2020年06月01日

6月になりました

 6月になりました。新型コロナウィルス感染者拡大にともなって、発令されていた緊急事態宣言が全国的に解除されました。関西はその前から解除されていました。一昨日の土曜日から昨日の日曜日にかけて、一気に人出が多くなったような気がします。市内の道路の渋滞も激しくなっています。感染症拡大前とあまり変わらないようにみえます。これで、感染する人は減っていくのでしょうか。心配な面もあります。
 知事は経済活動優先のようで、さっさと自粛を解いてしまっています。出口戦略というわりには、それらしいものが見えてきません。店の利用の記録から、そこで感染者がいたら連絡してくれるシステムくらいでしょうか。携帯電話は持っていますが、それでネットをしませんから、全然メリットがありません。
 日本での感染拡大のピークは3月末だったという分析があります。再生産数とかで感染拡大のようすを見ることができるようです。基本再生産数が2.5とかで、これを元に8割自粛ということもいわれていました。欧米と違って、マスクをしたりとかの生活習慣の違いで、日本人で基本再生産数がもっと小さいのではという気がします。自粛率はもっと少なくても、ちょっと密を避けるだけで、実行再生産数が1を切ることができるのなら3月末ピークというのも説明できそうです。
 ここ数日の間で、北九州市で感染者が増加しています。第2波なら先ほどの推定は間違いということになります。別の原因を考える説もあります。もう少しようすを見ないと、何ともいえないでしょう。大阪(他の府県も含めて)がこうならないよう願うしかありません。
 阿倍君の努力のおかげで、日本人の大多数に抗体ができているという説もあります。これから増えるのならこれも間違いなのでしょう。
 訳のかわからないことがたくさんあります。誰の考えが正しいのやら。

 今日は、悪疫退散を願って全国一斉に花火が打ち上げられました。医療従事者の慰労の意味もあるようです。8時からということで、見晴らしのいいところで見えないかと探したのですが、見えませんでした。残念です。全国の花火業者さんががんばってくれたおかげでこのようなことができました。見えなくても、願いはしっかりと受け止めることができました。感謝しています。

posted by ヨッシン at 23:59| 日記

2020年06月02日

東北北回り 57 8/29 鹿角市 尾去沢鉱山 2/3

 坑道を進んで行くと神社が見えてきました。山神宮と書かれてます。パンフでは山神社です。坑内作業は危険を伴うので、安全祈願の必要があったのでしょう。他にも何かあるかな。神殿は、狭い坑道の中に押しこむ様に作られています。拝殿も兼ねているようです。鳥居の下に賽銭箱が置かれています。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 山神社

 先の坑道の壁です。珪質緑色頁岩と珪質黒色頁岩のつみ重なり方がよくわかります。黒色というより暗褐色です。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 坑道壁面

 道が分岐しています。右側が特別コースで、ぐるっと回ってまたここに戻ってきます。右側に進んで行きます。
 坑道の幅が広くなっているところに出ます。休憩所や鉱山の事務所などが並んでいます。写真は、休憩所なかで弁当を食べている作業員の人形があります。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 坑道

 この一画では、火薬の受け渡しをしていたようです。そのようすを再現しています。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 坑道

 横に伸びる小さな坑道があります。まわりの岩石は珪質頁岩なので、ここで鉱石を掘っていたのではなさそうです。物置か何かでしょうか。鉄分の多い地下水が浸みだしています。このあたりから、暗いところでは、ストロボを使うようになっています。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 坑道

 鉱石を運搬するようすが復元されています。黄色い車はトロリー運搬車と書かれています。横にある電線に要注意です。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 鉱車

 竪坑入口です。ここからエレベーターで下にある坑道に降りていくことができます。これから下りて行くところを再現しているのでしょう。
鹿角市尾去沢鉱山鉱山 竪坑エレベーター

続く...............

posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月03日

東北北回り 58 8/29 鹿角市 尾去沢鉱山 3/3

 再び天井が高くなったところにきました。上の方の鉱石を掘り出したのでしょう。ちょっと斜めになっています。鉱脈が傾いているためです。どれくらいの高さがあるのかは奧の方は暗くてよく見えません。
鹿角市尾去沢鉱山

 先で、鉱石を掘り出しているようすが復元されています。ドリルのようなもので天井に穴を開けています。ここに鉱脈があるという想定です。鉱石があるのかどうかはこの位置からではわかりません。
 掘り出した鉱石はすぐに運び出さずに足元に積み上げていきます。足場が高くなっていくので、更に高い天井にある鉱石を掘り出すことができるようになります。最後に足元に積み上がっている鉱石を取り出していきます。この掘り出し方をシュリンケージ採掘法といいます。
鹿角市尾去沢鉱山 採掘風景展示

 鉱石を掻き出しているようすです。
鹿角市尾去沢鉱山 採掘風景展示

 実際に掘り出した跡です。光が届いていません。かなり高いところまで、掘りあげていったことがわかります。
鹿角市尾去沢鉱山 採掘跡

 この付近の石英脈に鉱石が含まれているとかかれていました。暗くて見えないので、懐中電灯で探してみました。脈は見えるようになったのですが、鉱石が含まれているかどうかまではわかりません。周囲の岩石は石英安山岩です。
鹿角市尾去沢鉱山 石英脈

 これも脈なのかな。吹き出してきたもので覆われていて何なのかわかりません。
鹿角市尾去沢鉱山 石英脈?

