2021年03月16日

紅葉の東海三山 39 2019/11/28 袋井市萬松山可睡斎 本堂

 普通お寺では山門を入った内側が境内になります。その前にもお堂がありましたから、この山門は本堂のある区画への入口にあるということにしておきます。そういえば総門の外にも地蔵堂がありました。門の位置関係からすると不思議な配置になっています。
 本堂区域の建物を見ていきます。山門を入って右側にあるのが瑞龍閣です。入母屋風の屋根が建物の棟方向と直角になっています。いくつかの棟をつなぎ合わせているのでしょうか。
袋井市萬松山可睡斎 瑞龍閣

 左側にあるのが輪蔵堂です。八角形をしています。中にある輪蔵を時計回りに1回回すとお経を一つ読んだのと同じ効果があるそうです。中に入っていません。
袋井市萬松山可睡斎 輪蔵堂

 輪蔵堂の右奥に見えるのが座禅堂です。手前石段の右側黄色く色づいたイチョウの手前に五重塔が、左側モミジに埋もれるように慈母観音があります。
袋井市萬松山可睡斎 座禅堂

 正面にあるのが、本堂です。入母屋屋根から唐破風の向拝が大きくせり出しています。手前の木柱はいろいろな願いを込めて57代当主が建てたもののようです。
袋井市萬松山可睡斎 本堂

 本堂の左奥にも、本堂と引けをとらないくらい立派なお堂があります。どちらが本堂なのかわからなくなっています。
袋井市萬松山可睡斎 秋葉総本殿

 本堂をまわったところで、左側には座禅堂が見えます。黄色いイチョウの木は、五重塔の後に見えていたものです。
袋井市萬松山可睡斎 座禅堂

 正面にみえる建物は、位牌堂です。可睡斎に縁のあった方たちの霊が祀られているそうです。入口の対になってある、ゾウの置物は何なのでしょう。華厳寺にもありました。
袋井市萬松山可睡斎 位牌堂置物

続く...........

posted by ヨッシン at 23:54| 旅行記

2021年03月17日

紅葉の東海三山 40 2019/11/28 袋井市萬松山可睡斎秋葉総本殿

 本殿の裏側にある建物は、秋葉総本殿といいます。三尺坊御真殿ともいうようです。三尺坊は、修行の末火を自由自在に操ることができるようになったお坊さんです。元々は、秋葉山秋葉寺というお寺であったものが、明治期の廃仏毀釈で廃寺になり、御真体・仏具などを可睡斎が全て引き取って、ここに祀ったそうです。
 本殿の左横から、秋葉総本殿にいきます。石段にかかる手前右側、本堂の横手にある小さなお堂に、大きな下駄が置かれていました。仁王さんの関係かなとも思いましたが、仁王さんはわらじだったような。
袋井市可睡斎 大きな下駄

 石段登り口、両脇には1対の天狗像があります。秋葉総本殿との関係がもう一つよくわかりません。天狗は下駄だったかな。
袋井市可睡斎 天狗像

 石段を見ていると、白い筋が入っているのが気になります。花こう岩の中にある岩脈が切り分けられて見えています。どうつながっていたのか考えてしまいました。
袋井市可睡斎 石段の石

 秋葉総本殿です。本堂と同様、唐破風の向拝が大きく前にせり出しています。下にかかっている額も立派です。
袋井市可睡斎 秋葉総本殿

 本堂内部には、たくさんの天狗が飾られています。
袋井市可睡斎 秋葉総本殿 天狗の仮面

 可睡斎で調べてもわからなかったのですが、秋葉山で調べてみると、三尺坊が火術を会得したときに、背中に羽が生えて天狗になったとか。烏天狗と書かれています、写真に載せている像とかここに飾られている鼻高天狗とは違うようです。対になっていた天狗像は烏天狗だったようです。
 本殿の戸板の飾りも気になります。何の模様なのでしょうか。
袋井市可睡斎 秋葉総本殿 不思議な模様

