可睡斎の名前の由来は徳川家康と関係しています。和尚さんが徳川家康とつながりがあったからです。このお寺の中には、他にも徳川家康に関係した史跡があります。出世六の字穴というものです。三方ヶ原の戦いで武田信玄軍に敗れた徳川家康がここの洞穴に逃れて、命拾いをしたというものです。秋葉総本殿の前から本堂の裏側を進んでいくとそこにたどり着きます。そこを見に行くことにします。
本堂と秋葉総本殿を結ぶ回廊をくぐって、石段を登っていくと、脇にびわの木があって花が咲いていました。
坂を登り切った正面に、出世六の字穴があります。中は立入禁止になっています。この中に、家康が潜んでいたというのでしょうか。
三方原古戦場は、浜松市街地の北側にあります。ここで負けた後、家康が浜松城に戻るまでの間の逸話はいくつか残されています。この穴のことは伝わっていないようです。家康は、ほぼまっすぐ浜松城に戻ったようです。そのルートからは袋井市のここまでは天竜川を渡らないといけなし、だいぶ離れています。そもそも、ここにこのような穴がもともとあっても逃げ込むことができたのかというのも疑問です。
六の字穴の前からは、本堂周辺の建物を見わたすことができます。真ん中の大きな建物が本堂です。その右奥に位牌堂、左側に輪蔵堂、山門が並んで見えています。
この奧に、奥の院があります。見たいのですが、だいぶ遠そうに思えました。見学時間も限られていますから、ここで引き返すことにしました。
本堂まで降りてきました。本堂の横にでたところで本堂前を見たようすです。向こうに見える建物は大書院です。前に大きなソテツの木があります。
そのまま、石段を降り、本堂前の広場に出ます。大きな建物が見えます。左から順に、萬松閣、瑞龍閣、山門と並んでいます。
山門の手前にあった建物には大黒様がいました。おさすり大黒と書かれています。おなかをさすると、福を授かったりできるそうです。てかってますね。
山門前から見た山門下広場です。やっぱり、ここに見えている紅葉が一番綺麗なようです。
この場所から、いくつかの道が延びていて、お堂などに続いているようです。右側を進んで行くと、弁天堂があります。
もう一つ酒塚観音への道もあります。両脇に幟が並んでいます。進んでいったのですが、なかなかだ撮りつけそうにもありませんでした。時間のことも考え引き返すことにしました。そこから見えた、本堂周辺の建物です。
石段を登った先に山門がありますが、見えていません、杉の木の向こうが瑞龍閣、その左側が萬松閣です。
ここから広場に戻り、総門を通って駐車場に戻ることにします。
続く.........