2021年08月01日

8月になりました

 8月になりました。暑い日が続いています。今年の残暑はきついとか。今日も、昨日に引き続いて夕立がありました。雨は少なめ時間も短めです。雨の前後は風があっていいのですが、日が沈んでからは風が止まって蒸し暑くなってきました。風も吹いて欲しいというのは贅沢なのでしょうか。
 雨がやんでから、日が差し込んできたので東の空を見るとうっすらと虹が架かっているのが見えました。
虹
 太陽が薄ぼんやりと見えていますから、虹も薄かったようです。
 日差しも少し強くなってきたのでもう一度見ると、反対側の虹がはっきりしてきました。こちら側はマンションの間に見えます。副虹はあるようなないような状態でした。
虹

 その後南の空に発達中の積乱雲(降雨域が見えますから積乱雲とします)が見えました。大きくなるようすを見ようとしましたが、東に流れて建物に係始めたのと、低層に雲が広がってきたのですぐに見えなくなってしまいました。
積乱雲

 雲といえば、先月の17日にウィンナーソーセージのような形の雲が見えていました。い千切れ千切れになった飛行機雲なのでしょう。
飛行機雲

 飛行機雲の色は、太陽の当たり具合によって黒く見えるときもありますから白くないのは気にはなりません。27日に見えていた飛行機雲は遠くのものが黒くなっています。
飛行機雲
posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2021年08月02日

8月になりました(続)

 昨日は、天気のことを書いていたらいっぱいになってしまいました。時間切れ(だいぶ遅れて)で投稿となりました。

 今日は緊急事態宣言が発令されました。出したり引っ込めたり蔓延防止にしたりで、もう何回目かわからなくなりつつあります。またもや月曜日からの発令となっています。月曜日はやめてくれという声があって検討するといっていたのに、それ以後も月曜日が続いています。金曜日に発令するといって月曜日まで間が空いたら、以後できなくなることをその間にやってしまおうという気にもなります。案の定土日の、人の流れは増えていたようです。人流は減っているといっているみたいですが、その割合は元データを見る限り微々たるものです。今回の宣言の効果は期待できないでしょう。東京では、先に宣言が出されましたが、その後も新規感染者数は増え続けています。
 前回東京で宣言を解除したときは、確かに感染者数が減っていました。実際には実行再生産数は増え続けていて、もうまもなく1を越えそう、これから感染者数は増加に転じそうというタイミングでした。案の定、すぐに感染者数が増えてきて現在に至っています。
 感染者数の増減をみていると、緊急事態宣言に関係せず人々が、感染者数の変化などをみて行動を自粛したり、自粛を解除したりすることで感染者数の波ができているように見えます。宣言の効果はもともと少なかったようです。第1波の時も、自粛を始め(たぶん志村さん効果で)発令の時にはすでに減少し始めていました。
 コロナでわかりにくくなっているのは、ウィルスに暴露されてから発症するまで2週間というタイムラグがあることです。そのことをしっかり考えておかないと肝心なことを見落とすことになります。オリンピック開催で、感染者が増えてきたかどうかわかるのはもうしばらくしてからです。オリンピックによってウィルスが持ち込まれたり人の流れが増えたりして感染者数に変化が出始めるのはもうしばらくしてからです。オリンピックと観戦者増大は関係が無いというのは時期尚早です。
 今増えているのは、オリンピックの中止という選択肢がいつの間にか消えてしばらくしてからの時期を考えないといけないでしょう。オリンピックをやるぞとなって、それなら動いても大丈夫という気持ちにさせたことが一番の原因のような気がします。選手が練習のために入国し始めました。だんだんオリンピック色に染まってきたことによって、何をしても「安心・安全」という気持ちにさせてしまったことが、現在の感染拡大の原因のような気がします。大阪市は緊急事態宣言になってもオリンピックをやっているのと同じで、修学旅行は中止にしないといっています。庶民もこんな感じなのでしょう。これでは知事会が県境をまたぐ旅行を控えるようにといっても効果はありません。
 一つ気になるデータがあります。東京のPCR検査件数が、第3波の時と比べてみて2割ほど少ないことです。4連休を挟んでいた影響がでたのかも知れません。でも、もう一つ検査数に対する陽性者数の割合(検査陽性率)が急速に大きくなっています。これは、検査が追いついていないことを意味しています。検査にかかる資材がオリンピックに裂かれて減ってしまったということはないのでしょうか。医療逼迫の一つにオリンピックに出向していることもあげられています。
 オリンピック開催が間接的に感染拡大に寄与しているのは間違いないでしょう。
 検査陽性率が大きくなると市中にいる感染者の見落としが多くなっていることを示します。この人たちが感染を広めてという具合に進んで行くと。オーバーシュートもかなり現実味を帯びてきます。
 選手村ではクラスターは発生しないでしょう。肝心な人たちは潜伏期間の間に帰国しています。発症前からウィルスをばらまくこともわかっていますし、ワクチン接種者でウィルスをばらまきます。ウィルスの増殖は続くでしょう。はっきり感染したとわかるのは国内関係者のみでしょう。選手は自国に持ち帰ってどうなるかということが問題になりそうです。今の大会関係者の感染もそれなのかも。

