2020年12月01日

夜光雲と半影月食

 12月になりました。先月末にいくつかの現象が見られましたので報告します。処理が間に合わなかったので今日となっています。近況報告は後日改めてします。
 29日にH2ロケットの打ち上げがありました。時刻は16時25分と日没前でした。一部に日没直後とい書かれているサイトも見受けましたが、関東ではだいたい日没と同時で、関西では20分ほど前になります。過去に日没直後や日の出直前に打ち上げられたときには、夜光雲ができました。今回もそれが見られるのではという期待がありました。
 当日は雲が多くいつすきまができるのかわからない状態でした。いつ途切れるかわからないので、時々ようすを見ることにして、写真撮影だけはしておくことにしました。だいたいの方角は見当がつくのですが、正確な方角がわかりません。南東に向かって打ち上げられるとかなり高度が低くなります。北東だとそれなりの高さになります。打ち上げの角度もわかりませんから、どの方角にできるのかもわかりません。南東低空と予想してちょっと広めの範囲で、30秒のインターバル撮影をする事にしました。
 日没後に何回か様子を見に行ったときは、ずっと雲が広がっていました。無理なのではとあきらめていました。今日改めて見直してみると、わずかに雲にすきまができた一瞬にそれらしいものが10枚ほど写っていることがわかりました。
 右下の方、雲の切れ目に白い筋のようなものが写っています。この場合の夜光雲はロケットの経路にできますからこのような線になります。
夜光雲
 ちょっとわかりにくいので3倍に拡大してみます。右端から続いているようです。写す方向はもう少し右よりでもよかったようです。
夜光雲
 虹色に光ったりとかするようですが、雲の切れ目が広がっていたのはこの数分間だけです。後は、厚い雲ばかりが写っています。雲がない所もたくさんありましたから、よく見えた場所もあったかも知れません。

 30日は半影月食がありました。今年3回目になります。半影月食は目で見てわかるほど暗くなりません。そのせいか、ありますという話はあまり聞きませんでした。今回は、前2回のものより深く地球の影に入りこむので、暗くなるのがわかるかも知れません。写真ではわかりそうなので、インターバル撮影をする事にしました。目で見るのは時々でいいでしょう。
 日没直後に東の空からの昇ってきた月です。左上が何となく暗くなっているようにも見えます。
半影月食

 6時のものです。左上がちょっとくらいかな。
半影月食

 一番深くまで影に入りこんでいる頃のものです。ちょっと暗いところが多くなったような。
半影月食
 月が下の方にずれてきています。まだ明る内から撮影を始めていますから望遠鏡の極軸があわせられていません。この時間は、花火が中休み前で盛大に上がっていた頃です。
 花火が終わって、いろいろと雑用(夕食も食べていなかった)をすませて見た頃には、あまりかけているのがわかりませんでした。少し長い時間撮影して終了しました。その頃の月です。
半影月食
 かけているようには見えません。実際には半影月食はまだこの後50分ほど続いていたようです。
 この時の月の写真を、最も深くまではいりこんでいた時の写真に、位置を合わせて反転重ね合わせをしてみました。影に入っているようすがよくわかります。でるときに新たに暗くなっているところが明るくなるはずなのですが、その部分はよくわかりません。
半影月食




 
posted by ヨッシン at 00:00|

2020年12月02日

木星と土星

 木星と土星が接近中です。今月末には0.06度まで近づくようです。視力検査に使われたという、ミザールとアルコアの距離が0.2度ですからその1/3です。分離して見えるのでしょうか。
 先月の初めに、300mm(APS)でも写真の中に対角線上に入ってくるようになってきました。どれくらい近づいていっているのかということと、あわせてここ3日間のようすを見比べてみてください。
 300mmでの11月30日の写真です。花火が打ち上がる直前のものです。
木星と土星
 12月1日のようすです。雲がなかなか晴れず、だいぶ低空になってからの撮影です。間に写っている雲はいつまでも残っていました。
木星と土星
 今日のようすです。よく晴れていたので、短時間で撮影終了です。
木星と土星
 並びの方向が変わっています。昨日までは雲が多く、沈む直前とかいろいろな時間になってしまっていました。斜めに並んでいますので、どの向きに並べたらいいのか悩みます。並べてみただけではどれくらい近くなっているのかはわからない様です。物差しで測れば、接近していることがわかります。

 400mmです。11月の半ばくらいから撮影範囲内に入ってくるようになりました。この頃は視野に入れるのに苦労していました。今は簡単に入れることができます。まずは11月30日のものです。
木星と土星
 雲が接近しています。どこかに行くのを待っていたら、花火が始まってしまいました。終わった時には一面の雲で、それ以後はきれいに写せていません。
 12月1日です。沈む直前になっています。間にあった雲がなくなったときのものです。
木星と土星
 今日の写真です。
木星と土星
 ガリレオ衛星が写っています。土星の衛星テイタンも写っていますがこの写真ではぼんやりとしています。並べてみると公転しているようすもわかります。ガリレオ衛星のは、公転が早いものがあるので比べるのに苦労します。カリストやガニメデを抽出してみれば公転しているようすがわかります。

 惑星が丸くなっているのとか環があるのとかもいっしょに写したいのですが、どれくらいのレンズで可能なのでしょう。惑星等の明るさの違いも問題になってきそうです。
 使用できる焦点距離は、レンズそのまま以外に、クローズアップレンズとかバローレンズ、レデューサをつけたりとかでいろいろな長さにできます。これから出番になってきそうなのは、550mmです。そろそろ1枚の範囲内に入ってきそうです。その先は600mm、700mm、800mm、1000mm、1400mm、2000mm、2450mmと続きます。どの段階で丸いようすとか環が写ったりするのでしょう。少なくとも最後のものでは環とか縞模様とかがわかります。

 肉眼でいつまで2つに分かれて見えるかも興味があります。空が明るいので土星が見えにくくなっているのが影響してきそうです。最接近時まで2つあるのがわかるのでしょうか。ミザールアルコアが別れて見えないので無理とは思ってはいます。

