次によった場所についてのことになります。記録では場所は長崎展望台となっています。おそらくそこによったつもりになっていたのでしょう。パンフなどの概略地図からは正確な場所はわかりません。簡単に位置関係を見るために地理院地図の該当の場所を示します。
父島 長崎展望台付近地図

 黄色い線が夜明け道路で、右下から左へ抜けています。実際の長崎展望台は青丸印をつけた場所です。
 長崎展望台で写したことになっている写真は全部で7枚あります。撮影時刻をチェックしてみると15時18分が5枚、15時23分が2枚あります。
 ここでおかしなことに気がつきました。その前の国立天文台(電波望遠鏡)を撮影したのが15分です。3分間の移動で長崎展望台に着くのは無理そうです。さらに写真を写してから5分間何もせずにいて、また同じような写真を撮りだしたというのも変です。この5分間の間に場所を移動した可能性があります。
 記事に載せた写真を確認して見ます。18分に写した分です。
父島 長崎展望台付近

 写っているいる岬の形を地形図と比べてみると長崎であるのは間違いありません。ここで一つ奇妙なことに気がつきました。長崎展望台から長崎を見ると長崎の左側面が見えるはずです。写真では右側面が写っています。このことから撮影場所が長崎展望台でないことが確定します。
 GPSロガーの記録を見るとこれを撮影したのと同じ時刻の位置記録があります。その場所は、先ほどの地図上に赤丸印で示しています。ここからなら、長崎の右側面を見ることとなり写真と一致します。
 この場所を、グーグルマップで確認すると、旭平展望台となっています。ストリートビューでは、道沿い海側に駐車帯があり、そこから少しはいったところが広場になっています。別にその広場からの写真もあり、長崎と海向こうにある兄島の入り江(万作浜)の位置関係もぴったり一致します。GPSの記録も道路からわずかに海よりということもここでバイクを置いて何かをしたということを示しています。このようなことから、写真の撮影場所は旭平展望台と確定できます。同時刻の残り4枚もここからのものでしょう。
 夜明け道路沿いからはここ以外に海や長崎の右側面が見えそうな場所はありません。
 残りの2枚の撮影場所はどこなのでしょう。長崎展望台に行っていることになっています。ここでしょうか。国立天文台から旭平展望台まで3分、旭平展望台から長崎展望台まで5分かかっています。距離的には同じくらいです。長崎展望台への途中はループがありますからそのままならちょうどくらいの時間間隔です。
 この2枚は長崎展望台からと確定しかけました。そうだとすると、2点ほど奇妙なことがあるのに気がつきました。1つ目は、駐車場から長崎展望台までは遊歩道を歩いていかないとたどり着けないのですがそのようなところを歩いた記憶がありません。バイクを置いてから5分くらいはかかりそうです。とすると時間が足りません。そのわりには駐車場は見たような気がしています。
 再びストリートビューの登場です。駐車場近辺から該当の写真が撮れそうなところがないか探してみました。残念ながら見つけられませんでした。駐車場入口付近からは海は見えますが、景色が全く違います。
 もう一つの疑問点は、長崎展望台という以上は長崎が見えるはずなのですが、それが写っていない事です。見えなかったというのは考えられません。どうも長崎展望台には行っていないようです。
 それではということで、ここに来るまでの間で、海の見えそうな場所をチェックしてみることにしました。候補としては道がループしているところ、トンネル入口付近です。調べてみるとそこに海が見えるところがあり、父島側の岩場の形と向こうに見える兄島の地形(丸山)が一致するところを見つけました。写真には、道路脇の反射材のようなものの一部分が写っています。両面が平行になっていなくて海側に広くなっていますから、海と反対側に曲がっている道脇のものと思われます(写真撮影後つけ替えられているようです)。その写真を再掲します。
父島 長崎展望台付近

 この場所は地図には緑色丸印で示しています。グーグルマップでは、枕状溶岩と書かれている場所です。海と反対側にある崖は、大事な崖のはずなのに。変な色の崖としか意識していなかったようです。意識できていれば場所確認はスムーズにできていたでしょう。
 駐車場を見たような気がしているのは、たぶんそこまでは行ったのでしょう。駐車場近辺からは海が見えません。駐車場というより行き止まりの道路というような場所です。遊歩道入口も奥まったところにありますから見つけられなかった可能性が大きいようです。そのまま引き返したと考えられます。
 帰ってきてからは、長崎展望台に行った気にはなっていたのでしょう。旭平展望台に行ったことはそれほど意識していなかったようです。駐車場のすぐ横ですから。ということで、記録には長崎展望台に行ったということになってしまいました。
 ストリートビューの写真を比較のために載せられればいいのですが、転載禁止となっています。リンクを貼るのは可能ですがいつまでも同じものがあるという保証はありません。載せることは無理なのであきらめます。興味のある人は探してみてください。
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2021年10月22日