 秋葉総本殿前から振り返って見たところです。右側に並んでいるのは手前から位牌堂・座禅堂イチョウの木の左に輪蔵堂、その左向こうに山門、旗の後ろは本堂になります。
袋井市可睡斎 秋葉総本殿から本堂前

続く..........


posted by ヨッシン at 23:55| 旅行記

2021年03月18日

紅葉の東海三山 41 2019/11/28 袋井市萬松山可睡斎 出世六の字穴、本堂前

 可睡斎の名前の由来は徳川家康と関係しています。和尚さんが徳川家康とつながりがあったからです。このお寺の中には、他にも徳川家康に関係した史跡があります。出世六の字穴というものです。三方ヶ原の戦いで武田信玄軍に敗れた徳川家康がここの洞穴に逃れて、命拾いをしたというものです。秋葉総本殿の前から本堂の裏側を進んでいくとそこにたどり着きます。そこを見に行くことにします。
 本堂と秋葉総本殿を結ぶ回廊をくぐって、石段を登っていくと、脇にびわの木があって花が咲いていました。
袋井市可睡斎 本堂裏 ビワ

 坂を登り切った正面に、出世六の字穴があります。中は立入禁止になっています。この中に、家康が潜んでいたというのでしょうか。
袋井市可睡斎 出世六の字穴

 三方原古戦場は、浜松市街地の北側にあります。ここで負けた後、家康が浜松城に戻るまでの間の逸話はいくつか残されています。この穴のことは伝わっていないようです。家康は、ほぼまっすぐ浜松城に戻ったようです。そのルートからは袋井市のここまでは天竜川を渡らないといけなし、だいぶ離れています。そもそも、ここにこのような穴がもともとあっても逃げ込むことができたのかというのも疑問です。
 六の字穴の前からは、本堂周辺の建物を見わたすことができます。真ん中の大きな建物が本堂です。その右奥に位牌堂、左側に輪蔵堂、山門が並んで見えています。
袋井市可睡斎 出世六の字穴から本堂

 この奧に、奥の院があります。見たいのですが、だいぶ遠そうに思えました。見学時間も限られていますから、ここで引き返すことにしました。
 本堂まで降りてきました。本堂の横にでたところで本堂前を見たようすです。向こうに見える建物は大書院です。前に大きなソテツの木があります。
袋井市可睡斎 本堂前

 そのまま、石段を降り、本堂前の広場に出ます。大きな建物が見えます。左から順に、萬松閣、瑞龍閣、山門と並んでいます。
袋井市可睡斎 本堂前広場

 山門の手前にあった建物には大黒様がいました。おさすり大黒と書かれています。おなかをさすると、福を授かったりできるそうです。てかってますね。
袋井市可睡斎 おさすり大黒

 山門前から見た山門下広場です。やっぱり、ここに見えている紅葉が一番綺麗なようです。
袋井市可睡斎 山門下広場

 この場所から、いくつかの道が延びていて、お堂などに続いているようです。右側を進んで行くと、弁天堂があります。
袋井市可睡斎 弁天堂

 もう一つ酒塚観音への道もあります。両脇に幟が並んでいます。進んでいったのですが、なかなかだ撮りつけそうにもありませんでした。時間のことも考え引き返すことにしました。そこから見えた、本堂周辺の建物です。
 石段を登った先に山門がありますが、見えていません、杉の木の向こうが瑞龍閣、その左側が萬松閣です。
袋井市可睡斎 弁天堂前から本堂方向

 ここから広場に戻り、総門を通って駐車場に戻ることにします。
続く.........