 今回の緊急事態宣言は打つ手はないともいわれています。完全に自粛疲れ状態になっています。活を入れるとしたら、オリンピックをや中止にするか、総理都知事が雁首そろえて辞職した上で謝るしかなさそうな気がします。ロックダウンといっても国会が開けない以上できるわけがありません。開けても決議できるまでどれくらいかかるのか。
posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2021年08月03日

8月になりました(花便り)

 7月1日に月下美人が咲いたと書きました。その半月後に葉を確認してみると、花芽がついているのがわかりました。15日のようすです。
月下美人つぼみ

 30日にはかなり大きくなっていました。白い花弁が出てき炊いたので、まもなく咲くだろうということは予測できました。
月下美人つぼみ
 この間の少し大きくなったつぼみを写していたと思っていました。写真が行方不明です。写っていなかったのかな。
 9時半ころのようすです。まだ開き始めていません。暗くなってからだいぶ経っていますから、咲くのなら、開いていてもいい時間です。今日は無理なのかな。
月下美人つぼみ

 翌日と思っていました、念のため11時頃確認すると開いていました。開きはじめが遅かったようです。まだ開ききっていません。
月下美人の花

 翌朝にはもうしぼんでいました。その後開くことはありませんでした。
月下美人 おわった花

 葉先を確認してみると、つぼみを一つ見つけることができました。
月下美人 つぼみ

 この芽は少し形が違うので茎になるのかな。
月下美人 芽


 他の花です。花は少なめです。例年ならニチニチソウの花がたくさんつきますが、今年はあまりありません。何年も育てていると花の着きが悪くなるのかな。
 トマトかなといっていた雑草に花がつきました。花の形はトマトのようです。
トマト 花

 こちらは千日紅です。枯れた花の萼の間に小さな種ができていたので取り出して蒔いたら花をつけました。花穗を埋めただけでは芽が出てきませんでした。
千日紅 花

 マツバギクがまた枯れ始めました。水は控えめにしていたのですが、根腐れしたようになっています。連作障害のようなものになっているのか。残った一株のようすを見守ることにします。一応挿し木はしています。根付いてくれるでしょうか。
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2021年08月04日

8月になりました(星)

 金星がいつの間にか夕方西の空で明るく輝くようになってきています。土星が2日に衝になりました。大きくて明るくなり見やすい時価が続きます。日が沈んだ直後から見え始めます。木星は1月ほど前に衝になりましたから、日没後には少し高いところまで昇っているようです。我が家ではまだ夜中を過ぎないと観測できる場所にやってきません、観測できるまでまだしばらくかかりそうです。

 7月は天気のいい日が少なかったのであまり観測できませんでした。時々国際宇宙ステーション(ISS)が見えていましたが、観測できたのは2回のみでした。
 7月17日のISSです。上から2本目の線がISSになります。何とか見えました。
国際宇宙ステーション

 20日です。見えませんでした。薄雲もかかっていたようです。写真には何とか写っていました。建物の間を横切っている線です。
国際宇宙ステーション

 月末から月初めにかけても何度かチャンスがあったのですが、見損ねています。次に見たのは8月2日です。
国際宇宙ステーション
 何を間違えたのか、星はほとんど写っていませんでした。
 望遠鏡で拡大してみました。ちょっとピントが甘かったようです。セッティングにもたもたして気がついたら見え始める時間が迫っていました、前回あわせたままで写していました。
国際宇宙ステーション

 3日です。北西から南東に向かってほとんどまっすぐあがってきます。縦構図で撮影しています。
国際宇宙ステーション

 反対の空に抜けてからのようすです。カメラを急いで反対側に移動させた後しっかり固定しなかったので動いています。地球の影に入る頃のものでだんだん暗くなっています。窓からの撮影になります。
国際宇宙ステーション

 望遠鏡でも写してみました、昨晩にアークツルスでピントを合わせていたので、そのまま撮影したのですが、まだまだぼけています。見え始めた頃のものです。
国際宇宙ステーション
 だいぶ高く上がってきてからのものです。これではどういう構造をしているのかがよくわかりません。
国際宇宙ステーション

 明日以後も何度か見えるようです。明るさ 見え始め時刻高度方位 最大高度時刻 高度 方位 見え終わり時刻 高度 方位の順番です。10°以下の高度では暗くて見えないものとして書いています。月末には明け方に見えるようです。詳細は省略します。
8月5日 -1.7 20:14 10°西北西 20:17 22°南西  20:18 14°南
8月6日 -2.7 19:26 10°西北西 19:30 40°南西  19:33 10°南南東
8月8日 -0.9 19:30 10°西南西 19:31 12°南西  19:32 10°南南西
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2021年08月05日