2014年小笠原諸島 54    その他いろいろ

<写真がない>
 長崎展望台近辺で写した写真が、2ヵ所で7枚ということはあまり写真を撮りまくっていなかったことを示しています。デジタルカメラを使い始めてからだいぶ経っていますが、まだフィルムカメラを使っていた頃の名残か、いらないデータは消せばいいという感覚にまではなっていなかったようです。一度は、メモリーカードの残り容量がなくなり閉店間際の家電店に行ったこともあります。そのわりには往路の船上でカツオドリばかり200枚近く撮っていたのは多いですね。旅行全体での撮影枚数は全部で1200枚ちょっとでした。
 写真を見ていた思ったことは、ここでの写真がほとんど無い、または全くないという場所が見られたことです。
 典型的なのは、父島亜熱帯農業センターです。植物の標札が1枚写っているだけです。他はありません。残っている写真が不自然です。写さなかったのか、写すものがなかったのか、写っていなかった(記録されなかった)のかのどれなのでしょう。
 持っていったカメラは、1年後に壱岐島で撮影できなくなったカメラです。おかしくなる前に、写したはずの写真がなかったりしています(今も完全に直りきっていなくて写真が写っていないことがあります)。その影響かなとも考えたのですが、小笠原以後の1年の間は普通に写っていましたから、この時にだけ症状がでたということはなさそうです。
 写っているのはダイリンヒメフヨウと書かれた標札です。地面にはモクマオウの枝がたくさん落ちています。花の写真がないのは、花が咲いていなかったからなのか、それらしい木が無かったからなのかはわかりません。花が咲いていれば何かのアクションがありそうです。写真には写らなかったのでしょうか。
 またしても、ストリートビューを確認します。駐車場の奥にトイレがあることは記憶に一致します。この付近にはセンターの施設らしきものはありません。何もなかったというのも記憶通りです。
 到着後の行動を考えてみます。トイレに行った記憶があります。その次ですが、園内の情報を入手するでしょう。少なくとも駐車場からでは、どこを見学できるのかがわかりません。駐車場は袋小路で周囲は林の中でした。一目見ただけでは案内のようなものは見つけられませんでした。他に建物のようなものはありません。ストリートビューを見ると入口の向こう側に背を向ける形で案内板が設置されています。ヤシの木の向こうですから見落とす可能性は多いにあります。直前の南崎往復で相当へばっています。そういうものを探す気力が無かったのかも知れません。
 工事中と書かれていた様な記憶もあります。部分的にやっていたのかも知れませんが、どこs湖が見学できませんという一言があれば、全部見られないと思ってしまうこともありそうです。
 そもそもここがセンターの駐車場とどうしてわかったのでしょう。大きな道路から入るところに案内板があり、それに従って行くと普通の道沿いに駐車場があったというだけです。それで合っている事が多いのですが、多少は不安になったのかも知れません。
 結論としては、ここは駐車場のトイレだけで帰ったようです。来たという証拠に標札だけを写したのかな。

 他にも撮っているはず、あるいは撮っているだろうというものはいっぱいあります。
 撮ったはずというのでは、父島大神山公園のノヤシ橋の写真です。無いのが気になります。
 父島高山展望台付近の写真もありません。これは霧の中だったからかな。山頂でもリュウゼツランしか写していません。その先ジニービーチ入口にあったウズムシがこの区域に進入しないようにする掃除用具も写したと思うのですが、ここではキノコ以外の写真はありません。
 母島の北港から大沢海岸への往復時の写真もありません。林の中の狭い道を歩き続けたからなのかと思われます。案内書には途中にある見どころのようなものが書かれています。別の資料だったので見ていなかったのかも知れません。藪の間に見えるので見落としていた見つけられなかったということもありそうです。藪しか写らないので撮らなかったということはなかったような気がします。大沢海岸にあるという戦跡や滝なども確認していませんでした。見どころがよくわからなかったのかも。
 この区間は標準時間よりは早く歩いていますから、へばっていたということはなさそうです。どちらかというと、脇目も振らずに歩いていたのかも知れません。父島南崎遊歩道の写真も途中は少なめです。そう考えてみると、遊歩道を歩いているときの写真はあまりないような気がします。
 最近はブログを書くことを意識していますから、何を写したか、どこで写したか、これは何なのかがわかるようなものもいっしょに撮るようになっています。そうでなくても手当たり次第写しています。どこで写したかと写真で悩むことは少なくなっています。

<GPSロガー>
 小笠原にはGPSロガーを持って行っています。使い方を模索していた頃になります。初期の頃はいくつか問題を抱えています。まず電池が1日持たないという問題がありました。小笠原のように1週間近くにもなるとそれだけでも電池の数はたくさんになります。充電池が使えるということがわかっていなかった頃です。おそらく倹約したいということで、ふだんは電源オフで主要ポイントで電源を入れ記録をとっていたと思われます。記録地点の数は60ポイントほどです。
 データの使い方もよくわかっていなかったようです。時刻、経度、緯度、標高のデータをCSVファイルとして出力しているだけです。製造会社の付属付属ソフトでグーグルマップに落としてみられるようにはなっていますが、使い勝手が悪くロガーを使い始めた直後から使っていません。ソフトを使ってデータをCSV出力したものと思われます。