posted by ヨッシン at 23:57| 旅行記

2021年03月19日

星の記録 3月中旬

 このところ雲の多い日が続いています。星もすっきりと見えることがないのと、これといった現象がないのとであまり観測ができていません。
 17日に国際宇宙ステーション(ISS)が久々に夕方の空に見えるというので、準備をして待つことにしました。西の空を見ると月がでていました。いつの間にか新月を過ぎていたようです。300mmのレンズで写してみました。あまりシャープには写ってくれません。
月
 ISSはまだ空が明るい時間帯に通過するようなので2秒露出4秒インターバルで写してみました。はっきりと見えなかったのですが、写真には写ってくれました。
ISS
 次の周回も見られるようです。西の空低くになります。探したのですが確認できませんでした。写真にも写っていないようです。4秒露出6秒インターバルです。街明かりを消す画像処理をした後、2分間の写真を比較明合成しています。
西の空


 18日です。この日もISSの通過が見られます。8時前になります。それまでの間に、月を写してみました。400mm望遠です。こちらもあまりシャープではないかな。
月
 そのまま向きを変えてすばるを写してみました。アストロトレーサを使って40秒露出です。星が不思議な色に写っています。
月
 ISSです。4秒露出6秒インターバルです。
ISS
 望遠レンズでも写してみましたが、ピントが甘かったようです。ぶれた写真がほとんどでした。シェイクリダクションがオフになっていました。それにしてもぶれすぎです。
ISS



posted by ヨッシン at 00:00|

2021年03月20日

星の記録 3月19日

 19日の星の記録です。国際宇宙ステーション(ISS)の通過が2回あります。18時50分頃と20時30分頃です。1回目は南西からほとんどまっすぐ上がりやや北西よりに通って北東の空に沈みます。日没後1時間も経っていないので、まだ空は真っ暗にはなっていません。2秒露出で4秒インターバルで写すことにしました。焦点距離は18mmです。ポートレイトで写します。約3分間の画像を比較明合成してみました。
ISS
 この間望遠鏡から1/200秒露出で拡大撮影もねらってみました。ピントを合わせる対象がなかったのでうまくあわせていません。これもピンぼけかな。
ISS
 赤道儀の極軸を南東の空できるだけ低い角度にして手動で追いかけています。天頂近くを通過するときは望遠鏡の向き合わせが複雑になりうまく導入できませんでした。極軸をどちらに向けるか考えておいた方がいいようです。
 カメラの位置を変えれば沈んでいくようすも写せます。少し場所を変えないといけません。いくつかトラブルがあって、再開できるまで時間がかかってしまいました。写せた写真を比較明合成したものです。北斗七星の間を通っています。
ISS

 1枚目の写真に月とそのすぐ横にアルデバランと火星が写っています。ニコニコマークになるということで拡大して写してみました。135mm、2秒露出です。天体の明るさの差が大きくこれ以上暗くすると星が写らなくなるし、明るくすると月の形がわからなくなります。
月火星アルデバラン
 少し引いてみました。80mm3秒露出です。すばるもいっしょに入ってきます。
月火星アルデバランすばる

 2回目のISSの通過です。西から北東方向の低い所を通過します。北東方向に屋上広告の明るい建物があります。それを避けるようにセッティングしていました。直前に消灯されたので、建物も入るように急いで向きを変えました。露出を4秒に延ばし、6秒インターバルで写します。写した写真からはそのままでははっきりしないので、街明かりを消す処理をしてから比較明合成をしています。写し始めた最初の写真から入ってきています。
ISS
 ISSは右側の建物のすぐ上に写っています。ここの広告照明があったら写っていなかったかも知れません。
 左上の方にも人工衛星らしきものが入っています。調べてみるとseasat1というものに該当します。予報では3等くらいの明るさになっています。海洋観測衛星だそうです。向きがISSと反対の右から左というのが気になります。多くの事項衛星と逆の西向きに回っているように見えます。
 肉眼ではどちらの人工衛星も見つけることはできていません。
posted by ヨッシン at 23:51|

