今日から3月です。近くのスーパーで使えていた割引カードが今日から使えなくなりました。スマホで登録すれば継続して使えるようです。残念ながらスマホは持っていません。ガラケーならあるのですが。
何でもかんでもスマホになっています。先日も、景品が当たりましたよと連絡が来たのでもらおうとすると、スマホでないとだめなようです。ガラケーのインターネット閲覧機能に登録をして、店のWifiで使えないかなと考えています。まだ試してはいません。
コロナの追跡システムもスマホでした。そのわりには使えなくなっていたまま放置されていたという問題も発生していたようです。初期の頃は連絡も来なかったり、何もないのに通知だけが来たりとだいぶトラブルがあったようです。そういえば大阪府の追跡システムはどうなっているのでしょうか。
お金を預けている銀行の1つが、長い間通帳の記載をしていないと、通帳を使えないようにしてしまいした。気がつくのが遅く、最終記帳起源が過ぎていました。手続きをすると新しい手帳を発行してくれるようなのです。嫌がらせに作ってもらいに行ってもよかったのですが、それほど出し入れをする口座でもないので、このままいくことにしました。中身はインターネットでも見られるそうです。別の経路で出し入れはわかります。わからなくても問題はありません。入出金さえできれば問題なしです。次に用事ができるのは解約するときかな。
通帳には毎年200円の印紙税がかかるそうです。銀行も預金されていない、出し入れもない口座を維持するのが負担になってきているようです。インターネットの口座なら印紙税がかからないというのは何か変です。口座にかかるのならわかりますが、通帳にかかるというのは筋違いのような。通帳に印紙を貼っているのを見たことがありません。銀行の態度もだいぶ前に預からせてくださいから預かってやってるに変わっています。
利子はつかないといっていいレベルだし、出し入れをするために銀行に行かないといけないくらいなら、タンス銀行に預けておいた方がよっぽどましかも。政府はどこにあるかわからない様な現金は持たせたくないのならこのあたりのことも対策を打つべきです。
この銀行は、別のシステムの書き換えでエラーがでて、ATMが使えなくなっていました。このシステムの変更もあって、処理が増えすぎたのも絡んでいるのではないかと推測しています。
最近になって東北日本大震災の話題が報道にあがってくるようになってきました。今年で10年ということもあるようです。まもなく3月11日にあります。その時の対応がどうだったか書かれています。地震や津波よりも原発関連の比重が大きいようです。
これに対するネットでの一般の意見を見ると当時の政府の批判ばかりなのが気になります。感情的になりすぎていて、どこをどう批判しているのかが全く伝わってきません。「おまえが悪いからそうなったんだろ」という具合にしか読み取れません。どうしてこのようになったのでしょう。逆恨みみたいな感じです。
だいぶ暖かくなってきました。それでも、明日は寒冷前線が通過して春の嵐が吹き、その後急激の気温が下がるとかいわれています。風は要注意です。この寒さが一段落したら、ビニルハウスはおしまいにしようかなと考えています。
この冬は、ハウスの中の水やりが少なかったのか、いろいろなものを枯らしてしまいました。寒いときは持っていたのですが、最近になって急激に元気がなくなってきたものが多いようです。暖かくなったから、水分の蒸発も激しくなってきたのでしょうか。もっと水やりの頻度の少なかった、窓際のカランコエは元気でいっぱい咲いています。
外にだしたままのネメシアとかキンギョソウが咲いていますが、花は少なめです。生長が悪く株が小さいので目立たないようです。ビニールハウスのカリブラコアとか室内に入れたコバノランタナも咲き始めました。アネモネのつぼみも大きくなっています。
葉ボタンが一番はボタンらしくなっています。これから花芽が伸びてくるのでしょう。小松菜と大根も、大部花芽が大きくなりつぼみも膨らんできました。
シクラメンの花芽が、ほとんど枯れてしまっています。今年はこの先2ヶ月ほどは花がなさそうです。クリサンセマムも咲きましたが、頭がたれてきています。アブラムシがついたので、霧吹きで洗剤入りの水をかけたのがいけなかったのでしょうか。次の花で確認してみることにします。ガザニアも元気がありません。
最後に、ウェブサイトやブログを置いているレンタルサーバが、新しいブログアカウント発行を近々停止します。全く違う話題で、ページを作ってみたいと考えている内容もあり、とりあえず、アカウントだけは作っておきました。ページのリンクだけ貼っておきます。手をつけるのはまだまだ先になりそうです。タイトルも含めてどういう構成にするか検討している所です。
2021年03月02日
紅葉の東海三山 29 2019/11/28 豊川市豊川稲荷 山門
随祥殿からの帰り方向の正面に山門がありました、この並びは何か変です。どういうことかというと、山門の位置は総門から入って本堂に行く途中になっていません。普通はお寺(本堂)に向かう途中で必ず大きな山門をくぐります。山門はくぐることで三界解脱の効用があります。それから本堂にお参りするというのがルールです。とするとこの山門の位置づけはどういうことになるのでしょうか。
この山門の下を通る石畳の道は、まっすぐ随祥殿に続いています。本来ならその先が本堂ということになります。随祥殿がこのお寺では一番のお堂ということでしょうか。回っていてわかった事は奥の院が元本堂ということでした。随祥殿が新しそうなこととあわせて考えてみると、もともとこの位置(近く)に本堂があって、現在の本堂が建てられた後、旧本堂が移築され、その跡地に随祥殿が建てられたということも考えられます。
正面にまわってみた山門です。くぐって続く石畳の道が奧の随祥殿に続いているのがわかります。
門の形式は、八脚楼門です。仁王様がいる場合は仁王門といいます。ここの山門にいる仁王様です。
山門の正面左手側にもいくつかのお堂があります。これは鎮守堂です。これがあるのは山門の外側ということになります。山門ができてから寺域が広くなったのでしょうか。
山門をよけると本堂が見えます。だいぶはっきり見えるようになってきました。
その右側の山門側です。山門の右側が最祥殿、その手前は鐘楼堂です。大きな石灯籠も見えています。
そのまま、石畳の道を通って外に出ました。朝食の時間が迫っています。宿に戻ることにします。
道路に出て振り返って見た総門です。屋根のようすもはっきりわかるようになっています。
そのまま正面に続く道は豊川いなり表参道というようです。サブタイトルは「なつかし青春商店街」です。鳥居風の看板に書かれています。
この山門の下を通る石畳の道は、まっすぐ随祥殿に続いています。本来ならその先が本堂ということになります。随祥殿がこのお寺では一番のお堂ということでしょうか。回っていてわかった事は奥の院が元本堂ということでした。随祥殿が新しそうなこととあわせて考えてみると、もともとこの位置(近く)に本堂があって、現在の本堂が建てられた後、旧本堂が移築され、その跡地に随祥殿が建てられたということも考えられます。
正面にまわってみた山門です。くぐって続く石畳の道が奧の随祥殿に続いているのがわかります。

門の形式は、八脚楼門です。仁王様がいる場合は仁王門といいます。ここの山門にいる仁王様です。

山門の正面左手側にもいくつかのお堂があります。これは鎮守堂です。これがあるのは山門の外側ということになります。山門ができてから寺域が広くなったのでしょうか。

山門をよけると本堂が見えます。だいぶはっきり見えるようになってきました。

その右側の山門側です。山門の右側が最祥殿、その手前は鐘楼堂です。大きな石灯籠も見えています。

そのまま、石畳の道を通って外に出ました。朝食の時間が迫っています。宿に戻ることにします。
道路に出て振り返って見た総門です。屋根のようすもはっきりわかるようになっています。