 ファイルから位置を求めるのに、地図を印刷して経緯度の線を引きそこから、位置を割り出していたようです。そのような図が残されています。60地点でも場所を調べるだけでも大変だったと思われます。
 今なら、同様のCSVファイルを使って、地理院地図上やグーグルマイマップで表示させることができます。更に拡張して写真も同時に表示できるというので、そのファイルを作ってみました。
ファイル名は、1406250000.kml です。26.7kbあります。

 1406250000.kmlをダウンロードする

 ファイルをダウンロードしてどこかに保存してください。右クリックから「名前をつけてリンク先を保存」でできます。そのままクリックだとファイルの内容が表示されるかも知れません。その場合は、「名前をつけてページを保存」で保存できます。
 次に、地理院地図を開いてください。アドレスは https://maps.gsi.go.jp/ です。開いたページに、エクスプローラに表示されているファイル名をドラッグするだけです。
 カメラのアイコンが表示されたところをクリックすると写真が見られます。できるだけ近い場所の写真を選んでいますが多少位置(時刻)がずれていることもあります。丸印は時刻・緯度・経度・標高のみです。速度はあまり意味がありません。GPSロガーが記録した場所を表示させているので、特定の場所や写真、スキューバダイビングをした場所・写真があるというわけではありません。下のような画面が表示できます。
小笠原地図

 グーグルマップでも使えます。その場合の手順は 左上「≡」マーク→マイプレイス→マイマップ→地図を作成→「無題のレイヤ」に地図名を入力+「インポート」→ファイルをドラッグしてください。マイマップを開くにはグーグルアカウントが必要です。データを消去するのはグーグルドライブからしかできません。

<なぜへばったのか>
 今回の旅行で一番気になるのは、父島の小港からジョンビーチへの遊歩道で完全にへばってしまったということです。かなり早い段階、中山峠に着く頃にすでに症状がでています。原因がつかめなければ、再発することもあります(今のところは無事です)。
 基本的な症状としては、足が前に進まなくなったということです。気合いを入れれば何とか動きます。長距離を走っていてスタミナが切れたという時の症状に似ています。体が熱く感じている点が少し違っています。基本的には熱中症の症状なのかな。体がだるい、力が入らないは中等度の症状に該当しますが、その他の症状(めまい、立ちくらみ、気分不快など)はありません。スタミナ切れにしては症状がでるには早すぎるようです。
 一つ前の、釣浜でも暑かったような記憶があります。この時は暑いくらいでやり過ごせています。駐車場に戻ってからも水分補給もしていますし、南崎遊歩道に入る前にも水分は補給しています。全体的にはいつもより多めに水分を補給していたようです。
 小笠原旅行前に、山に登り始めてくたばったことがあります。動けなくなったという点で似ていますが、息切れがいつまでも収まりませんでした。この時は登りはじめのハイペースがたたったようです。今回は、息が少し荒くなる程度でゆっくり歩いていましたし、動けなくなったときも息切れはすぐに収まっています。
 不思議なのはそれほど汗をかいたという感じではなかったことです。のどが渇いたという感覚もありません。水分を補給してから、汗がでてくということもありませんでした。夕方になってもやたらと水は飲みたくなることはなく、脱水症状というまでにはいってなかったようです。
 宿にいた土壌学者さんは、塩分不足が原因といっていました。父島での食事にどれくらい塩分が使われていたかわかりませんが、少なくとも外食をすると、そこに含まれている塩分はふだんの食事と比べるとはるかに多量になります。これで速攻塩分不足になるでしょうか。それまで汗はほとんどでていません。服や首筋に塩がついていたということもなかったようです。
 基本的には、汗がでなかったことにより体温調節ができず、体温が上がりすぎていたのは間違いないでしょう。川や海の水とかを使って体を冷やせばよかったのかも。今後は、この対処法も選択肢に入れることにします。
 その後の中央山とか宮之浜でもだいぶましになっているものの、多少は症状が残っています。その分、無理するのは避けたようです。初寝浦とか旭山とかには行っていません。旭山は道を見つけられなかったからかな。
 前日の三日月山遊歩道や、翌日の母島では特に問題なしに歩けていたようです。この日たまたま何かの理由で体調が悪かったというのもありそうです。

 ここでへばっていたということで気になったのは所要時間の問題です。写真のタイムスタンプからみると、小港に着いたのが9時、戻ってきたのが14時なので5時間かかっています。記事を書くのに見ていた、「父島 自分でいけるMAP」では、ジョンビーチへは小港から片道100分になっています。往復では3時間半ほどと計算できます。これからすると1時間半休憩していたことになります。そんなに消耗していたのかと思うとびっくりです。
 ところで、小港から中山峠までですが、MAPには20分と書いてあります。実際には休憩も含めて15分で歩いています。このハイペースがたたったのか。いつもなら普通のペースです。
 これも含めて考えると、ロスタイムは2時間くらいになりそうです。高山を経由していますからその分少なく見積もればいいのですが、ロスタイムが所要時間に近い数値を見てだいぶ落ち込んでいました。
 父島部分の旅行記の原稿を書き終わって、母島の資料を出したらその中に「小笠原ハイキングルートマップ」というのがあました。これにも小港からジョンビーチまでチェックポイント間の所要時間が書かれています。歩いたコースを合計すると320分でこの中には高山展望台までの往復が含まれていません。これからするとコースタイムよりは早かったようです。「父島ガイドマップ」にも小港ジョンビーチ間片道150分とか書かれています。「自分でいけるマップ」の記述間違いだったのでしょう。

