2020年12月12日

備中山城 16 2019/11/4 備中松山城 天神の丸

 備中松山城は臥牛山の上にあると書きました。臥牛山は前山・小松山・天神の丸・大松山の4つの峰からできています。中世以降になるとこの山には城が築かれました。近世になってからは、小松山と前山が主として使われていたようです。現存する天守があるのが小松山で前山には下太鼓丸が築かれています。この先、大松山までは中世の城郭の遺構が残っているそうです。
 集合時間まではまだ15分ほど余裕がありそうです。どこまで行けるかわかりませんが、この奧のいけるところまでいってみることにします。大松山までは無理でしょう。天神の丸まで行ければ良いのですが。
 水の手門からは道は下っています。下りきった所にあるのが土橋です。といっても木造の橋です。ここも堀切になっているのかな。
備中松山城 土橋

 土橋の上から正面を見ると丘の上が平らになっていて、何となく曲輪のように見えます。案内図ではこのあたりに相畑城戸(あいはたけのきと)があったと書かれています。
備中松山城 相畑城戸

 道は平らになっている横まであがっていっています。真横から見た相畑城戸です。奥まで行って詳しく見たいのですが、時間はありません。天神の丸の行くのが優先です。さっと見るだけで次に行きます。
備中松山城 相畑城戸

 更に進んで行きます。横からあがってくる道と合流します。その先の林の中の高まりも何となく曲輪っぽく見えます。天神の丸の出丸かな。
備中松山城 天神の丸の出丸?

 横に谷のようなものが見えます。堀切と説明が書かれていました。山の尾根を横切るように掘られた、水の張っていない掘のようなものです。
備中松山城 天神の丸堀切

 天神の丸に到着しました。このあたりが本丸のあったところになります。かなり広い面積の地面が平らになっています。
備中松山城 天神の丸

 本丸から一段高くなったところに、石垣で囲まれて天神社跡があります。江戸時代には社殿があったそうです。明治時代に廃れて下のお寺に移転しています。
備中松山城 天神の丸天神社跡

続く........


posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記