そのまま正面に続く道は豊川いなり表参道というようです。サブタイトルは「なつかし青春商店街」です。鳥居風の看板に書かれています。

続く...............
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2021年03月03日
紅葉の東海三山 30 2019/11/28 袋井市法多山尊永寺へ
宿に戻ったら朝食となります。ちょうど食堂が開いたところです。入口前には長い列ができています。続々と人が下りてきています。並んでいる時間が無駄になります。それほど時間に余裕がありません。列が短くなるまでの間に、できる分でも出発の準備をしようと部屋にいったん戻りました。
食事から戻ったらすぐに出発できるように、荷物を持ち歩く荷物、バス車内で必要な荷物、帰るまでは特に必要のない荷物にまとめておきます。いつもは、持ち歩きようにステンレスボトルにお茶を朝に入れるのですが、ここは部屋には茶葉は置いていなくてロビーの粉末のお茶があるだけです。ふだんの宿で置いてあったお茶のあまりをいつも持ち歩いていますから、これで入れます。
一段落して、外を見てみました。駅ホームは切れ目なく電車が止まっています。これから朝の通勤が始まるのでしょうか。
駅の屋根越しに向こう側です。渥美半島の山並が見えているようです。厚い雲が垂れ込めています。天気は大丈夫なのでしょうか。少し心配です。
荷物がまとまったので、食堂に降りていきます。入口の列の長さは先ほどと変わっていません。相変わらず食事に降りてくる人は多いようです。列の長さが短くなりそうにありませんし、準備もだいたい終わっているのであきらめて並ぶことにしました。
順番が来て、食事をもらっていくことになります。バイキング形式です。ここで問題が発生です。トレイを持って、次にバイキング用のとりわけ皿を上に乗せようとするとこれだけでトレイがいっぱいです。残ったスペースにはコップが2つ乗るだけのすきましか残りません。牛乳とお茶をのせていっぱいです。
茶碗、味噌汁椀はとりわけざらの上に置くしかないようです。ビジネスホテルですから、おかずの種類がすくないのでこれで何とか収めることができました。よく考えたら、とりわけ皿をトレイから半分はみ出させるという方法がありましたね。
豊川いなりの近くということでこの町中ではいろいろ工夫を凝らしたいなり寿司があるようです。ポスターが貼ってありました。ここでも普通のいなり寿司がでていました。2ついただきました。
隣の席で、韓国青年がスマホアプリの音声でツアー仲間に質問していました。「はしはどこですか」と聞こえました。一瞬何のことか理解できませんでした。どうもお箸を見つけられなかったようです。アクセントが何か変です。といっても関東と関西でも違っています。それに箸とはめったにいいません。便利になりましたね。いつもはウェブページの自動翻訳を使っていますが訳を見ても何が書かれているかさっぱり理解できません。でもこれに頼らなくても、漢字が通用するような気がします。
食事が終わったらそれほど時間の余裕はなく、すぐに出発です。バスのある駐車場まで歩いて行きます。駐車場入口には張りぼてのキツネが置かれていました。来た時は暗くてわかりませんでした。
全員集合するとバスは出発です。すぐにでられるかと思ったら運転手さんがバスから降りて駐車料金を支払いに行きました。これで出口のゲートが開いてやっと出発です。最初の目的地は法多山尊永寺です。袋井市にあります。
東名高速に入り東に向かいます。浜名湖を通過します。このあたりから富士山が見えることがあるとか。今日は雲が多くで無理です。
バスは、天竜川も越えていきます。
袋井ICで高速道路を降り、ジグザグに進んで行きます。山の中に入ってくると、お茶畑が広がっていました。お隣の掛川はお茶で有名なところです。このあたりもお茶栽培には適しているのでしょう。
食事から戻ったらすぐに出発できるように、荷物を持ち歩く荷物、バス車内で必要な荷物、帰るまでは特に必要のない荷物にまとめておきます。いつもは、持ち歩きようにステンレスボトルにお茶を朝に入れるのですが、ここは部屋には茶葉は置いていなくてロビーの粉末のお茶があるだけです。ふだんの宿で置いてあったお茶のあまりをいつも持ち歩いていますから、これで入れます。
一段落して、外を見てみました。駅ホームは切れ目なく電車が止まっています。これから朝の通勤が始まるのでしょうか。

駅の屋根越しに向こう側です。渥美半島の山並が見えているようです。厚い雲が垂れ込めています。天気は大丈夫なのでしょうか。少し心配です。

荷物がまとまったので、食堂に降りていきます。入口の列の長さは先ほどと変わっていません。相変わらず食事に降りてくる人は多いようです。列の長さが短くなりそうにありませんし、準備もだいたい終わっているのであきらめて並ぶことにしました。
順番が来て、食事をもらっていくことになります。バイキング形式です。ここで問題が発生です。トレイを持って、次にバイキング用のとりわけ皿を上に乗せようとするとこれだけでトレイがいっぱいです。残ったスペースにはコップが2つ乗るだけのすきましか残りません。牛乳とお茶をのせていっぱいです。
茶碗、味噌汁椀はとりわけざらの上に置くしかないようです。ビジネスホテルですから、おかずの種類がすくないのでこれで何とか収めることができました。よく考えたら、とりわけ皿をトレイから半分はみ出させるという方法がありましたね。
豊川いなりの近くということでこの町中ではいろいろ工夫を凝らしたいなり寿司があるようです。ポスターが貼ってありました。ここでも普通のいなり寿司がでていました。2ついただきました。

隣の席で、韓国青年がスマホアプリの音声でツアー仲間に質問していました。「はしはどこですか」と聞こえました。一瞬何のことか理解できませんでした。どうもお箸を見つけられなかったようです。アクセントが何か変です。といっても関東と関西でも違っています。それに箸とはめったにいいません。便利になりましたね。いつもはウェブページの自動翻訳を使っていますが訳を見ても何が書かれているかさっぱり理解できません。でもこれに頼らなくても、漢字が通用するような気がします。
食事が終わったらそれほど時間の余裕はなく、すぐに出発です。バスのある駐車場まで歩いて行きます。駐車場入口には張りぼてのキツネが置かれていました。来た時は暗くてわかりませんでした。

全員集合するとバスは出発です。すぐにでられるかと思ったら運転手さんがバスから降りて駐車料金を支払いに行きました。これで出口のゲートが開いてやっと出発です。最初の目的地は法多山尊永寺です。袋井市にあります。
東名高速に入り東に向かいます。浜名湖を通過します。このあたりから富士山が見えることがあるとか。今日は雲が多くで無理です。

バスは、天竜川も越えていきます。

袋井ICで高速道路を降り、ジグザグに進んで行きます。山の中に入ってくると、お茶畑が広がっていました。お隣の掛川はお茶で有名なところです。このあたりもお茶栽培には適しているのでしょう。

