2020年11月16日

「会津紅葉準備中」完結しました

 昨年の10月に会津地方に紅葉を見に行ったときの旅行記が完結しました。タイトルをいろいろ考えたのですが、紅葉が見えなかったんだとタイトルでわかるようになっていました。もう少し工夫すれば良かったですね。
 いったん旅行記の下原稿を書いてから、投稿時に校正を加えてからアップしています。結構誤字脱字、文脈のおかしなところ、意味の通じないところが見つかります。下原稿を書くのも旅行した順番で前に行ったものからたまっていて、書き始めたのが旅行してだいぶ経ってからです。いつからなのかは記録はとっていません。下原稿ファイルの作成日時が11月10日になっています。こんなにすぐではなく、もっと遅かったような気もします。
 書いていて、ここはどうだったかなというところもあります。一番はっきりしないのは、大雨になったのは1晩目か2番目かというところです。気象庁のデータとかを見てもはっきりしませんが、帰る日の河川の増水状況からすると、書いたとおりが一番しっくりきます。実際の所はどうだったのかな。

 最近パソコンのブラウザソフトの動作が以前と変わってしまっています。原因は不明ですが、一度ダウンロードしたときに、フリーズし、その後にリフレッシュをした頃からのような気がします。ブラウザを起動した直後は、データをダウンロードする度に、ダウンロードフォルダーにつながります。以前は、最後にアクセスしたフォルダーでした。ブログように写真をアップロードしようとしても最初にダウンロードフォルダーが開きます。写真データのはいってるフォルダーはここから7回遡らないとたどり着けません。かなり面倒です。
 回避方法を調べたのですが、いろいろと書かれている方法では今のところ元に戻っていません。結構これに時間を取られています。



旅行記「会津紅葉準備中」のタイトル一覧とそのリンクです。全36回、2ヶ月にわたっての投稿でした。途中で旅行日から1年以上過ぎた掲載になってしまいました。ここからは2019/と行った年を入れています。下の一覧では省略しています。

掲載日 タイトル 
09-1901    出発まで
09-2102 10/24 富山へ
09-2203 10/24 糸魚川へ
09-2304 10/24 新潟へ
09-2405 10/24 喜多方へ
09-2506 10/24 喜多方市新宮熊野神社宝物庫
09-2607 10/24 喜多方市新宮熊野神社 長床と大イチョウ
09-2708 10/24 喜多方市新宮熊野神社 本殿
09-2809 10/24 喜多方から箕輪山へ
10-0310 10/25 猪苗代町箕輪スキー場
10-0411 10/25 安達太良山薬師岳
10-0512 10/25 安達太良山薬師岳遊歩道
10-0713 10/25 猪苗代町中津川渓谷
10-0814 10/25 会津若松へ
10-0915 10/25 会津若松市鶴ヶ城三の丸
10-1016 10/25 会津若松市鶴ヶ城二の丸
10-1117 10/25 会津若松市鶴ヶ城 二の丸から本丸へ
10-1218 10/25 会津若松市鶴ヶ城西出丸から北出丸へ
10-1319 10/25 三島町 道の駅へ
10-1720 10/25 三島町会津宮下周辺の橋
10-1821 10/25 只見線会津柳津
10-1922 10/26 猪苗代町安達太良山横向登山道
10-2023 10/26 猪苗代町箕輪スキー場
10-2124 10/26 猪苗代町毘沙門沼1/2
10-2225 10/26 猪苗代町毘沙門沼2/2
10-2326 10/26 下郷町大内宿へ
10-2527 10/26 下郷町 大内宿町並み展示館
10-2628 10/26 下郷町大内宿展望所
10-2729 10/26 下郷町大内宿昼食
11-0630 10/26 下郷町大内宿高倉神社
11-0731 10/26 大内宿から会津盆地へ
11-0832 10/26 会津盆地から新潟へ
11-0933 10/26 新潟から柏崎
11-1034 10/26 上越妙高駅へ
11-1135 10/26 帰阪
11-1436    感想・余談など
posted by ヨッシン at 23:59| 索引