2014年北海道 53 8/26 大沼公園から木古内へ

 大沼のでき方については、裏磐梯と同じように考えることができます。磐梯山の噴火では、山が崩れ落ち(山体崩壊)て、無数のかけらとなって高速で斜面を下って(岩なだれ)きました。崩れた土砂は、麓の低地にたまり、川をせき止めてたくさんの湖や沼を作りました。
 崩れ落ちて壊された山のかけらは、大きなものでは数十mになるものもあり、これが低地の取り残されれば小山のようになります。このようにしてできた山を流山と呼んでいます。大沼や小沼に見られる小島は流山が作ったものです。流山が作ったとみられる地形はセバット付近や大沼公園駅東側にもたくさん見られます。
 山体崩壊は火山ではよく起こる現象で、駒ヶ岳も1640年の噴火で発生したという記録があります。駒ヶ岳の尖った山も崩れ落ちてできたように見えます。
 大沼を巡りながら、駒ヶ岳を見ていくことにします。大沼公園駅前付近はよく見えそうですが、車を駐めるには有料になります。ちらっと見たいだけなのでちょっと勘弁です。大沼の南側を西に進んで、どこかないか探していきます。
 道と沼の間には林が続きます。何とか木々の間に見えた駒ヶ岳です。山体崩壊の形が一番はっきりしているのは尖った山から右側へ、見えている尾根の向こう側に崩れ落ちたものです。この方向へ落ちたものはこちら側にやってきそうにもありません。みえている手前の斜面も傾斜緩そうなので落ちてこないでしょう。考えられるのは高いところから、左側にも崩れ落ちてからぐるっとセバットの方に向きを変えたという流れでしょう。
大沼公園 駒ヶ岳

 キャンプ場と駐車場がありましたので、そこに車を入れました。まだ沼は見えませんから少し歩かないと行けないようです。見た感じではキャンプ場からでは山は背になりそうです。反対側に行く遊歩道があったので行ってみました。その先で見えた駒ヶ岳です。
大沼公園 駒ヶ岳

 大沼です。このあたりは沼の東端になります。
大沼公園東大沼 大沼

 先に進みます。少し引き返したところから海岸へでる道道に入ります。海岸にでたらそこにある国道を南下していきます。すぐに鹿部間欠泉公園につきます。前に来たときは、間欠泉が工事現場のような中にありました。今回は温泉施設の中です。その前の海岸にでて駒ヶ岳を見ました。雲がでてきています。
鹿部間欠泉公園 駒ヶ岳

 そのまま国道を南下していきます。南かやべ漁協大船漁港とその向こうに亀田半島の東側の山が見えています。左の高いのは丸山かな。
大船漁港 亀田半島

 銚子岬のトンネルを過ぎると恵山が見えてきました。
国道279号椴法華 恵山

 恵山の東側海岸は通りぬけられませんから山越えをして西側の海岸にでます。少し南下すると道の駅なとわえさんがあります。そこから見た恵山です。
道の駅なとわえさん 恵山

 そのまま海岸沿いを走ると、函館市街に着きます。途中どこにも寄っていません。ただドライブしただけでした。町中は渋滞しそうなので、できるだけ避けた道を選んで進みます。ガソリンもそろそろなくなってきています。補給もしないといけないでしょう。
 湯ノ川から道道100号に入り進んで行きます(函館環状道路はこのときにはできていません)。ちょっと込んでいましたが、何とか通過です。ガソリンスタンドを見つけて、給油をしたらすぐにバイパスに入ります。北上して函館ICから函館江差道に入ります。北斗中央ICを通過するときには雲の間から夕日が差していました。もうすぐ日没です。カメラの向きを確認しないでシャッターだけ押しています。
北斗中央IC 夕陽

 自動車道終点から、国道にでて先に進みます。木古内の市街地の手前で今日の宿が見えてきました。


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2021年08月06日

2014年北海道 54 8/27 木古内から松前へ

 木古内の朝です。少し晴れ間が広がってきています。外にでて、海岸から海の向こうを見わたしてみます。右側に渡島半島の先端が見えています。位置でいえば狐越岬になるのでしょうか。さらにその向こうに津軽半島がかすかに見えています。間が津軽海峡になります。下に青函トンネルがあって、鉄道で本州に渡ることができます。
木古内から津軽海峡