2021年03月21日

紅葉の東海三山 42 2019/11/28 森町小国神社 参道

 可睡斎の次に向かうところは、小国神社です。遠江の一宮だそうです。可睡斎のほぼ北側、第2東名高速を越えたあたりにあります。この区間もどういうわけかバスの車窓からの写真を写していませんでした。記録になりそうなものもなかったのかな。
 バスの駐車場は神社からだいぶ離れたところの脇にあります。戻ってくるときに間違えそうです。
 可睡斎をでるときは雨はやんでいましたが、また降り出しています。傘をさしていきます。広い道に沿って150m程進むと、左への脇道がありその先に鳥居が見えています。
森町小国神社 鳥居

 鳥居をくぐった先に見える紅葉です。ここのものは、どうなのでしょう。ちょっと期待できそうです。
森町小国神社 参道の紅葉

 左側に池があって、その向こうに八王子社があります。
森町小国神社 八王子社

 八王子社の前の池です。事待池といいます。小国神社で願掛けをして願いが叶えばここに鯉を放つのだそうです。水が不思議な色をしています。水面を雨の水滴が叩いています。
森町小国神社 事待池

 池の真ん中に島があって社があります。宗像社といいます。弁天社ともいうようです。
森町小国神社 宗像社

 大きな杉の切り株が置かれています。元々はご神木でしたが、昭和47年の台風で倒れたそうです。ご神木だったということなのか、このように残されています。
森町小国神社 杉の切り株

 その先に再び鳥居がありました。順番からすると二の鳥居でしょう。ここには山門がありましたが、明治時代に火災で焼失したそうです。
森町小国神社 二の鳥居

続く........


posted by ヨッシン at 23:50| 旅行記

2021年03月22日

紅葉の東海三山 43 2019/11/28 森町小国神社 神殿

 小国神社の祭神は大国主命です。正式には大己貴命(おおなむちのみこと)というようです。因幡の白兎で有名ですが、最初に降りたったのがこの裏側にある山だったといわれています。添乗員さんが、この神社をどうして大国神社と呼ばないのかを説明してくれていましたが、忘れてしましました。何だっけ。調べてたのですがわかりませんでした。何かの「大国」と紛らわしいからといっていたような。
 二の鳥居の正面に拝殿が見えます。屋根が檜皮葺というのには気がついていませんでした。
森町小国神社 本殿

 拝殿の右側にあるのが神徳殿です。前に2つの茶色い石が並んで立っています。珪化木です。木化石と書かれていたような。珪化木があるというくらいであまり気にとめていませんでした。
森町小国神社 神徳殿

 どういうわけか、拝殿とかここの境内とかよりこの横手にある川沿いのようすが気になって、そちらの方に行ってしまいました。紅葉が綺麗でした。
森町小国神社 宮川

 川は宮川というようです。赤い橋が架かっています。
森町小国神社 宮川

 川原に下りてみたところです。
森町小国神社 宮川

 上流側です。落葉した黄色い葉っぱで川原が染まっています。
森町小国神社 宮川

 ここから、本殿の屋根が見えます。鰹木が見えます。本数は、神様の格を表しているということを聞いたことがありますが、そうでもないようです。
森町小国神社 神殿屋根

 更に上流側に歩いて行きました。堰が見えます。道はまだまだ続いています。だいぶ歩いたということで、このあたりで引き返すことにします。
森町小国神社 宮川

続く.......

posted by ヨッシン at 23:57| 旅行記

2021年03月23日

紅葉の東海三山 44 2019/11/28 森町小国神社 宮川

 神社の横にある川沿いを写真を撮りながら下っていきます。この先の川原の真ん中で、カメラクルーの3人組が居座っていて、なかなか退きそうにもありません。シャッターチャンスをねらっているのでもなさそうな感じです。ずっと何かが変わるのを待っているというようなようすはありません。この人たちや置いたままになっているカメラや差している傘が写り込むのは興ざめです。入らないように写真を撮るのに苦労します。
森町小国神社 宮川