2020年11月17日

備中山城 01   出発まで

 旅行に行くのにだいたいは星を見るという目的がついてきます。必然的に、1泊以上になってきて、日程的には新月の前後という条件が入ってきます。パッケージツアーなどもだいたい泊まりがけというところを探しています。ところが何となくB社の日帰り旅行のウェブページを見ていると、岡山県中部の城巡りというのが眼に入ってきました。鬼ノ城と備中松山城です。
 岡山近辺は旅行先としては、ネックになっています。どちらかというと日帰り圏内になります。車だと時間がかかるので、新幹線で行ってその後は在来線やバスになってしまいます。時間が縛られますから、それほど回れないでしょう。1泊くらいしてもいいのですが、瀬戸内海沿いは空が明るそうです。といったような理由で、岡山市内を含めて全然回れていません。この機会に行っても良いような気がします。
 備中松山城は高梁市にあります。高梁には行ったことがあるのですが、備中松山城は見ていません。この時は、石仲間と一緒だったのでお城は眼中にのぼってきせんでした。現存天守があるお城の一つでいってみたいところに入っています。備中高松城と勘違いしていました。どちらも四国の県庁所在地の地名が入っています。こちらもおもしろそうです。また別の機会にということにしておきます。
 鬼ノ城という名前は初耳でした。岡山といえば桃太郎の鬼退治で有名ですが、それとの関係で何かあるのかなというくらいに考えていました。
 もう一ヵ所、吹屋にも行くようです。調べておきます。
 江戸時代に、ベンガラ製造で栄えた町のようです。町の家並みは、ベンガラで塗られていて独特の色をしているようです。基本的にはこの町並みの見学がメインになるのでしょう。明治時代にかけての豪商だった邸宅が残されていて見学できるます。ベンガラを作っていた所が展示施設になっています。近くに銅山があってここも見学ができます。更に離れたところに、もう一軒の豪商の邸宅があり、映画「八墓村」の撮影にも使われたところだそうです。
 いろいろと見どころはありそうですが、どれだけ時間を取ってくれるかが問題になります。石ちゃんとしては銅山は見ておきたいものです。ちょっと離れているのでそこまで時間がもらえるのかどうか。ツアーではあまり時間をとってもらえないことが多く、八墓村は無理そうです。レンタサイクルでもあればいけそうですが、なさそうです。
 他の旅行社でもあるか調べてみました。A社は、鬼ノ城と備中松山城の組み合わせはあるのですが吹屋が入ってきていません。代わりの場所も入っていません。C社は備中松山城そのものがありません。欲張っているかも知れませんが、吹屋の入っているB社を第一希望とします。
 日程を選びます。11月の土日曜祝日に設定されています。月明かりは影響しません。月明かりがなければ泊まりがけの旅行を設定する事になりそうです。次の泊まりがけを考えるかも知れませんから、月明かりのあるときの方がいいでしょう。12日が満月ですからこの頃ということになりそうです。会津に行く前に空席状況を見たときはほとんどが満席になっていました。帰ってきてから見ると4日と17日が空いていました。17日は別の用事が入っています。4日の方が空き席は少ないのですが、もうこれからの申し込みはあまりなさそうな4日で確定です。
 ツアーのタイトルは、『往復新幹線利用「備中松山城」「鬼ノ城」とベンガラ色に染まる「吹屋」の赤い町並み散歩』です。
 B社は、ネットで申し込むと全ての手続きがネット経由になります。申し込んだ翌々日には、最終案内をネットで確認してくださいとの通知が来ました。呼び出して印刷しておきます。7時39分発のこだまで、集合は7時10分新大阪駅の1階です。
 持ち物を考えます。基本的には泊まりがけツアーでバス車内に持ち込む荷物と同じでいいでしょう。カメラ関係のものは、いつものショルダーバッグに入っています。カメラ類を入れ直して、電池の充電はしておいた方がいいでしょう。
 別にリュックに入れるものとしては、水筒とペットボトル飲料、非常用食料、汗ふきタオルといったところでしょう。昼食はついていますから用意の必要はありません。非常用食料を前日に買っておくことにします。天気次第によってはカッパが必要となります。入れるか入れないかは、前日に天気予報を見て決めればいいでしょう。結局入れておく必要はありませんでした。
 会津から帰ってきてしばらくしてから、突然咳き込むようになりました。のどがむずむずしてから、しばらくすると咳が止まらなくなります。出始めてもだいたい2−3分で収まります。咳をされるのは周囲の人にとっては不快なものでしょう。できるだけしないようにしたいものです。でそうになったときに飴をなめれば押さえることがきます。これも前日に買っておくことにします。

 旅行日になりました。集合が7時10分としても新大阪は近いので30分見ておけば何とかなります。ちょっとはやめに出発します。
 集合場所に到着です。ツアーの行き先の書かれた案内を持っている人にあいさつすると。もう一人の人が担当だったようです。バスは2台で1号車の方に乗車します。前にチェックした案内にも1号車と書かれていました。だいたいはバスが1台なので、気にとめていませんでした。満席になっていたのに、申しこもうとしたときに余裕がでていたのはバスの台数を増やしたためだったのでしょうか。それなら、2号車になっていそうです。
 B社の参加確認証はシールになっています。受け取ったらカバンに貼りつけて、裏紙を添乗員さんに処分してもらおうとしました。あっさり自分で捨てろといわれました。ゴミ箱が近くにないので困ります。これくらいは考えていて欲しいなと思います。
 出発の再集合までのあいだに、飴を買っておくのを忘れているのに気がつきました。目の前にあるコンビニで購入します。レジでゴミを捨ててと頼んだのですが、コーヒーの売り場にあるといわれました。行ってみたのですがどれのことかわかりません。それらしいものの入っている所に入れておきました。
 再集合の時間になり、集合場所に行きます。人数は意外と少ないようです。2グループ一緒に並んで新幹線の乗り場に移動します。でも、みんなはエスカレータを使うのにいつも通り階段で上がっていきます。
続く..........


