2019年08月03日

8月です

 今日は8月3日、ブログの更新もできないうちに2日が過ぎてしまいました。いろいろとチェックしている内に日付も変わってしまい、更新断念の連続です。
 遅めの梅雨明けがあってから、暑い日が続いています。外に出ると太陽に日差しも急に強くなったように感じます。あまり変わらないはずです。どうしてなのでしょう。室内でも、温度が高くなっています。梅雨の頃着ていた服では暑くてもっと涼しいものに変えました。
 グリーンカーテンとして植えた、インゲンとエンドウ豆は枯れてしまいました。葉っぱに小さなぼちぼちができて、そこから黄色く変色し、葉が全部落ちてしまいました。ハダニにやられたような感じです。一応対策、といっても台所洗剤を少し溶かした水をスプレーするだけです。インゲンは対策が遅くて全部葉っぱが落ちてしまいました。エンドウは勢いがなくなって枯れたようです。水に濡れるとだめになるのかどうかは不明です。
 インゲンは、実のついた頃に新しい種を植えると再び収穫できるようになるというので、残っていた種を植えて見ました。ついでにエンドウも撒きました。インゲンは今は60cmくらい、エンドウはそれほど大きく伸びず20cmほどです。インゲンは、枯れたと思った茎から新しい芽が出始めたのもあります。完全には枯れていなかったようです。それでもひっz詩を作るというほどではなく、まだまだグリーンカーテンとしての役には立っていません。
 枯れずに残っていたとしても背丈くらいの高さなので、グリーンカーテンとして役に立っていたのか疑問なところもあります。これからの成長に期待するしかないでしょう。
 その他の花情報です。ニチニチソウはが一番よく花をつけています。伸びの悪かった鉢のものは、枝を切り詰めたことで、だいぶ葉が大きくなってきました。花をつけるまでもうすぐのようです。
 インパチェンスも同じように切り詰めてみました。こちらはまだ伸びが悪いようです。コバノランタナ・カリブラコアとも花のつきがよくありません。今までは、真夏にも咲いていたような気がします。何が原因なのでしょう。
 不思議と咲いた、シクラメンは、咲いたとたんしおれて枯れてしまいました。去年もそんなことがありました。今年の場合は急に暑くなってきたのと関係があるのでしょうか。
 月下美人が咲いたことで、今年は少しまじめに水をやってみることにします。去年までは雨のかかりにくいところでほったらかしでした。咲いてくれるでしょうか。前に咲いたのは8月です。
posted by ヨッシン at 23:59| 日記

2019年08月04日

中国山地復興割 21 10/03 大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区

 だいぶ海に近づいたところで、「むきばんだ史跡公園」と書かれた案内標識が見えてきました。「むきパンダ」と読めてしまいます。このあたりに何かの史跡があり、そこを見る場所の候補に挙げていました。代わりになりそうなので行ってみることにします。
 案内のあった場所からはだいぶ離れていたのですが、史跡公園に到着しました。展示施設がありますので、そちらからのぞいていくことにします。ボランティアガイドがあると書かれています。その時間は少し過ぎています。ガイドなしになるでしょう。まずは、展示を先にみることにします。
 展示室に入ってパンフレットなどを物色していると、お姉さんが近づいてきました。ボランティアガイドのようです。案内してくれるといいます。ちょっと悩みましたが、お願いすることにしました。その分ここの写真は少なめになります。お姉さんの今日のガイドはなく帰ろうとしていたようです。
 どれくらい時間とれるかと聞かれました。もう2時近くになっています。ここから宿に直接行っても1時間はかかるでしょう。他に見るところとかを考えると、それほど取れないでしょう。とりあえず1時間ていどということにしておきました。
 準備をしてくるからしばらく待っているようにといわれました。その間に近くにあった展示を見ておきます。弥生時代の遺跡の見取り図が置かれていました。吉野ヶ里遺跡などいくつかいったところが入っています。地元の池上曽根遺跡もあります。地方でいろいろな遺跡を見ているわりには、ここへは行っていません。見ておかないといけないなと思いました。
 準備ができたお姉さんが説明をしてくれました。これで大きさを見比べて欲しいとのことです。ここの遺跡の総面積は、吉野ヶ里遺跡より広いそうです。一部しか復元できていないのは残念なことです。他に、弥生時代の食べ物の展示などの説明もしてくれました。
 外に出ての案内になります。洞の原地区をガイドしてくれるようです。ここの史跡では聖域にあたるところです。しばらく散策道を歩きます。横にある樹木の説明もしてくれます。シロダモが多いようです。ここのものは違った色の実がつくそうです(白か黄色か忘れました)。
 ここから見える山です。きれいな山型になっているとのことです。いわれは何だったかな?一番高いのは孝霊山です。
大山町妻木晩田史跡公園 孝霊山

 広場に出ます。この付近は竪穴式住居と堀立柱建物が密集して出てきた地区です。広場の真ん中より少し斜めになったところに並んでいたようです。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区

 これは骨組みだけが復元された建物です。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区 たて穴住居骨組み

 ここの竪穴式住居は中心に穴がありそこに向かって3方向からの溝が掘られていることです。真ん中の穴に、中に入って水を導いたのではという説明でした。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区 たて穴住居床面

 ここは、周りのようすだけ復元されています。住居の周囲は土が盛られています。全体の形が円形ではなく、少し四角くなっているのも特徴だそうです。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区 たて穴住居土手

