日本庭園といわれる場所です。一応庭園なのでしょう。

再び松前藩屋敷の横を通ってお城の方に引き返します。藩屋敷の塀越しに見えた藩屋敷内部です。正面は沖の口奉行所です。

龍雲院の前を通ります。戊辰戦争の時に唯一焼け残ったお寺だそうです。

松前神社です。松前藩の始祖を祀っているそうです。

松前城の天守です。記憶が定かではないのですが、神社からこれを写した場所までは100m程です。真ん中くらいから写したと思われる写真もあります。にもかかわらずここまで10分以上かかっています。どうしてこれだけかかったのかが謎です。
いろいろなことを総合してみると、直接いこうとしたけれども塀に阻まれて行くことができず、ぐるっと回って、松前城資料館の入口から入ったようです。観覧券は藩屋敷で共通券を購入していますし、半券ももぎり取られています。資料館に何があったのかは全く覚えていません。館内撮影禁止だと、記録写真も撮れません。藩主の名前の並んだ解説だと頭の中には入り切りません。歴史上特筆すべき事がなければ詳しく見ていないでしょう。

本丸御門です。

一応松前公園を一通りまわったことになります。車まで戻り、渡島半島の西海岸を北上していくことにします。この道は福山街道と記録しています。福山とは松前のことで松前城は正式には福山城といいます。今は日本海追分ソーランラインというようです。
江良漁港付近から見えた渡島大島です。記録には二越岬付近となっています。駐車場がないので本当にここだったのか。

さらに進んで行くと奥尻島が見えてきました。場所ははっきりしませんが上ノ国町に入ったあたりかな。記録には石崎付近と書いています。車の走行時間でだいたいこのあたりとしか判断できません。