 橋の上から下流側です。ここからは川の左岸を歩いて行くことにします。
森町小国神社 宮川

 赤くなったモミジです。下のアオキの葉の上に、モミジの葉っぱが落ちています。
森町小国神社 宮川 もみじ

 次の橋で右岸に戻ります。このあたりから拝殿前の広場が見えます。左側の建物は舞殿です。正月と4月にはここで舞がまわれるそうです。
森町小国神社 拝殿前

 濡れた道路に、紅葉が映るかどうかやってみました。うまくいかないようです。
森町小国神社宮川

 後ろ側です。渡ってきた橋が見えています。
森町小国神社宮川

 参道に戻らずに、このまま進んで行きます。
 自家用車駐車場横の川と紅葉です。
森町小国神社宮川

 駐車場入口付近です。
森町小国神社宮川

 このあたりから、参道側に戻りました。一の鳥居の横に小国ことまち横丁があり、土産物屋さんなどが並んでいます。時間調整をして駐車場に戻ることにします。お茶を売っている店が何軒かありました。挽いたお茶が欲しかったので探したのですが、ありませんでした。
 ここから駐車場への戻り方は考えてしまいました。思ったより遠かったようです。
続く......


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2021年03月24日

紅葉の東海三山 45 2019/11/28 新城市鳳来寺山へ

 小国神社の次は鳳来寺です。ここは少し離れています。新城市にあります。豊川で駐車場から歩いて宿に着く前に、踏切待ちがありました。通過したのは飯田線新城行きの列車です。「しんじょう」と読んでしまいましたが、正しくは「しんしろ」です。
 小国神社近くの遠州森町スマートICから新東名高速に入って西に進んでいきます。途中天竜川を渡ります。上流が伊那谷です。飯田線は、新城市の鳳来峡をすぎたあたりから山越えをしてこの川沿いに抜けた後、更に上流にある伊那谷を走ります。
天竜川

 浜松いなさJCTから三遠南信自動車道に入り、鳳来峡ICで降ります。といっても今はここまでしかできていませんでした。一部工事中のようです。
鳳来峡IC付近

 天竜川沿いに下っていって、鳳来寺山パークウェイに入ります。途中で分岐している道に入って進んでいったら駐車場に到着です。ここからは歩きになります、雨はやんでいますが、念のために傘は折りたたんで持っていくことにします。さしたまま歩いて行く人もいます。
 駐車場の紅葉です。ここもだいぶ色づいています。
新城市鳳来寺山駐車場

 南西側新城方面です。渥美半島渥美湾が見えています。
新城市鳳来寺山駐車場から渥美半島方向

 斜め向かいの山です、赤黄緑のまだら模様に染まっています。
新城市鳳来寺山駐車場から景色

 駐車場奧のモミジです。真っ赤です。黒っぽくなっているのでもう終わりかな。これから、この横を通って奥に進んでいきます。
新城市鳳来寺山駐車場 もみじ

 これから行くのは鳳来寺です。本来なら、山の麓から延々と登ってこないとたどり着けないのですが、パークウェイができたおかげで、ほとんど坂がなく参拝できるようになりました。
 この道沿いにもたくさんのモミジがあります。
新城市鳳来寺山裏参道 もみじ

続く.....


posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記

2021年03月25日

「ヨッシンと地学の散歩」更新しました

 このブログの本家である「ヨッシンと地学の散歩を更新しました。前回の更新から4ヶ月ぶりになります。更新のメインは、「四方山話」の「日本海の形成」に補足2を加えたことです。これに付随していくつかのページで、書き換えをおこなっています。
 前回更新した直後に、最後にアップした写真(日本の最高峰1〜3位の写っている写真)を見ていて次のように感じました。ここはフォッサマグナだけど、南からやってきた伊豆地塊がめり込んでいるではないか。まず日本海拡大前でも、太平洋プレートの沈み込みによってその背後に火山島列ができているはずだ。日本海拡大に伴って日本列島が南下していけば、背後の火山島列がぶつかってくるのではないか。
 ということで、少しずつ書き始めたのですが、裏付けをとっている間にとんでもないことが判明してきました。伊豆諸島の衝突は、日本海が拡大してしばらくしてから始まったということです。このあたりの話は、プレートテクトニクスが話題になりはじめた頃の研究が主体で、プレート論に乗った議論を進めるのはどうかということで深く調べてはいませんでした。こんなことまでわかっていたのだと今更ながらびっくりです。実際には入手できた資料は、10年ほど前までのもので、これに対する反論が提案されている所で終わっています。その後はどうなったのやら。
 それにしても、最初の考えと研究結果は一致しません。さらに、伊豆諸島の並びと動きを考えるとこの場所で次々と火山島がぶつかっていくようには見えません。書いている内にこのあたりをどうまとめるのか悩んでしまいました。結局当たり障りのないところで終わらせ、気のついたことはさらっと流すようにして終わっています。じつは、文章のソースにはメモ機能を使って書こうとしたこととか、調べてわかったこと、疑問になったこととかを残しています。ブラウザからページのソースを表示とするとメモした部分を見ることができます。<!-- と -->に挟まれた部分に書かれています。
 この問題は、フィリピン海プレートの運動と関係していますから、フィリピン海プレートに触れているページに記載するか、新しいページにするかとも考えたときもあります。書き換えたところを元に戻すのも大変なので、始めたやりかたでいってしまいました。どこに書くのがよかったのでしょうか。

 他に更新したところです。風景入口の写真は「土星と木星の最接近」に変えました。「超接近」といった方がよかったですね。地形関係の写真を8枚と天体関係の写真が7枚です。「海洋底は拡大しているのか」のページもいじろうとし始めましたが本格的には手をつけていません。グーグルマップにリンクしていたものを、地理院地図の図に変えました。いつリンクができなくなるかわかりませんから。
 ブログ旅行記の記事の内「34高峰高原」と「35八方お花畑」をそれぞれまとめたページを作りました。ブログの各ページへのリンク一覧ではなく、一度にまとめてみられるようになっています。
 
posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2021年03月26日

紅葉の東海三山 46 2019/11/28 新城市鳳来寺 裏参道

 パークウェイを走っているときに添乗員さんは、小豆島寒霞渓の景色に似ているといっていました。地質的には、全く同じ時代の同じ種類の岩石でできています。山の浸食のされかたなど必然的に似てくるのでしょう。どちらもモミジの名所です。これは岩石とは関係なさそうです。このような地形の所に、お寺や神社が作られてモミジが植えられて、という関係はなきにしもあらずというところかな。
 ということで、この付近の岩石も気になるところです。表面にいろいろなものがこびり付いているので、たたき割らないと(といっても一部を欠くだけですが)わかりません。凝灰岩なのか流紋岩なのか。ピッチストーンが多いとはいわれていますが。
新城市鳳来寺 裏参道岩石

 この道はモミジがたくさんあって、大きく色づいているのがところどころで見られます。
新城市鳳来寺 裏参道 もみじ新城市鳳来寺 裏参道 もみじ

 見晴らしのいいところにでました。どこがみられるのかを書いた案内図もありました。下の方に見える谷に沿って続いている家並みは表参道のある門谷でしょう。鳳来寺にお参りするなら、ここから歩いて登ってくるのが正規ルートです。鳳来寺の門前町にあたります。
新城市鳳来寺 裏参道から門谷

 下の町並みです。山の斜面に隠れて、半分くらいしか見えていないようです。
新城市鳳来寺 裏参道から門谷

 右の方に切り立った大きな崖が見られます。柱状節理があって、溶結凝灰岩のように見えます。図と比べると鏡岩かな。下のお堂は、壁がないので鐘楼かな。
新城市鳳来寺 裏参道から鏡岩

 道を進んでいくと、目の前の切り立った岩の上に塔のようなものが見えます。間は切り立った崖なので近づくのは簡単ではありません。案内図にはこのあたりに、五郎塚があると書かれています。これのことでしょうか。
新城市鳳来寺 裏参道 五郎塚?