 今日書こうとしていたことがうまくまとめられなかったので、急遽記事を変更しています。昨日かけなかったことをここにいれました。
posted by ヨッシン at 23:59|

2020年12月03日

12月です

 いつの間にか12月になってしまいました。もうこの1年もおしまいです。今年はコロナの騒ぎで、何もできないまま過ぎ去ってしまったという印象です。近頃あったことを書きます。
 市の中心部にあった大型家電ショップが移転して、中心部から大型家電店はなくなってしまいました。一軒は3月でした、家の近くまでやってきたので、どちらかというと便利にはなりました。もう一軒はちょっと遠くなりました。こちらは家電を購入というよりは、3階にあった本屋が目当てにいっていました。
 店としては郊外の方が車での利用が便利なのでしょう。市内にあったときは駐車場が狭く周辺も車の流れが悪く車での利用は勝手がいいとはいえませんでした。3月に移転した方は、前の道路が渋滞するので便利になったのかなという気がします。中心部まで行く分のロスがなくなっているのかな。
 近くの駅前にあった、スーパーの雑貨売り場もなくなりました。かなり大昔に大きな別館がありました。閉店してこちらだけで細々とやっていました。閉店といっても少し離れたところに、新しい店ができたので、統合といった感じなのでしょう。抜けた後にはいっしょに入っていた100均ショップが売り場を広げたのと、新しく衣料品店が入ってきました。
 市内のようすが様変わりです。

 昨年の10月に消費税があがって1年が過ぎ去っています。クレジットカードで買い物をすると5%還元とかをやっていました。半年間だけですが、この間だけは還元のできる店ではカードを使用していました。先月の初めに、還元されたものはどうなっているのか調べてみたら、ポイントとして付与したものが有効期限1年で消滅するところでした。ポイントの使い方もよくわかっていません。そもそも、使用するためのサイトへの入り方もわかりません。一番の問題はアカウントを作ったかどうかもわかっていないことです。
 適当に入って見ようということで、やってみたらクレジットカードのアカウントで入ることができました。別のサイトのように見えていました。紛らわしい限りです。
 次に使い方をチェックしました。ちまたでよく使われているアルファベット1文字のカードにポイントとして落とすことができることがわかりました。でも、この手のカードはあまり使っていません。それにポイントのうち3割は損失するようです。大手スーパー系の電子マネーカードならそのままのポイントで降りてきます。こちらは、近くのスーパーでつかえるのでちょっと便利そうです。
 この種類のカードの内、普通のポイントカードなら使っていますが、電子マネーのカードは使っていません。普通のカードには落ちないようです。カード代が有料ですが、これもポイントで還元されます。ポイントが統合できるのなら、電子マネーのカードを持っていても、ふだん通り買い物で、ポイントを使うことができます。サイトを調べたところでは、統合できそうなことが書いてありました。発行してくれるところで、確認したらできないという返答でした。
 一応パソコンから登録したところ、月末の買い物の時に統合されていることがわかりました。ポイントの合算も問題なく解決です。
 次はクレジットカードからのポイント付与です、1000ポイント(円)単位になっています。端数をどう処理するかという問題が残ります。これは、別のところから持ってくることもできるので何とかなりそうです。とりあえず、来年2月に消滅するカード会社のポイント分を、電子マネーカードのポイントに振り替えました。こちらは、きちんと入っているのか確認はできていません。
 消費税ポイント還元とかしてくれたのはいいのですが、出発時点ですぐに還元できなかったり、使おうとすると複雑な手続きが行ったりとで、かなりの手間でした。もうちょっと計画性を持って進めて欲しいものです。

 ここ、2−3日寒い日が続いています。1週間ほど連続して朝の最低気温が10℃にならない日が続くようです。ということで、外に出している鉢を室内に取り込んだり、ビニールハウスに入れました。パイナップだけは先月の中旬から室内に入れています。といっても入れる場所は狭いので、優先順位を決めないといけません。今花が咲いているものは大丈夫でしょう。ガザニア、ナデシコ、ミニストック、キンギョソウがよく咲いています。ガザニア以外は種もたくさんありますから枯れても復活はできます。といことで、外に出したままになります。
 シクラメンもつぼみが大きくなっています。これらは真冬でも外で大丈夫そうです。後、毎年外に出している、ディモルフォセカも外です。
 一時ガザニアも花が変な形だったことがありました。よく見るとアブラムシが大量発生していました。よく見たら、一日、直射日光が当たっていませんでした。中性洗剤をわずかに溶かした水を霧吹きでかけた後、日当たりのよいところに2−3日移しました。だいぶ少なくなったようです。
 今年はどういうわけか、コバノランタナがまだ花をつけています。枯れている花がこびり付いただけなのかよくわかりません。今年は外にして見ようと考えています。
 ニチニチソウが早々と葉が黄色くなりましたので、室内に入れています。カランコエは寒さに弱いといわれているので室内ですが、例年12月頃から花をつけ始めます。外でも大丈夫かなという気はします。一応中に入れます。
 ビニールハウスに入れていた、カリブラコアがどういうわけか花をつけました。狂い咲きということにしておきます。
 室内のものは2列になっています。前列のものは、水をさしにくいので、水やりは1週間に一度になりそうです。ビニールハウスもビニールを外すのか面倒なので、2−3日に一度でしょう。最近は、水やりの水の量もだいぶ減っています。これで何とかいけそうです。去年もこんな感じでした。
 気になるのが、カメムシが侵入していないかどうかということです。でてくることもないし、何かをしなければ特段問題はありません。去年は鉢を外に出したら死骸が3つほど見つかったぐらいです。触った手が臭くなりそうなので、処理には苦労しました。