続く...............
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2021年03月04日
紅葉の東海三山 31 2019/11/28 袋井市法多山尊永寺 参道
尊永寺の駐車場に到着しました。ここから歩いて行くようです。参道に出るまでが複雑でした。建物の裏側をまわっていくとたどり着くことができました。たぶん近道をしていたのでしょう。案内標識はありました。帰りがわかりにくくなりそうです。
参道を進んで行くと門が見えてきました。冠木門という形式の門です。お寺よりは関所跡などでよく見かけます。
さらに奥に八脚楼門が見えてきました。手前側に石碑のような石が二つ並んで立っています。石柱門という形式の門のようにも見えます。単純な形の石の柱が並んでいるのか普通です。
たぶんこれが一番立派なので山門なのでしょう。額に山号が(法多山と)書かれています。山門というのはお寺の入口の門のことをいいますが、これだけあればどれが入口の門なのかわかりません。
横のもみじが色づいています。見た感じでは、色づいたもみじは少ないようです。
楼門下には仁王さんがいます。こちらは阿形です。目玉が飛び出しているように見えます。ここだけ色彩で塗られたところが残っているためそのようにみえているようです。
山門を越えて進んで行きます。ツアー仲間で道はいっぱいです。色づいたもみじはところどころにパラパラとみられます。
左手に見えるのは研修会館です。こうやって見ると青もみじも結構綺麗です。
研修会館の入口に見えてきたのは黒門です。市の重要文化財だそうです。内外が逆の薬医門のように見えます。控え柱が手前にあります。左奥の松の木は日本庭園に配置されたもののように見えます。
昔は、この付近にたくさんのお寺があってその一つの門だったようです。今はそれが全て一つになって尊永寺といっているようです。
参道を進んで行くと門が見えてきました。冠木門という形式の門です。お寺よりは関所跡などでよく見かけます。

さらに奥に八脚楼門が見えてきました。手前側に石碑のような石が二つ並んで立っています。石柱門という形式の門のようにも見えます。単純な形の石の柱が並んでいるのか普通です。

たぶんこれが一番立派なので山門なのでしょう。額に山号が(法多山と)書かれています。山門というのはお寺の入口の門のことをいいますが、これだけあればどれが入口の門なのかわかりません。
横のもみじが色づいています。見た感じでは、色づいたもみじは少ないようです。

楼門下には仁王さんがいます。こちらは阿形です。目玉が飛び出しているように見えます。ここだけ色彩で塗られたところが残っているためそのようにみえているようです。

山門を越えて進んで行きます。ツアー仲間で道はいっぱいです。色づいたもみじはところどころにパラパラとみられます。

左手に見えるのは研修会館です。こうやって見ると青もみじも結構綺麗です。

研修会館の入口に見えてきたのは黒門です。市の重要文化財だそうです。内外が逆の薬医門のように見えます。控え柱が手前にあります。左奥の松の木は日本庭園に配置されたもののように見えます。

昔は、この付近にたくさんのお寺があってその一つの門だったようです。今はそれが全て一つになって尊永寺といっているようです。
続く...............
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2021年03月05日
紅葉の東海三山 32 2019/11/28 袋井市法多山尊永寺 蛸薬師堂から本堂
ちょっと気になることができてきました。雨がぱらついています。傘はバスの中に置いてきました。駐車場からだいぶ来ていますから、とりに戻ると尊永寺を参拝する時間はなくなります。雨がひどくならないことに期待するしかないでしょう。このまま強行します。
左手山側に、平行に道が続いています。こちらを通ってもいけそうです。今通っている道はツアー仲間でいっぱいです。山側の道は、人がいない分ゆっくり景色を見られそうです。こちら通っていくことにします。
山側の道に上がった所で、イチョウの木越しに大きな建物が見えます。紫雲閣かな。イチョウは葉っぱを落とし始めています。
上の道です。雨で路面が濡れています。赤いもみじ黄色いもみじ青いもみじが混ざっています。
斜面側にツワブキがいっぱい咲いていました。石碑があります。読めるのは最後の法多山だけです。
大きな建物の手前で上にあがる道と少し下がっていく道があります。下がっていく道を通って元の道に戻ります。道脇に崖があって地層が見えています。レキ層です。インブリケーションが見えています。これで地層ができたときの水流の方向がわかります。
そのまま進んで行くとお堂が並んでいる場所に出ました。弁財天堂と蛸薬師堂があります。間に不動明王の像もあります。背後の火焔は真っ赤に塗られています。
ここからは石段が続きます。途中まで昇ったところで振り返って見たようすです。道脇のもみじはいろいろな色が混ざっています。
石段も残りわずかとなってきました。もうすぐ本堂に到着のようです。写真は本堂横の大師堂です。下の鳥居は二葉神社のものです。石段は、今登っている石段と平行につけられています。
左手山側に、平行に道が続いています。こちらを通ってもいけそうです。今通っている道はツアー仲間でいっぱいです。山側の道は、人がいない分ゆっくり景色を見られそうです。こちら通っていくことにします。
山側の道に上がった所で、イチョウの木越しに大きな建物が見えます。紫雲閣かな。イチョウは葉っぱを落とし始めています。

上の道です。雨で路面が濡れています。赤いもみじ黄色いもみじ青いもみじが混ざっています。

斜面側にツワブキがいっぱい咲いていました。石碑があります。読めるのは最後の法多山だけです。

大きな建物の手前で上にあがる道と少し下がっていく道があります。下がっていく道を通って元の道に戻ります。道脇に崖があって地層が見えています。レキ層です。インブリケーションが見えています。これで地層ができたときの水流の方向がわかります。

そのまま進んで行くとお堂が並んでいる場所に出ました。弁財天堂と蛸薬師堂があります。間に不動明王の像もあります。背後の火焔は真っ赤に塗られています。

ここからは石段が続きます。途中まで昇ったところで振り返って見たようすです。道脇のもみじはいろいろな色が混ざっています。

石段も残りわずかとなってきました。もうすぐ本堂に到着のようです。写真は本堂横の大師堂です。下の鳥居は二葉神社のものです。石段は、今登っている石段と平行につけられています。

続く...............
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2021年03月06日
紅葉の東海三山 33 2019/11/28 袋井市法多山尊永寺本堂
雨はだんだんひどくなってきていて、本降りになっています。傘なしでは歩けない状態です。大丈夫だろうと思ってバスに置いてきたのが悔やまれます。雨を避ける所もなく、だいぶずぶ濡れになっています。
長く続いた石段を登り終わって正面に見えてきた本堂です。その前は大きな広場になっています。
本堂前広場周囲の生垣です。やぶきた茶と書かれた石碑があります。
建物の入口が近いので、本堂前から左側に進んで行きます。正面に見える大師堂です。
大師堂の手前から、本堂の脇に入っていきます。入った正面にあるのが、おみくじお守り売り場です。
脇にあるシャクナゲの花が咲いていました。昨日のモチツツジといい、季節外れの花をよく見かけます。
本堂前の回廊から見る本堂前の広場です。雨が本格化しているので、外に出ている人は少なくなっています。石灯籠の向こうの建物は諸尊堂北谷寺です。
おみくじ売り場の前から下りて行くことにします。雨はやみそうにありません。カメラバッグの中にビニールの風呂敷が入っています。これをかぶることで雨対策とします。下山道は太子堂の前からということになっています。その指示に従います。
少し降りたところで正面に鐘楼堂が見えました。ここのもみじは真っ赤です。
長く続いた石段を登り終わって正面に見えてきた本堂です。その前は大きな広場になっています。