 木古内の町の方まで行ってみました。新幹線の工事をしていて、駅舎を作り替えているところでした。新幹線ができれば、ここの駅は貨物列車と新幹線が青函トンネルに入るための接続駅になるのでしょう。江差方面の線路はまもなく廃線になります。そういえば、夜中まで貨物列車がたくさん走っているのが聞こえました。ここでの写真の記録は1枚もとっていませんでした。
 今日の予定は、渡島半島の西側を通って小樽まで抜けます。小樽からは23時30分発のフェリーで舞鶴港にいくということは決定しています。北限のブナ林とニセコ羊蹄山は近くで見たいと思っています。
 海岸を走る国道を進んで行きます。青函トンネル関係のものがあればと思っていたのですが、見つけられないまま通過です。
 海岸につけられた履道の手前に少し広めの駐車場がありました。何か様子を見るために入れてみました。
 到着したところは、白神崎で北海道の最南端になります。向かい側は津軽半島龍飛崎で距離は19.2km離れています。季節によっては、渡り鳥がここを大群で渡っていくのを見ることができるそうです。生物学的にはブラキストン線なんていうものもあります。
白神崎から津軽半島

 岩木山も見えています。左側の陸地は、津軽半島から突きだした小泊岬です。
白神崎から岩木山

 函館方面です。見えているのは渡島半島の西半分の松前半島の一部でしょう。矢越岬、木古内との真ん中くらいかな。朝見えていた、狐越岬はここからみえる山の向こうに回ったところにあります。
白神崎から函館方面

 駐車場の奥まで行くと渡島小島が見えるようになりました。
白神崎から渡島小島

 ちょっと進んだ所に白神崎展望所がありました。ここからは渡島大島もみえます。日本最大の無人島だそうです。住人はオオミズナギドリです。
白神崎展望所から渡島大島

 さらに進むと、松前の町に着きます。町に入る道を見つけられずに行き過ぎてしまいました。向きを変えられる場所がないかと探しながら走っていると、折戸浜海岸まできてしまいました。駐車場がありますからここで向きを変えます。パトカーもやってきていました。ここからの津軽半島です。
折戸浜海岸から津軽半島


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2021年08月07日

2014年北海道 55 8/27 松前公園

 松前では、松前城を見に行くことにします。さくらで有名ですが、今は季節ではありません。最北端の日本式の城というのも見どころです。車で城下通りを走り、松前城に入る道まではわかりました。狭くて急坂なので車では無理と判断し、入らなかったのははっきりしています。その後はどうしたのかよくわかりません。海岸沿いにある道の駅に車を入れたのか、強引に入っていったのかはっきりしません。問題の坂が車でもじゅうぶん通れる広さと思ったような記憶もあります。
 坂の下、道路側面にある石垣です。説明板が立っていて、石垣が発掘されたと書かれています。正面とか側面に石垣が見られますが、これのことなのかどうか。これをしっかり見ているということは、ここは車でなく歩いているように思えます。
松前公園 石垣

2014/08/27 09:35 1408270935.jpg IMGP5023.JPG 松前公園 石垣
 駐車場前の広場です。向こう側を城壁が取り囲んでいるのが見えます。
松前公園 城壁

 天守入口前につきました。反対側に門が見えています。搦手二ノ門です。通りぬけて反対側から写しています。
松前公園 搦手二ノ門

 さらに先にもう一つ門が見えます。木の陰になっています。天神坂門です。
松前公園 天神坂門

 木の下あたりから見た搦手二ノ門方向です。手前に三本松があります。
松前公園 天神坂門から搦手二ノ門

 外から見た天神坂門です。高麗門です。
松前公園 天神坂門

 天神坂門を入った正面に見える城壁です。先ほどはこれを内側から見ていました。
松前公園 天神坂門から城壁

 搦手二ノ門から見た天守入口です。見えている門とお城との関係は不明です。チケット売り場になっています。
松前公園 天守入口

 入らずに右側(北側)に進んで行きます。開いていないと思ったからかな。観光案内所でパンフレットを入手します。さらに進んで、天守の北側にまわります。ここからの天守です。
松前公園 天守閣

 道をさらに北に進んで行くと松前藩主松前家墓所にでました。奥に見えているのがお墓かな。
松前公園 松前藩主松前家墓所


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2021年08月08日

8月初旬のISS

 今日でオリンピックが終わりました。報道関係も少しはオリンピックから離れて早く普通の報道に戻って欲しいものです。一度、どうしてオリンピックに反対するのかということを書いておかないと行けなと思っています。今日にあわせて書き始めたのですが、理路整然という風にはなかなかいかず苦戦しています。だいぶ見通しも立ってきているのでそのうち投稿したいと思います。時期的にはパラにあわせた頃になりそうです。