 結局へばっていたといっても、何とか標準時間で歩いていたようです。
 他のコースでも比較してみます。
 母島南崎遊歩道です。所要時間2時間10分で、小富士コースタイムは片道1時間(小笠原ハイキングルートマップ)になります。寄り道コースにも入っていますから、少し短めだったようです。
 母島大沢遊歩道です。北港から大沢まで30分でついています。コースタイムは50分(母島ガイドマップ・母島フィールドブック)です。このことからも闇雲に歩いていたと言えそうです。元気だとこれくらいの差があるのかな。普通は写真を撮りながら歩いて普通の人と同じくらいの速度です。このコースは岩が多い、足場が悪いというような印象はありませんでした。

−−− 完 −−−


posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記

2021年10月23日

2014年小笠原諸島 完結しました

 2014年に小笠原諸島に行った記録が完結しました。2014年に自由時間が増えて、それを利用して、旅行してやるぞとなった第?段です。他にもたくさんいっています。新しい旅行記が書けるようになるまでは、この年の旅行記を書き続けていく予定です。小笠原に行ったのは、6月末なのですね。後どれくらいいっているのでしょう。
 行くのはちょっと覚悟がいるけれども、行ってみるとなかなかいいところでした。霧が濃く、湿度が高いのが難点でした。本州で梅雨がある代わりの現象なのでしょう、この時期は毎年このようなのだそうです。
 帰りにトラブルに巻き込まれ、予定通りには帰れませんでした。あまりこのようなことには巻き込まれたくないものです。これが最悪だったのでしょうか。次のお話で確認を。このことはどっかにちらっと書いているようです。



いつと同じで、記事の一覧とそこへのリンクの表です。今回の記事は54回でした。

2014年小笠原諸島
掲載日番 旅行日 タ イ ト ル
08-1901    計画立案
08-2002 06/25 竹芝出航
08-2103 06/26 聟島列島沖 カツオドリ
08-2204 06/26 父島到着
08-2305 06/26 父島 大神山公園お祭り広場
08-2406 06/26 南島へ
08-2507 06/26 南島上陸
08-2608 06/26 南島 扇池
08-2709 06/26 南島 扇池から展望台
08-2810 06/26 南島から兄島瀬戸へ
08-2911 06/26 兄島瀬戸 ドルフィンスイム
08-3012 06/26 父島 ウェザーステーション展望台
09-0313 06/26 父島 三日月山遊歩道
09-0414 06/27 父島 大神山公園展望台
09-0515 06/27 父島大神山公園 植物
09-0616 06/27 父島 釣浜
09-0717 06/27 父島 小港から中山峠
09-0818 06/27 父島 ブタ海岸
09-0919 06/27 父島 高山からジョンビーチ
09-1020 06/27 父島 小港海岸
09-1121 06/27 父島 中央山
09-1222 06/27 父島 夜明道路
09-1323 06/27 父島 小笠原海洋センター 境浦
09-1424 06/27 父島 宮之浜 ウェザーステーション展望台
09-1525 06/28 母島へ出航
09-1626 06/28 母島航路
09-1727 06/28 母島航路母島沖
09-1828 06/28 母島 御幸之浜
09-1929 06/28 母島 南崎遊歩道
09-2030 06/28 母島 小富士
09-2131 06/28 母島 南崎
09-2232 06/28 母島 ワイビーチ
09-2333 06/28 母島 蓬莱根海岸
09-2434 06/28 母島 船木山の滝
09-2535 06/28 母島 東港
09-2636 06/28 母島 北港・大沢
09-2737 06/28 母島 脇浜なぎさ公園
09-2838 06/28 母島 静沢
09-2939 06/28 母島 星
10-0540 06/28 母島 朝の脇浜なぎさ公園
10-0641 06/28 母島 清見が岡
10-0742 06/28 母島 ロース記念館
10-0843 06/28 母島 清見が丘鍾乳洞
10-0944 06/29 母島出港
10-1345 06/29 母島航路(復路)
10-1446 06/29 父島へ帰港
10-1547 06/29 父島 小笠原水産センター・父島出航
10-1648 06/29 父島航路 兄島から聟島列島
10-1749 06/29 父島航路 再び聟島列島沖
10-1850 06/29-30 父島航路 二見港から三宅島沖
10-1951 06/30 復路小笠原航路 東京湾
10-2052 07/01 東京から帰阪
10-2153    余談その他
10-2254    その他いろいろ
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2021年10月24日

