いつの間にか、オリンピック中止という流れが消えてしまっています。中止すべきであるという意見が本当になくなったのでしょうか。見えないところで世論が操作されているようにも見えます。世論調査の結果もそれほど極端に中止意見が少なくなったようには見えません。
闇雲にオリンピック開催へと突き進む流れが変わるには、都議会議員選挙で中止派・延期派が躍進するしかないのかなと思っています。少なくとも国政与党が相当なダメージを受けないといけないでしょう。今のところ有観客派が優勢のようです。これがどうなるのかが注目です。
もう一つ考えられるのは、営業自粛要請でオリンピックをやるのなら自粛の意味が無いからしないという飲食店などが多数でてきたばあいです。対策に下駄を預けられている地方自治体の方が大変ですが、政府も多少尻に火がつきそうです。でもこれは起こらないかな。
中止論が聞かれなくなったきっかけと言えることの一つが、専門家会議の提言でしょう。ここでは、中止については触れられていません。中止べきかどうかは提言できる立場ではないという理由です。つまり、開催するならどうしたらいいのかというのが前提になっているということです。これを都合よく、中止しなくてもよいと解釈した人がたくさんいたのと、それをうまく利用した人たちがいたのが実状なのでしょう。
あくまでも提言は「この現状ではふつうは
ない」です。
その後の、宮内庁長官から「天皇陛下はオリンピックで感染が拡大しないか心配していると拝察される」という発表がありました。一般的な常識から考えてこれは意見を代弁したととらえるのが普通です。勝手にこんなことが発表できるはずがありません。にもかかわらず長官の感想であるということにして、なかったことにしようとしています。一昔前の与党なら考えられないことです。それとも、都合のいいときのみ天皇様様だったのでしょうか。
この発言に対して、政治的発言であるから憲法違反であるという意見もあります。憲法に抵触しそうだから慎重に発表方法を選んだのが実状なのでしょう。
ところでこれが政治的発言というのなら、オリンピックでがんばりましょうというのも政治的発言といえるのではないのでしょうか。名誉総裁になっている、開会宣言をするというのも多分に政治的です。ましてや、オリンピックの成功で人気を取り戻そうとしている政治家がいる状況ではなおさらです。
主催者ではないから「中止」言えないといいながら、「やります」としっかり推し進める人がいました。都合のいいように言葉を解釈しているように見えます。
オリンピック開催中に緊急事態宣言が出されるようなら無観客も視野に入ってくる、ともいっています。なんとなく視野に入ってきたもののまだ余裕があるとか何とか理由をつけて無観客にはしないのではと思っています。国民をたぶらかす常套手段で、信用できません。
オリンピックに向けて、緊急事態宣言や蔓延防止措置が出されているという評価もあります。
何事につけてもオリンピックにあわせている、特別にしているというのはよくないことです。世間ではダブルスタンダードといっています。最近では、開会式の観客上限は1万人で、大会関係者・スポンサー企業の招待者は観客ではないという発表です。オリンピックは特別なのでもっと制限をかけるべきだと思います。専門家会議の提言でもそういっています。ましてや、開会式の前後は大型連休です。これだけでも人が動きます。
これとは別に思うのは、緊急事態宣言はほとんど効果がないのではということです。蔓延防止措置では感染拡大をゆっくりにするというくらいの効果しかないでしょう。3月の大阪の感染拡大の状況を見れば明らかです。効果があったように見えるのは、感染者数の増減のようすを見て、国民が自粛したり、自粛をやめたりをしたからのではと考えています。
前回緊急事態宣言を解除したときもそうでしたが、この時にはもうすでに感染拡大の兆しが現れていました。実行再生産数(一人の人が何人に移しているか)の変化をよく見ていますが、この数値がじわじわと上がってきてもうすこしで1になる、言い換えれば感染が増大に変わる直前で宣言が解除されています。今回も今になってリバウンドとか言われ出していますが、解除の時点ですでに拡大の兆候が出始めていました。
最近になって思うのは、緊急事態宣言や蔓延防止措置で制御ができないのなら無理に出す必要がないのではということです。国民の行動に任せて、制御できないまま感染が拡大しオリンピックが無観客・中止になった方がいいのではと思うようになっています。あるいは、悲惨なオリンピックになって、今後の存続に関わるようになるのもいいかなとも思っています。
ぼったくり男爵のためのオリンピックは必要ありません。最近は立候補する都市が少なくなり、前倒しで予約募集しているようです。