posted by ヨッシン at 23:52| 旅行記

2020年11月18日

備中山城 02 2019/11/4 総社市鬼ノ城到着

 新幹線はこだまです。停車駅の数はそれほど変わらないので、たいした時間差はないだろうと思っていました。西明石(姫路だったかな)で通過待ちのため、20分ほど停車します。1時間かからないところでの20分はかなりロスタイムです。
 岡山に到着してバス乗り場に移動します。今回のバスはマイクロバスです。総参加者数は少ないわけです。最後部一番奥の席です。男性が4人並ぶとかなり窮屈です。荷物の置き場もなく、膝の上に抱えていたらほとんど身動きが取れません。
 最初にいくところは鬼ノ城です。隣に座っていた人は「きのじょう」と読んでいました。「おにのじょう」とばっかり思っていました。それなりの本を持っています。並んでいる少なくとも2人はお城マニアのようです。
 山陽道に入って、総社ICで降りてしばらく走っていると山の上に不思議な形をした建物が見えてきました。鬼ノ城のようです。写真に写して拡大して見ると門のようなものが見えます。
総社市鬼ノ城

 山間の狭い道に入って進んで行きます。これだと普通の観光バスでは走れなさそうです。しばらく入って行くと駐車場に到着しました。添乗員さんから弁当の手配をしてくるので、戻ってくるまで車内で待っているように指示が出ます。待っている間に、2号車も到着し、こちらの人達はバスから降りています。こちらはいわれたとおり待っています。
 パンフレットとかを持って戻ってきました。これから見学に出発です。バスを降りたところに湿地があります。観察できるようになっていますが、今はお城優先です。戻ってから見ることにします。
 反対側にビジターセンターがあります。見学は戻ってからにします。トイレを先に済ませておきます。
総社市鬼ノ城 ビジターセンター

 西門までは添乗員さんが先に行っています。そこまでいってしまえば、その先は平坦なようです。20mほどの高さを急いで登ります。その先はほぼ平坦です。だいたい登り切ったところで、添乗員さんに追いつきました。かなり息が切れています。こちらは切れていないフリをしましたが、ちょっと無理っぽかったようです。
 追いついた所では、花こう岩の岩がむき出しになっています。風化して残された芯の部分です。
総社市鬼ノ城 花こう岩

 学習広場の方に行く道がありましたので、こちらからいくことにします。ここからは鬼ノ城の西門がよく見えます。
総社市鬼ノ城学習広場から西門

 斜面に大きな岩が残されているのが見えます。これも風化されなかった花こう岩です。中国から近畿地方の花こう岩地帯では、このような岩はよく見かけます。
総社市鬼ノ城学習広場 花こう岩

 南側の水島方向です。四国まで見えているようです。
総社市鬼ノ城学習広場 水島方面

続く..........

posted by ヨッシン at 23:50| 旅行記

2020年11月19日

土星木星月の接近

 木星と土星が近づいています。きょうはその横に月もやってきました。双眼鏡で同時に見範囲内にあります。
 いつものように、木星と土星のようすです。今日は薄雲がかかっているようで、にじんでいます。露出時間も5秒と短めです。
木星と土星
 星の位置を基準に、木星土星の位置がどうなっているのか重ねてみました。6日からの分です。ここ数日は雲が多くうまくあわせられていません。
木星と土星の接近

 300mmでは、これに月がはいってきませんから、レンズの焦点距離を短くします。210mmです。
木星と土星、月
 土星の位置が見にくいので線で示しています。全体的に雲が多いようです。下の方から雲が広がってきています。月が少し暗くなったので、土星との明るさの差が小さくなりました。
木星と土星、月
3つあるのはわかりやすくなっています。雲でぼやけていますし、雲が広がってきましたので、しばらくどこかいかないかようすを見ます。
 1時間ほどすると雲が切れてきました。木星と月が見えますが、土星はまだ雲の中です。
木星と月

 しばらくすると土星周辺の雲が消えてきましたが、逆に月が雲の中に入ってきました。
木星と月

 土星がでてきたときには月が見えなくなってしまいました。
木星と土星

 月を覆っていたくもは小さいのですぐに月が見えるようになるだろうとみていたのですが、月はなかなかでてきません。そのうち木星土星も見えなくなりました。広角で写しています。
夜の空
 建物と上の雲の間あたりに見えていました。その場所には月を隠しそうもないもやっとした雲以外は写っていません。この時点で月星の高度はだいぶ低くなっています。障害になっているものがなくなったとしても沈んでしまっているでしょう。見るのはあきらめます。下に写っている赤い丸は、観覧車です。コロナ黄信号青信号の時は黄色緑色になっていました。赤信号でもないのに最近赤くなっていることがよくあります。
 
posted by ヨッシン at 00:00|

2020年11月20日

「ヨッシンと地学の散歩」更新しました

 このブログの本家である「ヨッシンと地学の散歩」を更新しました。大きさ・ページの数とかで見れば子分の方がはるかに大きくなっています。今回の更新の内容です。細かいのがいっぱいあります。

