8世紀になって白山開山のためにこの地に天王山禅定寺が作られ、次第に大きなお寺になっていったようです。戦国時代の戦乱で全山焦土となりなった後、江戸時代初期に牛頭天王社として本殿と拝殿が作られて、禅定寺は次第に縮小していったようです。この頃は神仏習合の風習が広まっていったので、お寺が神社の祭事をおこなっていたようです。
明治になると廃仏毀釈によって、禅定寺は廃寺となり天神社は大矢田神社と改名しました。
お寺のあったところに神社ができ、神仏習合や廃仏毀釈によって、神社の中にお寺のような施設が残されたようです。禅定寺は江戸時代にはまだ何とか健在であったので、美濃三山の一つに入っていたのでしょう。大矢田神社が、美濃三山の一つというのはこれで理解できそうです。山門のある神社というのも納得です。もみじを見ながら戻っている内に山門に近づいてきました。

大きなイチョウの木があり色づいています。手前側の屋根は極楽坊の門です。禅定寺の宿坊で現在まで残されている一つです。

まもなく楼門をくぐり抜けます。禅定寺に関係した門であることがわかった以上、山門といっていいのでしょう。ちなみに山門という言い方はお寺を山号で呼ぶことと関係しているようです。禅定寺は天王山が山号にあたります。美濃三山の山も山号をさしているのでしょう。

山門前の広場です。狛犬とか常夜灯、石碑とかいろいろなものが並んでいます。もみじも綺麗です。

鳥居の前のみちを渡ったところにも小さな鳥居があります。その奥には小さなお社が見えています。鳥居には稲荷神社と書かれています。

稲荷神社前の広場です。白いサザンカと真っ赤なもみじが見えます。花と紅葉の対比で写してみましたが、花がもう一つパッとしませんね。

駐車場まで戻ってきました。赤い実をつけた木があります。実の形はハナミズキのようにも見えます。ハナミズキの木はこんな形でだったでしょうか。

バスに乗って待っているとすぐに出発です。広い道に出る手前で、紅葉谷の案内がありました。横の柿の木にはいっぱい実がついています。その下にはいろいろな花が咲いていますが、何かよくわかりません。

続く...............