 白っぽいところが石英です。ケーブルに沿ってあるものがよくわかります。ところどころで中に黒い点が見えます。鉱石が含まれているようです。キラキラしているものは鉱石ではなさそうです。
鹿角市尾去沢鉱山 鉱脈

 特別コースが終わりました。一般のコースに戻って進んで行きます。天井から、イルミネーションがつり下げられているところを通過します。なかなかきれいには写ってくれません。
鹿角市尾去沢鉱山 坑道

 ホールのような空間ができているところがありました。昔の鉱山のようすなどが展示されています。
鹿角市尾去沢鉱山 ホール

 横は火薬庫となっています。先ほどの受け渡し所とは離れているのが気になります。それほど離れた場所で受け渡すとは思えません。
鹿角市尾去沢鉱山 火薬庫

続く...............


posted by ヨッシン at 23:52| 旅行記

2020年06月04日

東北北回り 59 8/29 尾去沢鉱山から普代村黒崎へ

 坑内を進んで行くと、こんどは建物の入口のようなものが見えてきました。南部藩西道金山奉行所と書かれています。ここから、江戸時代の採掘のようすを復元した場所になるようです。奉行所がここにあったとは思われません。外にあったのでしょう。外に作ると大きく回らないといけません。話の流れを作りたいのでこの場所で再現しているのでしょう。
 見えてきた奉行所のようすです。
鹿角市尾去沢鉱山 金山奉行

 通り過ぎたところで、通洞坑金屏風と書かれた標札があります。この区画には江戸時代の坑道があったようです。展示できるようにトンネルを掘ったところ、大きな鉱脈が見つかったそうです。これを金屏風と名付けています。
鹿角市尾去沢鉱山 通洞坑金屏風

 鉱脈といっても表面はさびで覆われて茶色くなっています。どこまで鉱脈があるのかはっきりしません。
 よく見える岩石を見ると、丸い石ころのようなものが詰まっているように見えます。ふしぎなものを見たという気分になります。
鹿角市尾去沢鉱山 通洞坑金屏風

 少し通り過ぎてから振り返って見ると、鉱脈のようすが何となくわかります。坑道をわずかに横切る角度で入っています。
鹿角市尾去沢鉱山 通洞坑金屏風

 昔の坑道です。タヌキ堀りと呼ばれています。人が屈んでやっと通れるくらいの大きさです。
鹿角市尾去沢鉱山 タヌキ掘り

 説明によるとこの奧に十字架が彫られているそうです。立入禁止です。
鹿角市尾去沢鉱山 隠れ十字架

 坑道内の探検はこれで終わりです。出口をでるとすぐに、売店になっています。横に金色の張りぼての牛が置かれていました。造財家内安全に御利益があるそうです。
鹿角市尾去沢鉱山 張りぼての牛

 鉱山を後にします。次は三陸まで行かないといけません。カーナビに宿の位置をセットすると3時間かかると出てきます。どこにも寄らずに行っても、かなり遅めの時間です。真っ直ぐ行かないと間に合わないでしょう。尾去沢はだいぶ秋田に戻ってしまっていたのが失敗の元でした。
 駐車場の坂を降りたところで、鉱山跡を振り返って見ます。古い建物などが廃墟になって残っています。
鹿角市尾去沢鉱山

 もう少し進んだ所から見えるもう一つ奥の谷のようすです。
鹿角市尾去沢鉱山

 更に降りたところの横は、小石を積み上げたようになっています。鉱山ででた拝石を積み上げてできたズリ山なのでしょうか。
鹿角市尾去沢鉱山 ズリ山

 宿があるのは普代村南部の海岸沿いです。鹿角八幡平ICから高速道路に入り盛岡八戸方面に進んで行きます。九戸に来たところでも、カーナビからは高速道路を降りるように指示は出ません。久慈にぬけるにはここで降りた方が近かったような気がしました。地図を確認することはできませんから、このまま指示に従っていきます。
 高速道路を降りるように指示が出たのは、次の軽米ICです。そこで高速道路をでて、久慈に向かいます。久慈からは国道を南下、普代村に入る手前で三陸道に入ります。途中の案内では普代村の中は車は通れないと書かれていました。案内に従って、普代ICでは降りずに先まで行くことにしました。
 でもこれだとだいぶ行きすぎたようです。三陸道の終点から引き返します。結局普代ICの前を通過することになります。この頃にはだいぶ暗くなっていました。
 そのまま進んで、宿へ行く道の案内が出ていました。その道に入ったところで目の前にあった建物と勘違いしそちらへ行ってしまいました。真っ暗なのでここではなかったようです。そのまま進んで行くと、道は狭くなった上にまわりは真っ暗、この先一方通行ときています。ここではないと一方通行手前のT字路で引き返そうとしますが、路面が見えないので苦労します。
 何とか引き返して、先にあった広い道路に入っていきます。すぐに宿の案内を見つけて一安心です。そのまま進んでやっと到着することができました。
 入口案内のすぐ先に別の案内があり、宿の案内は横をむいていたのと、建物に気を取られていたので気がつかなかったようです。
続く...............
posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月06日