 復元した竪穴式住居です。茅葺き屋根に土が盛られていたようです。茅の葺き方も内側は横向けに、外側は下向けにという2層構造になっています。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区 復元たて穴住居

 復元した住居で火事があったそうです。ここのものはあっという間に燃え切ったそうです。二戸の御所野遺跡では2日間くすぶり続けたと書かれていました。違いは何だったのでしょう。
 住居内部です。一段低くなっていて、周囲に土の段があります。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区 たて穴住居内部

 天井側です。上に棚がつけられています。ものを乾燥させるのに使ったようです。囲炉裏の上だと、火事になりやすそうだといっていました。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区 たて穴住居内部

 ここを見ているときに入ってきた2人組がいました。お姉さんが一緒に話を聞いてはどうかと勧めていたのですが、断りづらそうにしていました。訳を話してくれてわかったのは、ここの発掘に関わった人ということでした。
続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2019年08月05日

中国山地復興割 22 10/03 大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区墳墓群

 洞の原地区が聖域とされるのは、この地区からたくさんの墳墓が見つかっていることからです。墳墓の形も四隅突出型墳丘墓と呼ばれるものです。山陰地方独特の墳墓で、方墳のように四角く盛られた土塁の四隅が角のように張り出しているのが特徴です。出雲市の西谷墳墓群にあるものがその代表です。
 洞の原1号墓です。一つの隅にだけ、石が敷き詰められています。ここを通って墳墓に上がっていったようです。
大山町妻木晩田史跡公園 墳丘墓

 横にある堀立柱建物です。手前の3本の柱穴はまっすぐ並んでいません。棟木を挟むように立てられていたようです。ここのものは墳墓に近いために、祭祀関係のものが保管されていたのと考えられています。たて穴住居も、神官のような人が住んでいたとされています。
大山町妻木晩田史跡公園 堀立柱建物

 ここの墳墓群は、小さなものがたくさんあります。
大山町妻木晩田史跡公園 墳墓

 大きなものは2個ほどだったようです。
大山町妻木晩田史跡公園 墳墓

 墳墓群の端まで来て、振り返って見たようすです。大きなものが並んでいて、そのまわりに小さなものがたくさんあります。
大山町妻木晩田史跡公園 墳墓群

 反対側を見ると、弓ヶ浜がカーブしながら伸びているのが見えます。
大山町妻木晩田史跡公園から弓ヶ浜

 丘陵の続きです。この先にも遺跡が続いています。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区

 尾根に続く道の向こうに復元された、堀立柱建物が見えます。ここの集落の周囲には弥生時代によくみられる環濠の跡があるそうです。不思議なことに、それも後の時代には埋め立てられてしまったようです。史跡全体にも環濠がないというのは、山陰地方の弥生時代の遺跡の大きな特徴だそうです。
大山町妻木晩田史跡公園 洞の原地区

続く...............


posted by ヨッシン at 23:54| 旅行記

2019年08月07日

中国山地復興割 23 10/03 大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区

 ボランティアガイドのお姉さんの説明はだいたい終わりました。1時間ちょっとかかりました。つぎの観光場所に行きたいところですが、遺跡の広さのわりには、見た場所の広さが物足りません。妻木山地区の方ものぞいていくことにします。
 ちなみに「妻木」と書いて「むき」と読みます。もともとは「むき」と呼ばれていたのですが、この地区から皇室に嫁がれていったことから、妻がきた→妻木という文字を授かったとのことです。
 妻木山地区は、展示館から見て洞の原地区と反対方向の高台にあります。坂を少し登ったところで、開けた場所に出ます。そこにはいくつかの建物が復元されていました。この地区は、たくさんの建物跡が発掘された地区になります。弥生のムラと名前がつけられています。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区

 堀立柱建物です。洞の原のものと比べて屋根の傾斜が急なようです。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区堀立柱建物

 こちらは竪穴式住居です。入口部はあまり出っぱっていません。ちょっと小さい感じがします。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区たて穴住居

 内部です。柱の数も少なくなっています。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区たて穴住居

 こちらは、骨組みだけを復元したものです。床面の真ん中にしっかりとした穴がありますが、そこにつながる周囲からの溝がありません。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区たて穴住居

 横で弥生式土器を焼く実験をした跡が残されています。
大山町 妻木晩田史跡公園 土器造り実験

 さらに上の高台に続く道があります。ここを登っていきます。上がっていく途中でみた弥生のムラの全景です。
大山町 妻木晩田史跡公園 妻木山地区

続く...............


posted by ヨッシン at 23:53| 旅行記

2019年08月08日

幻日そして花火大会

 今日は地元の花火大会がありました。夕方近くから外のようすを見ていると、西の空低くなった太陽の横に幻日が見えました。太陽の両側に見えています。太陽は棒で隠しています。太陽柱も見えるかと期待したのですが、地平線近くまで来た時は雲が消えて見えませんでした。
幻日

 日が沈んでから、少しすると号砲代わりの花火が上がりました。まだ空が明るいので花火のようには見えません。
花火

 最初にあがるのが、主催団体のシンボルマークです。桔梗の花です。撮影場所の目印になる建物は画像処理で隠しています(以下同じ処理をしています)。
花火

 続けて花火の写真を御覧ください。
花火花火花火花火花火花火花火花火花火

 台風の余波の風があるのがだいぶ流されているものがあります。今年の新作でしょうか、花火の球の片側から反対側にかけて順番に光っていくというものがありました。写真で見るとどれなのかが全くわかりません。最後のものはキャラクター形の花火です。何なのかわかるように写すのに一苦労します。次のものは画像合成をしてみました。普通に写せば白く飛んでしまいます。
花火