「四方山話」のコーナー(部)です。
 「日本海の形成」に補足を追加しました。本文でフォッサマグナとか糸魚川静岡構造線とかに触れていますが、その混同が多いので解説を付け加えることにしました。wikipedia でも説明に混同があります。書いている内に、別のことに気がつき話はそちらの方にそれてしまいました。気がついた点を考慮するとフォッサマグナでわからなかったことが氷解できそうです。最後にフォッサマグナ地域の写真を付け加えてみました。その説明を書いている内に別の問題が発生しました。今回の加筆には間に合わないので、次回に補足することになりそうです。
 「日食と月食」のレイアウトをいじりました。新たな写真を加えました。写真の下に解説も入れるように変更しています。それ以外に小さな画面で見ると表示がはみ出しているところがあるので、はみ出さないように幅を縮めました。水星日面通過の日リストは横並びで見難かったので縦並びに替えています。

「ささやき」の部です。「等圧線の引き方」に、引き方の例を書きました。ブログ内検索で、等圧線の引き方という項目が多いので、引き方を知りたい読者が多いのかなということで新たに書いて付け加えています。方法はヨッシン流になっています。

「宝物」の部「中山風穴」にその他の小規模な風穴の例を載せました。近畿地方にもいくつか風穴があって競れ野写真を追加したいのですが、どういうわけか写真が残っていません。またでき次第ということにします。

「休憩所」の部に「体細胞分裂」を作りました。この部にはまだ章が一つしかないので何か取り急ぎで入れられそうなものはと探していると見つけました。だいぶ前に作った、動物の体細胞分裂のアニメーションです。分裂後は最初の状態に戻るようにしていますから、延々と繰り返していくことができます。よくできていると自賛しています。ので、今回アップしました。
 章の呼び方ですが、「一休み」としていましたが、しっくりしていませんでした。「宝箱」→「宝物」、「道具箱」→「小道具」のように関連のあるものでまとめたいのですが、いい言葉が思い浮かんできません。「休憩所」なので休憩に関係したものがいいのではと思っています。休むときにお茶を飲んだりお菓子を食べたりしますがそういったもので何かないか探しています。山歩きで休憩がてら補給する栄養食を「行動食」といいます。それにしようかと考えたのですが、何か固いようです。「訪問者」「差し入れ」「お茶請け」等も候補にありますが、もう一つのような気がします。とりあえずは「おこぼれ」にしました。山に実っているものを食べたりするのは、山からのおこぼれという発想です。だいぶ良くなったと思いますが、まだ改良はできそうです。「休憩所」を含めて何か良いものがないか検討は続けようと思っています。

「風景」の部です。入口写真は「土星と木星の接近」にしました。写真は全部で23枚追加しています。掲載するページは、第29集と第30集が追加されています。第29集には写真が1枚しかはいっていません。作らずに第30集の番号繰り上げでも良かったのですが、先に第30集にしてしまっていたので、とりあえず1枚だけあげています。次回にはここも埋まってくる予定です。
 アップした写真は、他の章の文を書くときに追加で入れる写真およびそれに関連したものが主です。
 目次ページに、各ページの写真の大まかな内容を付け加えています。内容を開いて確認しないとできなかったものが、ありそうなページの検討をつけられるようになりました。ただ、初期のページ(集)は、なんでもあるものから順番に入っています。ここだけは開いて探してください。

背景画も新しいものを一つつくってアップしています。一覧のページも配置が乱れていたものを修正しています。

「旅行記」は33番目の「木曽路苔と清流」の内部リンクのページを作りました。34番以後はまだブログページへのリンクです。

 最新のウェブページで見ると、フォントがプロポーショナルフォントに固定されているようで、等角フォントであわせたことの意味がなくなってるようです。このあたりの修正が手間取りそうです。とりあえず気がついたのは「日食」と「壁紙集」のページでした。ブラウザーの仕様が変わる度にページの修正が必要になるのは何とかならないのでしょうか。


 昔のブラウザでは、改行後に半角スペースが挿入されるということが起こっていました(邪魔でしたが)。今ははいらなくなっています。半角が入ってもいいようにソースを作っていたのをはいらなくて普通に表示されるように変更するのは手間でした。モバイル対応とか対応に手間取ったものは色々ありました。ブラウザを更新して、携帯サイズの画面が確認できなくなったのも困った変更の一つです。

posted by ヨッシン at 00:00| 日記

2020年11月21日

備中山城 03 2019/11/4 総社市鬼ノ城西門

 遠くから見た感じでは鬼ノ城の西門は、東北地方で見た払田の柵や志波城の門に近いような気がします。もらったパンフレットでは、九州の大野城とだいたい同じ、7世紀頃のものではないかと書かれています。
 この頃の朝鮮半島では、百済が唐・高句麗の連合軍に滅ぼされ、倭国からの応援軍も白村江で大敗しています。連合軍が国内にも攻めてきたら大変ということで防衛のための施設がたくさん作られた時期です。九州太宰府の入口には巨大な水城(土手と堀)が作られ、九州の大野城・基肄城・鞠智城を始め大和までの間にいくつかの城が作られました。鬼ノ城はそのうちの一つではないかとされています。問題は、このあたりに作られたという文献上の記録が残っていないことです。
 城に向かって登っていくと最初に見えてくるのが角楼です。攻めてきた敵を最初に迎え撃つ施設です。
総社市鬼ノ城 角楼