 

posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2020年12月04日

備中山城 12 2019/11/4 備中松山城 二の丸へ

 備中松山城の登城道は人でいっぱいでした。いくつかのツアーか何かと一緒になったみたいです。ふいご峠の駐車場にも我々のもの以外にマイクロバスが何台かはいっていました。降りてくる人はあまりいませんでした。
 中太鼓丸から登城道を進んで行くと更に大きな石垣のある所に出ました。説明板には大手門跡と書かれています。かなり高いところまで何段も続いています。
備中松山城 大手門跡

 大手門に入って、枡形を曲がったところから山の方角のようすです。石段の上は櫓でもあったのでしょうか。この構造なら、敵が大手門を越えてきても、上から狙い撃ちされそうです。
 人が多いので、写り込まないようにするのに苦労します。帰りにゆっくり見ることにします。
備中松山城 大手門跡

 大手門を上がった所が三の丸です。周囲に土塀があります。この付近のものの中には、建築当時から残っているものがあるようです。どれなのかはパッと見ただけではわかりません。
備中松山城 三の丸土塀

 三の丸から厩曲輪にあがってもまださきに、高い石垣が見えます。これを登り切ると二の丸になります。
備中松山城 三の丸石垣

 石垣の斜面を斜めに登っていくように登城道が作られています。厩曲輪からまわったところにあるのが黒門跡です。坂道の傾斜具合がよくわかります。ここまでもこれくらいの坂道でした。
備中松山城 黒門跡

 二の丸下の石垣です。残っている石垣の中ではもっとも古いものだそうです。野面積みと書かれていました。きれいに積まれています。
備中松山城 二の丸下石垣

 石垣を過ぎたところにある鉄門跡を通り過ぎると二の丸になります。二の丸より先に天守が見えてきました。手前の建物は五の平櫓(復元)です。
備中松山城 鉄門跡から天守

続く..........

posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記

2020年12月05日

備中山城 13 2019/11/4 備中松山城 本丸

 二の丸までかなりの坂を登ってきました。高い山の上にあります。臥牛山というようです。高い山の上にあるお城は山城といいます。戦国時代になって、だんだん城は山から下りてくるようになりました。こんなところに毎日通うのは大変だなぁというと、平時は蔵ぐらいにしか使っていなかったと教えてくれました。朝鮮式山城は、そうではなく、生活の場であり、そこから打って出るタイプのお城だったそうです。
 二の丸から先は、あまり坂はなさそうです。二の丸に入ったところで、ツアーメンバーの一人に追いつきました。参加者の中でお城ファンの一人です。100名城のスタンプを集めているらしく、本丸入口で押印するといっていました。そこでは、添乗員さんがチケットを持って待っています。
 チケットをもらうときにさすがに息が切れてませんねといわれましたが、一緒にいた人の方をむいていたのでそちらの人に話しかけたのでしょう。その人が返事をしていました。
 本丸を入って見えた天守です。2層3階になるのでしょうか。唐破風のある張り出しが見えます。
備中松山城 本丸

 天守側はまだ人が多いようなので、右側の門の脇にある階段を上がって天守の裏側にまわってみます。見えてきたのは二重櫓です。これも創建以来現存しているものだそうです。
備中松山城 二重櫓

 再び天守の横を通って戻ります。天守の下の石垣です。下にある大きな岩は岩盤のように見えます。
備中松山城 天守下石垣

 上を見上げてみます。天守の壁につけられた石落としが見えます。石を落とした穴までは見えません。
備中松山城 天守石落とし

 石段の上から本丸です。正面の建物が六の平櫓その左側が本丸南御門があります。本丸に入ってきた場所です。手前がわの屋根が本丸東御門です。
備中松山城 本丸

 人が少なくなったと思われます。天守の下をまわって天守に入ることにします。左側へまわっていきます。
備中松山城 天守

続く..........


posted by ヨッシン at 00:00| 旅行記

2020年12月06日

日本のコロナ第3波は人災

 国内では、新型コロナウィルス感染症の陽性者数が増えています。さらに、増加の勢いがいつ止まるのか見通せない状況が続いています。9月に一度は減ったものの、その後はわずかに増え続け、11月になってから急激に増加しています。大阪では、重症者用の病床がいっぱいになってきたというので、緊急事態を示す赤信号が灯っています。陽性者数がこの時期にここまで増えるのは、天災というより人災というような気がします。
赤信号の太陽の塔

 昨日、政府は訪日観光を来春にも実証実験をすると発表しました。オリンピックにむけて、訪日者の受け入れ態勢を整えるためのようです。今このような状態で、人を動かすことばかり考えているのはいいのでしょうか。感染拡大を防ぐ手立てを全く聞いたことがありません。
 オリンピックをどうしてもやりたいのならオンラインでやったらどうですか。オリンピックは中止すべきだといままで何回か書いてきました。それよりも、これ以上感染が増え続けたら、感染者の少ない国から人が来てもらえるのかどうか。コロナで汚染されている国と見られないようにしっかりとした政策をしてもらいたいものです。

 そのまえに発表のあった、65才以上の旅行自粛という通達も全く見当違いです。東京からの旅行者が地方経済を潤すから止めたくないというのが理解できません。そんなことを考えている時期ではないのは当然です。そうでなくても、コロナの特徴として、若い人たちには無症状や軽症者が多いこと、発症の前後2日くらいが人に移しやすいといわれていることとあわせて考えると無意味であるというのがいえます。まず、この特徴から無症状の人が移しているということがかなりの割合であることがわかります。若い人の方が病気を持ち歩いて地方出感染を広める可能性の方が大きいと見ていいでしょう。地方の方が感染率が少ないため、旅行者が感染して帰ってくるというよりも、広めて帰ってくることを心配すべきです。
 地方は都会と違って高齢化が進んでいます。そこで感染が広まれば重症者が増えてくるのは目に見えています。地方は医療機関もそれほど整備されていません。すぐに医療崩壊につながります。
 去年に参加したしたツアーはどれもが65才以上ばかりでした。若い人はほとんど見かけません。若い働き盛りの人達は、平日勤務を休んで旅行をすることは少ないでしょう。どうしても土日に集中します。感染を拡大する条件が満たされます。若い人が感染を広めるリスクは依然として残ったままです。平日に旅行する高齢者はたくさん見かけます。全体的にみると高齢者の方が旅行に出かけること多いように思えます。
 高齢者ばかり自粛しても感染リスクはそれほど減らないし、経済的な影響を考えると全体を自粛対象とした場合とそれほど変わらないように思えます。
 若者が感染して帰ってきたとして、それがそのままではおさまらないはずです。身内の高齢者に移したらどうなるのでしょう。この点からもナンセンスだといえます。
 どう考えても、GOTOトラベルは中止すべきです。自粛というよりも格段に効果があります。GOTOを延長どうのこうのといっている場合ではありません。そもそも、旅行に行ってくださいといいながら、自粛というのは支離滅裂の極みです。