東北北回り 60 8/30 普代村 黒崎灯台

 普代村の夕食は、今回の旅行中では一番豪勢だったようです。食後に星が見られるか確かめるために外に出てみたのですが、雲におおわれているようでした。星見もなしです。外の明かりもなく、星を見るのには良さそうでした。荷物を整理して、風呂に入ってから寝ることにしました。
 朝です。まだ雲は広がっていますが。ところどころで切れ目が見えます。空が赤くなっているのがわかります。
普代村黒崎 空

 外に出てみます。鳥のさえずりが聞こえるので、松の木にヤマガラが止まっていました。2羽います。真ん中付近と、左側の枝分かれしたところです。
普代村黒崎 ヤマガラ

 駐車場横に植わっていたハマナスに赤い実がついていました。
普代村黒崎 ハマナス

 宿の前の道を奥に進んでいくと、灯台にでます。黒埼灯台です。
普代村黒崎 黒埼灯台

 灯台の手前は、いろいろなモニュメントが置かれています。北緯40度線を記念したものです。地球儀は近くのソーラーパネルの電気で回転するようになっていたようです。直下の台の上に北緯40度と描かれた線が引かれています。その上にGPSロガーをおいてみたのですが、示した緯度は40度0分23.78秒でした。
普代村黒崎 北緯40度モニュメント

 北緯40度ちょうどがどこになるのか見ようと引き返していったのですが、なかなか数字は小さくなりません。道も右にカーブしてきたのであきらめました。計算しなおしてみるとここから740m先となります。
 宿の前の電線に鳥が止まっています。ハクセキレイのようです。地面を歩いているのはよく見かけます。
普代村黒崎 ハクセキレイ

 元のモニュメントの所に戻ってきました。大砲が置かれています。南部藩が設けた砲台場がここにあったそうです。
普代村黒崎 砲台場

 カリヨンの鐘というのも置かれています。
普代村黒崎 カリヨンの鐘

 灯台の方に行って、海を見ることにします。歩いて行くと道脇に傘がオレンジ色のきれいなキノコがでているのが見えました。タマゴタケのようです。
普代村黒崎 タマゴタケ

 灯台の近くから見た海岸です。切り立った崖が続いているようです。
普代村黒崎 岩壁

 引き返してきて、林の隅を見ると何かが書かれた石碑があります。読んでみると、伊能忠敬測量記念碑でした。ここで緯度を求めたそうです。日本全国の海岸に沿って測量していますから、ここを通っていて当然です。緯度を求めたことは、ここが重要な場所と思ったのでしょう。
普代村黒崎 伊能忠敬測量記念碑

続く...............


posted by ヨッシン at 23:58| 旅行記

2020年06月07日

東北北回り 61 8/30 普代村黒崎アンモ浦展望所

 宿の建物の横から裏側にまわると、海岸を見渡せる展望所に出ることができます。そちら方に行ってみることにします。
 建物の裏側にまわったところ、建物の下の斜面で、マツヨイグサがたくさん咲いているのが見えました。
普代村黒崎アンモ浦展望所 月見草

 階段を降りていくと展望所に着きます。ここからは海岸の岩場がみ下ろすことができます。霧がかかっているように見えます。けあらしのようにも見えます。灯台から北側の海岸線を見たときにたくさんできていました。
普代村黒崎アンモ浦展望所 けあらし

 滝が見ます。アンモ浦の滝というそうです。ちなみに、今いる場所はアンモ浦展望所です。木や草が大きくなって、だいぶ見づらくなってきています。海に直接落ちる滝なのだそうです。
普代村黒崎アンモ浦の滝

 岩の間から三角形をした島が見えます。横に漁船もいます。
普代村黒崎アンモ浦展望所から

 沖合をフェリーが通るのが見えます。船の模様から、大洗から苫小牧に行く船とみられます。名古屋からやってきたフェリーではなさそうです。
普代村黒崎アンモ浦展望所からフェリー

 崖の岩石です。地層はほとんど垂直に立っているようです。
普代村黒崎アンモ浦展望所 崖

 宿でもらったパンフには、このアンモ浦の展望所の緯度は北緯40度ちょうどと書かれています。GPSロガーの記録では、40度0分19.03秒でした。まだだいぶずれているようです。
 階段を上がって宿の方に戻ります。階段はコンクリートでできています。表面にびっしりとコケが生えています、栗のいがもいくつか落ちています。
普代村黒崎アンモ浦展望所の階段