続く....


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2021年03月27日

紅葉の東海三山 47 2019/11/28 新城市鳳来寺 東照宮

 この先に鳳来山東照宮があります。この付近の山は鳳来寺山といいます。鳳来寺のある山だからでしょう。神社なのであえて寺をつけていないとしても、東照宮は鳳来寺山に詣でることによって授かったという故事にちなみ、徳川家光が造営したものです。神社だからといって寺を敬わないのはちがうような気がします。
 ここからしばらくは、崖の斜面が緩いのか道の両側に木々がふえてきます。たくさんのモミジもあります。道にも葉っぱがたくさん落ちています。見ながら進んで行きます。
新城市鳳来寺 裏参道 もみじ

 真っ赤になったモミジです。
新城市鳳来寺 裏参道 もみじ

 道の下に建物が見えてきました。宿坊です。道が二手に分かれています。一つは、宿坊への道、もう一つは東照宮へと書かれた道です。先に、東照宮を見に行くことにします。地図では、東照宮の前から鳳来寺本堂にいくことになっています。
新城市鳳来寺 裏参道 宿坊

 再び道沿いのモミジです。幹の間から東照宮の門柱が見えています。
新城市鳳来寺 裏参道 もみじ

 東照宮の前に到着です。石段を登っていかないとたどり着けないようです。断念する人もいましたが、この程度なら何とかなります。登っていくことにします。右側通行だそうです。
新城市鳳来寺 東照宮

 石段を上がった所です。正面に苔むした鳥居があります。鳥居の柱前には御幣をつけた榊が添えられています。その向こうに拝殿が見えています。日光東照宮同様、カラフルな配色がされています。
新城市鳳来寺 東照宮

 石段の上から見える景色です。モミジ向こうに宿坊が見えています。
新城市鳳来寺 東照宮前 モミジ

続く...


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2021年03月28日

紅葉の東海三山 48 2019/11/28 新城市鳳来寺 本堂

 東照宮の前から鳳来寺山本堂へ行くには、東照宮の石垣のうえをぐるっと回ってから、石段を降りてというように少し複雑でした。石段を降りた先で別の方角から来た道に合流しそのまま進んで行くと到着することができました。
 本堂です。かなりシンプルな建物です。銅板(金属板)葺き寄棟屋根で、平入り5間幅、上から見ると綺麗な長方形です。かなり新しそうな感じがします。屋根の光具合からそう見えるのでしょうか。
新城市鳳来寺 本堂

 屋根越しに鏡岩が見えています。崩れ落ちてきそうです。
新城市鳳来寺 本堂 鏡岩

 本堂建物の両脇には、絵馬が下げられています。真ん中に丸い鏡のようなものが貼りつけられています。鏡岩がちかくにあるという関係からなのかな。
新城市鳳来寺 本堂 絵馬

 本堂前には広場があってその向かいに休憩所の建物があります。見晴台となっていますから景色を期待したのですが、ここからはあまり遠くは見えないようです。
新城市鳳来寺 本堂 見晴台から景色

 本堂前広場を横に突き抜けて反対側に行ってみます。下からあがってくる石段がありました。かなり険しそうです。表参道と書かれています。1316段目とも書かれています。これは一苦労どころか十苦労ぐらいしそうです。あがってこなくてよかったというべきなのか。
新城市鳳来寺 本堂横表参道

 石段は上にも続いています。途中に、鐘楼・鏡岩下遺跡にいけると書かれていました。いってみました。崖の下に大きくえぐれているところがあります。溶結凝灰岩の下層が削られているように見えます。
 前にはたくさんの石仏さんがいます。岩下遺跡がどんなものなのか説明を見つけられませんでしたので、何かはわかりません。これだと縄文時代の岩陰遺跡のようなものがあってもおかしくありそうですが、このような急斜面では食糧の確保が大変そうです。
新城市鳳来寺 本堂横鏡岩下遺跡

 ここから見上げてみた鏡岩です。木が多くてはっきりとは見えません。
新城市鳳来寺 本堂横鏡岩下から鏡岩

続く..