本堂前広場周囲の生垣です。やぶきた茶と書かれた石碑があります。

建物の入口が近いので、本堂前から左側に進んで行きます。正面に見える大師堂です。

大師堂の手前から、本堂の脇に入っていきます。入った正面にあるのが、おみくじお守り売り場です。

脇にあるシャクナゲの花が咲いていました。昨日のモチツツジといい、季節外れの花をよく見かけます。

本堂前の回廊から見る本堂前の広場です。雨が本格化しているので、外に出ている人は少なくなっています。石灯籠の向こうの建物は諸尊堂北谷寺です。

おみくじ売り場の前から下りて行くことにします。雨はやみそうにありません。カメラバッグの中にビニールの風呂敷が入っています。これをかぶることで雨対策とします。下山道は太子堂の前からということになっています。その指示に従います。
少し降りたところで正面に鐘楼堂が見えました。ここのもみじは真っ赤です。

続く...............
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2021年03月07日
紅葉の東海三山 34 2019/11/28 袋井市法多山尊永寺裏参道
ビニールの風呂敷は雨対策としては完璧ではありません。体全体を覆うほど大きくないし、動く度にひらひらして雨がかかります。両手で持っていないとずり落ちてきます。ないよりはましということでこのまま対応しておきます。帽子で押さえることで手を開放することにしました。
鐘楼から石段を一段降りたところです。七重石塔の右側に仏様がいます。黙想しているのでしょうか。左側のも仏様?。黄色い色が雨にぬれてレインコートを着ているように見えます。
横に、二葉神社に続く鳥居が並んでいます。遊郭にあったものを移築したとか。サービス業や客商売に携わる女性の守り神として信仰されているとか。
ここから下の石段は切石ではなく、自然石を使っているようです。同じ形大きさのものをこれだけよくそろえられたものです。
石段の途中にあるのが、氷室神社です。氷室明神を祀っているそうです。氷を保存していたところでしょうか。
石段を降りきるとお堂の並んでいたところにでました。その中の弁財天堂です。池の中にあります。
ここまで降りてきたところで、カメラバッグの中に入っているはずの、飴を入れた袋がないのに気がつきました。ツアー中ですからいつ飴を入手できるかわかりません。それより飴を入れている袋が気にいっています。できればみつけておきたいものです。
バッグを開けたのはビニールの風呂敷をだした時だけです。その時に落とした可能性が一番大きいようです。そこまで戻って探すにしても、石段を登り直さないといけないこと、雨が降っていること、時間のロスが大きいことを考えると気が引けます。それでも、思い切って引き返すことにしました。
風呂敷をだしたところまで、落ちていないチェックしながらあがったのですが、見つけることはできませんでした。おみくじ売り場にいた人にも確認したのですが、落ちてはなかったそうです。風呂敷をだしたのはここです。あきらめることにします。
再びお堂のある所まで降りてきました。お堂とは反対側にだんご茶屋という大きな建物があります。ここの厄除けだんごは、有名だそうです。雨宿りも兼ねて食べていくことにします。
建物に入ったところで、添乗員さんに笑われてしまいました。風呂敷はピンク色です。
みたらし団子とあん団子があります。あん団子がオーソドックスなようなので、そちらにしました。みたらしは、この1週間だけの期間限定販売だったようです。
団子を食べている間に、雨はちょっとだけ小降りになったようです。駐車場に戻ることにします。歩き始めたところの紅葉です。
少し歩いたところで、トイレに行っておくようにいわれていたのを思い出しました。だんご茶屋に近くにあります。引き返してすませておきます。
再び参道に戻ります。来るときは人が多かったので写真を撮っていませんでした。ここまできたところで、別のツアーグループがやってきました。結局はたくさんの人が写り込んでしまいました。
鐘楼から石段を一段降りたところです。七重石塔の右側に仏様がいます。黙想しているのでしょうか。左側のも仏様?。黄色い色が雨にぬれてレインコートを着ているように見えます。

横に、二葉神社に続く鳥居が並んでいます。遊郭にあったものを移築したとか。サービス業や客商売に携わる女性の守り神として信仰されているとか。

ここから下の石段は切石ではなく、自然石を使っているようです。同じ形大きさのものをこれだけよくそろえられたものです。

石段の途中にあるのが、氷室神社です。氷室明神を祀っているそうです。氷を保存していたところでしょうか。

石段を降りきるとお堂の並んでいたところにでました。その中の弁財天堂です。池の中にあります。

ここまで降りてきたところで、カメラバッグの中に入っているはずの、飴を入れた袋がないのに気がつきました。ツアー中ですからいつ飴を入手できるかわかりません。それより飴を入れている袋が気にいっています。できればみつけておきたいものです。
バッグを開けたのはビニールの風呂敷をだした時だけです。その時に落とした可能性が一番大きいようです。そこまで戻って探すにしても、石段を登り直さないといけないこと、雨が降っていること、時間のロスが大きいことを考えると気が引けます。それでも、思い切って引き返すことにしました。
風呂敷をだしたところまで、落ちていないチェックしながらあがったのですが、見つけることはできませんでした。おみくじ売り場にいた人にも確認したのですが、落ちてはなかったそうです。風呂敷をだしたのはここです。あきらめることにします。
再びお堂のある所まで降りてきました。お堂とは反対側にだんご茶屋という大きな建物があります。ここの厄除けだんごは、有名だそうです。雨宿りも兼ねて食べていくことにします。
建物に入ったところで、添乗員さんに笑われてしまいました。風呂敷はピンク色です。
みたらし団子とあん団子があります。あん団子がオーソドックスなようなので、そちらにしました。みたらしは、この1週間だけの期間限定販売だったようです。

団子を食べている間に、雨はちょっとだけ小降りになったようです。駐車場に戻ることにします。歩き始めたところの紅葉です。

少し歩いたところで、トイレに行っておくようにいわれていたのを思い出しました。だんご茶屋に近くにあります。引き返してすませておきます。
再び参道に戻ります。来るときは人が多かったので写真を撮っていませんでした。ここまできたところで、別のツアーグループがやってきました。結局はたくさんの人が写り込んでしまいました。

続く...............
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2021年03月08日
星の記録 2月末〜3月始め
最近は、天体関係でこれといった現象がない上に、天気も今ひとつで、星を見る機会が少なくなっています。前回報告した以後は2回のみです。
カノープス
よく探しているのですが、ほとんど見えていません。南の空低い所がぼんやりしていることがほとんどです。年末から年始にかけて真夜中近くに見えていたものが、暗くなってからしばらくしてからに変わってきています。
唯一見えたのは2月24日です。20時前から21時頃にかけて見えました。
双眼鏡でも確認できなかったのですが、念のため写真をとってみると写っているのがわかりました。400mm望遠です。
10秒露出20秒インターバルで写しました。比較明合成しています。約25分間です。飛行機に飛び回られていますが、奇跡的というか、かぶっているものはありませんでした。コロナがなかったらもっとたくさん飛ばれていたかも。この間に南中しているはず。ピンポイントで見つけるのは難しそうです。
双眼鏡でじっくり探してみると何とか存在を認めることができました。続きです。急に飛行機がなくなっています。
更に続きです。見えなくなったと思ったら、雲の中に入っていたようです。
最近は、南中時刻が19時頃になっています。気がついたら沈もうとしています。
すばると火星の接近
火星とすばるが接近しています。5日が最接近だったようです。ずっと雲がかかっていて、今日やっと見ることができました。赤っぽい星が見えたので確認するとアルデバランでした。その左側にベテルギウスも見えています。赤い星が3つ並んでいます。その中で一番くらいのが火星です。だいぶ暗くなっています。
火星とすばるも離れ始めています。300mm固定撮影6秒露出です。少し星が流れています。
アストロトレーサで追跡してみました。50秒露出です。300mmだとこれ以上の露出は無理なようです。
55mmにしてみました。ヒアデスからプレアデスまで入っています。40秒露出です。
もう少しアップの80mmです。これでちょうどいっぱいかな。40秒露出です。
カノープス
よく探しているのですが、ほとんど見えていません。南の空低い所がぼんやりしていることがほとんどです。年末から年始にかけて真夜中近くに見えていたものが、暗くなってからしばらくしてからに変わってきています。
唯一見えたのは2月24日です。20時前から21時頃にかけて見えました。
双眼鏡でも確認できなかったのですが、念のため写真をとってみると写っているのがわかりました。400mm望遠です。