 さてタイトルにあるISS(国際宇宙ステーション)の記録です。4日には3日までの記録を載せています。今日はそれ以後の分になります。この後は今月中は夕方に見えないのでISS観測はしばらくお休みです。月末に何回か明け方にありますが、夜明け前はパスすることにしています。
 4日にも見えていました。北東方向から北西高いところを通って軟投に抜けるコースです。日没直後で空が明るかったので、露出時間を短めにして撮影しています。画像処理で星を強調しています。
国際宇宙ステーション
 南東に抜けてからのものです。カメラを移動させて写しています。
国際宇宙ステーション
 望遠鏡で拡大したものです。見え始めた頃のものです。
国際宇宙ステーション
 高度がだいぶ上がってからのものです。60度くらいかな。近くなっているのに小さくなっているような。
国際宇宙ステーション
 4日は次の周回時も見えていたようですが、時間を読み間違え見損ねてしまいました。

 5日です。遅めだったのでだだいぶ空は暗くなっています。北西の空に昇り始めた頃のものです。
国際宇宙ステーション
 南西の空に消えるようすは別のカメラで写してみました。
国際宇宙ステーション
 望遠鏡で拡大してみましたが、うまく写りませんでした。写し始めて、シャッター速度が1/6000秒になっているのに気がつきました。かすかにしか写っていません。何とか処理をしたものです。
国際宇宙ステーション


 6日です。この日も日没直後でした。日が沈んだ頃から南の空から雲が広がってきて、ISSが出始めた頃には空を広く覆ってきていました。画角右下から左上ほぼ対角線に沿って昇っています。露出は短め、画像処理をしているので蜘蛛が変な色。になっています
国際宇宙ステーション
 見えていなかったので、片付けましたが、その時にはまだでていたようです。

 8日です。7日には見えるところにやってきていません。6日とほぼ同じ時間で1頭ほど暗くなっています。はじめからあまり期待していませんでした。日没前に太陽に幻日ができていました。
幻日
 その後は雲が広がってきて、完全に空を覆っていました。星は見えませんでした。

 
posted by ヨッシン at 00:00|

2021年08月09日

台風通過

 今日台風が通過しました。立て続けに3つ発生し東のものから順番に日本に接近遠ざかっていきました。一般的には東西に並んだ台風は、西にあるものが進路が押さえられて進行速度が遅くなるといわれています。今日はその一番最後の台風9号でした。3つの中では一番最初に発生しています。
 夜中に九州に上陸して西日本から日本海に抜けると予想されていました。その時の中心気圧は980hPaで、台風としては小型の部類に入ります。これだと、離れたところを通過すれば、それほど風が強くならないだろうと思っていました。
 昼前くらいまでは予想通り、それほど影響を感じませんでした。10時過ぎくらいから、雨がぱらつきだしてきました。少し風が強くなってきています。普通の台風ならもう通過してもよさそうなのにと思いながら、中心位置を気象庁のサイトから確認すると、温帯低気圧に変わっていますが、まだ中国地方の真ん中にいます。中心気圧は980hPaです。台風の規模のわりには風が強すぎるようです。でもよく考えたら温帯低気圧で中心気圧が980hPaなら大きな部類に入ります。広範囲にわたって強風が吹きます。この頃の風の葺き方は、強くなったり弱くなったりを繰り返しています。どちらかというと台風の風の葺き方に近いようです。
 風は昼をまわっても強いままです。正午過ぎにみた近くにある建物前のケヤキの木のようすです。だいぶ風に流されています。
台風の風
 風が弱まるようすがありませんから、急いで強雨風対策をする事にしました。このようなことはめったにありません。風当たりの強いところにあるものを影響の少なそうなところに移動させます。一部は室内に移動させました。鉢類はできるだけ密集させてます。風が一番当たりそうなところは重たそうなものを持ってきます。今年はすだれを窓の外につけてみたのですが、支柱だけ残して外しました。グリーンカーテンはどうしようもないのでそのままです。
 雨は時々強く降る程度でした。これも台風の時の降り方に似ています。3時頃には終わったようです。風は強いままです。窓を開けていると室内のものが飛ぶので閉めたままです。それでも外を吹き抜ける風の音がおおきく聞こえてきます。夜中近くまで聞こえてきました。少し弱くなったかなというときに、窓を少しだけ開けて風が通るようにしまし。夜中近くの音は、この隙間を吹き抜ける風だったようです。
 鉢を動かしたときに、パイナップルに新しい花穗ができているのを見つけました。今からだと寒くなる前に実るのでしょうか。
パイナップル花穗
 こちらは春に咲いたパイナップルです。実がだいぶ大きくなっています。だるま型をしています。窪んでいる1段のところは花が咲いていませんでした。頭が重たく垂れ始めていますから支柱で支えています。
パイナップル実