 あがったところで空を見ると、たくさんの鳥が飛んでいるのが見えます。ものすごい数です。
普代村黒崎アンモ浦展望所 アマツバメ

 拡大して見ました。アマツバメでしょう。八丈島でも密集して飛んでいました。こういう習性なのでしょうか。
普代村黒崎アンモ浦展望所 アマツバメ

続く...............


posted by ヨッシン at 23:55| 旅行記

2020年06月08日

東北北回り 62 8/30 普代村 黒崎展望所

 朝食時間にはまだ早いようです。もう少し周辺を歩くことにします。三陸海岸を縦断する形でみちのく潮風トレイルがつけられています。この道がこの宿の前を通っています。結構歩いている人が多いようで宿を予約するときに歩いてくるのかと聞かれました。トレイルを進んだ先にも展望台があります。黒崎展望台です。行ってみることにします。
 宿の前を通って、駐車場の隅から入っていきます。その上の電線に鳥が止まっているのが見えます。ホオジロみたいですが、頭がぼさぼさです。鳴き声も違っていたようです。
普代村黒崎展望所 ホオジロ?

 この道脇にもキノコがたくさん生えています。白い色をしたものです。
普代村黒崎展望所 キノコ

 展望所について、北側の海岸を見ると、霧でほとんど何も見えなくなっています。けあらしがだいふひどくなってきているようです。けあらしの範囲もだいぶこの近くまで広がってきています。
普代村黒崎展望所 気嵐

 そらを見ると、ここでもアマツバメの集団が見えます。あちらに行ったかと思うとしばらくすると戻ってきます。
普代村黒崎展望所 アマツバメ

 道脇のキノコです。ここでは2種類並んで出てきています。相変わらず種類まではわかりません。
普代村黒崎展望所 キノコ

 林の中を戻っていくのですが、けあらしは激しくなって、林の中まで入ってくるようになったようです。
普代村黒崎展望所 気嵐

 宿の前まで戻ってきました。空には相変わらずアマツバメの集団が見えています。時々鳴き声も聞こえてきます。
普代村黒崎 アマツバメ

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月09日

東北北回り 63 8/30 普代村 鵜鳥神社へ

 朝の散歩から帰って、食事にします。終われば出発です。今晩の宿は気仙沼大島です。三陸海岸を南下していくことになります。その前に見ておきたいところが出てきました。マリンローズパーク野田玉川です。バラ輝石が見られるようです。石ちゃんにとっては行かないわけにはいきません。そのまま真っ直ぐ行っても、早く着きすぎてしまいます。まだ開いてはいないでしょう。どこかによって時間調整が必要です。普代村のパンフには近くに鵜鳥神社があると書かれています。先にここに行くことにします。
 黒崎から、来た道を引き返し普代村中心部を通ることになります。宿で、昨日見た通行止めについての情報を確認したところ。お祭りがあって、その時間帯が通れなくなるとのことでした。
 黒崎から普代村中心部に入る手前に大きな水門が見えてきました。昨日も見たのですが、暗くてパスしていました。普代水門といいます。村長をしていた人が、三陸津波地震の記憶があり、大きな水門が必要ということで作ったそうです。東北日本大震災では、津波はこれを越えて流れ込んだものの、市街地に達する手前で止まったそうです。
普代村普代水門

 普代村の中心部近くにあるICから三陸道に入って北上します。すぐに国道に戻り、白井海岸駅あたりから山の中に入る道があって、そこを進んで行くと鵜鳥神社につきます。駅を探しながら道路を走っていたので、曲がらないといけない所の案内を見落としました。行き過ぎたところから戻って入り直します。該当する道は1本しかありません。
 だいぶ走って、鵜鳥神社に到着です。1本奥の路地沿いにあります。車を駐める所を探します。神社の前は少し広くなっていますが、車が駐められるというほどの余裕はありません。神社の前の道を引き返すように戻っていきます。元の道に出るところで、元の道沿いに駐車場のようなものがあります。ここに入れるしかないでしょう。駐めます。
 鵜鳥神社まで歩いて行きます。雨が降りそうなのですが、急に悪くならないでしょう。傘は邪魔になるのでおいていきます。
 神社の前まで来ました。鳥居と狛犬があります。
普代村鵜鳥神社

 中に入ってまずあるのが手水舎です。ここの水は亀の口から出ていました。
普代村鵜鳥神社 竜(亀)吐水

 ここから階段を上がった所にあるのが遥拝殿です。上にある神殿(拝殿)の出張所といった場所です。
普代村鵜鳥神社 遥拝殿

 横にある末社です。それにしては立派です。子鹿神神殿と書かれています。
普代村鵜鳥神社 子鹿神神殿

 更に横は広場があって、その奥に朱塗りの建物があります。神楽殿と書かれています。鵜鳥神楽というものをここで舞うのでしょう。1月をかわぎりにして、ここから各地をまわっていくようです。
普代村鵜鳥神社 神楽殿