すばると火星の接近
火星とすばるが接近しています。5日が最接近だったようです。ずっと雲がかかっていて、今日やっと見ることができました。赤っぽい星が見えたので確認するとアルデバランでした。その左側にベテルギウスも見えています。赤い星が3つ並んでいます。その中で一番くらいのが火星です。だいぶ暗くなっています。
火星とすばるも離れ始めています。300mm固定撮影6秒露出です。少し星が流れています。




posted by ヨッシン at 00:00| 星
2021年03月09日
紅葉の東海三山 35 2019/11/28 袋井市医王山油山寺 宝生殿
尊永寺駐車場に入る狭い路地も無事見つけることができて、バスに戻ることができました。席に着こうとしたら、シートの上に飴を入れていた袋が座っていました。ここで何かを出し入れしたときに、落としていたようです。
バスは次の目的地に向けて出発します。行き先は油山寺です。遠州三山の2番目です。ここに来る途中、新幹線の線路に沿って走っているときに、案内板がでているのを見ましたから、すぐ近くなのでしょう。
バスは案内板のでていたところまで戻り、示された通りに進んで行きます。東名高速道路を越えて山の中に入ってしばらく進んだ所で、油山寺に到着しました。
油山寺の参拝場所は2ヵ所あるとの説明が添乗員さんからありました。入って少しいったところの右側の本坊とそのままずっと進んでいった先にある薬師本堂です。薬師本堂は遠く坂もきついので無理にいかなくても良いそうです。
バスも定位置に停車し、参拝に向けて出発です。まだ雨が降っていますから傘はしっかり差していきます。
バスから見えていた石段の先に山門があります。二重門のように見ます。掛川城の大手門が移築されたそうです。櫓門になります。
山門を入った所の紅葉です。ここもまだ青いもみじがあります。
右側に本坊があります。その入口にあるのが礼拝門です。形は家棟門です。気がついていませんでしたが、写真で見ると棟瓦側面の飾りが立派です。龍のように見えます。
本坊入り口横にあったのが、天狗杉の切り株です。大きな杉の木だったようです。
ほとんどの人はまっすぐ行きました、本坊の方は少なめです。本坊から見ていくことにしました。
門を入って道は二手に分かれています。右側の建物は、本堂ぽくありません。方丈でしょう。
左側にみえる建物です。宝生殿と書かれています。拝所もありますからこちらが本堂でしょう。
拝所の上にかかっている額です。「め」と書かれています。意味が理解できていません。とりあえず置いておきます。
右前から見た宝生殿です。火焔窓が並んでいます。つり下げられた提灯をよく見ると「め」の意味がよくわかったはずなのですが。
バスは次の目的地に向けて出発します。行き先は油山寺です。遠州三山の2番目です。ここに来る途中、新幹線の線路に沿って走っているときに、案内板がでているのを見ましたから、すぐ近くなのでしょう。
バスは案内板のでていたところまで戻り、示された通りに進んで行きます。東名高速道路を越えて山の中に入ってしばらく進んだ所で、油山寺に到着しました。

油山寺の参拝場所は2ヵ所あるとの説明が添乗員さんからありました。入って少しいったところの右側の本坊とそのままずっと進んでいった先にある薬師本堂です。薬師本堂は遠く坂もきついので無理にいかなくても良いそうです。
バスも定位置に停車し、参拝に向けて出発です。まだ雨が降っていますから傘はしっかり差していきます。
バスから見えていた石段の先に山門があります。二重門のように見ます。掛川城の大手門が移築されたそうです。櫓門になります。

山門を入った所の紅葉です。ここもまだ青いもみじがあります。

右側に本坊があります。その入口にあるのが礼拝門です。形は家棟門です。気がついていませんでしたが、写真で見ると棟瓦側面の飾りが立派です。龍のように見えます。

本坊入り口横にあったのが、天狗杉の切り株です。大きな杉の木だったようです。

ほとんどの人はまっすぐ行きました、本坊の方は少なめです。本坊から見ていくことにしました。
門を入って道は二手に分かれています。右側の建物は、本堂ぽくありません。方丈でしょう。

左側にみえる建物です。宝生殿と書かれています。拝所もありますからこちらが本堂でしょう。

拝所の上にかかっている額です。「め」と書かれています。意味が理解できていません。とりあえず置いておきます。

右前から見た宝生殿です。火焔窓が並んでいます。つり下げられた提灯をよく見ると「め」の意味がよくわかったはずなのですが。

続く...............
posted by ヨッシン at 23:52| 旅行記
2021年03月10日
紅葉の東海三山 36 2019/11/28 袋井市医王山油山寺薬師本堂へ
油山寺に着く前に添乗員さんが、油山寺という名前は油が出たことからつけられたといっていました。この付近から御前崎にかけて分布している地層からは、石油が湧き出すことがあります。いまから40年くらい前までは実際に採掘していました。それを考えると、油が出るというのは別に不思議ではありません。地質が関係しているとは驚きです。
本坊を出て薬師本堂に向かいます。しばらくは樹木がうっそうとした谷を歩いて行きます。天狗谷というようです。
ところどころに地層がでています。薄暗くて写真にはうまく写りません。
途中に瑠璃の滝というのがありました。ここも暗くて綺麗に写っていません。雨の影響もあります。
瑠璃の滝を過ぎてから、登り坂になります。石段を登っていくと薬師本堂が見えてきました。
ここの右手に三重の塔があります。両脇にあるもみじが何とか色づいています。紅葉は少なめです。
もう一階段昇ると、薬師本堂に到着です。本堂の向拝から、本堂内部にかけてのようすです。
横に鐘楼があります。
今いるところは、三重の塔の三階屋根と同じくらいの高さでしょうか。もみじと屋根を一緒になるように写してみました。
本坊を出て薬師本堂に向かいます。しばらくは樹木がうっそうとした谷を歩いて行きます。天狗谷というようです。