 そのまま進んで行くと西門が見えてきます。
総社市鬼ノ城 西門

 西門の土台部にある土壁の表面です。地層のような模様が見えています。土を敷き詰めては押しかためてということを繰り返して作られたようです。版築といいます。
総社市鬼ノ城 西門土壁

 西門を下から見上げたところです。模様を描いた板のようなものが並べられています。盾だそうです。柵の中で持って防御に使ったのですが、そのままだと見えないということで、外に飾ってあるそうです。吉野ヶ里でも似たものを見たような。
総社市鬼ノ城 西門

 門の前から見える景色です。添乗員さんが、讃岐富士が見えるといっていました。かすかですが見えています。飯野山という名前を確認したかったのですが、そこまでは知らなかったようです。
総社市鬼ノ城西門からの景色

 門の中です。かなりの奥行きがあります。
総社市鬼ノ城西門

 内側に入って、振り返って見たものです。上にあがることはできません。建築基準法上の問題があるようです。
総社市鬼ノ城西門内側から

 角楼までいって見た学習広場方向です。真ん中に展望施設があります。そこにたくさんの人がいるのが見えます。
総社市鬼ノ城角楼から学習広場

続く..........


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年11月22日

備中山城 04 2019/11/4 総社市鬼ノ城礎石建物跡

 鬼ノ城をどのようにまわるかが問題です。1時間ちょっと時間をもらっています。西門周辺をぶらっとまわると30分です。時間が余りすぎます。真ん中くらいまで行って戻ってくると50分でこれでも少し余ります。ビジターセンターと湿地を見学してちょうどいいくらいです。一周してまわると1時間30分くらい。急いでまわってもぎりぎりです。前日までのツアー参加者でまわった人がいるということなので、このコースを急いで回ることにします。
 鬼ノ城の特徴は、鬼城山をはちまきするような形で石垣が張り巡らされていることです。まずはその中心となる鬼城山の山頂から行ってみます。
 すぐに到着です。山頂はなだらかで、展望所が設けられています。
総社市鬼城山頂上

 足元の草むらに、キノコが散らばっています。誰かが食べようとしたのでしょうか。イグチ類ということまではわかりますが、その先まではどうも。
総社市鬼城山頂上 イグチ

 城域の中心部に礎石建物群があります。いったん城域を周回する道路に入り右回りにまわっていきます。途中で中心に向かう道があり、この道から少し入ったところにあります。付近にいくつかの建物が集中してあったようです。説明板のようなものが見えます。
総社市鬼城山 礎石建物跡

 入って行きました。ここは管理棟跡だそうです。柱の礎石が並んでいます。2×6間の大きさだそうです。同じ大きさのものは、道路の反対側にもあります。
総社市鬼城山 礎石建物跡

 道路の東側にも礎石が並んでいる所がいくつかあります。こちらは道路脇から見ることができます。武器や食料などを収めた倉庫と推定されています。
総社市鬼城山 礎石建物跡

 林の中に入った所にある別の倉庫跡です。礎石は3×4列並んでいます。さらに奧にもう一つあったと説明に書かれています。林の中になります。
総社市鬼城山 礎石建物跡

 道を引き返し、城の外周をまわる道路に出ます。ここでは、石垣のようなものが見えます。城を取り巻いていた石垣なのでしょうか。
総社市鬼城山 石垣

続く..........


posted by ヨッシン at 23:53| 旅行記

2020年11月23日

備中山城 05 2019/11/4 総社市鬼ノ城北門

 これから城の外周を時計回りにまわっていく予定です。ところが、道がいくつかあり、案内図のものと一致しません。分岐した道はだいぶ先で合流しそうです。どれを選んで行ってもいけそうなので、強引にいくことにしました。思った通り、広い道から枝分かれしたり合流したりで続いています。
 パンフレットの地図の広い道のように書かれているところは、城の周囲にある石垣のある所を示しているようです。道のように見えるので少し混乱しました。等高線もよく見ると、4本ごとに太くなっています。地理院地図では、10mごとの主曲線と50mごとの計曲線ですから、5本ごとに太くなるはずです。5mと20mだったようです。
 道を歩いて行って次に到着したのは北門です。門の一部が復元されています。ここにあがって来る道は向こう側から続いています。何となくこの先は狭く険しそうです。
総社市鬼ノ城北門

 内側から見た北門です。入った所は広場のようになっています。門の両側は石垣で挟まれています。
総社市鬼ノ城北門

 内側から見た門の右側の石垣です。崩れかかっています。
総社市鬼ノ城北門

 外側にまわってみました。門のようすです。大きな石が敷き詰められています。入ってすぐに右にカーブするようになっています。
総社市鬼ノ城北門

 道は内側に入ったところにつけられています。そのまま石垣に沿って先に進んで行きます。途中で石垣を横切って、道に合流できるところがありました。
総社市鬼ノ城道路

 その時計回りに進んで行きます。大きな岩がしかれているようなところにでました。固い岩盤がむき出しなのか、石垣の一部なのか見ただけではわかりません、
総社市鬼ノ城 敷石

 道の横か高くなっています。土塁と書かれています。土を盛って作られたもののようです。
総社市鬼ノ城 土塁

 先に祠があります。何を祀ったものか。よくわかりません。
総社市鬼ノ城 祠

続く..........