 最後のフィナーレです。これだけ密集していてちかちかしているものは好きではありません。終わった後目が光りに反応して変になっていました。
花火

 花火会場への道での交通整理の方法が気になりました。今日は時間切れなので、明日書く(といってももう明日になっていますが)ことにします。


posted by ヨッシン at 23:59| 日記

2019年08月09日

花火大会の奇妙な交通整理 その1

 昨日の花火大会での交通整理の方法が気になったので、書かせてもらいます。
 花火大会で人がたくさん来るというので、花火大会周辺の道路は車両通行止めの交通規制が敷かれていました。最近は車が暴走して人の歩いている中に突っ込んだという話をよく聞きます。この点からすると、人の多いところでは、車の通行を規制するのは当然だと考えます。
 通行規制は2段階で敷かれていました。緊急車両のみを規制の対象から除外する区域と、緊急車両と地元車両を除外する区域です。規制区域内ではたくさんの警察官が来て交通整理にあたっていました。その中で、緊急車両のみを除外する東西に延びる道路の東端の交差点での交通整理の状況をかいてみます。
 まず、交差点の概要です。東西方向と南北方向の道路が交差しています。この交差点には信号機が設置されています。夜の11時を過ぎると点滅信号に変わります。交差点に南側から進入する道路は北行きの一方通行になっています。南北方向の道路の東側約200mの所に平行に幹線道路があります。ここはふだんから渋滞の激しいところです。そのため、ふだんは東に向かって車列ができ、この交差点を越えて続くことがあります。車両通行止めの交通規制はこの幹線道路から西側の区域に敷かれています。当然交差点につながる道路は全て交通規制の対象となっています。
 交差点の北東側に中規模のスーパーがあります。北西側は大型の緊急指定病院です。救急車の出動状況を見ると出入りはなく救急患者の受け入れを停止ていたように思えます。東西方向の道路は歩道は段差で区別されていますが、人がすれ違うのがやっとの広さです。交差点の西側は、歩道は北側だけになります。
 花火大会での人の流れです。交差点から西に進むと花火大会の主会場になります。大半の人はこちらに向かっているようです。交差点から北に進んだところに大きな公園がありここも見学場所となっているようです。3−4割程度はこちらに向かっているようです。
 最寄り駅は南東方向にあります。駅からは、いったん北上してからこの交差点に向かって西進するコースと、西に進んでから(実際には少し複雑になるが)この交差点に向かって北上してくるコースになります。普通は後者のコースをとってくるようです。市内中心部からも、いったん駅の少し北側を通るしかありません。他のコースは特定の地域の人に限られます。花火大会の見学者の大多数はこの交差点を通過することになります。ほとんどの人がこのどちらかのコースを進んできてこの交差点で交錯することになります。人の多さでいえば、日曜日の心斎橋筋なみです(それ以上かな)。

 交通規制で感じた問題点です。1点目は、この交差点の信号が停止されていなかったことです。そのため、交通整理員は、信号に合わせて人の流れを止めることになります。そのため流れが非常に悪くなっています。ところでここでは交通規制が引かれていて、ふだんに比べて交通量は極端に少なくなっています。このようなところで、信号機を作動させる必要があったのでしょうか。車が交錯するなら信号機は必要ですが、ほとんどこないので、来た時だけ対応すればいいだけの話のはずです。信号が変わる度に、信号を守らせようとする労力も大変なものになっています。この分を他に回すことにできたのではないでしょうか。
 一昨年は、この交差点の信号機は止められていました。そのため歩行者はほとんど停滞することなく進む事ができました。これと比べて大きな違いです。一昨年はこのことで何か大きなトラブルがあったのでしょうか。昨年は、地震の影響で花火大会は中止となっています。2年も経ったら、昔改善したことは忘れてしまったのでしょうか。
 個人的には、この交差点への車の進入は地域車両も含めて禁止にしてもよいと思っています。緊急車両のみ除外されている地域以外の地域住民は、ここを通らなくても迂回する道があります。地域住民の中には、周辺の道路が花火で渋滞するのでこちら側にまわってきているとみられる節もあります。

まだまだいいたいことがあります。今日は疲れたし時間もだいぶ経っていますので、また明日(明日になっていますが)以降に続編を書くことにします。

posted by ヨッシン at 23:59| 雑記

2019年08月10日

今日も花火大会

 今日も花火大会が見えました。ちょうどマンション群が切れているすき間から見えます。ちょっと遠くなので、望遠鏡をセットしてみました。マンションのすき間は狭いので、カメラを縦置きにしてちょうどくらいのようです。何枚か写してみました。
花火大会花火

花火大会花火

 大きな花火ははみ出すし、絞りの調整ができないので明るい花火は露出オーバーになります。消えた花火の煙までしっかり写っています。
 普通の望遠レンズに交換することにしました。そのままでは小さすぎるかと思い、バローレンズを入れてみます。
花火大会花火