 遥拝殿の横の門から中に入っていきます。正面に階段が見えてきます。その先には大きな杉の並木があります。本殿はここからずっとあがっていったところにあります。
普代村鵜鳥神社 参道

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月10日

東北北回り 64 8/30 普代村鵜鳥神社参道

 鵜鳥神社の神殿は卯子酉(うねとり)山の山頂に作られています。よく見たら十二支方位の東北西を表しています。何か関係があるのでしょうか。卯子酉神社と呼ばれていたのが後に鵜鳥神社と呼ばれるようなったそうです。神様は、地元ではうねどり様として親しまれています。ここから山頂まで登っていかないとたどり着けません。
 他にもこの地には、義経北行伝説があり、義経が神言を授かった場所とされています。
 進んで行くことにします。石段を上った先に橋が見えてきました。神道橋といいます。
普代村鵜鳥神社 神道橋

 杉の木の根元から水が湧き出しています。神社入り口にあった案内図によると、うがい場になります。
普代村鵜鳥神社 うがい場

 次にあったのが四角い枠の中に水がためられている場所です。お縒り場と書かれています。普代村の案内には紙でこよりをつくって投げ沈めば願い事が叶う池と書かれていますが、水がたまっているのはここしかありません。これがお縒り場なのでしょう。
普代村鵜鳥神社 お縒り場

 杉の木の根元に祠があります。お薬師さまと書かれています。このような祠は、この参道沿いにはたくさんあります。
普代村鵜鳥神社 お薬師さま

 祠の手前の杉の木の根元からも水が湧き出しています。硯のような形をした石で水を受けています。この水で目を洗うと眼病が治ると言われています。
普代村鵜鳥神社 お薬師さま

 だんだん道は険しくなっていきます。がんばって登っていきます。
 道脇に、幹が二股に分かれた杉の木が見えてきました。夫婦杉です。
普代村鵜鳥神社 夫婦杉

 石段が見えてきました。嘉永3年に作られたものだそうです。
普代村鵜鳥神社 石段

 階段を登った先に鳥居があります。だいぶ近づいてきたようです。この先の道はなだらかになっています。
普代村鵜鳥神社 鳥居

 鳥居の前に、卯子酉山展望台と書かれた標柱が立っています。展望台があるようなので寄ってみることにします。道脇には白い花がいっぱい咲いています。ホツツジです。
普代村卯子酉山展望台 ホツツジ

 展望台というか少し広くなっている所に到着です。道は続いていますが、下り坂です。展望台があるのはこの先ではなさそうです。周りの木が大きいので、ここからの景色はそれほどよくありません。三陸海岸側の風景です。
普代村卯子酉山展望台から三陸海岸

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月11日

東北北回り 65 8/30 普代村鵜鳥神社奥宮

 展望台からの道は続いています。このまま進んでいっても奥宮にたどり着けそうな気もします。違っている場合もありますから鳥居の所に戻り、登ってきた道を進んでいくことにします。
 道は少し下った後、尾根のような所を通ります。その先にお社が見えてきました。これが鵜鳥神社の本殿(拝殿)になります。奥宮とも呼ばれています。普通奥宮といえば、本殿に対して山の中にあるのをいいますが、ここではそうでないようです。
普代村鵜鳥神社奥宮

 到着した安心感からか、屋根にあるハートマークをみるのを忘れていました。写真でも松の木の葉にうまいこと隠されています。
 拝殿の竜の飾りです。建物は昭和8年に再建されています。その時に彫られたものでしょうか。
普代村鵜鳥神社奥宮の飾り

 ここの裏手を100mほど行くとお岬様があり、そこから三陸海岸が見えると書かれています。いってみました。これがお岬様です。
普代村鵜鳥神社奥宮お岬様

 お岬様の裏手から見える三陸海岸です。雲のようなものが湧き上がっています。朝見た気嵐が大きくなっているのでしょうか。
普代村鵜鳥神社奥宮から三陸海岸

 奥宮の近くには、石塔のようなものがたくさんあります。字が彫られています。獣でしょうか。
普代村鵜鳥神社奥宮 石塔

 奥宮を後にして、山を下りて行くことにします。再び遥拝殿に到着です。山にいるときの雨はパラパラしていました。ここに来て、傘がないとという降り方に変わっています。雨宿りがてら、遥拝殿をみていきます。お面のようなものがかけられています。鵜鳥神楽と何か関係があるのでしょうか。
普代村鵜鳥神社遥拝殿 お面

 雨はやみそうもないので、多少濡れるけれどもこのまま車に戻ることにします。駐車場について、正面の建物をみると普代村郷土文化保存伝習館と書かれています。名前からすると、ここで鵜鳥神楽を練習(伝承)しているように思えます。
普代村郷土文化保存伝習館