ところどころに地層がでています。薄暗くて写真にはうまく写りません。

途中に瑠璃の滝というのがありました。ここも暗くて綺麗に写っていません。雨の影響もあります。

瑠璃の滝を過ぎてから、登り坂になります。石段を登っていくと薬師本堂が見えてきました。

ここの右手に三重の塔があります。両脇にあるもみじが何とか色づいています。紅葉は少なめです。

もう一階段昇ると、薬師本堂に到着です。本堂の向拝から、本堂内部にかけてのようすです。

横に鐘楼があります。

今いるところは、三重の塔の三階屋根と同じくらいの高さでしょうか。もみじと屋根を一緒になるように写してみました。

続く..............
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2021年03月11日
大阪公立高一般選抜検査 地学関係の問題から
昨日、大阪府公立学校の学力検査があり、その問題が今日公表されていました。地学関係の問題について解説などを書いてみます。 関係するのは理科の問題の4番です。1の(5)も相似相同器官についての問題ですので、進化の問題と関係してきます。進化については、学校では地学として扱わないことが普通です。ここではその慣例に従って、解説しないことにします。
問題文について気になることがありますが、そのことについては次回触れることにします。
4番の問題で最初に、福井県三国港の突堤についての文章がかかれています。
(1)突堤に使われた岩石は何かという問題
問題文には「火山岩」に該当する岩石と書かれていますから、解答欄で該当する岩石は安山岩ありません。
ところで本当のことはどうなんでしょうか。地元での岩石を使っていることが普通なので、近くの岩石を探してみます。東尋坊・越前松島の安山岩や雄島の流紋岩などは入ってきそうです。福井市近郊では足羽石という石材がよく使われています。これも昔は火山岩に分類されていたことがあります。現在では溶結凝灰岩であることがわかっています。これの可能性だってありそうです。
(2)堆積物に関係する問題
1は地層累重の法則から答えることができます。上にあるものほど新しくなります。
2はレキや砂粒の摩耗の問題です。流されるに従って角が取れてまるくなっていきます。
3は粒子の大きさから判断できます
1mmの間に2−4粒入っています 粒子の大きさは0.5から0.25mmで この大きさなら砂粒になります
(3)考察文をどう書くかという問題
直前の「突堤建設による変化」に書かれている内容と同じものは一つしかありませんから、これが答えになります。
ところで、このように考察を書き換えてしまうと「突堤建設による変化」と「考察」の文章が全く同じになってしまいます。これはレポートとしては正しいのでしょうか。同じ文章が2回続けてでてくるというのは気になります。
これ以後は、三国港とは直接の関係がありません。三国港の突堤について出題意図は何だったのでしょう。ただ単に長い文章があっただけのような気がします。
(4)冬の天気についての問題です
1 冬型の気圧配置の別の呼び方です。西高東低といいます。
2 シベリアからの乾燥した空気が北陸地方に到着したときに湿っている理由です
日本海から水蒸気をもらう ですね。
3 湿度が同じなので、水蒸気量は飽和水蒸気量に比例すると考えます。
飽和水蒸気量が4倍だから湿度も4倍です。
4a気圧が低下するのは山を登っているとき
b山を登っているときに水蒸気が雨となって抜けていくので、山を登る前が一番多い
(5) 気圧変化と雲のでき方に関係した問題です
気圧が下がることで、空気が膨張し、温度が下がり、露点に達して霧(露)ができます
問題文について気になることがありますが、そのことについては次回触れることにします。
4番の問題で最初に、福井県三国港の突堤についての文章がかかれています。
(1)突堤に使われた岩石は何かという問題
問題文には「火山岩」に該当する岩石と書かれていますから、解答欄で該当する岩石は安山岩ありません。
ところで本当のことはどうなんでしょうか。地元での岩石を使っていることが普通なので、近くの岩石を探してみます。東尋坊・越前松島の安山岩や雄島の流紋岩などは入ってきそうです。福井市近郊では足羽石という石材がよく使われています。これも昔は火山岩に分類されていたことがあります。現在では溶結凝灰岩であることがわかっています。これの可能性だってありそうです。
(2)堆積物に関係する問題
1は地層累重の法則から答えることができます。上にあるものほど新しくなります。
2はレキや砂粒の摩耗の問題です。流されるに従って角が取れてまるくなっていきます。
3は粒子の大きさから判断できます
1mmの間に2−4粒入っています 粒子の大きさは0.5から0.25mmで この大きさなら砂粒になります
(3)考察文をどう書くかという問題
直前の「突堤建設による変化」に書かれている内容と同じものは一つしかありませんから、これが答えになります。
ところで、このように考察を書き換えてしまうと「突堤建設による変化」と「考察」の文章が全く同じになってしまいます。これはレポートとしては正しいのでしょうか。同じ文章が2回続けてでてくるというのは気になります。
これ以後は、三国港とは直接の関係がありません。三国港の突堤について出題意図は何だったのでしょう。ただ単に長い文章があっただけのような気がします。
(4)冬の天気についての問題です
1 冬型の気圧配置の別の呼び方です。西高東低といいます。
2 シベリアからの乾燥した空気が北陸地方に到着したときに湿っている理由です
日本海から水蒸気をもらう ですね。
3 湿度が同じなので、水蒸気量は飽和水蒸気量に比例すると考えます。
飽和水蒸気量が4倍だから湿度も4倍です。
4a気圧が低下するのは山を登っているとき
b山を登っているときに水蒸気が雨となって抜けていくので、山を登る前が一番多い
(5) 気圧変化と雲のでき方に関係した問題です
気圧が下がることで、空気が膨張し、温度が下がり、露点に達して霧(露)ができます
posted by ヨッシン at 00:00| 雑記
2021年03月12日
大阪公立高一般選抜検査 地学関係問題の感想
大阪府公立学校一般選抜学力検査の問題で一つだけひっかかっている所があります。この点について述べてみることにします。福井県三国港の突堤についての文章です。まず文章のコピーを載せます。図面は本文の横に上下に並べられていましたが、場所の関係で下に横に並べて載せています。
ここで起こった変化に書かれている内容について、そうなのだと思えばそれでおしまいです。どうしてそうなったのかというのが、気になります。2つのことが書かれています。波が弱くなったということと、土砂が(沖合まで)流れていきやすくなったということです。
1つ目の波が弱くなった原因はなかなか気づけませんでした。さんざん考えてわかったのが、書かれている地図は右が北になっているということです。冬の季節風によって押し寄せてくる波は東西方向に延びる突堤で防ぐことができます。わかり難い地図です。北風による波を防いでいるということを意識していないように見えます。
2つ目の、流路ができて沖合まで土砂が運ばれやすくなったという点です。突堤が左にカーブしていますから、水の流れは突堤にぶつかるよう(攻撃斜面)に流れていきます。比較的流れが速くなり浸食が起こりやすくなります。沖合への流路は確保できるでしょう。
ところが、本文には三国港でも土砂の堆積があったと書かれています。同じカーブなら、三国港付近と同様に土砂を運び去るほどの勢いができない事になります。これでは三国港での土砂の堆積を防ぐことはできそうにありません。
基本的に流路を固定すると、土砂の堆積を進めるのが普通です。天井川がその典型例です。
流路についても気になることがあります。洪水時に阿賀野川からの流れが新潟沖へ流れていくようすを見たことがあります。泥水はそのままの勢いでもとの流れの幅を持ったまま、海面上をまっすぐ沖合に流れていっていました。川の流れは河口から周囲に一気に拡散しないことがわかります。地球観測衛星の画像を使って河口から沖合にかけての流れを調べても同じようなことが見られます。九頭竜川でも同じことが起こっていそうです。何か特別な理由があるのでしょうか。阿賀野川は流路の長い川の一つで、九頭竜川はどちらかといえば急流といえる川です。関係しているのかな。
何かヒントをということで、三国突堤について検索してみました。具体的な像が見えてこないのですが、どうも三国港対岸(九頭竜川左岸)に柴を束ねてT字型になるようなものをいくつも置いたようです(向きが不明ですが)。これによって川の流れを右岸側に集めて三国港付近での流れが速くなるように流れを制御したようです。粗朶(そだ)水制と書かれています。その先にカーブした突堤があればその流れの勢いで沖合まで土砂を運んでいきそうです。
突堤はありませんが、これとよくにたことを江戸時代にもしていたようです。しっかりとした堰を上流部に作っていたため、明治初期の洪水時にさらにその上流部が氾濫しました。川が氾濫した原因が堰にあると考えられ、洪水が再び起こらないようにということで取り払われました。その結果起こったのが三国港での土砂の堆積です。粗朶水制で洪水が起こらないのか心配になってきます。それほど大きなものではなかったのかも。具体的なことはネットの記述からはわかりません。
以上をふまえてみると、三国港での土砂の堆積がなくなったのは、突堤のみではなく同時におこなわれた周辺での治水工事が関係していることがわかります。どちらかというと、治水工事が主で突堤はとってつけたようなもののような気がします(こちらの方が手間暇がかかったようです)。
このことからすると、(3)考察として記述する内容として「エ 突堤は、河川の流れの勢いを維持し、土砂を三国港付近の水底に堆積しにくくしている」は正解なのでしょうか。左岸側の粗朶水制がなければ、土砂の堆積は続いていたと思われます。江戸時代の水流制御は功を奏しています。限りなく出題ミスに近いような気がします。Fさんが考えた事として正解とするのでしょうか。
突堤は作った割りにはそれほど効果がなかったと書かれているページもあります。そもそも建設による変化として書かれている内容も本当なのかどうか。ネットでの記述からははっきりしません。
チェックしたページとURLです。
福井県建設技術協会:三国港突堤の紹介
http://www.zenkenfukui.jp/inheritance/mikuni.php
一般社団法人日本埋立浚渫協会:21世紀に伝えたい『港湾遺産』
https://www.umeshunkyo.or.jp/104/07mikuni/page.html
土木学会:選奨土木遺産 三国港エッセル堤の解説シート
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/331
更にいうなら、この考察は根本的な所では地学との関連について微妙な感じがします。地学(理科)として考えないといけないのはどうしてそのような現象が起こるのかということではないでしょうか。大きな波がやってこない理由とか、流速が維持されたのはどうしてかということ考えるのが筋なのではないでしょうか。その点でいえばここで出された問題はどちらかといえば地理(社会)で取り上げられるような内容かなとは思います。解答するには文章を読めば何とか答えられますが、その背景の理論的な所で引っかかりを感じます。理由がはっきりとわからないものはなおさらです。