 感染拡大と経済活動を両立させるのは間違っていません。でもやり方が、非常に一方的です。感染者数が増えないように、あるいは感染者数が許容値の範囲内におさまっているかを確認しながら、徐々に規制を解除していくというのが、両立させるために取るべき方法です。感染者数が増えているときに、新たに人が移動するような経済政策を打ち出すのは間違いです。
 このまま経済援助を進めていって、国内がパンデミックになったらどうするつもりなのでしょう。医療だけでなく経済も破綻するのは目に見えています。いま注入している対策費が無駄になります。その先は消費税の増税か、インフレによる貯金の目減りになってくるのでしょう。今でもその懸念はぬぐい去れません。

 毎日、感染者数のいろいろな数値が記録更新していく中で、感染が広まるような政策(GOTOなど)ばかり出してくる政府を見ていると、戦時中(太平洋戦争です)に負け続けているのを認めなかった軍人・政府と重なって見えるのは私だけでしょうか。神風が吹くというようなことは絶対ありません。


posted by ヨッシン at 00:00| 雑記

2020年12月07日

GOTOを中止しないといけないわけ

 感染者数が増える一方で、経済活動を取り戻すためのGOTO何とかという政策で、補助金を出しまくっています。いったん中止にすることを検討するどころか、延長するとまで表明しています。その上で、政府は一時中止するのなら各自治体の判断でやってくれという投げやりな態度までとっています。中止したことの、責任を自治体の首長に押しつけようとしているようにしか見えません。
 基本的なコンセプトは、GOTOで感染者数が増加するというエビデンス(こんな訳のわからない英語でごまかそうとすること自体不快です)がないということなのでしょう。世間巷でいわれている、「コロナはただの風邪」、あるいは大臣のいった「民度か高いから感染が広がらない」とでも思っているのでしょうか。こういう人たちに国を任せて大丈夫なのかという危機感を持っています。問題点はたくさんあります。思いつくままに述べていきたいと思います。

 エビデンスはないのか
 エビデンスは化学的根拠と解釈しておきます。よく思い出して欲しいのは、8割おじさんのいったことばです。人との接触を減らせば感染者の増加を抑えることができるという言葉です。科学的に説明されています。この言葉の裏には、減らさなければ増加を押させることはできないということが示唆されています。最近のWHOの報告でも、人の移動と実行再生産数(一人の人が何人にうつしているか)との相関関係が認められてきているそうです。人が動けば感染が広がるというのは常識になりつつあります。
 翻って、GOTOはどうなのでしょう。人との接触の機会を増やすことになります。当然その過程で感染が広まるのは当たり前です。これでもエビデンスはないというのでしょうか。
 百歩譲ってそれでもエビデンスがないというのなら、逆に質問してみたいと思います。「GOTOトラベル(以後単にトラベルと書きます)で感染者が増えないというエビデンスがありますか」答えいうまでもなくNOです。どちらもNOとしても、どうするのがいいのかは自明です。最悪の場合を想定すべきはずです。感染者が増えすぎてで経済活動どころではなくなったら、元も子もありません。

 感染者数の推移を見るとトラベルが始まって、いったん増えたもののすぐに減っていっています。よく見ると感染者の増加はトラベルを開始前から始まっていて、しばらくしてから減少に転じています。
 実際にトラベルの影響がでてくるのは2週間過ぎてからになります。これは減少に転じ始めた頃になります。推移を見るとトラベルによって減少していたように見えます。
 感染が拡大しているのかどうかは、感染者数よりも実効再生産数で見た方が良いでしょう。再生産数のピークは7月の始めにあり、その後徐々に下がり始っています。まだこの時点では1を越えていますから感染者数は増えていますが、その勢いは弱まっているといえます。
 それが8月10日過ぎにいきなり減少していく割合がとまります。この時期はトラベルの影響が出るとしたら現れ始める時期になります。さらに、その後は再生産数がわずかずつ増えていきます。このあたりはトラベルの影響と見た方が良いでしょう。
 東京発着のトラベルが始まったり、イートが始まったりという影響が出始める時期にさらに一段再生産数が増えているように見えます。これらのことを総合してみるとGOTOが感染者の増加に一役買っていると見た方が良いでしょう。

 トラベルの利用者と感染者数の関係を見ることにします。手元に残っている数字では、一週間に延べ4万人が利用してそのうちのトラベル関係の感染者数は44人増加した事になっています。ここでまず数値に注目して欲しいのですが、旅行者数は延べで書かれています。2泊したら2人になりますから、実際にはこれよりも少ない考えないといけません。
 このことを頭に入れながら単純にこの数値を使ってみます。100万あたりに換算すると110人になります。これは12月7日現在の122人とほとんど変わりません。トラベルの影響をとった時期はもっと前なので、全国平均での実数は少ないはずです(東京はこのあたりの数値でずっと変化はありません)。
 このようなことを総合すると、トラベルをしない人よりも多いのではないかと思えてきます。数値があやふやなので、これで結論づけない事にしておきます。前段で書いたことで十分だと思います。