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月12日

東北北回り 66 8/30 野田村マリンローズパーク1/2

 鵜鳥神社から駐車場に戻ったのは9時半です。野田マリンローズパークに行っても間違いなく開いているでしょう。ちょっと長い寄り道でした。
 元の国道に戻り、北上します。まだ引き返している感じになります。野田村に入って、大きな集落まで来た時に、野田玉川鉱山への案内標識がありました。これに従って山側に入っていきます。そのまま進んで行くと左側に野田マリンローズパークが見えてきました。野田玉川鉱山地下博物館と書かれています。これが正式名称なのでしょう。
野田村玉川鉱山地下博物館

 右手渡り廊下のような所の前が駐車場になっています。車を進めていきます。渡り廊下の先に坑道入り口が見えてきました。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道入り口

 先ほどの建物が受付になります。昨日の尾去沢鉱山の中は寒いくらいでした。上にセーターを着込んでから入場券を買いに行きます。券と同時に、4切位の大きさの毛布を持って行くようにいわれました。邪魔な感じもしますが、一応指示に従います。
 受付から、坑道入口の方に行きます。坑口から湯気のようなものがでていて、ここからでは入口がよく見えません。坑内が冷え込んでいるのがよくわかります。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道入り口

 坑道入り口です。中で作業のようすを見せていたマネキンが並べられています。マンガンボーイズと書かれています。アイドルといっしょに記念撮影でもといった所でしょうか。この鉱山は、マンガン鉱石を採掘していました。ユニットの名前は、ここに由来するのでしょう。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道入り口マンガンボーイズ

 坑道内部です。トロッコが通れる幅のトンネルが掘られています。いったん下ってきていますが、また平坦になっています。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道

 坑道側面の岩石です。板状チャートでできています。右の方は黒っぽくなっています。マンガンが集まっているのかな。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道壁面岩石

 進んで行った先に枝坑があり、採掘した鉱石を集めるところを再現していました。
野田村玉川鉱山地下博物館採鉱風景

 このあたりの坑道の壁は、ところどころに黒いかたまりが見えます。マンガンが濃集しているところのようです。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道壁面

 掘り出しのようすを再現しているところです。このあたりの壁の色はまさにマンガンという色をしています。
野田村玉川鉱山地下博物館坑道

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月13日

東北北回り 67 8/30 野田村マリンローズパーク2/2

 この鉱山で採れる鉱石は何種類かありますが、一番代表的なものはバラ輝石です。英語ではロードナイトです。マリンローズはこれを加工した宝飾品に使われている名前です。ローズはわかりますが、マリンはどういう関係なのかぴんときません。マインローズならわかります。鉱山のバラになります。
 坑道に仏像が置かれています。横の説明では女人菩薩像と書かれています。ある日、鉱夫の枕元に現れ、坑道の天井にバラ輝石がでているから、それに沿って掘り進めよというお告げをしたそうです。その通りにすると、大きな鉱脈に行き当たったそうです。その女人菩薩を敬って作られたものだそうです。
野田村マリンローズパーク 女人菩薩像

 この先にあったのが、ワインの熟成庫です。ワインには良さそうな環境です。日本酒は置かれていないようです。
野田村マリンローズパーク ワインの熟成庫

 その先にあるのが中央ホールです、かなり広い地下空間になっています。鉱石や岩石、マンガン加工製品などの展示をしています。
野田村マリンローズパーク 中央ホール

 左側にある通路の先は坑道になっています。左側の壁、赤色のラベルの貼ってある横にあるピンク色の筋は、バラ輝石の密集帯です。
野田村マリンローズパーク バラ輝石鉱脈

 バラ輝石の部分の大写しです。表面が磨かれたようになっています。マリンローズとしてはどれくらいの価値があるのでしょう。
野田村マリンローズパーク バラ輝石鉱脈

 これをみているときに、ホールの奧に行く2人組がいました。檻のような所を開け、中に入っている樽のようすを見ています。ここでもワインの熟成をしているようです。この感じだと醸造かな。
野田村マリンローズパーク ワイン庫

 展示されている、ホールで展示されているバラ輝石です。ここで採れたものです。
野田村マリンローズパーク バラ輝石

 ホールを出たところの天井に、ミサゴ断層と書かれています。どこが断層なのかよくわかりません。懐中電灯の光を当ててみてもどうなっているのか全く見当がつきません。
野田村マリンローズパーク ミサゴ断層

 バラ輝石鉱と書かれたラベルの貼られているところがあります。その矢印の先に,濃い赤色をしたバラ輝石がまっすぐ筋になっているのが見えます。ラベルの周りにある黒っぽいところもマンガン鉱です。
野田村マリンローズパーク マンガン鉱鉱脈

 褶曲と書かれているところがありました。板状チャート層が折りたたまれるように曲がっています。このような細かくぐにゃぐにゃに曲がった構造は普通スランプ構造といいます。地震の振動で、チャート層が滑り落ちることによって曲がったものです。
野田村マリンローズパーク スランプ構造