 明日は、動かしたものを元に戻す作業が残っています。すだれもつけ直さないといけません。少し大変そうです。
 
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2021年08月10日

2014年北海道 56 8/27 松前藩屋敷

 墓所をぐるっと回るように進んで行き、突き当たりを左に進むと松前藩屋敷にでます。江戸時代の建物を復元しているようです。移築したのか、まねて作ったのかは何とも書かれていません。見ていくことにします。入口で入場券を買います。松前城資料館との共通券を購入しました。
 中に入って最初に写した写真は、軒下に置いてある人形です。忍者装束をしています。藩屋敷との関係は何なのでしょう。
松前藩屋敷 人形

 中の建物を紹介します。商家の建物です。近江屋と書かれています。前に置いてある篭は有料で乗せてくれるのだったかな。
松前藩屋敷 商家の建物

 沖の口奉行所です。えぞに出入りするものを検めていたそうです。
松前藩屋敷 沖の口奉行所

 旅籠屋の越後屋帳場です。
松前藩屋敷 旅籠屋帳場

 自身番小屋です。火事が大敵ということで、火番所の役割の方が大きかったようです。
松前藩屋敷 自身番小屋

 廻船問屋敦賀屋の建物です。
松前藩屋敷 廻船問屋敦賀屋

 武家屋敷の居間です。
松前藩屋敷 武家屋敷居間

 武家屋敷前からの園内のようすです。右が自身番所、正面が廻船問屋の母屋と蔵です。
松前藩屋敷


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2021年08月11日

2014年北海道 57 8/27 松前から江差

 松前藩屋敷は、町や城からだいぶ離れたところにあります。これ以上先にいくと戻るときのことも考えないといけません。さらに奧には、カントリーパーク日本庭園というのと北鴎碑林というのがあります。北鴎碑林は当地出身の詩家の作品が彫り込まれた石碑がたくさんあるとか。文学碑は理解できませんので、パスします。日本庭園はどんなものなのかようすを見るだけにします。
 日本庭園といわれる場所です。一応庭園なのでしょう。
松前 日本庭園

 再び松前藩屋敷の横を通ってお城の方に引き返します。藩屋敷の塀越しに見えた藩屋敷内部です。正面は沖の口奉行所です。
松前 松前藩屋敷

 龍雲院の前を通ります。戊辰戦争の時に唯一焼け残ったお寺だそうです。
松前 龍雲院

 松前神社です。松前藩の始祖を祀っているそうです。
松前 松前神社

 松前城の天守です。記憶が定かではないのですが、神社からこれを写した場所までは100m程です。真ん中くらいから写したと思われる写真もあります。にもかかわらずここまで10分以上かかっています。どうしてこれだけかかったのかが謎です。
 いろいろなことを総合してみると、直接いこうとしたけれども塀に阻まれて行くことができず、ぐるっと回って、松前城資料館の入口から入ったようです。観覧券は藩屋敷で共通券を購入していますし、半券ももぎり取られています。資料館に何があったのかは全く覚えていません。館内撮影禁止だと、記録写真も撮れません。藩主の名前の並んだ解説だと頭の中には入り切りません。歴史上特筆すべき事がなければ詳しく見ていないでしょう。
松前 松前城の天守

 本丸御門です。
松前 松前城本丸御門

 一応松前公園を一通りまわったことになります。車まで戻り、渡島半島の西海岸を北上していくことにします。この道は福山街道と記録しています。福山とは松前のことで松前城は正式には福山城といいます。今は日本海追分ソーランラインというようです。
 江良漁港付近から見えた渡島大島です。記録には二越岬付近となっています。駐車場がないので本当にここだったのか。
江良漁港付近から見えた渡島大島

 さらに進んで行くと奥尻島が見えてきました。場所ははっきりしませんが上ノ国町に入ったあたりかな。記録には石崎付近と書いています。車の走行時間でだいたいこのあたりとしか判断できません。
福山街道から見えた奥尻島


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2021年08月12日

2014年北海道 58 8/27 江差から八雲

 江差に着きました。持っていった地図には海に突き出した半島のようなところに「えさし海の駅」と開陽丸があると書かれています。トイレ休憩のこともありますから、こちらにいってみます。
 駐車場について、最初に眼に入ったのが開陽丸です。幕末期に幕府の軍船として作られたものの、江差沖で暴風雨に遭い座礁して沈没しています。いまはその姿を復元して展示されていて、船内では開陽丸関係の資料が展示されています。
江差 開陽丸

 資料は脳みそがパンクするのでパスすることにします。外側を観察させてもらいます。船の砲門です。大砲が見えています。
江差 開陽丸砲門

 横に置かれていた開陽丸のスクリューを回すためのシャフトです。
江差 開陽丸シャフト

 大砲も外に置かれていました。
江差 開陽丸大砲

 海の駅の建物の中では産直品が売られていました。ジャガイモもありました。箱の中にフタをして入れられています。ジャガイモの芽に毒があるのはよく知られていますが、緑色になった皮にも同じ毒が含まれています。日光(人工灯でも)にあたると緑色に変色します。これを防ぐための処置です。スーパーなどで透明ポリ袋に入れ積み上げられているのは本当は感心できません。ところでここのジャガイモを買ったのかな。安価でした。
 江差の町中の案内図も入手しました。古い郡役所などの建物が残されているようです。場所が散らばっているようです、日没までの時間が残り少なくなってきていることもありパスすることにしました。
 再び国道に戻り北上を続けます。正面に気になる崖が見えてきました。火砕流堆積物のように見えます。とりあえず、手前にあった道の駅江差繁次郎浜から写真を写しておきました。横に立岩が見えています。
江差 立岩