 トラベルによる地方への感染拡大については、前回書いたとおりです。実際にアメリカなどでは、人の動きによって都市部から地方へ感染が拡大しているのがわかります。

 感染拡大を防ぐために少なくとも人との接触を減らす(他にもいくつかしあります)ことが大事です。GOTOはそれに反することのなので、感染者が拡大しているこの時期に推し進めるのは問題です。
 GOTOのような人の移動を促すような政策を推し進める(アクセルという表現か使われています)ことで、動き回って大丈夫という気持ちを起こさせるのも問題です。正常性バイアスが働き、じっとしていられず動き回るのに都合のいい解釈の材料を提供しているのも問題です。

 一部に、コロナは単なる風邪だから、感染者が増加しても何の問題もないという意見もあります。コロナと新型コロナは別物で一緒くたにして欲しくはありません。新型コロナといっているにしてもそれに一応反論しておきます。
 欧米での感染者数、死亡者数の実体を見ていますか。一歩間違っていたらこのようになっていたということを考えた事がありますか。ベッドで一晩咳や熱でうなされて寝られなくても軽症だということがわかっていますか。症状が治った人でも長期間後遺症に悩まされている実体がわかっていますか。急病になっても病院にいけず症状が悪化したり死亡したりする人がいることがわかっていますか。

posted by ヨッシン at 00:00| 雑記

2020年12月08日

GOTOを中止しないといけないわけ(その2)

 今日、東大などの研究チームが、「GOTOトラベル」を利用した人が、利用しなかった人に比べ、統計学上、新型コロナウイルス特有の症状を2倍近く発症していたとの調査結果を公表しました。これはあきらかに「トラベル」が感染拡大を助長していることをいっています。
 ところが政府は、発表の一文のみを曲解して大丈夫だと言い張っています。その一文が「トラベルの利用が直接的に新型コロナ症状の増加につながったという因果関係は断定できない」です。断定できないというのは100%そうとは言い切れないという意味です。これが、データを見る限りでは明らかに因果関係がある可能性は大です。可能性が大きくなったとはいえ確実にそうだと言うためにはもう少し検証が必要ですと言っているだけです。因果関係が完全に否定されたわけではありません。今まで以上に慎重に対応して行かないといけないのは自明です。
 この発表をもって自分に都合よく話をねじ曲げる態度に開いた口がふさがりません。マスコミも異議を唱えないのはたぶらかされているからでしょうか。これに迎合する人たちがでてこないか心配です。
 さらに「トラベル」利用者かそうでない人かの感染率の差は高齢者よりも若者のほうが大きかったともいっています。要するに若者の方がコロナにかかって帰ってきている(可能性が大きい)ということです。高齢者を「トラベル」から除外して、「トラベル」を続けていくのはのは全く意味がないともいっています。基礎疾患を持っている者にしても同様です。
 年齢別基礎疾患の有無で有症率からいえる結論です。高齢者や基礎疾患のある人を「トラベル」の対象外とする方法は、新型コロナの感染拡大のコントロールにあまり有効ではない可能性が高い(報道記事原文のまま)。
 今回のコロナに対する「トラベル」の対応は間違いだらけであるということになります。

 昨日書き忘れていたことです。
 GOTO政策、特に「トラベル」そのものの問題も指摘されています。事業費に占める事務経費の割合が大きいこと、特定の団体に丸投げしていること、恩恵に被れる旅行関係業者に偏りが見られることなどです。個人的には1泊2万円以上もするような旅館やホテルを救済対象のメインに据えているのは納得がいきません。
 「トラベル」の開始時期の問題もあります。与党中心人物が代表をしている団体が一番恩恵を受けるという点でも不公平さがあります。何で旅行業界だけこれだけ優遇されないといけないのかという疑問も払拭できません。
 ここらで一度立ち止まって考え直してみてはいかがでしょう。

 最近の世論調査で、内閣支持率が急減して50%になったとかいわれています。50%も支持者がいることの方がびっくりです。支持率低下の原因の一つにGOTOがあるようです。与党内に「やめればGOTOのせいだと言われる。政府は引けない」という意見もあると報道されています。メンツにこだわるよりは、傷口を広げてしまわないうちに「ごめんなさい」といったほうがまだ、支持率を維持できるような気がします。

※初期文面から一部変更しています

posted by ヨッシン at 00:00| 雑記

2020年12月09日

コロナ政策で欠けていること

 今日もまた、全国の新規感染者数が2800人越えという新記録を作りました。なかなか勢いが止まるようすが見えてきません。最近の内閣の支持率の低下の理由として、政府関係者はGOTO政策が中途半端であると国民が受け取っていると考えているようです。GOTOを一部除外することの有用性がうまく伝わっていないことを問題にしているようです。高齢者の「トラベル」除外が全く意味がないことは前回説明したとおりです。大阪や札幌に行くなといっても、ここからでていく人が感染を拡大する可能性が高いにも関わらず、制限していません。中途半端なのではなく、間違っているからといえます。どうみても、白いものを黒いといって、それを信じてくださいといっているのも同じです。納得してくださいという方が無茶です。物事の判断が正しくできているのでしょうか。
 コロナ政策に限らず、する事がはちゃめちゃな感は否めません。とりあえず、コロナ関係で感じたことを書きます。お隣の中国の報道では、日本は感染抑制をあきらめたとまで書かれています。そう見えて当然です。

思いつきで行動する
 いきなり学校を休校にしたことがその典型ですが、これをした人は別なので置いておきます。それでもいきなりGOTOを言い出したと思ったらいつの間にか始まっていました。どういう手段でどういう状態になったらやるといいのか、始めるためのどういう準備をしてからとか考えなかったのでしょうか。

分析ができない
 感染者が増えているのに、「トラベル」を始めたというのがその典型です。始めてみたものの、東京での感染拡大で東京を除外しなければならなくなったことがありました。きちんと分析できていれば、このようなことはいきなり起こらなかったはずです。
 そもそもこれだけ感染者が増えているのに、いまだにGOTOを推し進めようとしていること自体、分析ができていないことの表れです。

