2021年08月17日

2014年北海道 62   旅行記を書いていて..

 古い写真を引っ張り出して、旅行記を書き始めました。写真から適当なものを選んで、ワープロソフトで順番に貼りつけていきます。それからは、これこれの写真ですと書けばよいと考えていました。写真のファイル番号と何を写したものかはリストにしていますから、この作業は簡単に終わると思っていました。たとえばこんな具合のCSVファイルになっています。

IMGP3976.htm,日本海航路,フェリースズラン,IMGP5167.htm,IMGP3977.htm

 これから適当なhtmタグをつけることで、画像表示と説明がブラウザーで表示できるファイル(HTMファイル)を作ることができます。HTMファイルは大部分が共通で、一部違うところがあります。HTMファイルで相違する部分をCSVファイルで一覧として書いています。かかれている項目は順番に、出力ファイル名、場所、説明、前ファイル名、次ファイル名です。
 出力したファイルからの表示はこんな感じになります。
パソコン表示

 旅行記を書き始めてみるといろいろ気になることがでてきました。そのままだと居心地が悪いので、再度調べ直したりしていました。記録の中にも間違いが結構見つかっています。たとえば知床クルーズでオジロワシをカモメにしていたりとか、標津でトウネンを見過ごしていたり、トムラウシではコガラをコサメビタキにしていたりとかの間違いがありました。キョウジョシギをキョウジシギとしていたという単純ミスもあります。鳥の種類のミスが多いですね。

 記事の原稿を書いていて見つかった間違いは、位置が違っていたというのが大半です。GPSロガーの記録がないというのが原因の一つかも知れません。車で走った経路がわからないところもたくさんあります。弟子屈から斜里まで、標津から霧多布まで、愛別ICから旭岳温泉までといったところはよくわかっていません。
 GPSロガーをどうして持っていかなかったのかは不明です。初期の頃は単3アルカリ電池を使っていました。これだと1日で容量を使い切ってしまいます(足りなかったかも)。10日なら単純に10本必要となります。その後は中途半端に容量が残った電池が積み上がることになります。
 充電池が使えるとか、車からUSB経由で使用可能だとかいうのは、かなり後になってわかってきたことです。今のスタイルになるまでだいぶかかりました。電池のことで使用しなかった可能性はじゅうぶんに考えられます。でも断定はできません。
 調べ直してみて、ニセコのように写真を撮影した詳しい場所がわかったところもあります。ストリートビュー様様です。渡島半島西海岸のようにこのあたりで終わってしまったところもあります。
 歩いたところでは、知床三湖と二湖の間違いがわかりました。三湖は4分の3周ほどしていますが、二湖は北岸を歩いただけです。適当に森の中を通ったところで区分していました。これは写真を見直していて三湖についたときに見た解説板が二湖で写したとしていた写真にも写っていたことから判明しました。
 松前城の天守にいつ入ったのかもはっきりしていません。このあたりについては簡単に記述しました。こうだったのではと書いている内に、だんだんそうしていたと思うようになってきています。たとえば、松前神社から天守の入口を探して広場を端までいったけれども見つけることができなかったので、こちら側から入ることを断念したような気がし始めています。こんな所から思い違いが始まるのですね。
 他に写真にないところでいえば、小樽市内での移動経路も不明のままです。特に夕食(ラーメン)を食べた場所がいつでどこなのかということです。記憶の場所にラーメン屋はありますが駐車場がありません。自転車で行ったかどうかも検討してみました。あったのかどうか悩んでいたのですが、2016年の九州の旅行記にはしっかりと買って持っていくことにしたと書いています。この線は消えました。
 結局、ターミナルから記憶のラーメン屋まで歩いて行った可能性が大きそうです。ターミナルに車を駐めてから、乗船開始まで時間があったので近くに食べたり買い物のできるところがないか探しに幹線道路まででたところその店が目に入ったというのが真相のような気がしています。灯りがついていて明らかに営業中という店がほとんどなかったように記憶しています。
 北海道内を車で走ったコースを地理院地図に記入してみました。日別で色分けしたつもりです。白糠IC本別IC間は高速利用にしています。実際は、未開通であったため国道経由が正解になります。
周遊コース

 こうやって見るとガソリンをどこで入れたのか気になってきます。いろいろ考えたのですが、ふと旅行時にメモ書きとして携行しているノートを見ると、使った経費が書かれていました。それもノートの最初のページです。記録を残そうと思い、ノートを使い始めた最初の旅行だったようです。
  原稿を書き始めた時点で給油していた思っていたのは、清水町と函館、小樽です。清水は間違いで白糠だったようです。他に給油していた場所は、弟子屈、羅臼、芦別です。
 記録によると、ガソリン代33千円、高速道路18千円、フェリー64千円、その他交通費入館料13千円、宿泊費79千円、合計207千円になっています。小樽から大阪までのガソリン代、旭岳ロープウェイについては記載がありませんから、もうほんのちょっとだけ使ったことになります。車の走行距離は2700kmでした。

 記事原稿を書くために選んだ写真は、記事投稿のサイズにしてから、ファイル名を年(西暦下2桁)月日時分の10桁の数字に書き換えています。短時間にたくさんの写真があったりすると、番号をずらしていきファイル名が重ならないようにしています。何枚もの写真が連番で並ぶこともあります。59分前後で重なったときは下2桁が60以降の番号も使用しています。
 このようにして掲載準備のできた写真を順番にワープロソフトに貼りつけていくのですが、1回あたりの記事の長さが同じくらいになるようにだいたい7枚ずつ配分しています。足りないときは、掲載できそうな写真がないか探して追加します。
 多いときも写真を追加したり他の観光地のものとあわせて2回分にわけたりで記事の長さを調節しています。
 だいたい写真を並べ終えたら、写真の解説を中心に記事を書きます。前後に写した写真もヒントになることもありますから、参考に見ています。中にはこれの方がよかったのではというのもあって入れ替えることもあります。
 追加した方が良いものも入れるようにしています。連番が続いていて入れられなかったりというのもあります。知床クルーズでのフレペの滝(男のなみだ)やオジロワシがこれに該当します。

 写真の記録を見ていて気になったのは、星の写真がないことです。小樽から帰ってくる船の上からの金星の写真のみになっています。期間中の写真を見ていて、からっと晴れていたというのはほとんど見当たりません。大沼くらいかな。基本的には天気が悪かったから見なかったというような気がしています。
 フェリーからでは結構灯りが強いのと、高速船ということで風が当たらないように周りが囲まれたところしかありませんからあまり星は見ません。到着後の苫小牧は遅かったのと大きな都市の真ん中ということで観測することを想定していなかったでしょう。ウトロも到着が遅く星を見られる状態ではなかったようです。木古内は到着前に夕陽を見ています。でも昼間に比べて雲が増えていたようなので、見えなかったことはじゅうぶんに考えられます。東大雪と同じように、外にようすを見にでたような気がしています。

 この文章を書いている途中でワープロソフトがエラーでハングアップするというのが何回かありました。書き始めてからこまめに保存していないし、自動バックアップもとっていません。そこまでの努力は水の泡です。
 パソコン初期の頃は2−300Kb(MBではない)程度の文章でもバックアップが始まるとしばらくの間何もできなくなっていました。いきなり来るのは困るので自動バックアップはしない設定にする習慣になっていました。
 今回は、いちおうするように設定を変えましたが、とってくれていたのかどうか。何度がバックアップ中ですという表示で手が止まりました。そのわりには設定した15分おきに襲ってこなかったというのはどういうことだったのでしょうか。結局のところ役には立っていません。こまめに上書き保存しておいた方がいいようです。
posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記