IHレンジの交換

 我が家は元々はおーる電化だったので、メインの調理器具はIH式のレンジ台になっています。それが、半年ほど前から電源ボタンを押してもオフにできないということが発生していました。何度か押していたり、押したままにしてから指を離すとかしていると切れたりしていました。
 電源ボタン周辺を掃除してみたりすると復活したこともあります。それがここ2週間ほど全くオフにできなくなりました。ものが落ちてきて勝手に電源が入り金属製のものを加熱し、そこから引火して家事ということがあれば困ります。だいぶ古いものなのでもうそろそろ買い換え時なのでしょう。買い換えることにしました。
 一度調子が悪くなってきたときに、買い換えようかなということで、近くの大型家電ショップに見にいったことがあります。その時は、店の人が誰も近くにやってこず、聞くこともできなかったので、そこにあったパンフレットだけをもらって帰ってきました。

 レンジ台といえば、基本的にはガスのものが普通です。風呂用の給湯器を夜間電力を使うものからガス式のものに変えていることから、ガスのレンジ台を使うことも可能です。でも、IH式になれると、いろいろなところで心配事がでてきます。
 まず、火をつかうとなにかに引火するのではという心配でてきます。加熱しているすぐ横に、燃えやすいものを置いたりということをよくしています。これでは危険です。それと、吹きこぼれたりした後の掃除も形が複雑な分結構大変です。電気式だと、加熱しながら拭き取り掃除をする事もできます。といった理由でガスに戻すというのはパスにします。

 電気式にするにしても、いくつか気をつけないといけないことがあります。まず、レンジ台とぴったりの大きさなのかということです。5mmほどの精度で大きさを測るというのはかなり大変です。それを店先で見本でもやってみるのはけっこう面倒です。何かの紙に写して持っていこうと考えて紙を探していたら、切り取ったカレンダーの用紙とぴったり同じ大きさということがわかりました。この紙を持って比較することにしました。

 レンジ台にも問題があります。奧の方にガスコックがでていて、そこから奧にはレンジ台をおくことができません。実質上は現在使っているレンジと同じ大きさのものしか乗らないということになります。それでもガスコックつけ根にあるガード用のカバーを取り外しています。
 こちらの方が問題が大きいかも知れません。古いレンジの電源プラグは、レンジ台にある穴を通ってレンジ台の中に入っていき、そこに取り付けられている電源コンセントに差し込まれています。その電源プラグがレンジ台の穴よりもはるかに大きいことが問題です。つまり、レンジ台はどうあがいても、プラグがひっかかるためにレンジ台から外せないということです。
 それではどうやってレンジを取り付けたのかという疑問が発生します。プラグをよく見ると、最近では見かけなくなったねじで組み立てるタイプのものです。これから想像できるのは、プラグの付いていない電源ケーブルを穴に通し、その先でプラグを組み立てたのだということです。だとしたら、同じ方法で電源プラグを組み立てればいいという事になります。プラグの部品はなくても古いものを外せばできそうです。

 パンフレットを見ていてもう一つ気をつけないといけないことが分かりました。レンジに流れる電気の問題です。基本的には電圧は200Vで古いものと同じで問題はないのですが、電流が様々です。20Aタイプのものと30Aタイプのものの2通りがあります。この違いによってコンセントの形も変わってきます。20Aタイプのコンセントに30Aタイプのプラグは入らないようになっています。
 我が家のものはどうなっているかというと、丸い穴を下にしたときに左上の穴が「L」字型に曲がっている20Aタイプのコンセントです。これはブレーカーの容量の問題なのでしょう。20A以下の器具を買わなといけないことになります。これだけでも選択肢はだいぶ少なくなってきます。

−−−明日続きを書きます−−−

 
posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2021年10月25日

続・IHレンジの交換

 IHレンジの交換についての続編です。前編は意外と長くなってしまいました。後編もまだまだあります。

 レンジを交換するつもりで、近くの家電量販店に行きました。サイズ確認用のカレンダー用紙も持って行きます。レンジの売り場で、大きさを比較してみました。5cmほど奥行きが大きいようです。多少はみ出すのはかまわないとして、レンジを支える足の位置がレンジ台から外れていると安定しません。
 確認することにします。店の人に了解も取らずにレンジ台をひっくり返しました。何か言ってきたらこれ幸いと、いろいろなことを聞くつもりです。紙をあててみると、何とか原寸サイズの内側に足が収まっています。設置可能と判断しました。
 高さを確認するものを持ってきませんでした。手を使ってだいたいの外寸を測ってみたところ、何とか許容範囲内に収まりそうです。
 レンジを元に戻して外れたものを取り付けていると店員さんがやってきて声をかけてきました。状況を説明して、問題点を聞いてみました。プラグの形状については、理解できていないようでした。パンフを見たりしている間に、20Aまでということがわかったようです、展示品とは別で対応型があると教えてくれました。
 プラグの方は、どうなるかわからないけれども取り付けまで責任を持ってやってくれるということなので任せることにしました。

 契約に入る前に、トイレに行きたくなっていたので行かせてもらいました。その間に、何家電らで確認をしていたようです。戻ってきたときに、コンセント交換で対応できそうだということです。別途費用が必要だが、もし交換しないですむようだったら、返金されるということなので、別途工事費込みでの支払いでOKとしました。ここで、書類などの記入があるのですが、会員カードからの読み取りでよかったようでないように確認だけで終わりました。ところで、プラグが問題なのにコンセントをが変えようとしていることに気がついていませんでした。
 配達日については、いつでもよいと返事したところ、翌日ということになりました。時間については、出発前に連絡があるそうです。