先のことを考えていない
 東京が「トラベル」から除外されたときに、キャンセル料の支払いが問題となりました。コロナがいったんおさまって東京からも旅行ができるようになりました。その後、大阪札幌が自粛区域に入ました。このときでも、前回と同じことを繰り返しています。感染者が増加することがあるということが考えられていないようです。このまま感染者が増えたらどうなるのかもわかっていないように見えます。

計画性がない
 先のことを見通せなければ、計画を立てることもできないのは当然です。感染拡大で中止しないといけなくなった場合、何を目安にするのかがありません。
 いきなり旅行を自粛といわれた人のキャンセル料をどうするかという問題でもどうするのか先に考えておくべきでした。少なくとも中止もありうるということが先に言われていれば、旅行者もある程度戻らなくても納得できるところがあります。
 GOTOはとにかく推し進めることしか考えていないようです。コロナがなかなかおさまらなく景気の回復に効果がないとみると、延長を言い出しています。どれくらいの期間補助を続ければ効果があるか最初に見定められていたうえでも、期間設定がされているべきです。
 中止のことは考えていないのかも知れませんが(これの方が問題がある)、中止しないといけなくなった場合の目安をどうするのかというのもありません。

専門家の意見を聞かない
 一時姿を見なくなった感染症対策分科会の会長が再びマスコミの前にでてくるようになりました。東京医師会の会長も一般向けに発言するようになっています。
 どうしてなのでしょう。この人たちはかなりの危機感がもっていて、それを提言しているにも関わらず、無視するような政策を推し進めているからではないでしょうか。この人たちも世間一般から、ちゃんと提言しているのかということを周囲から言われ困っていると思います。どうしても黙っていられなくなります。

自ら説明しようとしない
 先の専門家たちから提言されたことは、GOTO推進者自らが、このようなことがあったということを説明するのが筋です。そのうえで、こういうことだからこちらの方を推し進めるという説明があって当然です。何の説明もなくGOTO続けますでは、どうしても専門家が出しゃばらないといけなくなります。
 このあたりについては、森加計桜問題の方がはっきりとしています。

投げやり
 感染拡大によって「トラベル」を除外する地域をどこにするかについて、各自治体の首長が考えればいいといました。事業を推進する全責任は実行者にあるはずです。各自治体が勝手にやります、やりませんでは体をなしません。責任を持って、ここは除外しますというべきです。周りからつつかれて、自治体首長に任せるのは責任逃れをしているだけです。

考えが自己中心的
 会見でGOTOを続ける理由として、「国民の命と暮らしを守るために雇用を維持し、事業を継続し、経済を回復させる」といっています。国民の暮らしで困っているコロナによる行動制限のことが語られていません。この文を読む限りでは、経済を回復すれば、コロナなどどこかに行ってしまうと考えていると受け取れます。
 その経済も、どうすれば一番効果があるのかを考えず(考えられないと書きましたね)に、闇雲に補助をする事しか念頭にないようです。

身近な人に手厚い
 コロナで打撃を受けたのは地方の900万人の観光関係者と言っています。だからここに、援助をするのだと。でも打撃を受けているのは他にもたくさんいるはずです。あるいはコロナ対策でがんばっている人たちもいます。どうしてこちらにも目を向けられないのでしょうか。
 「トラベル」で一番恩恵に与りそうなのは、大手旅行会社と大旅館です。その他の業者、たとえば民宿を経営している人たちなど、はあまりメリットがなさそうです。
 政府関係者に全国旅行業協会の会長を勤めている人がいるからという国民の憶測はでてきて当然です。

日本語がめちゃくちゃ
 前回書いた「因果関係が断定できない」を「因果関係がない」ととらえて発言するところにそのようすが現れています。エビデンスがないというのもそうです。こういった自分に都合のいいように間違った読み方をしたのは自己中心的になっているからともいえます。この問題についてはコロナ関連ではないですが、「普遍的・総合的に判断した」という説明に顕著に表れています。

posted by ヨッシン at 00:00| 雑記

2020年12月10日

備中山城 14 2019/11/4 備中松山城 天守内部

 現存している天守は12あって、備中松山城はそのうちの一つです。山城で残っているものは他にないそうです。お城ファンなら残りの11城は答えられるのでしょう。うろ覚えなので答える自信はありません。ほとんどの所は行っているような気がします。あと2−3城くらいかな。東北はほとんど行っていません。
 天守に入ることにします。入口を入ってすぐの部屋は1段低くなっています。ここを1階とみれば2層3階の天守になります。あまり広くないので1階に入れていないかな。とりあえずそういうことにしておきます。目の前に石垣につけられた階段がありここから1階に上がっていきます。
備中松山城 入口内部

 1階の壁側です。廊下のようになっていて、せりだしたところがあります。天井には太い梁が使われています。この上は外から見ると入母屋風の屋根になっています。
備中松山城 1階の壁側

 一段高くなった小部屋があります。装束の間と書かれています。説明には落城時に城主一家がこもる部屋と書かれています。
備中松山城 1階装束の間

 二階にあがります。室内は至って簡素です。ここでも天井に太い梁が使われているのがわかります。
備中松山城 2階

 二階に上がってくる階段です。途中で直角に曲がっているのが特徴だそうです。どこの城とも同じで、階段は急です。梁に頭をぶつける心配がないだけましなのかも。
備中松山城 2階への階段

 奥まった飾り棚があります。説明には御社壇と書かれています。ここには祭壇が置かれていたそうです。
備中松山城 2階御社壇

 窓から本丸を見たところです。左側の五の平櫓の向こうに見えている広場は二の丸でその先に高梁市街が見えています。
備中松山城 2階から本丸

 天井です。切妻屋根を下からのぞいている形になります。至って単純な構造です。ここの梁も太い曲がった木が使われているのがわかります。
備中松山城 2階天井

続く..........