 こんどはなんか暗めです。絞りがそれほど開いていないようです。よく考えてみたら焦点距離はそれほど変わらないので、それほど小さくなっていません。この方法はやめにすることにして、バローレンズを外します。小さめですが何とか写ってくれました。建物にある文字などは編集で消去しています。
花火大会花火

花火大会花火

 遠くて小さいので、そのままにしてある望遠鏡をのぞいてようすをみることにしました。みている内にこちらでも写してみたくなってきました。低めの花火は望遠鏡から、高めの花火は望遠レンズからの2台のカメラによる撮影になります。
花火大会花火

花火大会花火

花火大会花火

最後の方では煙が濃くなってきて、花火のようすがぼやけてきています。この花火大会は花火の連発が多くて空中の煙がたくさん残るようです。
 フィナーレです。明るすぎううえに煙が多いので完全に白く飛んでいます。
花火大会花火

 望遠鏡のカメラからビデオ撮影してみました。明るすぎるものはこの方がいいようです。メモリを浪費するのが難点です。


posted by ヨッシン at 23:58| 日記

2019年08月11日

花火大会の奇妙な交通整理 その2

 前回は、信号を作動させたことにより、人の流れの停滞を引き起こしたり余分な交通整理をしなくてはいけなくなっているという問題点を指摘しました。今回は別の問題点について述べます。場所は前回問題とした交差点から東に帰って行く人達の交通指導のあり方です。
 まず最初に確認しておきます。この道路は花火大会中とその前後では車両通行止め(緊急車両、地域車両をのぞく)となっています。基本的には車両通行止めで緊急車両と地域車両はその除外の対象となっています。 道路交通法では、車両通行止めと標識等で表示されている場合は、歩行者は歩行者通行の原則を守らなくてもよい。つまり車両通行止めの道路は道の真ん中を歩いてもよいことになります。心斎橋筋がその例としてあげることができます。別の条文には、車両通行止めの道路を許可を得るか除外されて通行する場合は徐行しなければならないとあります。
 ここで、マイクを持った警察官の指導について言及します。一番多かったのは、車が通るので歩行者は歩道を通ってくださいです。まずこれは、この区間を車両通行止めにした趣旨に反しているといえます。集中する人並みを円滑に通行させるためのものだったはずです。
 2番目は、通行止めにしたことによって車の数は極端に減っています。まれにしか通らない状態になっています。車が通るからという理屈は通りません。車が危険だというのなら、車を止めるべきです。地元に配られている地域車両の証明書には、交通状況によっては通行できませんと書かれています。止めることはじゅうぶん可能なはずです。前回は、交差点の手前で20分以上も止められている車がありました。今年はそれをするもなく、来た車は非常に混雑する交差点を通過させていました。今年できなかったのはどうしてなのでしょか。
 3番目、道路交通法で制限を受けていない以上、歩行者が道路の真ん中を歩くのを規制する理由はありません。これに対して道路交通法で書かれている徐行(少なくとも自転車は追い越せないはず)という原則を守って通行している車はあまり見かけませんでした。一方で道路交通法違反を注意せずに、法規に触れないものに規制をかけるのはどう考えても矛盾しています。悪くとれば、車の違反をさせるために歩行者に制限をかけているようにも見えます。
 通行止めでなくても、歩行者の脇を車が通過するときは十分な間隔をとるか徐行するのが原則です。警音機を使用して歩行者を押しのけて走っている車もありました。使用を認める標識のある場所以外での使用は道路交通法で禁止されています。これに対しても何の注意もありませんでした。こういった車への指導の方が先なのではないでしょうか。
 このほかにも、この道路は歩行者天国ではない(車両通行止めにした道路がホコ天ではなかったのかな)とか、道路を横断するのは車が通るので危険なのでやめなさい(車はそれほど来ないし、元々横断禁止の道路でもない、危ないのなら車の方を止めるべき)といったどう考えても意味不明な指導が多かった(うるさかった)のが現状でした。

 基本的には、一般的な交通規制のあり方がどちらかというと自動車目線になっている傾向にあるのが、一番の問題だと考えています。もっと歩行者寄りの目線で規制がなされないかと思っています。そのあたりのことをかいたサイトを作ろうと思っていました。今は本家の方も更新が滞った状態です。ちょっと無理っぽい感じがします。
 この花火大会の交通規制に対してどうすればいいのかという私見を次回書くことにします(また終わらなかった)。
 なお、車両については自転車も軽車両なので通行止めの対称になるということは気がつかかなったことにしておきます。おそらく警察署内部で検討した交通規制の除外の対象は緊急車両のみか、緊急車両・地域車両・軽車両の3種類の2段階となっていたと思われます。一般的な車両通行止め区間では、軽車両をのぞく、または自転車をのぞくとなっている事が普通ですから。

posted by ヨッシン at 23:59| 雑記

2019年08月12日

花火大会の奇妙な交通整理 その3

 今回は、交通規制の区域や方法についての問題点について書きます。わかりやすくするために、地域の概略図を作ってみました。細かい道路等は省略し、かなりデフォルメしています。
1908101559.png