 搬入日です。朝わりと早い時間に電話がかかってきました。いちばんで持ってくるそうです。他にいくところもあったのかは疑問です。置き場所には前に少しはみ出したもののなんとか収まっています。足もちゃんと台に乗っています。
 プラグは、心配したとおり分解できないタイプのものでした。古い物についているのを取り外してつけかえるのかというとそうではないようです。いったん線を切ってしまうと保証の対象から外れるのだそうです。壊れることは少ないとしても、万が一ということがありますから、コードは切らない方がいいでしょう。
 対策としては、レンジ台下のコンセントから新たにコードを引っ張ってきてレンジ台の上にコンセントをつけるという方法があります。新たに取り付ける場所が見当たらなかったということでパスとなりました。
 結局コードの通っている穴を広げてプラグを通るようにする事で決着が付きました。ここでも問題があります。穴を広げる道具がないということです。大型のニッパのようなもので穴を広げていました。だいぶ経ってから気がついたのですが、缶切りで穴を広げられたようです。
 なんとかプラグがとおる穴が開いて、取り付け完了です。穴開け作業には、別途工事費が必要なのだそうです。これは、コンセント交換費と相殺と言うことで決着が付きました。
 取り付けが終わって、裏側を見るとはコードの周りに大きな隙間があります。この隙間から埃どころかいろいろなものがが落ちそうです。それにコードは穴の中で動き回ります。穴を開けた切り口は鋭くなっていてコードを削りそうです。ショートの原因となりそうです。梱包に使っていた発泡スチロールのかけらを使って栓を作ってコードが動かないようにました。

 店では、10年保証がどうのこうのといっていました。工事に来た人に聞いてみると、店でのことはWからないといいます。残った書類などを見てわかった限りでは、レンジの取り付けはリフォーム工事という扱いのようです。10年保証は、リフォーム工事に対するもので、レンジそのものにはメーカーがつけている保証が対象になるようです。レンジの取り付けと、冷蔵庫の据え付けとの違いがよくわかりません。

 さっそく使ってみました。電磁調理器の欠点なのですが、どれくらいの火力がでているのかが見ただけではわかりません。お湯を沸かそうとしたのですが、どれくらい強さにしていいのか迷いました。でも適当でいいでしょう。
 沸かし終わってから、いつまでも冷却ファンが回っているのは気になります。それまでは電源が切れた状態にならないので、本当に切れるのか不安になります。はじめはまた電源が切れなくなったと思ってしまいました。早く冷却できるように、暖め終わった鍋などは、すぐにレンジから下ろすことにします。
 翌日、干物を買ってきてグリルで焼いてみました。マニュアルには、これの場合はこうしてと事細かに書かれています。全ての場合は覚えきれません。単純にこれくらいの強さでこれくらいの時間でというのでもいいような気がしました。一応手動設定というのもあります。
 書かれているとおりにして、調理を開始します。いきなり18分かかると表示されます。火力を上げると20分になります。仕方なくこの時間待つことにしました。他のことをしてもう一度タイマーを見直すといつの間にか5分に減っています。全体の時間が短くなっています。センサーがあると書かれていましたから、一応検知して、それなりにできてきたら時間を短くしてくれたようです。これなら、種類が多くても意味がありそうです。

posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2021年10月26日

2014年尾瀬 01 06/03 新潟直江津へ

 尾瀬へは一度行ったことがあります。車で行っています。コースははっきりと覚えていませんが、おそらく群馬県側の鳩待峠から入ったような気がします。マイカー規制が始まっていましたが、規制日からはずれていたので、峠までは車で入っています。それほど立派な駐車場ではなかったように覚えています。そこから狭い道を小一時間ほど歩いて着きました。
 印象はただの平原といったことくらいしか覚えていません、よく知られているイメージとはだいぶ違っています。湿地の中に入っていくのが容易ではなかったからなのでしょうか。本当に尾瀬だったのかというような気もしています。
 今回行き直してみることにしました。尾瀬といえば何といってもミズバショウでしょう。初夏に咲いているということなので、その時期をねらうことにします。今回は失敗のないように、パッケージツアーを利用することにしました。
 調べ直してみると、尾瀬といっても大まかに2ヵ所あることがわかりました。東側の尾瀬沼と西側の尾瀬ヶ原です(燧岳の北側も尾瀬に含めることもあるみたいです)。ツアーでは、ほとんどが西側の尾瀬ヶ原を1日かけてまわるものと、途中山小屋で1泊しながら両方をめぐるものに大別できるようです。同じいくのなら両方をみるコースにしました。
 旅行社はA社にしています。出発日は6月3日で、2泊3日の旅行となります。今からみるとどうしてこの日にしたのか疑問なところがあります。6月3日だと早い年だと梅雨に入っていることがあります。星を見るなら月明かりのない日程になります。6日の早朝に半月となっています。今だと避けたくなる日程です。どちらも大丈夫だとみたのでしょうか。これより早い日程がなかったのでしょうか。
 この会社のツアー参加は初めてです。送られてきた書類の中に、旅行傷害保険に加入してくださいというのがありました。何もわからないまま、加入することにしました。旅行代金とあわせて振込にいきました。
 旅行の記録として写真以外で残っているのは、パンフレット類4枚と乗船券の半券のみです。記憶に残っていることとあわせてだいたいの行程を整理しておきます
 基本的には大阪駅集合で、直江津までいきます。直通の特急がないので途中で乗換になります。「白鳥」とか直通の「雷鳥」かがあったようですがなくなっています。乗換駅は記録が残っていないのではっきりしません。何となく富山というような感じがしています。
 1本目の特急です。「雷鳥」、「スーパー雷鳥」とか色々ありました。どれかわかりません。この頃には「サンダーバード」に統一されていたかも知れませんから、「サンダーバード」にしておきます。大阪発の時刻もはっきりしませんが、途中の写真にあるタイムスタンプからみると、7時半頃発のようです。京都乗車可ということでそこから乗ることにしたようです。京都駅で列車を待っていた記憶があります。
 2本目の特急です。名前は「はくたか」と記憶しています。この頃はまだ北陸新幹線はできていませんでした。北陸本線のはくたかです。どういうわけか列車の行き先は気にしていませんでした。
 直江津からはバスで移動です。まずは、十日町の美人林で足慣らしをしてから(という風に案内に書いたあったような気がします)、その後は折立温泉へ行きここで1泊します。宿舎名ははっきりしません。これかなというのはあるのですが、建物の雰囲気が何となく記憶と違っています。
 2日目は、折立温泉から奥只見ダムまでバスでいき、奥只見湖を遊覧船で通りぬけて、その先から再びバスで沼山峠まで行きます。昼食は弁当がでたようです。宿で受け取ったのか奥只見ダムや沼山峠で受け取ったのか不明です。さらにここからは、ガイド付きのハイキングになります。尾瀬沼をみた後、尾瀬ヶ原の東端の見晴まで行き、この山小屋で1泊します。燧小屋のパンフが残っていますからここに泊まったようです。一部の人は違う山小屋に分かれて泊まっていたような気がします。
 3日目は、見晴から尾瀬ヶ原を横断して山の鼻へ、そこから鳩待峠まで歩きます。鳩待峠からは、バスでスノーパーク尾瀬戸倉まで下っていって、ここで入浴休憩になります。ここにある建物の大浴場に入ったようです。入浴後は、再びバス移動で吹割の滝にいき、昼食および滝見学になります。滝をみた後はひたすら大阪に向けて帰ってくることになります。直江津までバスで移動し、はくたか・サンダーバードと乗り継いで帰ってくる予定です。大阪到着予定時刻もはっきりしませんが、逆算すると21時半頃だったようです。
 残っているパンフレット類の内の2枚は旅行社から送られてきたハイキングについての注意事項です。1枚は尾瀬専用ですから、特別に作っているようです。尾瀬は参加者が多いのかな。内容は、持ち物についての注意事項です。トイレはチップ制なので100円玉を用意しておくこととか、古い靴は靴底が剥がれることがあるので要注意といったことまで書かれています。他に山小屋に泊まるときの注意事項もあります。アメニティは持参することとか風呂では石けんが使えませんといったことも書かれています、
 これをみながら、荷物を整理します。ポータブル赤道儀はどうしたか覚えていません。長時間歩きます。軽量化のために断念したような気がします。旅行開始前に、登山用の地図を購入しています。
 出発当日です。京都から指定された号車番号の所から列車に乗ります。乗車後席で旅行の注意事項の説明の他、傷害保険の種類もいただきました。
 列車は順潮に進んで行きます。小松駅付近でうっすらと山が見えます。山の名前が話題になっていました。ここから見えるとしたら白山でしょう。
小松付近 白山

 はくたかに乗り換えです。この頃は北越急行線に乗り入れて六日町まで行きそこから上越新幹線を利用するというのが富山から東京までの最短時間ルートだったようです。富山直江津間はこちらのルートが優先になり、新潟までの直通がなくなったのかも。
 富山を過ぎてからは立山が気になります。白山以上にぼんやりしています。滑川付近でみえた山の景色です。
滑川付近 白馬方面

 ここでは富山地方鉄道の列車と並行して走る区間があります。そこですれ違った列車です。
滑川付近 富山地方鉄道

 魚津付近です。うっすらと山が見えています。白馬なのかな。
魚津付近 白馬方面

 糸魚川を渡ります。新潟焼山が見えるか探してみました。何とか見えているようです。
糸魚川付近 新潟焼山

 新潟焼山を拡大してみました。建物の多い所に入ってしまったようです。
糸魚川付近 新潟焼山

posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記

2021年10月27日

星の記録 10月27日号

 前回(10月12日号)での記録以後の星観察の続きです。しばらくの間天気がもう一つであまり見られていません。25日に晴れそうだったので、大きな方の望遠鏡を出して惑星と月を見ました。
 望遠鏡を出して最初に導入したのが金星です。最大離角に向けて太陽から離れていっているものの、秋の夕方はどうしても高度が低くなります。望遠鏡からの拡大です。大気差による色ずれが起こっていましたので修正しています。最大離角前なので半月型より少し膨らんだ形のはずです。
金星