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2020年12月11日

備中山城 15 2019/11/4 備中松山城 本丸搦め手

 備中松山城については疑問点が一つありました。城の名前は備中松山城であるのに町の名前は高梁市です。これに対する解答は、天守の中に置かれていた城の歴史の説明にありました。元々は町の名前は松山でした。備中にあるので伊予にある松山に対して備中松山という名前が使われることもあったようです。
 明治維新にあたって、伊予松山藩は新政府軍についたのに対して、備中松山藩は幕府軍につきました。そのためその後の廃藩置県で伊予松山は優遇され松山県と名乗れたのに対して、備中松山はその下と見なされたため松山と名乗れずやむなく高梁県と名前をつけたそうです。城の名前はそのまま使われ、町の名前だけが変わったようです。
 さて、天守を出てからの行動です。まだ時間がありますから、お城の裏手に行ってみることにします。天守を出ると左側に東御門が見えます。その左の石段を登っていくと2階櫓に着きます。
備中松山城 東御門

 本丸を通り抜けて、南御門から二の丸に出ます。門を通りぬけて振り返って見た天守です。
備中松山城 南御門から天守

 本丸の石垣に沿って裏手に回っていきます。下からあがってくる道と合流するところにでます。門があったような石垣の組み方がされています。搦め手門跡と書かれています。
備中松山城 搦め手門跡

 裏手に回ると石垣に囲まれ一段高くなったところがあります。説明では水の手門脇曲輪と後曲輪と書かれています。
備中松山城 後曲輪

 後ろを見ると二重櫓が下から見上げる形で見えます。岩盤の上に直接石垣が組まれ、一体化しているようです。すごいと思ったのですが、その部分の写真を撮るのを忘れていました。
備中松山城 後曲輪から二階櫓

 その横に本丸に入って行く門が見えます。腕木御門です。本丸にいたときは、スルーしていました。写真には何枚か一部だけが写っています。
備中松山城 腕木御門

 さらに奥の方です。石垣を回るように道がついています。ここにも水の手門と呼ぶ門があったようです。ここから見る限りでは道があるというより、行き止まりっぽく見えます。
備中松山城 水の手門跡

続く.........


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2020年12月12日

備中山城 16 2019/11/4 備中松山城 天神の丸

 備中松山城は臥牛山の上にあると書きました。臥牛山は前山・小松山・天神の丸・大松山の4つの峰からできています。中世以降になるとこの山には城が築かれました。近世になってからは、小松山と前山が主として使われていたようです。現存する天守があるのが小松山で前山には下太鼓丸が築かれています。この先、大松山までは中世の城郭の遺構が残っているそうです。
 集合時間まではまだ15分ほど余裕がありそうです。どこまで行けるかわかりませんが、この奧のいけるところまでいってみることにします。大松山までは無理でしょう。天神の丸まで行ければ良いのですが。
 水の手門からは道は下っています。下りきった所にあるのが土橋です。といっても木造の橋です。ここも堀切になっているのかな。
備中松山城 土橋

 土橋の上から正面を見ると丘の上が平らになっていて、何となく曲輪のように見えます。案内図ではこのあたりに相畑城戸(あいはたけのきと)があったと書かれています。
備中松山城 相畑城戸

 道は平らになっている横まであがっていっています。真横から見た相畑城戸です。奥まで行って詳しく見たいのですが、時間はありません。天神の丸の行くのが優先です。さっと見るだけで次に行きます。
備中松山城 相畑城戸

 更に進んで行きます。横からあがってくる道と合流します。その先の林の中の高まりも何となく曲輪っぽく見えます。天神の丸の出丸かな。
備中松山城 天神の丸の出丸?

 横に谷のようなものが見えます。堀切と説明が書かれていました。山の尾根を横切るように掘られた、水の張っていない掘のようなものです。
備中松山城 天神の丸堀切

 天神の丸に到着しました。このあたりが本丸のあったところになります。かなり広い面積の地面が平らになっています。
備中松山城 天神の丸

 本丸から一段高くなったところに、石垣で囲まれて天神社跡があります。江戸時代には社殿があったそうです。明治時代に廃れて下のお寺に移転しています。
備中松山城 天神の丸天神社跡

続く........


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2020年12月13日

備中山城 17 2019/11/4 備中松山城 再び二の丸

 本丸の裏側にまわると格段に人が少なくなりました。水の手門からは全くといっていいほど人はいませんでした。天守を見ればそれでじゅうぶんという人が大半のようです。ツアーの時間的な設定もここまで来ることを想定していないのでしょう。
 天神の丸に着いた時は、時間的にぎりぎりです。戻らないといけません。大松山城までの道もこの先どういけば良いのかわかりません。急いで戻ることにします。といっても、登ってくるときは天守につくのを優先しています。見落としたところはちゃんと見ていくことにします。
 土橋までは、下りで楽でした。水の手門までは坂がきついかなと心配していました。思ったほど苦にはなりませんでした。ふいご峠からの道が登ってこれるのなら大丈夫なようです。距離もそれほどありません。
 水の手門も過ぎました。後曲輪を見ていなかったので見ていきます。上に九の平櫓があったようです。
備中松山城 後曲輪

 ここから北東方向の山の中に展望台が見えます。雲海に浮かぶお城の写真があります。ここから写したもののように思われます。
備中松山城 からお城展望所方向

 振り返って見えるのが二重櫓です。下に見える石垣のようなところの大半は岩盤です。石垣は上の方だけです。
備中松山城 後曲輪から天守二階櫓

 二重櫓と天守が一緒に見えるところがありましたので、写してみました。ちょっと木の枝が多いようです。
備中松山城 後曲輪から天守二階櫓

 搦め手門跡付近から見た、本丸東御門から五の平櫓にかけての間にある石垣と塀です。このあたりは復元されたものになります。
備中松山城 本丸東御門

 二の丸に抜けたところで振り返って見た、五の平櫓と天守です。二の丸から降りると、もう見えなくなります。
備中松山城 二の丸から本丸

 二の丸を出たところの鉄門跡からみた下側です。三の丸とそれを囲むように土塀が見えます。塀には狭間が設けられています。ここからどこをねらったのでしょうか。
備中松山城 鉄門跡から三の丸

 四の平櫓跡です。黒門の上にあります。黒門に攻めてきた敵を迎え撃つための施設でしょう。
備中松山城 四の平櫓跡

 四の平櫓跡の内側は御膳棚となっています。そこのモミジは色づき始めていました。
備中松山城 四の平櫓跡のモミジ

続く.......