 図中の太い2本線が幹線道路です。図の左半分、東西方向の2本と南北方向の1本の幹線道路で作られた「コ」の字型の内側が車両通行止めの対象区域です。黒太線が、緊急自動車のみが除外される道路、灰色線が地域車両も除外される道路です。丸印は信号のある交差点です。矢印は一方通行道路の進行方向です。前回までで言及していたのは、真ん中付近、病院・スーパーと書かれているすぐ下の交差点です。ここを交差点※と呼ぶことにします。かなり広い範囲にわたっています。南北は1.5km、東西は1kmあります。
 通行規制中の車の動きを見ていても、ふだんより少なくなっているとはいえ、かなり多くの車が問題の交差点を通過します。これだけ多くなる原因はどこにあるのでしょうか。
 まず、周辺道路はよく渋滞します。花火があるともっとひどくなっていると予想されます。早めに地域内に入ればある程度は回避できます。そのために交差点※の交通量が増えるようです。
 地域の人達の意識も関係しているかも知れません。この区域内の全戸に、地域車両証明書のようなものが配布されています。規制区域内を通る場合はフロントガラス前面に掲示するように書かれたものです。車を持っていない家にも配られます。もちろんこれがあれば規制区域内のどこでも通ることができます。このようなものが簡単にもらえることによって、地域の人にふだんどおり通っていいのだという意識がでないでしょうか。車両での通行は控えてくださいと書かれていても意味のないことです。必要のない人の証明書を他人に渡してこれで通りぬけたらということはないでしょうか。
 少なくとも、証明書で通行できる区域が狭まられれば、交差点※を通過する車の量は格段に減らせるような気がします。○○町○丁目はこの範囲のみ通れますのようにです。出入り口を決めればいいと考えていました。よく考えてみると交差点※も地域車両も通行止めにすることによってこれが可能なようです。すくなくとも、北側の区域、南側の区域にわけることができます。曲がりくねった狭い道とはいえ迂回路もありますから渋滞に巻き込まれる以外は困ることはないはずです。交差点※を通行止めにすると人の流れも格段によくなります。検討の余地は十分にあると思います。というより、人の多さからみて地域車両も規制していないこと自体が問題だと考えます。
 交差点まで来て、その先進めないとなると人混みの中でのターンが大変です。それを確保する意味で、交差点※を通る南北方向の道路のクリニック前から病院駐車場入口前までをあわせて規制した方がいいようです。

 車を多くしている原因のもう一つは証明書の配付にもあります。これを許可制にすれば、その手間のために車の使用をあきらめる人がたくさん出てくるような気がします。時刻・経路・使わなければならない理由などを詳細に書かないととなるとやめておこうとなるでしょう。手続きにいく手間とか返信用封筒に切手を貼ってとかいったことでも控えておこう。もう少し待てばということになりそうです。許可証発行の手間は大変ですが、その分、当日の交通整理の手間が少なくなります。差し引きしてもおつりが出てきます。

 ここまででの、改善の提案は、交差点※の地域車両通行止め(クリニック前から病院入り口前まで)と、地域車両の許可制です。
 まだ提案したいことが残っています。言葉を選びながら書いていますので意外と時間がかかっています。今日はここまでにします。また次回回しとなってしまいました。

posted by ヨッシン at 23:59| 雑記

2019年08月13日

花火大会の奇妙な交通整理 その4

 奇妙な交通整理というのは前々回までの話のことです。それに付随することの方が多くとなってきてタイトルとずれてきました。そのつもりで読んでください。花火大会の交通規制はどうすればいいかというぐらいの意味合いになっています。
 前回、書き忘れましたが、地域車両を許可するときの審査は初回はできるだけ厳しくした方がいいように思います。その次からはもらえないとわかっているものを申請しなくなるでしょう。翌年以後の手間はさらに軽減します。

 今回書きたいのは、南北の幹線道路を渡る歩行者・自転車の問題です。基本的に流れとしては、駅方向から来るのが主体のでそれを主体として考えてみます。一番問題になっている交差点(交差点※)から最寄り駅までの図を拡大し再掲します。
1908101560.png

 花火の見学者はほとんどが図の右側からやってきます。必然的に幹線道路を横断します。ところが、この道路の信号を通過するのに信号が何回も変わるのを待たされる状態です。これは大変な問題なのではないでしょうか。車が何回も持たされるのとは訳が違います。
 歩道や交差点近くでは人や自転車が殺到して、身動きが取れない状態になっているでしょう。その横を車が通りぬけていくとうのは非常に危険な状態だと認識すべきです。何かの拍子に人・自転車の流れと接触すると大惨事になります。
 別の問題もあります。反対方向に進む人や自転車は全く通れないということです。交差点を渡りきったとこで歩道にあがろうとしても、人が押し寄せてきているのであがることはできません。車道にあふれた状態になり非常に危険です。このようなことは絶対に回避すべきです。
 といっても普通に考えると対策はなさそうです。
 そこで注目するのは学校の西側にある交差点です。歩行者・自転車の大半はここを目指してくることになります。ここを学校西交差点としておきます(東にあるのは学校東交差点です)。市内中心部からやってきた車は、この交差点で右折か左折して通過していきます。右折するにしても左折するにしても、図を見てわかる通り迂回路があります。学校西交差点で右折する車は、学校東交差点で右折してもらってはどうでしょうか。左折する場合も同じです。学校東と学校西交差点の間では西いき車両は通行止めになります。これだけで十分だと思うのですが、道路の半分だけ封鎖するのは大変そうです。全面通行止めにしてもいいでしょう(もちろんこの区間で出入りする車両は許可制になります)。
 こうすることで、学校西交差点を通過する歩行者通路の幅が広くなります。その分1回の信号で通過する人数は格段に多くなります。もう一つ利点があります。この交差点はふだんから歩行者の横断が多いため、車が右左折できるよう歩行者信号は短めに設定されています。歩行者信号を停止し車用信号を使えば横断する時間も延び通過者数をふやすことができます。何もしない場合より、数倍の効果がでそうです。
 その結果、大半の見学者はこの交差点を通過することになります。
 その後の流れを考えてみます。道路を渡った後はまっすぐ西に進み、次の十字路で右折して交差点※に向かうようになるでしょう。この経路上の歩行者・自転車が増えるので、緊急車両(軽車両も)のみをのぞく車両通行止めにした方がいいのかも知れません。
 問題になるのは右折のため北側に迂回した車の流れです。幹線道路に出るところの交差点を通る車が増えそうです。西行きの車はふだんでは直進・左折・右折の割合が6:3:1位でしょう。直進するが車なくなっていそうですが、実際のところどうなっているかは見ていないので何ともいえません。対向車がない分ここでの右折はしやすそうですが、交差点を横断する歩行者・自転車が多く青信号内では無理でしょう(左折も同様)。右折信号があるので、その時間帯を左折も含めて対応してもらうしかないでしょう。
 自転車をスムーズに通過させるために直進左折レーンを開放するという主段もあります。車は右折レーンのみ使うことになります。どれだけ効果があるのか、車の流れにどの程度の影響があるのかつかみかねています。現時点では保留ということにしておきます。