 この日は、月と木星が接近しています。そのようすです。焦点距離は170mm(35mm換算で250mm)です。
月と木星

 土星も近くにいるのでいっしょに入れてみました。月はだいぶ露出オーバーになっています。土星は右下の方にいます。35mm換算でf=80mmです。
月と木星、土星

 土星の拡大です。赤っぽく写っています。コントラストがきつかったのかな。
土星

 月面です。コペルニクス付近です。何も処理をしていません。
月 コペルニクス

 欠け際の北の端です。
月 北端

 月と木星が沈んでいくところです。ほとんど同時です。
月 木星の没

 木星については明日報告します。
posted by ヨッシン at 00:00|

2021年10月28日

星の記録 10月28日号

 10月15日の木星の拡大です。この日は木犀の向こうに隠れていたガニメデがでてくるということです。
 土星とかに写真を撮って、木星が建物からでてくるのを待ちます。望遠鏡の射程に入った時にはすでにガニメデが出てき始めた時刻を過ぎていました。とりあえず写した写真です。木星にコブのようなものがついています。
木星とガニメデ

 連続して写してみます。30秒ほどしてからの写真です。
木星とガニメデ

 ガニメデと木星の見え方が何か変です。実際には木星の左側は月と同じようにわずかに欠けています。その隙間の影響なのか。
 さらに2分後です。このころにはガニメデは完全に木星から離れているようです。左側に写っているのはイオです。
木星とガニメデ

 40分後です。ガニメデは木星から離れたところまで移動しています。
木星とガニメデ

 さらに20分後です。ガニメデが暗くなっています。こんどは木星の影の中に入っているようです。完全にイオより暗くなっています。
木星とガニメデ

 その1分後です。カメラのファインダーからは確認できなくなっていますが、まだ写真には写るようです。
木星とガニメデ
posted by ヨッシン at 00:00|

2021年10月29日

星の情報 10月29日号

 10月26日です。久しぶりに天気がよかったので、大きな方の望遠鏡をだして見ました。はじめはもたもたしていたために、金星は沈んでしまっていました。まずは土星です。露出時間を延ばし衛星を写してみました。左からタイタン・テチス・土星・エンケラドス・ディオーネ・レアの順です。ミマスは土星の光芒とかぶっているようです。
土星と衛星

 土星本体を拡大しました。土星部分のみのトリミングで、画像処理をしています。
土星

 木星です。最初に衛星の並びから。左からイオ・ガニメデ・エウロパ・カリストの順です。
木星と衛星

 木星の拡大です。トリミングで切り出したものを画像処理しています。イオとガニメデもいっしょに切り出しています。
木星

 もう一度、土星に戻って写しました。
土星

 再び木星です。大赤斑、衛星ともに動いているのがわかります。
木星
 木星は肉眼でも非常にシャープに見えていました。そのわりには、写真にある大赤斑を見落としています。
 15日は直視で確認するのを忘れていました。イベントが立て続けにあったので、ピント合わせとかで時間を取られたくなかったのもあります。
 ケレスがヒアデスの中を移動しているという情報が入ったので確認のため、ヒアデスを写してみました。135mmの望遠で画角いっぱいです。いちばん明るい星がアルデバランです。これくらいが限界かな。もう少しはっきり写って欲しい物です。10秒ほどの露出で星が流れ始めています。ケレスはどれなのかよくわかりません。
ヒアデス
posted by ヨッシン at 00:00|

2021年10月30日

星の記録 10月30日号

 29日号の続きです。その後はケレスを追いかけています。
 26日は、固定撮影をしていました。135mmクラスの望遠なら大丈夫と思っていたのですが、10秒弱の撮影でも星が流れています。27日からはアストロトレーサを使うことにしました。
 27日です。まずは昇ってきたアルデバランです。この下の方にケレスがいるはずです。
アルデバラン

 プレアデスも近くにいるはずなので、探して入れました。
プレアデス

 再び、ケレスに戻ります。
ケレス

 見てもどれかよくわかりません。使っている天文シミュレーションソフトでケレスがあるという場所の近くを拡大し、ソフトの表示を左に並べてみました。数字は星の等級(100倍しています)です
ケレス
 ケレス(セレス)があるという場所には星が見当たりません。7.7等の明るさの予想です。X印を入れたところに7等台後半の明るさの星が写っています。これがケレスの可能性が高そうです。
 135mmでは小さすぎるので、300mmに変えてみました。
ケレス
 この1時間後です。
ケレス
 2つを並べてみると、動いていることでケレスが判別できるかなということで並べてみました。何となく動いているように見えるのですが、はっきりしません。後日、もう少し間隔を広げて並べてみることにします。
posted by ヨッシン at 00:00|