 この先は宝石や鉱石の展示場になっていました。そのまま進んで行けば、出口に到着です。
野田村マリンローズパーク 宝石展示場

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月14日

東北北回り 68 8/30 野田村から田野畑村へ

 地下博物館の宝石展示場を過ぎるとすぐに出口です。借りている毛布を返しに行きます。最後まで使いませんでした。むしろ写真を撮ったりするのに、落としたりひっかかったりで結構邪魔でした。返却は指定された篭に入れるだけです。入れた後に思ったのですが、ここに毛布が入っているのを見れば、坑道から出てきていることがわかります。中に人がいるかいないかチェックするには最良の方法です。他に見学者はみませんでした。あまり頻繁に帰ってきたかどうかをみていなくて良いでしょう。受付には誰もいませんでした。中へワインのチェックに行った人なのかも。
 車の方に戻ろうとしたら、正面にお社が見えました。鉱山ではよく見かけます。雨がまだ降っているので、見に行くのはパスします。
野田村玉川鉱山 神社

 横の広場には、黄色い花がたくさん咲いています。北海道で見たブタナ(ニセタンポポ)ににています。
野田村玉川鉱山 ブタナ

 宿から引き返した目的は達成したので、もどって先に進んでもいいのですが、ジオサイトの案内書にこの近くの海岸に何かがあると書かれていたような気がしました。十府ヶ浦海岸です。国道に戻って、少しだけ北上します。すぐに海岸に出ました。目的地に到着です。道の横が広くなっているところに車を入れます。山側には、三陸鉄道の列車が走っていくのが見えました。
野田村十府ヶ浦海岸 三陸鉄道

 海側です。湾の向こうに大きな崖が見えます。地層も気になるところです。
野田村十府ヶ浦海岸

 浜に行こうとしたのですが、防波堤の工事中です。浜に降りられるところはないか探したのですが、ここからずっと先まで工事のダンプが走っています。越えて浜に出るのは無理そうです。雨も降っていることなので、ここは断念します。
野田村十府ヶ浦海岸

 ここから、ターンし南下をしていきます。途中、海岸沿いに烏帽子岩というのがあります。道は海岸からちょっとだけ内側の高台の上を走っています。探したのですが海すら見えません。国道からは無理なようです。
 国道はこの先の普代村から、しばらく山の中を走ります。海岸沿いを通りたかったので、三陸道に入ってすぐの普代ICで降りて泊まっていた宿の前を通ることにします。
 普代村を通り過ぎて田野畑村に入ります。正面に海が見え、その方向に降りる道があっります。脇に看板があってみると、机浜番屋群と書かれ案内図もつけられています。見に行くことにしました。
 降りた先に広場のようになっている所があります。ここに車を入れます。後で案内図をよく見ると干し場となっています。網を干すのに使う場所のようです。正面には海岸の岩が見えています。
田野畑村机浜番屋群 岩壁

 横の番屋群です。プレハブ建物を、立派にしたような感じの建物が並んでいます。塩造りや海産物・漁具の保管、浜作業、寝泊まりする事に使われていたそうです。津波の時には全部壊れされたのですが、同じ形で作り直されたそうです。
田野畑村机浜番屋群

 その建物一つです。たばこやと書かれています。中を自由に御覧くださいと書かれていますが、中が暗く、閉まっているように見えたので入るのはやめました。
田野畑村机浜番屋群たばこや

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2020年06月15日

「ヨッシンと地学の散歩」更新しました。

 ブログの本家であるウェブページ「ヨッシンと地学の散歩」を更新しました。昨年の9月に更新して以来、ずっとそのままでいました。その前から、作成途中でまだ完全とはいえないページがいくつかあるのですが、そこはほとんど手がつけられていません。至急何とかしたいものです(と前々からいっていますが)。
 今回更新したのは、6月21日の日食にあわせて日食投影装置を作ったものを紹介するのが中心です。改良の余地はあるのですが、一応目処がついた段階のものをアップしました。その後も少し改良を続けています。21日の日食は、梅雨期間なので雨が心配です。前回の日食も天気の関係で見ることができませんでした。次回日本で見られるのは、2030年6月1日で北海道で金環日食となります。23年4月20日にもありますが、これは帰阪島南部から九州南部にかけての地域しか見ることができません。出番がなければ、作ったものが役に立たなかったことになります。
 その他の修正箇所です。ずっと触っていなかったところでも、手をつけたところがあったようです。「宝物」の「中山風穴」は読みやすいように書き換えていたようです。よく覚えていませんでした。「ささやき」の「かめ穴のでき方」もかめ穴写真を追加していたようです。更に、2枚ほど追加して更新しました。
 「風景」入口の写真も1年半ほどそのままだったので、「ベテルギウスの減光」の写真と差し替えました。5年前のものとの比較写真です。ベラトリックスと比較すると暗くなっているのがわかりますが、他の星の写りが都会でははっきりでないのでこちらからの比較だと難しいようです。
 入口写真の更新ついでに、最近写した金星の写真もアップしました。内合7日前のものです。他にアップしようとしている写真はありますが、日食観測装置のことがあり、早くする事を優先しアップ内容は少なめです。
 旅行記の再編集部分も新たに追加しました。履歴上は5編アップした事になっていますが、昨年9月からの間にいくつかアップしていますから、今回は実際には2018年末にいった「関越」をアップしたのみになります。2019年分はまだブログからの参照ということになります。といってもまだ掲載途上にあるのがいくつかあります。こちらの下原稿もできていないのがあるので、これも早く仕上げないと忘れてしまいそうです。
 最近は新型コロナウィルス関連でネット上のニュースチェックの時間が多いので、手をつける時間が少なくなっているのが現状です。ニュースの量もだいぶ減ってきて、新しい情報も少なくなってきたようで、だいぶ他のいろいろなことができる余裕が出始めています。ウェブページ更新ももう少したくさんできるようになれそうです。
 この更新で、変更しようとして手をつけ始めたら何をどうしていたのか全くわからなくなっていました。全体的な構造とか、そういった所から見始めて、更新しないといけないようです。
posted by ヨッシン at 23:59| 日記