 もう一つ横断歩行者が多くなっていそうな交差点があります。駅を通ってきた歩行者は駅に一番近い交差点の北西側にぬけることになります。道順としては、交差点の南側にでる出口から横断歩道を渡って駅前南北道路の反対側に行き、交差点の西側を横断する方法と、歩道橋を通って直接ぬける方法があります。
 駅前の交差点西側も歩行者が多くなりそうです。ふだんから横断歩行者の多い信号です。ここもこれといった対策手段がないようにみえます。一つだけあるのは、南側からの左折車用に歩行者信号の時間か短くなっているのを停止し、車用信号に従って横断すると横断時間を伸ばすことができます。これだと一度に左折できる車の数が少なくなります。左折できるのを待つのがいやならここで左折せずに直進し駅前ロータリーをまわってこの交差点の東側から進入するという方法があります。車の流れがスムーズなら次の青信号になるまでの間に通過することができます。

posted by ヨッシン at 23:59| 雑記

2019年08月15日

台風通過

 台風10号が日本列島を通過しています。一時は、超大型と呼ばれるほどになり日本列島がその勢力範囲に収まるほど大きくなりました。そのせいなのか、3日ほど前から強い東風が吹き続けていました。いつもとは風向きが違います。その風が運んできたのか、ここ2−3日は非常に暑くなっていました。
 最近、濡らしたバスタオルを緩く絞って風の入ってくる窓際や日の差し込んでくる窓際で干しておくという暑さ対策を編み出しました。普通のタオルだと1時間ほどで乾いてしまいます。焼き付けるような暑さはだいぶこれで和らげられます。ところが台風のおかげで風向きが逆になりました。この方法は一時ほどの効果はありません。
 東風が吹いているのなら、家の中を風は東から西にぬけるはずです。我が家では、東側が玄関なので、窓はほとんどありません。用心のため玄関は閉め切っています。そうすると、家の中では風は西から東にぬけていきます。どうしてなのか不思議です。
 台風が接近するということで、風対策をしないといけません。鉢類は建物の陰になって風があまり当たらない方においています。上陸するまではこれで何とかなりました。広島付近に上陸すると言うことなら、今後風向きは、南から左回りにまわって北西風に変わっていくと予想できます。南寄りの西風に変わったあたりから鉢類をおいている側に風が当たります。南西風ではかなり強くなります。
 初めの予報では、中国地方を通過するのは夜半過ぎから翌日未明になっていました。これだと風が強くなり始めるのもこの時間帯だと思っていました。それなら夕方頃に対策をしようとのんびり構えていました。
 昼過ぎに台風の進路をチェックするともう広島県に上陸したということです。それならもう少し早めの対策が必要となります。小さな鉢は室内に取り込むことにしました。大きな鉢はできるだけまとめて周囲に土の入った袋で押さえておくことにします。作業をするといっても、雨のことを全く考えていませんでした。だんだん雨が激しくなってきています。外に出ると、一瞬でずぶ濡れです。しかたがないのでポンチョを取り出して作業をしました。
 風は、台風が遠ざかっていくにしたがって弱くなっていきます。今晩やり過ごせれば大丈夫でしょう。我が家は風向きのの影響の方が大きくでます。この先どうなるか心配です。今はかなり強く吹いています。風の福男とも聞こえますし、周辺の木々も大きく揺れています。大丈夫なのでしょうか。
posted by ヨッシン at 23:59| 日記

2019年08月16日

中国山地復興割 24 10/03 大山町妻木晩田史跡公園 発掘体感ひろば

 斜面を登った上も平らになっています。ここからもたくさんの建物跡が発掘されたようです。ここのものは、建物を復元するのではなく、発掘中のようすがわかるように残されています。発掘に使われるスコップや測量器具なども置かれています。史跡を見るのではなく、体感するための場所として整備されたようです。「発掘体感広場」と名付けられています。
大山町 妻木晩田遺跡発掘体験広場