ここで起こった変化に書かれている内容について、そうなのだと思えばそれでおしまいです。どうしてそうなったのかというのが、気になります。2つのことが書かれています。波が弱くなったということと、土砂が(沖合まで)流れていきやすくなったということです。
1つ目の波が弱くなった原因はなかなか気づけませんでした。さんざん考えてわかったのが、書かれている地図は右が北になっているということです。冬の季節風によって押し寄せてくる波は東西方向に延びる突堤で防ぐことができます。わかり難い地図です。北風による波を防いでいるということを意識していないように見えます。
2つ目の、流路ができて沖合まで土砂が運ばれやすくなったという点です。突堤が左にカーブしていますから、水の流れは突堤にぶつかるよう(攻撃斜面)に流れていきます。比較的流れが速くなり浸食が起こりやすくなります。沖合への流路は確保できるでしょう。
ところが、本文には三国港でも土砂の堆積があったと書かれています。同じカーブなら、三国港付近と同様に土砂を運び去るほどの勢いができない事になります。これでは三国港での土砂の堆積を防ぐことはできそうにありません。
基本的に流路を固定すると、土砂の堆積を進めるのが普通です。天井川がその典型例です。
流路についても気になることがあります。洪水時に阿賀野川からの流れが新潟沖へ流れていくようすを見たことがあります。泥水はそのままの勢いでもとの流れの幅を持ったまま、海面上をまっすぐ沖合に流れていっていました。川の流れは河口から周囲に一気に拡散しないことがわかります。地球観測衛星の画像を使って河口から沖合にかけての流れを調べても同じようなことが見られます。九頭竜川でも同じことが起こっていそうです。何か特別な理由があるのでしょうか。阿賀野川は流路の長い川の一つで、九頭竜川はどちらかといえば急流といえる川です。関係しているのかな。
何かヒントをということで、三国突堤について検索してみました。具体的な像が見えてこないのですが、どうも三国港対岸(九頭竜川左岸)に柴を束ねてT字型になるようなものをいくつも置いたようです(向きが不明ですが)。これによって川の流れを右岸側に集めて三国港付近での流れが速くなるように流れを制御したようです。粗朶(そだ)水制と書かれています。その先にカーブした突堤があればその流れの勢いで沖合まで土砂を運んでいきそうです。
突堤はありませんが、これとよくにたことを江戸時代にもしていたようです。しっかりとした堰を上流部に作っていたため、明治初期の洪水時にさらにその上流部が氾濫しました。川が氾濫した原因が堰にあると考えられ、洪水が再び起こらないようにということで取り払われました。その結果起こったのが三国港での土砂の堆積です。粗朶水制で洪水が起こらないのか心配になってきます。それほど大きなものではなかったのかも。具体的なことはネットの記述からはわかりません。
以上をふまえてみると、三国港での土砂の堆積がなくなったのは、突堤のみではなく同時におこなわれた周辺での治水工事が関係していることがわかります。どちらかというと、治水工事が主で突堤はとってつけたようなもののような気がします(こちらの方が手間暇がかかったようです)。
このことからすると、(3)考察として記述する内容として「エ 突堤は、河川の流れの勢いを維持し、土砂を三国港付近の水底に堆積しにくくしている」は正解なのでしょうか。左岸側の粗朶水制がなければ、土砂の堆積は続いていたと思われます。江戸時代の水流制御は功を奏しています。限りなく出題ミスに近いような気がします。Fさんが考えた事として正解とするのでしょうか。
突堤は作った割りにはそれほど効果がなかったと書かれているページもあります。そもそも建設による変化として書かれている内容も本当なのかどうか。ネットでの記述からははっきりしません。
チェックしたページとURLです。
福井県建設技術協会:三国港突堤の紹介
http://www.zenkenfukui.jp/inheritance/mikuni.php
一般社団法人日本埋立浚渫協会:21世紀に伝えたい『港湾遺産』
https://www.umeshunkyo.or.jp/104/07mikuni/page.html
土木学会:選奨土木遺産 三国港エッセル堤の解説シート
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/331
更にいうなら、この考察は根本的な所では地学との関連について微妙な感じがします。地学(理科)として考えないといけないのはどうしてそのような現象が起こるのかということではないでしょうか。大きな波がやってこない理由とか、流速が維持されたのはどうしてかということ考えるのが筋なのではないでしょうか。その点でいえばここで出された問題はどちらかといえば地理(社会)で取り上げられるような内容かなとは思います。解答するには文章を読めば何とか答えられますが、その背景の理論的な所で引っかかりを感じます。理由がはっきりとわからないものはなおさらです。
posted by ヨッシン at 00:00| 雑記
2021年03月13日
紅葉の東海三山 37 2019/11/28 袋井市医王山油山寺薬師本堂から帰り
ここまできてやっと「め」の意味が理解できました。ここの本尊は薬師如来です。病気の神様(仏様?)といっていいでしょう。一応全ての病気に万能なのでしょうが、ここでは「目」の病気に効能を発揮しているようです。
本堂内部にいらっしゃる薬師如来です。薬入れを持っているのが特徴と思っています。
横の部屋に絵馬がたくさん飾られていました。「め」と書かれた大きな絵馬(字馬?)も飾られています。
薬師本堂から引き返していきます。本堂前から続く石段です。長くだらだらと続きます。
再び、天狗谷の崖に挟まれたところを通過します。雨が小降りになってきたのか、だいぶ明るくなっています。
砂岩と礫岩の互層です。尊永寺と同じです。石油がでるのなら、泥岩層が欲しいところです。地下にあるのでしょうか。
天狗谷を抜けたところの紅葉です。緑が多いようです。2本石柱が立っているのに気がついていませんでした。石柱門という形式の門で、ここのものは驥山門(きざんもん)と名前がつけられています。有名な書道家で、その文字か刻まれていたようです。
山門を抜けて、駐車場入口にあった紅葉です。ここのは真っ赤です。
ここでも桜の花が咲いていました。ジュウガツザクラでしょう。
本堂内部にいらっしゃる薬師如来です。薬入れを持っているのが特徴と思っています。