 道の駅をでてすぐ右側に斜面を登る階段がつけられていました。横の黄色い看板を見ると津波避難経路と書かれています。地震の時にここを登って避難してくださいというもののようです。北海道南西沖地震でこのあたりも津波が押し寄せているようです。でも、これを登るのがたいへんそうだなぁ。
江差 津波避難階段

 気になっていた岩の所は、道路が海岸側ではなく山側に入ったので見ることはできませんでした。詳しいことはわからずじまいでした。
 次に乙部町道の駅元和台に入りました。ここから港の向こうにおもしろい形をした岩が見えます。人が大きな荷物を背負っているところかな。これだけでは想像できませんが、窓岩というようです。
乙部町元和台 窓岩

 この先西海岸は大きく遠回りになります。熊石というところから渡島半島を横断し東側の海岸にでることにしました。東海岸にでたら八雲漁港に寄ってみました。駒ヶ岳のようすを見たかったこともあります。なんとか見えてはいます。堤防があって下の方がよく見得ません。
八雲漁港から駒ヶ岳

 北上していって黒岩付近からみた駒ヶ岳です。ここまで離れるとだいぶ霞んで見えます。
八雲黒岩付近から駒ヶ岳


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2021年08月13日

2014年北海道 59 8/27 黒松内町 北限のブナ林

 噴火湾沿いに北上してきました。長万部に到着します。ここら先、小樽までは国道5号を走り続ければ到着できます。船がでるのは夜中です。まだまだ時間に余裕があります。途中に北限のブナ林というのがありますから見ていきたいと考えています。
 長万部では、前方にゆっくりした車が走っていました。地方では普通にあることです。気にせず、後について走っていたら、後方から速そうな車がやってきました。すぐに追いつかれて3台並んで走っていきます。
 山の中で、前の車が脇道に入りました。少し走ったところで、道幅が広いところがありました。後に車がつかれているのもいやなので、先に行ってもらうことにしました。すぐに追い越していきます。それほど速いくるまではなかったようで、車間距離が開いていくのはゆっくりしています。そのうちに下り坂になってきたので、ちょっと速度が上がってしまいました。
 ゆっくり速度を落としながら前を見ると、追い越していった車が脇からでてきたパトカーに止められていました。速度違反の取り締まりがあったようです。そのまま先頭を走っていたら、止められていたかも知れません。速度的には大丈夫だったかな。他府県ナンバーは対称になりやすいともいわれています。少なくとも後ろに車がいるとどうしても速度は速くなってしまいます。前の車にしても、あそこで抜かしてくれなければと思っていたのかも知れません。
 恨みっこなしということで先に行かせてもらいます。すぐに黒松内に到着です。そのまま走っていると歌才ブナ林と書かれた案内があったのでそれに従って進むと駐車場に到着です。
 道路を渡ったところがブナ林の入口です。ここから800mほど入った所が正式な入口だそうです。ところで、この中は案内図を見ながら歩いています。これはどこで入手したのでしょうか。少なくとも、駐車場は東屋とトイレしかありませんし、ここにも置いてなさそうです。
黒松内町歌才 ブナ林入り口

2014/08/27 15:13 1408271513.jpg IMGP5097.JPG 黒松内町歌才 北限のブナ林入り口
 入ってすぐのところで、足元にたくさんあったのが、ギンリョウソウです。葉緑体のない不思議な植物です。
黒松内町歌才ブナ林 ギンリュウソウ

 トドマツの幹に大きなひび割れがありました。幹の中の水分が凍って幹を割るそうです。凍裂木というそうです。針葉樹は冬の間も幹の水分が多いのでこのように凍裂しやすいのだそうです。
黒松内町歌才ブナ林 トドマツ凍裂

 ブナの木が増えてきました。
黒松内町歌才ブナ林

2014/08/27 15:38 1408271538.jpg IMGP5103.JPG 黒松内町歌才 ブナ
 ブナをとったつもりでしたが、ミズナラの方が多いようです。ここではブナの大きな木はあまり見かけません。
黒松内町歌才ブナ林