 発掘途中のようすを残した竪穴式住居です。十字型に壁のようにあるものは、地層の断面を見るために残された場所です。
大山町 妻木晩田遺跡発掘体験広場たて穴住居

 こちら側の住居跡には、砂のようなものが入っています。砂をどけて何が出てくるか見てみよう、という趣旨のようです。
大山町 妻木晩田遺跡発掘体験広場たて穴住居

 体育館のような建物が見えます。遺構展示館といいます。
大山町 妻木晩田遺跡遺構展示館

 展示館の前に残されている竪穴式住居の跡です。ここのものは床面まで掘り下げられた状態を残しています。柱穴が茶色っぽい色の地面になって示されています。
大山町 妻木晩田遺跡遺構展示館前たて穴住居

 展示館の内部です。発掘された直後の状態で残されています。竪穴式住居跡が3つあります。立てられた順番がわかります。それぞれの建物で柱穴がいくつかだぶっています。何回か使い回しをされていたようです。
大山町 妻木晩田遺跡遺構展示館内たて穴住居

 外に出た溝の所にいたカマキリです。あまり動かず、元気がなさそうでした。
大山町 妻木晩田遺跡遺構展示館カマキリ

続く...............


posted by ヨッシン at 23:51| 旅行記

2019年08月17日

中国山地復興割 25 10/03 淀江町古代の丘公園

 むきばんだ史跡公園でだいぶ時間を使ってしまいました。もうどこかによる時間は歩どんど残っていません。寄れても途中にある1ヵ所くらいでしょう。
 ここから、宿のある道後山までのコースを確認します。史跡公園入口の道を西に行くと山陰道淀江ICに出ます。ここから山陰道に入るしかないようです。ICの手前に伯耆古代の丘公園というのがあります。出発前にチェックしていた場所です。時間が微妙ですが、寄っていくことにします。
 西に進んで高校ある角を左折し進んで行きます。小さな川を渡る手前で右側に曲がれと出ています。その後、2つ目の橋を渡って進んで行くと古代の丘公園に着きました。
 受付で内容を確認すると、今の見ものは花が中心のようです。遺跡とかを見たいのであれば、丘の向こう側にある白鳳の里に行くようにいわれました。
 引き返し元の道から小さな川を渡って真っ直ぐ行きます。道の駅のような所に着きました。温泉とか物産館とかが並んでいます。物見櫓のようなものも作られています。高台の上から見たようです。土色の壁の建物は上淀白鳳の丘展示館です。
淀江町古代の丘公園

 入館終了時間が迫っています。展示館の方に行ってみます。といっても、下から見るとどの建物かわかりません。古代の丘公園でもわかりにくいとはいっていました。散々探し回ったあげく、遠くに展示館の看板があるのを見つけました。やっとのことで入館できました。
 内部では、上淀廃寺で見つかった遺物や、この近くの岩屋古墳の出土物などが展示されています。
淀江町上淀白鳳の丘展示館

 ここの展示のメインは、上淀廃寺の金堂をそのまま復元していることでしょう。大仏や如来像、壁画などがその建物ごと見ることができます。
 白鳳の里に戻って、古代の丘公園との間にある丘陵に上がっていくことにします。ここは、古墳がいくつか見つかっていて向山古墳群と呼ばれています。
 階段を上がって左前にあるのが向山古墳4号墳です。ここの古墳群は、全体的に林の中で、古墳全景はわかりづらくなっています。
淀江町向山古墳群4号墳

 丘陵を横切ったところからは、美保湾と島根半島が見えます。手前に見える物見櫓風の建物は、古代の丘公園に復元されたものです。
淀江町向山古墳群から美保湾

 8号墳です。このあたりは一番木が少なかった場所です。
淀江町向山古墳群8号墳

 一番奥にあるのが岩屋古墳です。アヒルの頭のような形をした水鳥型埴輪などが出土したと展示館に展示がありました。横側に屋根がつけられているところがあります。
淀江町向山古墳群岩屋古墳

 屋根の下には石室があります。この中からいろいろな装身具が出土したようです。
淀江町向山古墳群岩屋古墳石室

 あまりゆっくりもしていられません。宿に向かうことにします。一応コースをカーナビで確認します。大きく2つあるようです。山陰道から米子道に抜けて江布から伯備線沿いに進んで行くコース、山陰道の米子西ICから南下して行くコースです。時間的にはどちらもあまり変わらないようです。なら、追加料金の発生しない米子西を経由するコースで行くことにします。案内はカーナビに任せます。
 米子ICから国道180号を南下していきます。宿に着くのが6時をまわりそうなので連絡を入れた方が良さそうです。わかりやすい場所でと考えていたら五輪峠というところを通過しました。ここで連絡を入れます。電話口では、今どこにいるか見当がつかなかったようです。カーナビでは後1時間弱とでていると話せば納得してもらえました。わかりやすい場所というのも意味がなかったようです。
 大きな川に出たところで、川に沿って登っていきます。国道183号です。トンネルを越え、その先の集落をすぎたところで、川向こうに鉱山跡のようなものが見えました。興味があるのですが、写真だけ撮って通りぬけていきます。
鉱山跡

 そのまま進み、峠を越えて広島県に入って、少し下ったところでクロカンパークの入口につきます。ここからパークの方に進んで行き、左側に見えた建物が今日の宿です。6時20分の到着です
続く...............