posted by ヨッシン at 23:58| 旅行記

2020年11月24日

備中山城 06 2019/11/4 総社市鬼ノ城 屏風折れの石垣

 鬼城山一帯は温羅遺跡と呼ばれていたことがあったようです。温羅(うら/おんら)はこの付近に住んでいた人物で、製鉄技術を伝えたとされています。付近で悪さをしたために退治されることになります(技術伝承をする人が悪さをするかな?)。これが後に、鬼伝説となっていったようです。
 更に変化して、桃太郎の鬼退治となったとされているようです。退治のされ方は温羅と桃太郎ではだいぶ違っています。
 鬼城山を鉢巻きする道を進んでいきます。再び石垣のようなものが増えてきました。
総社市鬼ノ城 石垣

 石碑があります。表側にまわってみると温羅遺跡と書かれています。まだこの時点では鬼伝説のことはわかっていません。温羅遺跡って何?状態です。
総社市鬼ノ城 温羅遺跡石碑

 その前は広場のようになっています。石垣が岬のように張りだしています。屏風折れの石垣というようです。
総社市鬼ノ城 屏風折れの石垣

 石垣を乗り出してみてみました。あまり前に出るのは怖いので、写せるのはこれが限界です。かなり高い石垣です。
総社市鬼ノ城 屏風折れの石垣

 別の場所のものです。これは石垣の上面です。大きな石が積み上げられています。
総社市鬼ノ城 屏風折れの石垣

 こちら側もせり出してみてみました。といってもこれが限界です。石垣が左にカーブしているので、何とか積み上がっているようすがわかります。下に生えている木の根元あたりまではありそうです。
総社市鬼ノ城 屏風折れの石垣

 石垣が高い分、景色がよく見えます。児島湾の方向になります。
総社市鬼ノ城 屏風折れの石垣 景色

続く..........


posted by ヨッシン at 23:52| 旅行記

2020年11月25日

備中山城 07 2019/11/4 総社市鬼ノ城 第五水門・鍛冶工房跡

 ここまでたくさんの石垣を見てきました。北部九州から近畿地方にかけての地域では、山の中に、いつどのような目的で作られたのかがわからない石垣がたくさん見つかっています。このような石垣を神籠石(こうごいし)というようです。
 神籠石で囲まれた城のようなものを神籠石式山城というようです。日本書紀などに記載がある朝鮮式山城と呼ばれるものと似ています。鬼ノ城は、発掘によりかなりのことがわかってきました。これだけはっきりしてくるとどちらの名前で呼べばいいのでしょう。現地では朝鮮式山城といっていました。
 先に進んで行きます。道は石垣から離れ林の中に入っていきます。第五水門と書かれている場所に出ました。説明板があります。内容と目の前に見える景色と重なりません。土手のようになっているこの部分が水門跡でしょうか。
総社市鬼ノ城 第五水門

 土手に向かって水路があると書かれています。この林の中に見える窪地がそうでしょうか。木が多くてよくわかりません。
総社市鬼ノ城 第五水門

 こちらにも別の土手があります。横切って水路のようなものも見えます。
総社市鬼ノ城 第五水門

 結論です。遊歩道になっている所が一段と高くなってまっすぐ続いています。これが水門を作っていた土手でしょう。奧にある貯水池の土手はやっぱりわかっていません。
総社市鬼ノ城 第五水門

 更に進んで行きます。花こう岩の切り立った岩が見えてきました。人工的に削ったようにも見えます。石垣の石はここから切り出されたのでしょうか。それにしては削られた部分が小さすぎます。
総社市鬼ノ城 石切場?

 岩の下を見ると。石英の脈がありました。このようなところで、水晶が見つかることがよくあります。
総社市鬼ノ城 石切場?石英脈

 更に進んで、鍛冶工房跡というところにつきました。鍛冶に使った炉の跡がいくつか見つかっているようです。炉6というのだけが看板で場所が示されています。他のはどこにあったのだろう。
総社市鬼ノ城 鍛冶工房跡

続く..........


posted by ヨッシン at 23:52| 旅行記

2020年11月26日

備中山城 08 2019/11/4 総社市鬼ノ城 東門・高石垣

 ふと時計を見ると大変なことに気がつきました。バスの出発時刻まで15分ほどしかないようです。まだ全行程の半分をやっとすぎたところです。相当急いで戻っても出発時刻に間に合わないかも知れません。歩いてまわるのは予定通り速めだったのですが、各場所でゆっくり見すぎたようです。屏風折れの石垣からここまでの2ヵ所でもだいぶ時間を使っています。次にどこにいるかはっきりわかる場所で添乗員さんに連絡を入れることにします。
 次についたのは東門です。壁のようなものと柱が並んでいるのが見えてきました。
総社市鬼ノ城 東門

 斜め上から見たところです。ちょっと小さめの門です。
総社市鬼ノ城 東門

 ここからも景色がよく見えます。門から見て正面方向、児島湾のある方角です。手前側の谷の出口あたり、池のあるところに水城があるようなのですが、どれなのでしょう。太宰府の水城のようなものは見あたりません。
総社市鬼ノ城 東門から景色