 林の中で見た鳥です。クロジとしています。
黒松内町歌才ブナ林 クロジ

 帰りにギンリョウソウをもう一度写しました。
黒松内町歌才ブナ林 ギンリュウソウ

 歌材ブナ林の他に、ブナセンターにも行ってみました。ここで、何を見たのか記録(記憶)に残っていません。閉館ぎりぎりだったのかも。

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2021年08月14日

2014年北海道 60 8/27 ニセコ町 ニセコ連山と羊蹄山

 国道5号に戻り小樽に向けて車を走らせていきます。峠を越えて道を下っていくと正面にニセコ連山が見えてきます。主要な山のある右半分は見えていませんから、さらに進んで行きます。
 昆布付近で見えた山です。高い三つの山は左から順番にシャクナゲ岳、チセヌプリ、ニトニプリとし、後の山影のように見えるものは雲と判定しています。
ニセコ町 ニセコ連山

 道のところどころにビューポイントがあります。黒川ビューポイントからのニセコアンヌプリです。ここは道脇に林が多く、山が見えるところを見つけるのに苦労しました。
ニセコ町 ニセコアンヌプリ

 黒川ビューポイントからの羊蹄山です。
ニセコ町 羊蹄山

 宮田ビューポイントからのニセコ連山です。一番高い山がニセコアンヌプリです。
ニセコ町 ニセコ連山

 西の空には夕陽が見えていました。この方角は尻別川沿いで高い山がない一画になります。
ニセコ町 夕陽

 さらに進むとニセコ町ビュープラザに到着します。ここから見えたニセコアンヌプリです。
ニセコ町 ニセコアンヌプリ

 ビュープラザの一画にカボチャが大量に積み上げられていました。何の意味があったのかは不明です。閉店直後だったので何の情報も入手できませんでした。
ニセコ町ビュープラザ カボチャ


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2021年08月15日

「ヨッシンと地学の散歩」更新しました

 このブログの本家である「ヨッシンと地学の散歩」を更新しました。5ヶ月ぶりの更新になります。もう少し更新頻度をあげたいですね。
 今回の更新の中心は、「四方山話」にある「地震と活断層」に「活断層を見つける」を追加記載したことメインです。もともとこのページは、平成19年能登半島地震が起こったときに活断層はどこにあるかとよく質問を受けたので、その見分け方の例として「能登半島沖地震と活断層」というタイトルで書き始めたものです。サイト作成初期に書いたものでした。その後「四方山話」に追加されたページはだんだん大きなものが増えていき、他のものと比べてしてはページの内容が少なく見劣りがするようになってきました。
 さらに付け加えていうと、前々から書きたい内容のものがあってそれと中身がかぶるのではというところもありました。それなら書きたい内容に書き換えればということで、書き換え始めました。きっかけは大阪府北部地震です。この直後に一気に書き換えを始めましたが、行き詰まっていました。結局、3年ぶりのページ更新となりました。なお、まだ書きたかったことには到達していません。この先、追加記載するつもりです。いつになるのかな。
 今回行き詰まったのは、断層地形の説明を入れましたが、その図面がうまく作れなかったというところにあります。パソコン画面上で書いてもうまく書けません。他人の書いた図をそのまま引用するのは著作権法上御法度です。あまり気にいった図ではなかったこともあります。粘土で模型をつくって写真に撮ろうかとも考えました。最終的に色鉛筆で描いた図面をスキャナーで読み取るという方法を使いました。意外と、色が薄くしかでないのと見かけと違う色になったりとかでだいぶ苦労しました。

 もう一つの更新は、 「道具箱」にある「プラネタリウムを作りたい」に「穴を開けた紙で」というのを付け加えました。タイトルに適切な名前が思い浮かばなかったので実物とはかなり違ったものになっています。どちらかというとステンドグラスのような星座図のような感じです。
 プラネタリウム投影機を作る上で一番ネックになるのが星の明るさです。どうしても目が慣れるまでは何が写っているのかわからない明るさになります。そこで外(空)の明かりを利用してはということで作ったものです。文化祭展示用に作ったのですが、肝心の写真を撮り忘れていました。教室の窓枠いっぱいの大きさでした。何とか紹介したいということで再度A3版の紙を使って作りました。だいぶ小さくなりました。

 写真集入口ページの写真は、夜光雲(ロケット雲)に変えました。ロケット打ち上げ後、その行跡が夜光雲になることが知られていました。見えそうな条件の時に粘って何とか写せたものです。
 写真集はこれに関連する雲や霧の写真、更新したページに関係のある断層破砕帯、それと活火山の写真で全部で14枚あります。火山の写真は、写りの悪いものがいくつかあるのでこれをどうしようか考えています。恵山は差し替えましたが、そのまま新しい写真を追加していった方がいいのではとも思っています。山は見る方向によってもだいぶ形が違ってみえます。このことを考えると写真が1枚でなくてもいいようです。

 また引き続き更新を続けたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。
posted by ヨッシン at 00:00| 日記