posted by ヨッシン at 23:55| 旅行記

2019年08月19日

中国山地復興割 26 10/05 庄原市道後山クロカンパーク

 道後山の宿は、どちらかというと陸上長距離関係の合宿所のようです。自転車競技関係の人達もいるようです。3組ほど泊まっていました。廊下のボードには明日の練習時程などが書かれています。綿密なものからいい加減なものまで様々です。廊下には靴の乾燥機が並んでいて乾燥中のようでした。ちょっと泊まるところを間違えたかなというような気もしました。
 朝のようすです。ちょっと雲が厚めなようです。雨はまだ大丈夫でしょう。周辺のようすを見て歩くことにします。
庄原市道後山 朝の風景

 坂を降りたところにクロカンパークがあります。陸上トラックと芝生上の周回コースとがあります。何人か走っている人がいるようです。宿で見かけた人達です。自転車でも回っていました。
庄原市道後山 クロカンパーク

 コースに出るのは練習の邪魔になりそうです。横の林の中に遊歩道のようなものがあります。ここを歩いて行くことにします。
 林です。コナラのように見えます。幹もそれほど太くありませんから、最近になってできたものでしょう。
庄原市道後山 クロカンパークの林

 林床にあったキノコの群落です。相変わらずキノコの種類はよくわかりません。
庄原市道後山 クロカンパーク キノコ

 親水広場があるというので行ってみましたが見つけられませんでした。そのあたりを流れている川です。山の中というよりどこかの雑木林の中の小川という感じです。
庄原市道後山 クロカンパーク 親水広場

 いったん広い道路に出ました。どこに出るのかわかりませんから、引き返すことにします。宿の前を通り過ぎてパークの入口近くに来ると池が見えてきました。この池のまわりにも周回コースがあります。
庄原市道後山 クロカンパーク  池

 池にいた鳥です。カモの仲間です。地味な色をしているのでカルガモなのでしょう。
庄原市道後山 クロカンパーク  池のカルガモ

 宿の方に引き返します。前の広場の紅葉も色づいてきています。奥の木は赤い実がついています。コブシのようです。
庄原市道後山 コブシ

続く...............


posted by ヨッシン at 23:59| 旅行記

2019年08月20日

塾の広告

 近くにある大手の塾から広告が入ることがあります。その中には「もはや学校は終わっている」というような過激なことが書かれています。その理由については2つの流れがあるようです。反論も加えながら、検証してみます。
 1つ目は、「ノートを取れ」と強制することです。ノートを写すだけで済むのなら全く頭を使わなくなるというのが持論のようです。これには、何のためにノートをとるのかという根本がぬけています。聞いた話を忘れていても後で見てすぐに思い出せるようにするためにあるはずです。
 ふつうノートを取ろうとすると、聞いた話を頭の中でまとめて、主要な事項を整理し、後で見てもわかりやすくなるように工夫して書くことです。これは大変難しい作業です。同時に、たくさんのことを一時に処理しないといけません。相当頭を使います。これは頭を使わなくなるというのとは全く正反対です。
 ある学校では、生徒が自主的にノートとっていたので何も言いませんでした。点検はと聞かれて、みんなちゃんととっているのがわかっているからしないと答えました。別の学校では、ノートを作ろうともしません。これならノート提出の出番となってきます。授業中何もしないで、聞いたことは上の空というのを避けるためには必要です。最低限、板書したことは写すというのが基本になってきます。その上で、独自の工夫が施されているか、なにか板書しなかったことで気のついたことか書かれているかというのは高評価の対象とします。逆に、提出日間際に明らかに誰かのノートを見て写しただけというのは評価を落としています。
 学校でノートをとれというのは、何もしない生徒への動機付けでしかありません。それでも、何とか手を抜こうという生徒は出てきて、それが広告のいう「思考停止した大人達」になっていくのではないでしょうか。できる生徒のノートはそれなりに整理されていてわかりやすいものでした。
 2番目は「公式に当てはめて解け」と強制することで、脳がサボろうとするようになるという主張です。
 これもそれほど簡単ではないようです。公式が理解できるなければ、何に利用すればいいのか、どう使えばいいのかが全くわからないということに陥ります。公式に入れてごらんというのは、そういう生徒に対しての指導でしかありません。こういうときにはこういう式を使って、この値をここに当てはめるということを筋道立てて理解して初めて解けることです。これがわかっていない生徒に対して公式に入れてごらんというのは当然のことでしょう。
 広告では、公式に当てはめると簡単に解ける、だから脳はサボるようになるといっています。公式に当てはめられない生徒にとっては、公式に入れたら解けるのだとわかるだけでも大変な進歩です。これは、脳にとっては快感になります。ものの本によると、こういうことが続くと脳はますますのめり込んでいくことになるそうです。全く逆の効果がありそうです。
 塾の主張がおかしいのは、強制されなくてもできる生徒と強制されてもできない生徒を一緒にしてに混ぜ合わせていることです。ノートを取れ、公式に当てはめろというのはできない生徒に対してであり、「思考停止した大人」になるのも、できる生徒ではなくできない生徒です。
 学校ではそれほど高度な能力を要求していません。最低限度のことが理解できればいいだけです。もちろんできる生徒に対しては、上位の学校への進学のこともありますから、それなりの指導とか評価の方法を考える必要はあるでしょう。

posted by ヨッシン at 23:59| 雑記