横の部屋に絵馬がたくさん飾られていました。「め」と書かれた大きな絵馬(字馬?)も飾られています。

薬師本堂から引き返していきます。本堂前から続く石段です。長くだらだらと続きます。

再び、天狗谷の崖に挟まれたところを通過します。雨が小降りになってきたのか、だいぶ明るくなっています。

砂岩と礫岩の互層です。尊永寺と同じです。石油がでるのなら、泥岩層が欲しいところです。地下にあるのでしょうか。

天狗谷を抜けたところの紅葉です。緑が多いようです。2本石柱が立っているのに気がついていませんでした。石柱門という形式の門で、ここのものは驥山門(きざんもん)と名前がつけられています。有名な書道家で、その文字か刻まれていたようです。

山門を抜けて、駐車場入口にあった紅葉です。ここのは真っ赤です。

ここでも桜の花が咲いていました。ジュウガツザクラでしょう。

続く.............
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2021年03月14日
紅葉の東海三山 38 2019/11/28 袋井市萬松山可睡斎 山門まで
次の見学地は萬松山可睡斎です。朝から遠州三山を立て続けに見てきました。その最後になります。ここも寺号がはっきりしません。住職が徳川家康と話をしているときに、居眠りをしてしまい、家康から「睡る可し(ねむるべし)」といわれたのが、次第にお寺の名前になったとか。それまではなんと呼ばれていたのか謎です。
油山寺からはそれほど遠くないところにあります。すぐに駐車場に到着です。横にある建物は公的施設のようですが、何かよくわかりません。
ここからお寺まではだいぶありそうです。まだ雨は降っていますから、傘を差していくことにします。
歩き始めてすぐに左側に見えた建物です。地蔵堂と書かれていますから、前にいらっしゃるのは地蔵様でしょうか。螺髪があります。建物の名前は東陽軒とも書かれています。可睡斎の始まりになった建物です。昭和30年に観音堂を移築したそうです。
少し進んだ所に総門があります。まだ工事中で、完成間近といった感じです。新しく作ったのではなく、昨年の台風で古いのが倒壊したものを修復したようです。でも、新築工事と書かれていました。
この門は、お寺には珍しく、高麗門という様式になっています。境内側にある控え柱にも切妻屋根が乗せられています。
総門を入って少しいくと少し広いところにでました。お堂などの建物があります。左側です。この一画は色づいたモミジがたくさんあります。
モミジの向かい側です。横の石柱には白山堂と書かれています。案内図では白山妙理大権現堂となっています。
白山堂の横に石段があります。ここを登っていった先に、山門があります。様式は八脚門ですが、両脇の切妻屋根が一段低くなっています。このことから三棟門という様式としている分類もあります。中華風に見えます。両脇に仁王さんがいますから仁王門といってもいいのでしょう。昭和10年設計、平成22年完成だそうです。
門を入った裏側に、舟形の箱が置いてあり中におみくじが置かれています。七福神の乗る宝船を連想します。
油山寺からはそれほど遠くないところにあります。すぐに駐車場に到着です。横にある建物は公的施設のようですが、何かよくわかりません。

ここからお寺まではだいぶありそうです。まだ雨は降っていますから、傘を差していくことにします。
歩き始めてすぐに左側に見えた建物です。地蔵堂と書かれていますから、前にいらっしゃるのは地蔵様でしょうか。螺髪があります。建物の名前は東陽軒とも書かれています。可睡斎の始まりになった建物です。昭和30年に観音堂を移築したそうです。

少し進んだ所に総門があります。まだ工事中で、完成間近といった感じです。新しく作ったのではなく、昨年の台風で古いのが倒壊したものを修復したようです。でも、新築工事と書かれていました。

この門は、お寺には珍しく、高麗門という様式になっています。境内側にある控え柱にも切妻屋根が乗せられています。

総門を入って少しいくと少し広いところにでました。お堂などの建物があります。左側です。この一画は色づいたモミジがたくさんあります。

モミジの向かい側です。横の石柱には白山堂と書かれています。案内図では白山妙理大権現堂となっています。

白山堂の横に石段があります。ここを登っていった先に、山門があります。様式は八脚門ですが、両脇の切妻屋根が一段低くなっています。このことから三棟門という様式としている分類もあります。中華風に見えます。両脇に仁王さんがいますから仁王門といってもいいのでしょう。昭和10年設計、平成22年完成だそうです。

門を入った裏側に、舟形の箱が置いてあり中におみくじが置かれています。七福神の乗る宝船を連想します。

続く............
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2021年03月15日
桜が咲いていました
11日に広島でさくらが咲いたというので、そろそろかなと思っていました。昨日今日とあたたかくなっています。この陽気で各地でさくらが咲いたという報告がでました。今日近所で一番に咲くさくらの木を見に行った所20コほどの花がついていました。昨日か一昨日あたりに咲き始めたと思われます。一週間ほど前に見たときはだいぶ花芽が大きくなっていました。
いつもならこれくらい咲いたころに大阪では開花宣言がだされます。今日の発表はなかったようです。気象庁はこういう発表はやめるといっています。今年はないのかな。咲いていたさくらの花です。
アップです。
足元の地面で咲いていたスミレです。タチツボスミレかな。普通のスミレです。
自宅のアネモネもつぼみの先が開いてきました。
ネメシアです。寒さで葉が枯れたようになっているのもありますが、復活して1月ほど前からよく咲いています。
これからどんどん花が増えていきそうです。
いつもならこれくらい咲いたころに大阪では開花宣言がだされます。今日の発表はなかったようです。気象庁はこういう発表はやめるといっています。今年はないのかな。咲いていたさくらの花です。


足元の地面で咲いていたスミレです。

自宅のアネモネもつぼみの先が開いてきました。

ネメシアです。寒さで葉が枯れたようになっているのもありますが、復活して1月ほど前からよく咲いています。

これからどんどん花が増えていきそうです。
posted by ヨッシン at 23:55| 日記