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2020年12月14日

土星と木星の大接近

 木星が土星にどんどん近づいています。今日までのようすを報告します。
 先月末ごろからは400mm(APS)でも視野の中に同時に入きたので、見えていれば300mmと400mmで写しています。
 11日の300mmでのようすです。だいぶくっついてきています。
木星と土星
 400mmでもだいぶ中心部に集まってきています。
木星と土星
 このようすだと、望遠鏡に1000mmのクローズアップレンズを組み合わせたものでも入ってきそうということで、つけてみました。それでもだいぶ接近して写るということで、直焦点(700mm)にしてみました。それでもいっしょに入ってきました。結局クローズアップレンズは出番なしでした。
木星と土星
 これくらいの望遠になると原板では土星の輪などもわかります。土星木星とも原寸の画像をいっしょに貼りつけています。
 普通に20mmの接眼レンズをつけて見たところでは、視野からははみ出していました。

 12日は天気が悪く観測できませんでした。
 13日です。雲が多めだったので望遠鏡の方から操作しています。直焦点です。
木星と土星
 視野の半分くらいの範囲に入ってきています。いきなり2倍のバローレンズを挟んでみました。これでも何とか同時に写すことができました。対角線ぎりぎりです。カメラが逆さまになっています。焦点距離は1400mmになります。
木星と土星
 20mmの接眼レンズ(35倍)で見たところ視野の中に収まっています。隅っこの方なので同時に見るのは少し大変です。
 300mmでのようすです。ほとんどくっついてきています。
木星と土星
 400mmです。
木星と土星


 今日(14日)の土星と木星です。300mmでのようすです。
木星と土星
 ほとんどくっついています。これ以上近づくと望遠レンズらしくなくなってきます。そろそろ望遠レンズでの撮影はおしまいかな。こちらは、400mmです。
木星と土星
 夕方、日没後沈むまでの時間が短くなってきています。まだ明るい内に写し始めないと、低くなるまでには終わりません。こちらは1400mmです。
木星と土星
これくらいだと土星の形が楕円形になっているのがわかります。輪がわかるように写そうとすると、どうしても暗くなってしまいこの画面サイズではうつっているのがわかりません。
 日没後、木星土星が沈むまでの時間が短くなっています。空の高いところにある内にと思うとどうしても、空が明るい間での写真になります。

 写真で写していると、この頃急速に近づいているように見えます。望遠鏡を切り替えないといけなくなる期間が短く慌ただしくなっています。一日あたりの接近する量は同じでも、拡大すればその量も拡大されるからでしょう。あと、1週間ほどで超接近です。


 
posted by ヨッシン at 00:00|

2020年12月15日

備中山城 18 2019/11/4 備中松山城 下城

 備中松山城は二の丸からふいご峠にむかって下りているところです。時間を調節しながら歩いています。
 登ってくるときに比べると人の数はだいぶ少なくなっているようです。ツアーで一緒だった人達はもうすでに降りているのでしょうか。見あたりません。今から登ってこようとする人はほとんどみかけません。
 三の丸に着きました。上を見上げてみました。厩曲輪から二の丸の方向になります。土塀は、厩曲輪のものです。三の丸広場の石柱には上番所と書かれています。
備中松山城 三の丸から厩曲輪方向

 三の丸から大手門跡を見下ろしてみます。三の丸から下りて行くには右側からになります。門を通りぬけると再び右側に降りていきます。
備中松山城 三の丸から大手門

 大手門入って右側方向です。門の横側の石垣に囲まれたところが細長い長方形になっています。石段からあがっていくようです。
備中松山城 大手門

 下に降りて、石段をあがってみました。門のある方向です。石垣で高くなっているところは門の左右で同じ幅高さです。門と石垣の上には渡り櫓が乗っていたようです。お城の主要な門にはこの形式の門が使われることが多いようです。前回の旅行で見た、鶴ヶ城の黒鉄門もこの形でした。
備中松山城 大手門

 大手門から下は、舗装道路からも下りて行くことができます。こちらを通って降りていきました。山がきれいです。城見橋駐車場が見えていました。
備中松山城 道路から城見橋駐車場方向

 ふいご峠には出発10分前くらいに到着しました。5分ほどでバスがきましたので乗ります。全員そろっていたようで、すぐに出発です。
 ここからいったん城見橋駐車場に戻って、トイレ休憩をするといっていました。山道を下りきった所で、バスは町の方に向かいました。添乗員さんがすぐに気がつきました。ターンして駐車場に戻ります。
 休憩が終わって、町の方に向かいます。伯備線を渡るあたりに御根小屋跡というのがあります。藩主が居住んでいたところになります。平城では本丸内に御殿を作っています。佐賀城や熊本城で見たことがあります。備中松山城は山城なので山麓に作られています。
 高校が建っているあたりになります。いろいろな障害物があってうまく写せませんでした。白壁の土塀は御殿があった事を表しているのでしょう。
高梁市 市街地土塀

 伯備線の踏切を渡ります。線路というので写したのですが、奧の線路がカーブしたところにもう一つ踏切が写っています。この踏切を右に渡った先が、御根小屋の玄関だったようです。
高梁市 伯備線

 白壁土塀は国道沿いの川の堤防にもつけられています。
高梁市 川の堤防の土塀

続く......

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