2020年06月16日

東北北回り 69 8/30 田野畑村ハイペ海岸

 三陸海岸はジオパークにもなっています。出発前にネットを見ていると、各市町村ごとにその見所になる場所が書かれた地図がありました。出発前に田野畑村だけ印刷しています。これを見ながら車を進めていきます。
 まずは、羅賀地区です。ここには、津波石があると書かれています。昔の津波の時に海岸から運ばれてきた石です。地図には、港に行く道への分岐の先にあると書かれています。分岐から先を往復して探したのですが見つけられませんでした。見るのはあきらめます。この先にもあります。見つけられなかったのは、津波石を迂回するように道が付け替えられていたのが原因だったようです。
 次にあるのはコイコロペ・ハイペ海岸です。入り江になっているところにあります。走りながらだとどの入り江なのかはわかりません。案内がないか探しながら車を走らせます。いくつか入り江を過ぎた後、道は山の中に入っていきます。これでは行き過ぎです。ターンして戻ります。最初に見えた入り江の所に、車が3台くらい入る空き地があってその向こうに案内板が見えます。
 車を入れて、案内板を見るとジオサイトについて書かれた説明板で、ハイペ海岸と書かれています。コイコロペは通り過ぎています。同じようなものが見えられますから、パスでもいいでしょう。
 車を置いたところから見たハイペ海岸です。手前の大きな岩と海岸に見える崖の地層の向きが違っています。不整合があるようです。
田野畑村ハイペ海岸

 海岸に出て左側です。こちら側にも不整合がありそうです。案内板にはこちら側に行くように書かれています。
田野畑村ハイペ海岸

 案内板には不整合があると書かれていました。だいたいこのあたりです。左の青い岩でできた崖と右側の茶色っぽい岩石でできた地層との間にあります。境界はここからでははっきり見えません。
田野畑村ハイペ海岸 不整合

 振り返ってみたところです。こちら側にも不整合があります。手前側の崖と向こう側に崖との間です。
田野畑村ハイペ海岸 不整合

 この海岸には津波石があるとも書かれています。どれなのかは見ただけではわかりません。この茶色い岩のあるところの上の方に似た岩石はありません。落ちてきたとは考えられません。津波で運ばれてきたものでしょう。
田野畑村ハイペ海岸 津波石

 横側に回ってみたところです。この地層のようなものが見られる岩は、ジュラ紀にできた宮古層群という地層からのものです。案内板の写真と見比べたら、津波石と書かれていたものは、まさにこれです。先の津波で15mほど動いたそうです。
田野畑村ハイペ海岸 津波石

 近くにある、宮古層群からの岩を見ると所々に、貝などの化石が入っているのが見えます。
田野畑村ハイペ海岸 貝化石

 この岩のものは、一直線に並んでいます。丸い穴はタフォニといって浸食によってできたものです。
田野畑村ハイペ海岸 タフォニ

 海岸の端近くまで来ました。
 ここに転がっている岩です。岩の下の方に白いものがこびりついているところがあります。地層の筋と向きが違っています。海岸に転がっていた時に波打ち際で貝などがこびりついた痕です。下にあるのはひっくり返ったということになります。これも津波石になります。
田野畑村ハイペ海岸 津波石

 不整合の所まで、引き返します。近くによって見ます。下の白い岩の所とつぶつぶのある地層との間に不整合があります。
田野畑村ハイペ海岸 不整合

 戻る途中に湾の向こうを見ると海食洞が見えました。入り口近くまで波があたっています。近づくのは無理なようです。
田野畑村ハイペ海岸 海食洞

 海岸の石です。細かい石がいっぱいです。いろいろな種類の石が混じっています。
田野畑村ハイペ海岸 海岸の砂利

続く..............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記