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2021年03月29日

紅葉の東海三山 49 2019/11/28 新城市鳳来寺 旧本堂

 この先にあると書かれていた鐘楼にもいきたいのですが、距離が全くわかりません。更にその先には胎内くぐりとか、竜の爪痕とか色々あるみたいです。見学時間が限られていますから、この先はあきらめて引き返しました。
 再び、石段まで戻ります。この石段を本堂横から眺めてみたようすです。途中で幅が狭くなっています。狭くなった所から左に行くと岩陰遺跡です。更に先にも石段が続いていて先にお堂がみえます。こちらの方に行ってみることにします。
新城市鳳来寺 本堂横石段

 石段を登り切ったところにあるお堂です。何というお堂かはっきりしません。鎮守堂かな。
新城市鳳来寺 鎮守堂

 ここから、本堂越しに見た景色です。
新城市鳳来寺 鎮守堂からの景色

 本堂の裏手あたりにもう一つお堂がありました。旧本堂と書かれています。
新城市鳳来寺 旧本堂

 旧本堂前からの景色です。新城の町の方角かな。横に大きなモミジの木があります。
新城市鳳来寺 旧本堂からの景色

 旧本堂の裏手に続く道があります。その先にあるのが石造利修仙人像です。岩にできた洞穴の中にあります。利修仙人は、百済の国で修行の後仙人となり鳳凰に乗って帰国、この山中に3匹の鬼を従えて住んでいたそうです。文武天皇が病気になった時に駆けつけて、病気を治し、そのお礼としてここに鳳来寺が建てられたという故事があります。
新城市鳳来寺 石造利修仙人像

 あまり遠くに行っている時間はないので、ここから引き返します。戻り際に見た、旧本堂と黄色いモミジです。
新城市鳳来寺 旧本堂とモミジ

続く.


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2021年03月30日

紅葉の東海三山 50 2019/11/28 新城市鳳来寺 駐車場へ帰り

 旧本堂から引き返していきます。本堂前から来た道を戻ります。途中二手に分かれています。一つは宿坊、もう一つは東照宮に行きます。宿坊の先で合流します。どちらでも戻れます。迷っていたツアー仲間から、どちらか聞かれました。来たのは左の東照宮からの道で、まっすぐ行っても帰れますと答えました。東照宮の方にあがっていきました。宿坊の方は見ていませんから、右から戻ることにします。
 見えてきた宿坊です。この周りにはモミジの木がたくさんあります。
新城市鳳来寺宿坊 もみじ

 道脇にあったアラカシの木です。ドングリがいっぱいついています。
新城市鳳来寺宿坊 あらかし

 あっさりと、宿坊は通過します。その先の上側に東照宮から駐車場に続く道が見えています。
 上の道に上がった手前のモミジです。
新城市鳳来寺宿坊 もみじ

 進行方向側です。建物は宿坊の一部です。このあたりは落ちた葉っぱが道路にいっぱい積もって、敷き詰められたようになっています。
新城市鳳来寺宿坊 もみじ

 写真を撮っていたら、先ほどの人たちがやってきました。時間的にもだいたいいっしょだったようです。
 道脇にある岩も何なのか気になりますが、無理に確認しないことにします。
新城市鳳来寺裏参道 岩石

 少し進んだ所のモミジです。
新城市鳳来寺裏参道 もみじ

 駐車場まで戻ってきました。入口のモミジです。後ろ側に大きな崖があります、岩石まではよくわかりません。
新城市鳳来寺駐車場 もみじ

続く


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