 門の横側です。柵列と書かれています。払田の柵のように柵を並べて埋め込んでいたのでしょうか。これだと板塀の柱のようにも見えます。
総社市鬼ノ城 東門

 門の間にはいっていきます。岩を削った柱穴のようなものがあります。柱は右上に根元が写っています。案内板には軸摺穴と書かれているものに似ています。
総社市鬼ノ城 東門

 門を内側高いところから見たようすです。門の間に石が敷かれています。敷石の上に、真ん中の柱を結ぶ線上に段が見えます。扉をこれ以上外に開かないようにしていたのでしょうか。
総社市鬼ノ城 東門

 すぐ先に第四水門跡があります。相変わらず水門というものがわかりません。水路のようなものは水門から出てきた流れでしょう。
総社市鬼ノ城 第四水門跡

続く.........
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2020年11月27日

備中山城 09 2019/11/4 総社市鬼ノ城 南側高石垣・南門

 東門についたときに、添乗員さんに電話を入れて出発時刻を確認しました。思っていた時間より10分遅かったようです。この分を考えると急げば何とか時間内にたどり着けそうな気がしてきました。どちらにしても、各場所でゆっくり見ている時間はありません。ざっと見ながら進んで行くことにします。今どこにいるのかということと急いで行くと伝えましたが、急がなくてよいといわれました。ゆっくりでは遅刻になります。けがをしないように気を使ってくれていたのでしょう。
 再び石垣の上の見晴らしのいいところに到着です。景色を見ている余裕はありません。写真だけです。
 山側の岩の表面に仏様が彫られています。手がたくさんありますから、千手観音でしょうか。これもちらっと見ただけでパスです。
総社市鬼ノ城南側 観音像

 通り過ぎて振り返って見たところです。石垣の向こうに東門が見えています。
総社市鬼ノ城南側 高石垣

 遊歩道の山側にも石垣があります。内側列石と書かれています。
総社市鬼ノ城南側 内側列石

 ここから坂を登っていきます。道の上にははたくさんの石が並んでいます。通路がはっきりしません。これは敷石なので、その上を歩いていいということなのでしょうか。
総社市鬼ノ城南側 列石

 南門に到着です。道は高いところを迂回しています。行き過ぎてから振り返って見ています。
総社市鬼ノ城 南門

 いったん戻って内側から見たところです。前はほとんど崖で門の横には石垣が続いています。
総社市鬼ノ城 南門

続く..........


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2020年11月28日

備中山城 10 2019/11/4 総社市鬼ノ城 西門へ

 時間が押し迫っていることに気がついてからだいぶ歩いてきましたが、それでも駐車場はまだまだ先です。この先にいろいろな史跡とか何かがあっても、あまりゆっくり見ている時間はありません。先を急ぎます。
 再び石垣の上の見晴らしのいい場所に到着です。石垣と景色の写真を写したら、先に行きます。
総社市鬼ノ城 南側石垣からの景色

 道の山側に石垣が積み上げられているところにつきました。説明板には第二水門と書かれています。どこに水門があるのか確認できませんが先に進みます。
総社市鬼ノ城 第二水門

 正面にも石垣が積みあがっているところがあります。こちらは第一水門になります。
総社市鬼ノ城 第一水門

 こちらもどこが水門か確認している余裕がありません。この足元で水が出ているところかなというくらいにしておきます。パンフレットには石垣の上の方に四角い穴が開いている写真が載っています。
総社市鬼ノ城 第一水門

 更に進んで行くと、やっと西門が見えてきました。手前に石畳の道が見えます。先に進みます。この時点で、出発までの時間は10分を切っています。
総社市鬼ノ城 西門

 西門に続く版築で作られた土塁です。階段があり下からもいけるようです。下から回ることにします。
総社市鬼ノ城 西門

 下から見た土塁です。石垣の上に作られています。一部石垣になっているところもあります。
総社市鬼ノ城 西門土塁

 そのまま急いで、駐車場に戻ります。何とか出発時刻には間に合いました。トイレにだけは行かせてもらいます。バスに戻って乗ろうとすると、添乗員さんから弁当を受け取ったかと聞かれました。今ついたところなのでもらっている余裕はありません。ないと答えると、添乗員さんの手元の弁当が手渡されました。
 そのまま席に座ろうとしたのですが、一番奥です。先に座っている人がいったん出ないと席に着けません。そのまま詰めてもらって一番座りやすいところでいいといったのですが、正規の席でとなりました。マイクロバスのなので通路でもすれ違えません。別の列の座席も利用して入れ替えとなります。
 何とか座れて出発かと待っていると、弁当が余っているようです。もらっていない人はいなかと聞きにまわります。だれもいません。たぶん添乗員さんの分でしょう。添乗員さんが自分用に確保した分をもらったようですから。
続く..........


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2020年11月29日

備中山城 11 2019/11/4 高梁市備中松山城 中太鼓丸へ

 鬼ノ城の次の目的地は備中松山城です、総社市から高梁川を遡って、高梁市の市街地に向かいます。バスに座っていると腰が痛くなってきました。腰が横にひねられているような感じです。座席に座布団を敷いてますが、ちょっと小さく、うまく上に乗れていないのが原因のようです。座布団は背中側に立てて背もたれ代わりにすると腰の痛いのは楽になりました。
 高梁の市街地を通り過ぎる手前で東側の山の中に入っていきます。バスは城見橋公園駐車場にいったん入ります。一応トイレ休憩ですが、添乗員さんは何かの手続きあるといっていました。この先の通行許可だったような。マイクロバスのなので、ここから先中腹まであがっていくことができます。普通の大型観光バスでは道が狭くてあがることができません。
 バスを降りて、駐車場入口の方をみると紅葉しかかった木がたくさんあります。近くで確認している時間はなかったのはっきりしませんが、アメリカフウではないかとみています。
高梁市城見橋公園 アメリカフウ

 自家用車とか路線バスで来た人は、中腹までシャトルバスであがっていくことになります。バスが待機していてもうすでにたくさんの人が乗っています。
高梁市城見橋公園 シャトルバス

 その後、バスは中腹まで運んでくれました。ふいご峠という場所になります。ここからは登城道を20分ほど歩いて登って備中松山城に到着になります。
 ここは狭くてマイクロバスでも2−3台しか駐車できません。次々とバスがやってきます。占拠するわけには活きませんから、城見橋駐車場までおりて待機するようです。帰りは迎えにきてくれますが、その時も長時間の待機は無理できません。出発時刻の前までには戻ってきているようにとの指示がありました。
 駐車場奧にある登城道の入口です。横の看板にはシャトルバスの最終時刻の案内が書かれています。
高梁市ふいご峠 登城道

 入ってすぐに、道は登りと下りに分かれます。というより、これが登城道でその途中に合流したようです。たぶんこのままあがっていくのでしょう。みんな登っていっています。
高梁市ふいご峠 登城道

 添乗員さんが先にいって、入場券を手配して天守の入口で配ってくれるそうです。そのまま急いで行って、添乗員さんよりも先についても意味がありません。まわりをゆっくり見ながら登っていくことにします。
 登城に入ってすぐ脇で見たオニフスベです。たくさん並んでいます。
高梁市ふいご峠 登城道 オニフスベ

 立派な石垣の組まれたところに到着しました。中太鼓の丸と書かれていました。
高梁市ふいご峠 中太鼓の丸

 石垣の上からは高梁市街を見わたすことができます。
高梁市ふいご峠 中太鼓の丸からの景色

続く..........


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2020年11月30日

花火の打ち上げ

 日没後暗くなりはじめた頃から、木星と土星が接近しているようすを写し始めたのですが、2−3枚写したところで雲が広がってきたためしばらくようすを見ていました。かなり大きな雲が湧いてきて板野ので30分ほどしてから見に行くと、雲の切れ目から見え始めていました。続きを写そうとしたところで、西の空に花火が上がるのみえました。ふだんも時々あがることがありますが、今日のものはいつもより南によったところで、前回のサプライズ花火とほぼ同じ場所でした。
 いきなりなので何なのか戸惑いました。後で調べたところでは、「笑顔の花咲くみんなの花火大会」というタイトルで「新型コロナウイルス感染症に対応されている皆様、医療現場に従事されている皆様への感謝、「がんばろう」とみんなでエールを交換しながらコロナ禍を乗り越えていきたい、そんな想いを込めて、開催いたします。」という主旨だそうです。見られなかった人にも、想いが伝わるのではということで、何枚かの写真をアップすることにします。
 花火が上がったということで、惑星の接近のようすは後回しにして、花火を写すことにしました。といっても、1台は惑星用に400mmの望遠レンズがつけられています。レンズが三脚にねじで固定されていますから、外して再びカメラをつけてとはかなり手間になります。そのまま写してみました。
花火
花火
 どこであがるかわからないので、中心に持ってくるのに苦労します。
 偶然に真ん中に入ってくれるのを待つしかないようです。
花火

 上を向きすぎているかなということで、下にずらしてみました。たまたま低い所で花火が連発しました。
花火
 マンションの向こう側が大変なことになっています。
 建物にきれいにかぶるように開いた花火です。
花火

 向きを高いところに戻して写った花火です。三脚の震動とあわさって不思議な幾何学模様になっています。
花火

 きれいに写った花火です。
花火

 これくらい拡大されていると、引き込まれるように感じます。
花火

 かなりの時間花火が上がっています。一時休憩のような状態になったので、その間に別のカメラと三脚で写すことにしました。ここまでのカメラは望遠レンズをつけた状態にしておきます。もう一台のカメラも、別の用事でこき使われています。一番新しいカメラを持ち出します。
 何とかはみ出さないで写すことができました。
花火

 主役ダンサーの後で、キラキラをしている、バックダンサーのように光っています。
花火
花火

 建物の後ろで、大爆発です。太陽の塔は黄信号でも赤信号でもない医療従事者にエールをという青色でもない色で照らされています。
花火

 シャッターが開いているのか閉じているのかがわからなくなってきました。心霊写真のように写っています。望遠レンズのカメラです。
花火

posted by ヨッシン at 00:00| 日記